14.出生
ABHWの総本山、本部への道のりはアイリーンにも突き止められなかった。一旦ミンディの指示を仰ぎたいとキヅナが言い出したのをきっかけに、一行はフィンランドへ向かう。
空中飛行ではなく飛行機で。
抱き抱えられて飛ぶのは絶対に嫌だとアイリーンの猛烈な反発を受けて、渋々チケットを取ったのであった。
「まったく、ここへきて大金の出費とは。飛行機は便利ですが、高いのが難点ですね」
飛行機の中で代金の文句を放つクローカーに、添乗員が気を悪くしないかとダグーはハラハラした。
「そうキョロキョロすんなよ。エコノミーじゃねぇんだ、ここなら聞き耳を立てられる心配をしなくていい」とはクォードの弁で、ダグーの不安を別方向に受け取ったものらしい。
値段も広さも最上級のファーストクラスを、貸し切りで取ったのには訳がある。
今から、他人には聞かれたくない話をするのだ。
「ミンディと会う前にフェンリルの末裔とアーティウルフについて、お話ししておきましょう」と、キヅナが切り出す。
「末裔と名乗っていますが本当にフェンリルの血を引くわけではなく、北欧神話に準えたのだと聞きました。ミンディはフィンランドに人狼の隠れ里を作りたかったのです。それが人狼を悪用したい者に目を付けられて、ABHWのような反社会組織を生み出すきっかけとなってしまいました」
「じゃあ、ミンディ自身は不思議な能力を持っていない...?」と首を傾げたシヅへ頷き、キヅナは断言する。
「えぇ。少なくとも私が確認した限りでは、あなた方のような特殊能力を持たない、狼女に変身するだけの女性です」
「狼女に変身するだけ、って……」
突っ込みたくてたまらないキエラをクローカーが手で制し、キヅナへ話の続きを促した。
「ミンディは何故、隠れ里を作ろうと考えたのでしょう?迫害される同族への同情ですか」
「それもありますが、一番は人狼が自分を隠さず生きていけるコミュニティーを作りたかったのです。ただ、今の世の中では、それが難しい。だから最初は隠れ里として成立させて、徐々に世間へ浸透させていく試みだったのです」
どこか遠くを眺める目つきでキヅナは語り、両手を組む。
「そんなのは夢物語だ、浸透するか怪しいと多くの者は考えるでしょう。当然です。人間は異質を嫌い、信じようとしません。一方で、宇宙人や幽霊の存在を信じる人間がいる。要は数です。目撃数が少ないから、人狼は眉唾だと思われている。しかし、全体数が多くなれば……?」
「あ〜。要するに、お見合い隠れ里?」
身も蓋もない表現を繰り出したのはキエラで、傍らのクローカーに窘められる。
「とは限らないでしょう。SNSでも三十余名、参加者がいたのです。なら世界には、もっと多くの人狼が隠れ住んでいると見ていい。ミンディは人狼を一ヶ所にまとめて世間へ公表することで、人狼のアイデンティティーと人権を守りたかった。そうですね?」と後半はキヅナへの確認で、キヅナも眉をひそめて頷いた。
「現在、隠れ里には百名近くの人狼が住んでいます。過去には世間へ公表もしました。しかし、人々は関心を持たなかった。眉唾だと受け取られたのです。我々の道のりは前途多難です。そうこうするうちに、研究所に所属する人ならざる協力者がABHWに新しい動向があったと知らせてきまして」
「それが、わたし達のこと...?」と、シヅ。
話を受け継いだのはアイリーンで、太い腕を組んで語りだす。
「そうさ、未来で人工の人狼が作られているってな。あいつらは未来も過去も見えるんだそうだ。連中の言い分が本当かどうかは実際にあいつらと未来や過去に飛んだことのある、あたしが保証してやるよ。まぁ、とにかく未来で造られた人工人狼を救出しに行ったんだが、途中でほっぽりだしちまって悪かったね、ダグーにシヅも」
「あの時」と、ダグーは切り出した。
「どうして一緒に来てくれなかったんですか?」
世間知らずの子供二人を野に放って、どうにかできると思っていたんなら楽天主義にも程がある。
助けに行ったんなら、最後まで助けてほしかった。
じっとダグーに見つめられて、そっと視線を外したアイリーンが謝ってくる。
「……人工狼救出から研究所壊滅までが任務だったんだ。だけど相棒が、リンネイがSOSをテレパシーで送ってきたもんだから、そっちを優先しちまったのさ。あいつが死んだら、あたしも過去に戻れなくなっちまうからね」
リンネイというのが研究所に与する魔族の名か。
そいつの能力でダグーとシヅを先に過去へ送り届け、アイリーンとリンネイは研究所の破壊に勤しんだ。
ただし送り届けの精度は宜しくなかったようで、ダグーとシヅは途中で離れ離れになってしまった。
