12.遠大な野望
ホテルの一室に落ち着くや否や、キヅナが本題を切り出す。彼とアイリーンの関係は協力者だ。
アイリーンの所属するライカンスロープ・アクティベーションラボトリーは人狼の生態を長年研究しており、キヅナの属するフェンリルの末裔とも連携を取っている。
アイリーンの立場は諜報員、研究所や末裔が掴んだ情報を元に各地へ派遣される。
時空を越える際には魔族が同行する。
同時代の場合は単独行動だ。今回は、その単独任務の途中で消息を絶った。
「今、魔族――とおっしゃいましたね。あなたは魔族が、どういったものなのかご存じなのですか?」
クローカーの確認にキヅナは「人狼社会では宇宙人が定説ですが、我々のように真実を知る者は別世界の住民だと認識しています」と流暢な日本語で答える。
「そんなら話は早ェや。実は俺達も魔族でね、仲間が誘拐されたから助けに行くのさ」
キエラの軽口にキヅナは「そうですか」と頷いたっきりで、深く突っ込んでこない。
あまり本気にしていないようにも見えたので、ダグーが念を押す。
「本当なんだ。彼らは空を飛べるし、結界っていうのも作れる。多分、俺達のいる場所へ来たのも時空を渡って」
「というよりは、次元だな」とクォードがダグーの解説に訂正を入れて、キヅナを睨んだ。
「魔族は研究所の受け売りでしか知らねぇようだが……なんなら、あんたを連れて未来に飛んだっていいんだぜ?」
「いいえ、結構です」と断り、キヅナもクォードを見つめ返す。
「アイリーンの話は信用できます。ダグーさん、シヅさん、あなた方の存在が証明になっています。過去と現在において、人工的に作られた人狼なんてものは存在しないのですから」
そもそも人狼、ライカンスロープとは何なのか。
一般にはフィクションだと思われているが、キヅナの話によると存在する前提の上で秘密裏に研究されているようだ。
彼らが確信をもって研究しているのは、やはりフェンリルの末裔、実在する人狼のおかげだろうか。
「古来より奇病だのオカルト現象だの精神疾患だのといった諸説はありますが、現在は遺伝子の狂いが原因ではないかという見方に収まりつつあります」
「遺伝子の狂い?つまり、奇形だというのですか。しかし奇形というだけでは長寿や変身の理由付けにならないでしょう」
眉を顰めるクローカーを見やり、キヅナは首を真横に振る。
「奇形ではありません。どちらかというと突然変異に近いのではないでしょうか。遺伝子が母胎で自然に組み替えられて生まれてくる、別の進化を遂げた人類です」
どこか遠くを見る視線で窓の外を眺めて、彼は呟いた。
「人狼とは何なのか。私は自分が人類であると、狼男に変身できるだけの人間だと信じて疑わずにいたのですが……ミンディと出会って、そして研究所の存在を知ってからは、こういう種族なのだと考えを改めざるを得なくなりました」
「狼男に変身できるだけ、って……フツーの人間は何にも変身しないぜ?狼男になれちまう時点で、お前は人間じゃねーだろ」と呆れるキエラに、クォードは肩をすくめた。
「まぁ、仕方ねぇさ。人間ってやつぁ、姿形で見分ける種族だからな。同じ形をしてりゃ〜中身がどうであれ人間だと判断するしかねぇんだろうよ」
周りが普通の人間しかいない社会で育っていれば、自分が人間じゃないなんてのは絶対に考えたくない。
周りと違ったり劣っていると判った時点で、仲間外れにされるのは確定だからだ。
ちょっと異なる個性を持つだけの人間。キヅナも、そう信じようと必死だったに違いない。
ダグーは、たまたま理解ある同種の元に辿り着けたから良かったけれど、シヅはどうだったんだろう。
もしかしたら、人間社会で孤立していた?
