13.合言葉は
ダグー一行は、再び北海道支部までやってきた。あんなに大騒ぎしたはずなのに、神殿入口には見張りすら立っておらず、不用心なのが却って不気味に感じられる。
『……人の気配を感じます。大丈夫、中はもぬけの殻じゃありません』
逃げ出した後なのでは?と考えたのはダグーだけではなかったようで、キヅナも中の様子を探ってから笑みを浮かべる。
ダグー・シヅ・キヅナの三人はフードを目深にかぶったジャンパー姿でやってきた。
魔族たちは結界で姿を隠した状態のまま、突入する予定だ。
『さて、誰かに目撃されないと、この姿で訪問した意味がありません。ごめんくださーい!』
唐突に大声を出したキヅナにダグーは驚くが、呼びかけて五秒と経たずに誰かの足音が忙しなく近づいてきたのにも吃驚だ。
息を切らせた信者が「すみません、今日は見学を受け付けておりませんので」と何やら言いかけるのを手で遮り、キヅナは咳払いする。
『アポイントなしの唐突な来訪で申し訳ありません。ですが、本日しか余裕がなかったもので立ち寄らせていただきました』
「は、はい……?」
信者は首を傾げている。
三人ともフードをかぶって怪しげだというのに、そこは気にならないのか怪しむ様子もない。
純粋に三人が何をしに来た相手なのか判らず、きょとんとしている――そのように見えた。
現代人にしては、ピュアな反応だ。
『そちらの教祖様にフェンリルの末裔がきたと、お伝えしてもらえますか?』
ひそっと囁かれた言葉に、信者は目を丸くして、しばし硬直した後。
「……フェッ、フェンリルの!?」と叫ぶや否や、ビシッと背中に両腕を回して直立不動の姿勢になる。
「し、失礼いたしましたァ!お通り下さい、教祖は一番奥の部屋におりまァす!あ、ご案内しましょうか!?」
「祈りをささげるんじゃなくて敬礼するのかよ。対応が軍隊みてーだな」
キエラが小馬鹿にしたように呟いて、傍らのクォードに肘で突かれる。
こうしたやりとりも、目の前の信者には見えていまい。結界の中で行われている以上。
『えぇ、お願いします』
にこやかに微笑むキヅナの口元を眺めていた信者が、くるりと踵を返す。
「あ、あの、末裔様が、こちらへいらしたというのは……」
探り出そうとする会話は『まずは、教祖様へお話を通してからにしましょう』とシャットアウトして、奥の部屋まで案内させる。
別れ際、『あなたのお名前を聞いておきましょうか』と社交辞令程度に切り出したキヅナへ信者は頬を赤らめて答えた。
「わ、若綱と申します!若綱常義ですっ」
『ワカヅナさん、ですか。珍しい御苗字ですね。では、のちほど集会でお会いしましょうワカヅナさん』
「ひゃ、ひゃい……!」
真っ赤に染まってぶっ倒れそうな信者を廊下に残して、教祖の部屋へ足を踏み入れる。
『失礼します』と声をかけると、部屋にいた男が振り返って「どちら様……いえ、ようこそお越しくださいました、フェンリルの娘ミンディ様」と微笑んだ。
前回はマイクで怒鳴ってきて怖い印象を受けた相手だが、普通に向かい合っている分には温和そうな中年だと感じられた。
短めの髪の毛は柔らかな金髪で、曇りなき青い瞳がこちらを見つめている。
真っ黒なローブの上に真っ赤なケープを羽織っており、一般信者とは違うんだぞと目一杯アピールしている。
それにしてもフードをかぶったままなのに、よく人狼だと判ったものだ。
ちらちら見え隠れする犬っ鼻のおかげだろうか?