アーティウルフは歴史の最中で消息不明となり、アイリーンとリンネイは大目玉を食らった。
これまで、ずっと二人を探していたのだとアイリーンに締めくくられ、シヅがポツリと呟く。
「...手がかり、何もないんじゃ無理。ミンディの居場所ぐらいは、教えて欲しかった」
「あぁ、すまないね」とアイリーンは再び頭を下げて、当時に想いを馳せる。
「未来を襲撃する任務なんざ初めてで、こちらも冷静を欠いていたよ。それにミンディは人狼界隈で有名な存在だったからね。人狼づてに辿っていけば簡単に見つけられると思っていたんだ」
その人狼自体、見つけるのが困難だった。
ダグーはヴォルフ以外の同族と出会った覚えがないし、シヅに至ってはミレニアムを迎えるまでに出会った人数がゼロだったというのだから、現代社会における人狼は隠れ住む能力に長けた相当なプロフェッショナルという他ない。
「シヅは同族と出会うまで、どこでどうやって暮らしていたんだ?」とダグーが問うと、シヅは少し逡巡した後にポツリと答える。
「街を...転々と、して。人が一人住むなら、幾らでも場所はあった。けど歳を取らないと、不気味がられる...から」
ダグーがルーマニアを出発点としてヨーロッパ近郊から中近東に渡る範囲を転々としていたのと比べて、シヅは中国を出発してから全世界範囲で転々としていた。
「大陸は広い...けど、田舎は噂の広まりも早くて。迷信を信じる人が多いのも、厄介だった...」
奥地の田舎には、ミレニアム以降も吸血鬼や悪霊を信じる人がいる。
占い師、祈祷師なんて職業が本気で存在しており、シヅは討伐対象として追いかけられる仕打ちを受けた。
自分と違って苦労した妹分の過去に、ダグーは瞳を潤ませる。
「妲己の転生だって...言われた。狐じゃないのに、狼なのに」との愚痴には、思わずブッと吹いてしまったけれど。
狼女に変身して泳げば世界一周も簡単に出来そうだったが、万が一の危険を避けて真面目に働いた。
働いて貯めた金で世界を転々と巡りながら、人狼の目撃情報を探した。
シヅが初めて同族と出会えたのは中東、シリアであった。
トルコやエジプトにならダグーもヴォルフとトレジャーハントで何度か足を運んだが、ただの一人も人狼を見かけなかったと言うと、シヅは首を真横に「噂を頼りに、悪霊に取りつかれた人を重点的に探したの...」と呟いて俯く。
普通に探したところで見つからないので、あえて村八分にされている人を探した。
中国での経験則であろう。どの街でも異端者は忌み嫌われ、迫害される。
人狼と出会い、他にも同族が存在すると知ったシヅは、インターネットを利用して情報を集める。
ダグーと再会する前に日本へ渡ったのも、情報収集の一環だ。
早くから探していたシヅも、そして最近探し始めたダグーも結局は同じ場所に辿り着いた。
光一には感謝だ。人狼であることを隠さず生きていてくれて。
「彼のような存在は、人狼社会でも異質です。人狼は禁忌だというのが欧米での定説でしたから」
そう苦笑して、キヅナは話を本題へ戻す。
「今から行くのはミンディが作った人狼の隠れ里です。彼女は、そこで敵対組織の様子を探ったり研究所とデータのやり取りを行っています」
「ところでさぁ」とキエラが口を挟んだ。
「ダグーとシヅをミンディに会わせたがっているのは何でだ?会うと何が起きるんだ」
「会うだけじゃない」
さらに口を挟んだのはアイリーンで、ちらっとダグーを見やる。
「ミンディの元で、まともな人生を送らせてやりたかったんだ、この二人に。研究所なんて歪んだ場所で人殺しの特訓をやらせるんじゃなくってね」
さらっと口走られた一言に、キヅナとアイリーンを除く全員が「人殺しの特訓!?」と叫んだ。
何故、未来のABHWは人工で人狼を造っていたのか。
奴らは人狼の長寿に目をつけて生ける兵器製造に着手した。
人体改造に成功したダグーとシヅは、アーティウルフのプロトタイプだった。
二人は、それぞれに違った能力を持たされた。
ダグーとシヅの身元は親なき孤児だ。
シヅの本名は、戸籍によると福本 静香であるらしい。
日本の孤児が何をどうやってかドイツの極秘裏研究所へ運び込まれて、実験台に使用された。
研究所に所属する魔族曰く、未来では人身売買が横行しており、こんなケースは珍しくないのだそうだ。
もっとも、今の世にも人身売買は存在する。
未来で人さらいが孤児を人体実験に使ったとしても、驚きは少ない。
解体されて臓器を取り出されるコースじゃなくて良かったじゃないかとクォードに嗤われて、ダグーは複雑な表情で返す。
死ぬのと人間じゃなくなるのとでは、そりゃ〜生きていたほうがマシだろう。
