11.繋ぎ
長くかかりそうだと判断したダグー一行は、東京で宿を取る。といっても、ビジネスホテルではない。御堂の借りているアパートを間借りした。
光一との二人暮らしだが、部屋は三つもあって広い。
貧乏探偵だと名乗っていた割には豪勢な暮らしをしているじゃないかと、ダグーは感心したのであった。
HN"フェンリルの娘"への問いかけは三日経っても返信されず、これは無視されたのかな?と、ダグーが思い始めた頃。
一週間経ったある日、光一がダグーのいる部屋へ飛び込んできた。
「来たよ、来た来た!アーティウルフへの回答もキター!」
只事ではない興奮っぷりだ。
よほど面白い内容だったと思われる。
「どれどれ?」と全員で光一の手元、スマホの画面をのぞき込んだ。
例の怪しげな翻訳英語でリプを送ったのだが、相手側はダイレクトメールで送り返してきており、しかも丁寧且つ正確な日本語だった。
それによると、管理者の本名はKizuna Suomela――キヅナ=スオメラ、フィンランド国籍だ。
フェンリルの娘とはキヅナが個人経営する会社の名称で、SNS管理用アカウントにも併用。
世界中に散らばる人狼との連絡手段を持てればと大昔から考えていて、やっと今の時代SNSという形で実現できた。
大っぴらな宣伝を避けて、クチコミで噂が回るように仕掛けた。
その具体的な出発口がトレジャーハンター協会だと書かれていて、ダグーは驚愕する。
「白狼ってなぁトレジャーハント界隈だけでの有名人かと思っていたが、世界中でも有名な人狼だったのか」と御堂は感心しているが、ダグーには初耳だ。
本人が言っていたじゃないか。
自分が人狼なのは、周囲には内緒だと。
尤も、あの頃はインターネットなんて影も形もなかった時代だから、今は違ってきているのかもしれないが。
メールには続きがあって、トレジャーハンター協会には結構な数の人狼が混ざりこんでいるとの事。
トレジャーハンターは世界各国を飛び回る職だ。
彼らに伝言で宣伝してもらい、三十名近くの人狼をかき集められた。
最も重要な質問、"アーティウルフを知っているか"についても回答が書かれている。
答えはYes。知っている。
知っているばかりか、探しているのだとも書かれていた。
光一への質問は、何処で、その名称を知ったのか――だ。
「なんと答えるつもりだ?」とクォードに尋ねられ、ちらっとダグーを見やった御堂が答える。
「実際に見たって返してみるつもりだ。こいつがアーティウルフを探してんなら、ダグーにコンタクトを取ってくるかもしれねぇだろ?」
キヅナが何者であれ人狼なのは間違いなかろうし、アーティウルフを知っている以上はフェンリルの末裔と全く無関係とも思えない。
「こいつは何で人狼と連絡を取りたいんだろ」と首を傾げるキエラに、光一が間髪入れず持論を唱えた。
「自分と同じ人狼が他にもいるって分かったら、交流してみたくならない?」
言ってみれば、砂漠のど真ん中で放浪の末に出会った見知らぬ人間と打ち解けるような感覚だ。
相手が何者かなんてのはどうでもよく、同じ種族というだけで近親感が沸いてくる。
これまで、自分と父親だけが世界で唯一実在する人狼なのだと思っていた。
そこへ御堂がお前の他にも日本に狼男ってなぁいるんだなぁ、なんて話題を振ってきたばかりか人狼用SNSまであると聞いたら、光一が興味本位でアクセスするのは当然だろう。
キヅナも、きっとそうだ。どこかで自分以外の人狼がいると知り、連絡手段を持ちたくなったのだ。
「直接会えないかな……」
ぽつりと呟くダグーをチラ見し、御堂が光一へ確認を取る。
「そのSNS、新規登録は受け付けてねぇんだったな?だったら、オメーのアカウントを貸してみろ。ダグーとシヅ、おめーらは今すぐ変身しろ。写真を撮ってアップしてやっからよォ」
「えっ!?それは、さすがに」
ダグーが躊躇するのは、アーティウルフの特殊性を案じての保身だ。
一般における人狼は狼男ないし狼の二択だが、アーティウルフは狼男と狼の二段階に変身する。
SNSならダグーもヴォルフの元で使っていたけれど、アーティウルフを知る者や名乗る者は一度も見かけなかった。
ダグーとシヅ以外にいるとは思えないのだ、今の時代にアーティウルフは。
なにしろ、二人は未来人なので。
「その未来人たるお二人方を知っているのであれば、キヅナ氏は末裔か研究所、或いはABHWと深い関連のある人狼でしょう」とクローカーが結論づけて、御堂を見やる。
「SNSへの投稿は、やめておいたほうが無難ですね。光一さんがホラ吹き扱いされてしまいかねません」
「そうだな。ログイン状態の他ユーザーにも見られるリプじゃなくてダイレクトメールで返してきたってこたぁ、キヅナも内密で済ませたいんだろうぜ」とクォードも話を締めて、御堂から光一へと視線を移す。