ふわりとフードを脱いで、シヅが真っ向から教祖を見つめた。
ペンキは剥げることなく彼女の毛並みを緑に輝かせている。
教祖は「おぉ……」と感嘆の声を小さくあげたかと思うと、不意に表情を引き締めて名乗りを上げた。
「失礼しました。噂通りのお姿に、つい、言葉を忘れてしまいました。私は北海道支部を治めております、禊名グルトップと申します」
「禊名って全部洋名なのな。なんか法則あんのかねぇ」とは姿を隠したキエラの疑問だが、答えたのはクローカーだ。
「北欧神話系列に連なる名称じゃありませんか?ミミルはミーミル、グルトップは馬の名前だったかと」
教祖の禊名の元ネタが判ったとしても、ただの雑学でしかない。
それよりも、こいつにフェンリルの末裔だと認識された上で敷地内を自由に動ける許可をもらわねば、アイリーンを探すどころではない。
「そちらの方は?」と教祖にダグーを示されて、キヅナが淀みなく答える。
『従者です。名はグレッグスと申します。若輩者ではありますが、よく気のつく男です』
フェンリルに連なる本家が自由な名前を名乗っているのに祀り上げるだけの信者が北欧神話所縁の名称を名乗るとは、おこがましい話だとクォードは考える。
キヅナも、そこんとこは気にならないのだろうか。まぁ、今は文句を言えないだろうが。
『提携を結びたいとのお申し出...受ける前に、ひとつ調べておきたいことがございます』
こちらも、すらすらとシヅがミンディのふりをして事前に打ち合わせした内容を述べている。
「なんでございましょうか?」と首を傾げる教祖へ無感情な目を向けて、抑揚なく告げた。
『修行のほどを、調べます。虚無の信仰では、困りますので...』
「なんと、ミンディ様が自ら……!?こちらからお願いしたいぐらいでした、どうぞ隅々までごらんになって下さい」
教祖は、ぱぁぁっと晴れやかな顔で喜んでおり、騙しているのだと思うとダグーの心は苦しくなってくる。
しかし、その一方で、この温厚そうな男はランカを総本山へ送ったのだ。騙されてはいけない。
かくしてダグーとシヅとキヅナは"審査中"と書かれた名札を首からかけて歩き回れる許可をもらった後は、各部屋を覗くふりをしながら一人の人物を探し求める。
全ては事前に打ち合わせしてあった。
アイリーンは大柄で白髪の老婆、会えば一発で彼女だと判る風貌らしい。
ダグーの記憶では髪の毛が何色だったかまでは思い出せなかったので、現状の彼女を知るキヅナの情報を信じるしかない。
もし似たような風貌の人がいたとしても問題ない、彼女との間には合言葉が存在する。
"汝、人ならざる者なりや?"と此方が問いかけて、"我、月に咆哮する者なり"と答えが返ってくれば、アイリーンで間違いない。
私室のドアを開けては中にいた信者に驚かれるのを繰り返しつつ、廊下の端まで歩いてきた時だった。
「曲がり角に誰か隠れてやがるぜ」と呟いたのは、結界内にいるクォードだ。
キヅナとシヅも気づいたのか、足を止める。
どうしたのかと一人キョトンとするダグーには一切の説明もなく、キヅナが廊下の先へ声をかけた。
『そこに立っているのは、どなたですか?』
すると、うぅぅ……と低い唸り声が応えて、すぐに黒い影が飛び出してくる。
四つん這いになった青年が、歯を食いしばって威嚇してくるではないか。
「ここから先、無断侵入禁止!いかなるものも入れちゃ駄目って言われてる!お客様でも見学者でも駄目、戻って!!」
青年の首には犬の首輪が巻きついており、表面には白い糸で【Garm】と刺繍されている。
見るからに異質なファッションで、ただの信者とは異なる立場に置かれているようだ。
『ふむ……ガルム、ですか。つまりは番犬、この先の見張りを任されているのですね』
首輪を眺めてキヅナが呟く。
『この先に何が?』とダグーが廊下の向こうを覗き込む真似をしただけで、青年には「うー、がぅっ!」と吠えたてられて怒られる。
「ガルム、駄目って言った!グルトップ様、誰も通すな言った!この向こう、咎人の部屋!近づいちゃ駄目!!」
青年は真っ黒な髪の毛に茶色の瞳と何処からどう見てもアジア人種なのだが、それにしては日本語が不便で気になる。
まともな教育を受けていないのか、それともキャラを作っているのか。
普通に考えれば後者だが、ここは日本であって日本じゃない隔離された空間ゆえに前者の可能性も捨てきれない。
そして当面の問題は青年の身の上が何であれ、フェンリルの末裔でも侵入不可能な場所がある点だ。
『審査中なんだが、それでもダメなのかい?』とダグーが尋ねれば、ガルムを名乗る青年は大きく頷く。
「駄目!何者も通しちゃ駄目ってグルトップ様の命令!」
だが『グルトップ様でも入れないの...?』とのシヅの質問に、青年は悩ましい下がり眉になった。