ダグーが、そっとシヅの手を握ると、シヅもこちらを見て僅かに微笑む。
「話を戻して、アイリーンはアングルボザード・ホーリーウォーの何を調べに北海道支部へ潜入したのですか」
クローカーの問いには、しばしの間を置き、キヅナは逡巡の後に答える。
「アングルボザード・ホーリーウォーは、フェンリルの末裔を手中に取り込もうとしています。いえ、取り込んだ最終段階が未来のアーティウルフに繋がったと言っていいでしょう。ダグーさん、シヅさん。まだ推測の段階でしかありませんが……あなた方はフェンリルの娘を徹底研究した末に生みだされた人工の人狼なのだと思われます」
キヅナ曰く、何十年か前から研究所の職員を装った連中が何度もフェンリルの末裔、つまりミンディにコンタクトを取ろうとしてきたらしい。
末裔を表舞台に立たせたがり、存在を公にすることで人狼の輝かしい未来を謳っていたが、ミンディは全て断った。
これまでずっと末裔が隠れ住んできたのは、人間社会が奇異の存在を認めないとするせいだ。
表舞台に出たところで、輝かしい未来へは繋がらない。
珍獣扱いか嘘つき呼ばわりが関の山であろう。
自然に生まれるのを待つだけでは、いずれ人狼は淘汰される、自分たちなら人工的に増やせるとも彼らは言っていたが、各国の研究所に問い合わせたところ、現時点では何処の研究所も人工で人狼を作り出すまでには至っていないという結論に達し、さらには怪しげな活動を行う組織の噂を掴んだ。
それがアングルボザード・ホーリーウォーだ。
元は何処かの研究所で遺伝子組み換え技術を研究していた部署が、全く別の組織として分離した。
表向きはセミナーとして存在していながら実態は宗教に近く、本性は人体実験を主体とする研究所である。
幾重にも正体を謀る組織など、到底信用に値しない。
「要するに突然変異の人狼を意図的に大量生産するつもり……なのか?けど、何の為に」
キエラの疑問に答えたのはキヅナではなく、クローカーだ。
「長寿で頑丈な上、獣にも変身できるのですよ?軍隊に送り込むのが妥当な線ですね。優秀な兵となるでしょう」
「えぇ、森林戦……ゲリラ戦で我々は真価を発揮します。彼らが人狼に求めるのは、そうした戦力と見て間違いないかと」
キヅナも認め、ダグーとシヅの二人を見やる。
「お二人には本来の人狼が持たざる能力もあると、研究所の職員から聞かされています。未来における彼らの遺伝子組み換え技術は相当なものですね。悪魔の所業と言い換えてもいいぐらいに」
アイリーンの任務は、始祖を名乗る人物との接触だ。
始祖と会うには支部の教祖に高い魔力を認められて、本部へ送り込まれなければいけない。
「じゃあ、もう本部に送り込まれちまったんじゃねーか?」とはキエラの推理だが、キヅナは首を真横に否定した。
「彼女が連絡を絶ったのは、潜入して一週間経った頃なのです。一週間も放置されていた、とも言えますね」
「そもそも」とクォードが口を挟む。
「アイリーンの魔力は高いのか?いや、潜入させるぐらいだから高いって前提で話しているんだがよ」
「普通の人間よりは」と答え、キヅナは全員の顔を見渡した。
「なのに生贄に選ばれもせず一週間、彼女が野放しにされていたのは、どういった理由だったのか。そして通信が途絶えたのも何故なのか……私は北海道支部で彼女の身に何が起きたのかを知りたい。あなた方のお仲間も救出せねばなりません。ともに手を取り合いましょう」
再び北海道支部へ潜入しなければならなくなったわけだが、前のと同じ手は使えまい。
ダグーは素顔を信者全員に見られているから、神殿に近づくだけでもアウトだ。
「まずは私とダグーさんとシヅさんとで狼変化して、正面から堂々と訪問しましょう」