「写真はダイレクトメールでキヅナに送ってやりな。ダグーかシヅ、どっちかの連絡先もつけて」
「あ、だったら俺のメアドを使ってくれ」と、ダグーがメールアドレスを書いた紙片を渡してくるのに光一は首を振り、「いや、俺宛にメールしてよ。打ち込むのメンドイし」と今時の青年っぽいことを言い出した。
思ったよりも簡単にフェンリルの末裔に辿り着いた幸運に、ダグーは胸を高鳴らせる。
しかし喜ぶダグーと比べると、シヅは浮かない表情を浮かべていた。
彼女の懸念は、キヅナの本音が見えてこない点にあった。
どの組織に関与していようと、彼が何故アーティウルフを探すのかが判らない。
「ところで、なんて言って切り出したんだ?アーティウルフについて」
興味津々聞き出すキエラに、スマホを弄りながら光一が答える。
「うん?友達から聞いたけど世の中には狼と狼男の二段階に変身できるアーティウルフってのがいるんだってー。フェンリルの娘さんは知ってる?ってな内容を丁寧なオブラートに包んで書いたよ。Google翻訳だから、ちゃんと伝わったかどうかは怪しいけど」
なんと、驚いたことに光一はアーティウルフの特殊性を包み隠さず伝えていた。
はじめましての他人に。
それで向こうも"知っている"と返すんだから、アーティウルフは実在する前提の上で会話が成立している。
光一がアーティウルフについて詳しいのは、御堂経由の情報源だろう。
ダグーとの遭遇を光一に話している時点で守秘義務が、このオヤジにあるとは思えない。
「ほれ、じゃあ写真撮っから早く変身しろって」と当の御堂に急かされて、シヅは床に手をついた。
ダグーは瞼を閉じて、顔を上に向ける。
長らくヴォルフに封印されていた人狼の能力は、クォード達との接触によって催眠が解かれた。
あの時は無意識に変身したけれど、今は違う。一度思い出した変身は、もう、いつでも可能となった。
脳裏に灰色の狼を思い浮かべ、草原を駆け抜ける姿を想像する。
そうするだけでダグーの全身は灰色の長い毛で覆われてゆき、鼻が前方へ長く飛び出し、口が大きく裂ける。
人間だったものが、じわじわと狼男に変わっていく。
シヅの変身はダグーと比べると、もっとスピーディだ。
床に手をついた直後、茶色の毛が全身を一気に包み込む。
鼻先は毛で覆われる間に伸びていき、尻には尻尾が垂れ下がって瞬く間に一匹の狼となった。
「シヅ、お前は狼男、いや、狼女……?になれねぇのか」
茶色の狼は、ふるふるとかぶりを振り、クォードの問いに小声で答える。
『なれる...でも、こちらのほうが早くて便利』
二足歩行の狼男体型は役立たずだと言わんばかりだ。
さらに詳しく理由を尋ねると、『二足歩行なら人間体型と変わらない...』と呟いて狼はダグーを見上げた。
なんとなく狼男体型になった理由を問われている気がしたので、ダグーも応えてやる。
『俺は狼より、こっちのほうが慣れているから……』
幼い頃はダグーもシヅのように狼体型のほうが楽だった。
しかし封印が解けて久々に走った後は両手足が痛くなり、これなら足だけで走るほうがいいと判断したのであった。
「ま、いいじゃん。二種類一緒にいたほうが、よりアーティウルフっぽくなるんじゃね?」
お気楽なキエラの一言に頷いて、御堂がデジカメのシャッターを切る。
「よし、こいつをメールに添付して送ってやれ。俺まで返事が楽しみになってきたじゃねぇか」
「そういや」と、御堂を一瞥してクォードが尋ねる。
「あんたは、いつ光一が人狼だと気づいたんだ?」
「ん、あぁ。こいつが俺ンチに来て何日か経った頃だったかな……俺の前で、こいつが変身しやがってよ」
本人が答えるのを、メールを送信し終えた光一が遮った。
「忘れもしない、あれは所長が嫁さんに逃げられた記念すべき年だったよ!」
「うるせェ!逃がすハメになった原因が嬉々として言うんじゃねーやッ」
バツイチだったのか。
目の前のヒゲオヤジが、かつて既婚者だった事実に驚きはしたが、あえて深く突っ込まずクォードは光一にも話を振る。
「なんでカミングアウトしたんだ」
「んー。今後も一緒に暮らそうって言われたから、話しておかなきゃ駄目かなーって」
滅茶苦茶軽い返事に眩暈を覚えつつ、なおも尋ねる。
「怖がられたり迫害されるってのは考えなかったのか?」
人は異形に恐怖を覚え、嫌悪する。
人が狼に変身するとなったら、銃で殺されかねない。
ダグーもヴォルフにそう教えられて、だから長く封印してもらったのだ、人狼の能力を。
催眠術が解けてしまったのは全くの偶然で避けられようもないアクシデントだったが、自分が人狼であると他の知人、あの時変身の現場にいなかった友人知人には今でも話していない。
「え〜?だって、このオヤジも変な能力持ってたし?」と、御堂を指さして光一が笑う。