だが、なりたくてなった人狼じゃない。
これから先も人狼ならではの問題点、半不老の秘密を抱えて生きていかなきゃいけないのだ。
ダグーは戸籍なき孤児だった。
これも未来では珍しくないケースだそうで、人類の未来は、どれだけデストピアと化しているのか恐ろしくもある。
悲惨な孤児二人は本人の許可なしに改造されて、殺人兵器として育てられていたので救出対象となった。
人体改造の研究そのものを根絶できる。そのような期待があった。
ついでに人狼から人間に戻す研究も見つけられれば良かったのだが、それは見つからなかった。
「付け足すことは出来ても、取り外しは無理ですか……不便なものですね」と、クローカーが溜息をもらす。
「殺人兵器にするつもりで造ったんだろ?だったら、元に戻す意味ないじゃねーか」
混ぜっ返したキエラも、ちらりとダグーを一瞥した。
「ダグーちゃんの能力って魅了だったっけ?シヅは、なにが出来るんだ」
「治癒能力です。アーティウルフは人狼の二十倍の回復力があるそうですが、彼女は、それを他人にも使えるんだそうで」とキヅナが請け合い、シヅへ目を向ける。
目線に頷き、シヅは小声で答えた。
「...外で使ったことはない、けど。研究所では皆の怪我を、よく治していたわ」
皆とは研究所に詰めていた職員であろう。
隔離された集団生活、それも極秘裏研究とあっては、外の病院へかかるわけにもいくまい。
「傭兵と組ませて任務に送り込む予定だったのかもしれません。敵対組織にしてみたら恐怖でしょう?粉々に吹っ飛ばしても死なない人間が乗り込んでくるのは」
アイリーンが持ち帰ったデータによると頭や心臓を銃弾が貫通しても回復させるというんだから、医者いらずの研究、悪魔の発想だ。
「ただの人間を不死の怪物にしちまうってのかよ。そいつぁ確かに恐ろしいな」
キエラが唸り、腕を組む。
初め、話を聞いた時にはアーティウルフを量産して兵器にするのかと思ったが、そうじゃない。
万能薬を数個作って傭兵部隊に持たせるのか。経費が安くつく上、効率上昇で万々歳だ。
「ダグーの魅了は何なんです?魅了じゃ人は殺せませんよ」との物騒な発言はクローカーだが、キヅナは首を横に振る。
「殺傷だけが社会を狂わせる手段じゃありません。使い方次第では治癒能力よりも厄介です」
「その通りだ」と頷いたのはクォードだ。
クォードの本性は魔族で、ダグーと似て非なる魅了の能力を持つ。
見つめあうまではダグーと同じだが、彼の場合は幾つかの制限がかかる。
自分よりも魔力が高い者には効かない、完全に意識を制圧するまでに時間を要するといった。
ダグーの魅了には、それがない。
ダグーと瞳を併せたら最後、どんな相手であろうと魅了されてしまう。
だから皆、今一緒に行動している全員がダグーと真っ向から見つめあわないように彼の頭上などを見ながら話しているわけだが、その注意事項を知る前にキエラとランカが魅了されてしまい、この二人だけはダグーに首っ丈のメロメロだ。
「核兵器の発射権限を持つ大統領を魅了で洗脳されてみろ。下手したら世界が終わっちまうぜ」
ABHWは、わざわざ人工で人狼を造りだすような組織だ。
とても世の為人の為になるような使い方をするとは思えない。
アイリーンが助け出してくれなかったらと思うと、背筋が凍る。
アフターケアーが杜撰だったのはさておき、改めてダグーは彼女に「ありがとうございます、あの時、何も知らなかった俺達を助け出してくれて」と感謝を伝え、アイリーンは照れて手をパタパタ振った。
「今度は、あんたがあたしを助けてくれたんだ。これで貸し借りゼロだね」
話が一段落ついたところで、クローカーがアイリーンに尋ねる。
「ときに、あなたはご存じありませんか?白狼という通り名を持つ人狼の行方を」
すると、アイリーンは驚愕の表情を浮かべて叫んだ。
「白狼だって?あいつなら、ミンディの元へ向かわせたはずだよ」
向かっていない、むしろあんたをSNSで探していたとクォードが伝えると、彼女はウーンと考える仕草で飛行機の天井を見つめていたが、しばしの間をおいた後に推測を語る。
「おかしいねぇ。あいつには隠れ里が何処にあるのかも教えたはずなんだが……キヅナ、あんたのメールに連絡は来ていないのかい?」
催促されてスマホを取り出したキヅナは、ややあって「……あぁ、これですね。なるほど、ミンディからの連絡です。人狼が一人、里に加わったと。その人はダグーという人物を探しているそうです。二十分前の送信ですから、ついさっきですね。サイレントモードにしていたので気づきませんでした」と呟き、聞き耳を立てていた全員を驚かせた。
21/10/08 Up