キヅナの案にダグーは目を丸くして、彼の正気をも疑った。
キヅナはダグーの反応を面白そうに眺めて、策を披露する。
「フェンリルの末裔が会いに来たと伝えるのです。彼らはフェンリルを崇拝する集団ですから、すぐに教祖へ取り次ぐはずです。シヅさんにはミンディの替玉を努めてもらいます。魔族の皆さん、すみませんが工具店までひとっ走りしてペンキを買ってきてもらえますか?」
「ペンキ?」とオウム返しなキエラへ微笑み、キヅナが頷く。
「えぇ。ミンディの毛並みは他の人狼とは少々違っていましてね」
「ペンキで色替え...嫌な予感しかしないわ...」と暗い表情で呟くシヅには、ダグーも同感だ。
ミンディの毛並みが何色だかは判らないが、きっとパッと見で彼女だと分かるような個性的な色なのだ。
と、ダグーは予想していたのだが……
使いっ走りにされたキエラが片手にぶら下げて戻ってきたのは、緑のペンキであった。
「え」
さすがに緑は想定の範囲を越えた色だ。
驚くダグーの傍らでは、キヅナが狼男に変身する。
シヅは少し考え、キヅナに尋ねた。
「狼女、なの...?それとも、狼...?」
『二足歩行でお願いします』と答える彼は、服の隙間から覗く肌が銀色の毛並みに包まれている。
「お前ら人狼の毛並みって、人間時の体毛とは無関係な色なんだな」と呟くクォードを振り返り、キヅナが笑う。
『よく言われます。えぇ、ですが体毛とは無関係ですね。今、私を覆っている毛は普段表に出ている体毛とは異なり、体内にある細胞が毛穴を抜けて出ているのだと研究者は申していましたが、本当かどうか』
「げっ。じゃあ、それ、毛じゃないんだ?」
後ずさるキエラを横目に、ダグーも狼男に変身する。
封印が解けた一発目では勢いで服をやぶってしまった変身も今は調整バッチリ、服を着たままで可能になった。
変身した後は、ズボンの中から尻尾を取り出して垂らせば完成だ。
ダグーの毛並みは灰色だ。シヅは茶色、ヴォルフは白だと本人が言っていた。
ダグーとシヅは黒髪だし、ヴォルフもブラウンに近い金髪だったのに、幼い頃の自分は疑問にも思わなかった。
変身前と後とで毛の色が違うことに。
にこにこと笑顔を浮かべたキヅナが、ペンキ缶をシヅへ差し出す。
『さぁ、ではシヅさん。このペンキを頭から、かぶってください。床の汚れは気にせず一気にバシャアと!』
缶には水性と書かれているから、洗えば落ちるのだろう。一応。
しかし、ペンキなんぞを頭からかぶって大丈夫なんだろうか。細胞的に考えて。
沈黙するシヅを無視する形でクォードがキヅナへ言った。
「俺達は擬態を変えていくが……お前らは狼の格好で行くのか?」
『いえ、訪問のインパクトは大事です。まずはフードつきの服などで姿を隠して、神殿前でご披露といきましょう』
再びツカイッパとしてキエラが買い物に送り出されるのを見送りがてら、シヅは意を決してペンキ缶を持ち上げる。
『...やるわ』
ザッパァと勢いよくペンキが滝のように流れ出て、頭から爪先までシヅが緑一色に染まるのをダグーも見届けた。
「服、脱がなくて良かったのか?」とは終わった後でのクォードのツッコミだが、言うのが遅かったかもしれない。
恨みがましい目で睨んでくるシヅとクォードの双方を交互に眺め、キヅナは結論を下す。
『まぁ、いいでしょう。恐れ多くもフェンリルの娘を素っ裸に剥いて検証しようとする信者がいるとは思えませんし!』
訪問までには綺麗な服に着替えておいてくださいねとキヅナに言われたシヅは部屋備え付けのバスルームへ駆け込むと、上から下までペンキでぐっしょり濡れた服を脱ぎ捨てて、洗濯籠へと放り込んだ。
21/09/14 Up