「それ、判らない。誰も通すなだから、グルトップ様も通っちゃ駄目?」
此方に聞かれたって答えようもない。
『グルトップ様は隅々まで審査していいと許可を出してくださった。ただの番犬が我々の進行を邪魔していい理由にならないぞ』
少し強めに言い放つキヅナへ眉を吊り上げて「でも、誰も通しちゃ駄目だってグルトップ様が」と言い募るガルムを、ダグーが真っ向から見つめて『先ほど、グルトップ様が直々に命令を変更なさったんだよ。だから俺達は、この先へも入れる許可が下りているんだ』と説得にかかる。
じっと見つめあう事、数十秒。
青年はポッと頬を赤く染めて、潤んだ瞳で頷いた。
「判った。命令変更、隅々まで見ていい」
我ながら便利な能力だ、魅了。
あとで、この青年が教祖に怒られるのだと考えるだけでも憂鬱になってくるので、ダグーは極力考えないよう努める。
ダグーをチラリと眺めてシヅは何か言いたそうな表情を浮かべたが、言葉にはしなかった。
どこに監視カメラが光っているか判らない以上、無駄な雑談は極力控える――事前の打ち合わせ通りに。
番犬ならぬ番人をその場に置き去りにして、廊下の奥まで辿り着いた。
廊下の奥は行き止まりで、ドアが一つあるだけだ。
いかにも誰かを閉じ込めておくのに、うってつけな部屋と言えよう。
コンコンと、まずはノックしてみたが、返事はない。
少し思案したキヅナは、扉にぴったり張りついて小さく囁いた。
『……汝、人ならざる者なりや?』
ガサゴソと紙か何かをかきわけて、足音が近づいてくる。
やがて扉を挟んで低い声が聞こえてきた。
「我、月に咆哮する者なり」
声は出さず、しかしダグーとシヅはハッとなる。
今の声――聞き覚えがある!間違いなく、アイリーンだ。
二人の記憶にあるがまま、太くて低くてぶっきらぼうで、でも何処か温かみを感じさせる彼女の声だ。
『扉...鍵が』とドアノブをガチャガチャ回すシヅの背後で「どけ」と声がして、振り向く前に扉が勢いよく吹っ飛んだ。
続けて「あっぶないじゃないか!あたしまで吹っ飛ばす気かい!?」と怒鳴られたが、それどころじゃない。
こんな大きな物音を立てたらガルムも我に返って駆けつけるんじゃ!?と慌てるダグーの耳元で、クローカーが囁く。
「ご安心を。結界を扉周辺に張ってあります」
『すみません、同行者が荒々しい真似をしてしまいまして……お怪我は、ございませんか』と謝るキヅナをジロリと睨みつけて廊下に出てきた人物こそは、ダグーとシヅの記憶にあるアイリーンその人だ。
目尻に皺を感じるが、子供が大人になる年月を過ごしたのだから、人狼とはいえ彼女が歳を取るのも当然だろう。
「あんたら末裔までが人ならざる者と手を組むとはね。長生きしてみるもんだ」と吐き捨てる彼女へ駆け寄って、ダグーとシヅは、それぞれに声をかけた。
『おっ、お久しぶりです、アイリーンさん!俺の、俺達のことを、覚えていますか……?』
『アイリーン...また、会えた』
ん?となったアイリーンが二人を見たのも一瞬で、すぐにキヅナは襟首を掴まれてガクガク揺さぶられる。
「あんたが一緒なのに、まだミンディの元へ辿り着いてないってなぁ、どういうこった!?」
『あ、あわわわ、ちょっと、まずは私の話を聞いてもらいたく』
「うるさい、言い訳は無用だよキヅナ!とっととミンディと引き合わせなきゃ、ダグーもシヅも穏便な生活を送れないじゃないか」
怒涛の問答で呆気に取られてしまったダグーとシヅはキヅナのくったり具合で我に返り、慌てて止めに入った。
『あ、あの、キヅナさんは悪くないんです!最近なんです、やっと末裔の足取りに辿り着いたのは』
『キヅナが死んだら足取りも途絶えてしまう...解放してあげて?』
「あぁ、そうだね、そうだ、その通りだ。こんなボンクラでもミンディの秘書兼護衛なんだ。そうだとも」とキヅナを手放し、アイリーンの両目がダグーとシヅを捉える。
「二人とも、よく生き延びたね。さぁ、ここを抜け出したら一緒に行こうじゃないか。フェンリルの娘の元へ――」
差し出された手を握る二人へ待ったがかかる。
『い、行くのは構いませんが、例の計画は後回しにしていただけますか……!』
首元をしきりにさすってキヅナが起き上がり、三人へ懇願の目を向けた。
『人ならざる者が生贄に選ばれました。贄に捧げられる前に奪還しないと、祭壇の魔力が一気に膨れ上がってしまいます。アイリーン、あなたも彼女の救出に協力してください。ダグーも、それを望んでいます』
「あんたがついていながら、むざむざと奪われたのかい!?」と、またまたキヅナには冤罪がかけられて、それにもダグーとシヅが横入りして宥めたりと小一時間。
血気盛んな老婆アイリーンをつれて一行が神殿を抜け出したのは、侵入してから二時間と経たない迅速な救出劇であった。
21/09/24 Up