まがりなりにも所長、直接の上司を本人の前で指さすとは、ぶっとい神経の部下である。
「人に言えない秘密持ちだったら、俺の本性を知ったところで吹聴しないんじゃないかな〜と思って!」
しかし光一の無礼講にも慣れてしまっているのか、御堂は怒ったりせず口元を歪めて苦笑したっきりだ。
「いろんな人に見られちゃったけど、事実だと認めたくない人は俺から離れていったし、ほら、日本には銃刀法ってのがあるじゃん?だから、殺される心配はしてないかな〜。ま、でも最近は少々自重して、満月の真夜中にしか変身しないようにしてっけど」
どこまでも人狼の扱いが軽いのは、ひとえに光一個人の性格と見ていい。
よく今まで無事だったものだ。彼と関わった人々が優しい人ばかりで良かった。
ダグーがヴォルフと過ごした時代には、変身を見られて銃殺された人狼の事例も幾つか人づてに聞いた覚えだ。
ダグーといる間、ヴォルフは一度も狼変化しなかった。
長い年月を生き抜いてきた人狼だからこそ、変身の危険性を重々自戒していた。
今の光一の話を聞いたら、白狼も仰天すること請け合いだ。
「お、返信きたきた。アーティウルフと直接連絡を取ってみるってさ。良かったね、ダグー。そのうちメールがそっちに――」
光一が言い終える前に、ダグーのスマホがメールの着信音を鳴らす。
光一とダグー、双方に同時送信したようだ。
今度はダグーのスマホを全員で覗き込む。
「えぇと……何語?」と光一が眉を顰める横で、シヅとダグーが読み上げる。
「至急会いたい...場所は、そちらに任せる...」
メールは日本語ではなく、ドイツ語で書いてあった。
キヅナは明確にアーティウルフが、どういったものなのかを知っていると見える。
あの研究所――ダグーとシヅが育った、名も知らぬ研究所で使われていた言語こそがドイツ語だったのだから。
最後の一行に、ダグーはハッと目を見張る。
「アイリーン……!」
そこには、アイリーンの現在地が書かれていた。
彼女は現在、日本にいる。
日本のABHW北海道支部へ潜入して以降、連絡が取れなくなったのだと。
詳しくは直接会って話したいと締められており、ダグーは、さっそく返事を送る。
これが罠であろうと構わない。
どうしてもアイリーンと、もう一度会いたくてたまらない。
あの日、何者かに命じられてアーティウルフを奪還しに来た彼女なら、ダグーやシヅについても詳しいはずだ。
本人が知りえない事実も含めて、全てを教えてもらいたい。
ダグーは切に再会を願った。
数日後、ダグーとシヅは再び北海道へ足を運ぶ。
クォードやクローカーたち魔族も一緒だ。
北海道支部を調べて消息不明になったというのなら、キヅナとは北海道で待ち合わせて一緒に突入すればいい。
果たして相手が承諾してくれるかどうかが不安だったのだが、キヅナは快い返信を送ってきて、彼の飛行機到着に併せて北海道へ向かった。
「さてはて、どんな奴なのかねぇ。写真はアップしてねーし、ハジメマシテなのに見つかるのか?あ、ウェルカムの横断幕でも作ってくるべきだったか」
軽口を叩きまくるキエラを横目で睨みつけ、クォードがダグーに尋ねる。
「目印になるモンとか決めなかったのかよ」
「決めたよ」と、ダグー。
懐から黄色い手旗を取り出して、クォード達に見せた。
「向こうにも同じ旗を作ってもらって、ゲート前でお互いに振り回す予定なんだ」
ウェルカムの横断幕よりは地味な確認手段で、シヅは内心ホッとした。
やがて飛行機の乗客が、どやどやと下りてきてゲートまで歩いてくる。
最初の乗客がゲートをくぐった直後から、ダグーは手元で旗をパタパタと小さく振った。
「もっと全力で振り回さないと見えねーんじゃねーの?」と横から無用なお節介が飛んでくるのも無視して、パタパタ目立たない動きで振っていると、やがてクローカーが乗客の一人に狙いを定めた。
「あれが、そうではありませんか?黄色い旗を持っています」
振り回してこそいないが、黄色い旗を持っているのは一人しかいない。
彼がキヅナだ。
「なんだよ、全力で振り回せっての。オーラ!」
でっかい声で叫んだキエラの口はクォードが飛びついて黙らせ、黄色い手旗を持った人物が走り寄ってくる。
他の乗客の注目を一身に浴びながら、ダグーは歓迎の意を示した。
「え、えぇと。日本語わかりますか?ダグーです」
「はい、日本語は判りますし話せます」と流暢に返ってきて、改めてキヅナが会釈した。
髪はブロンド、瞳は淡い緑で、見るからに白人といった外見だ。
ダグーよりも小柄でシヅと同じぐらいには華奢な体格だが、はっきり男性だと判る声と顔つきをしていた。
「そちらの方々は?」
「我々も、あの支部に用があるのですよ」と答えたのはクローカーで、遠目に窓の外を眺める。
「まずは、どこかで落ち着きましょう。あのカフェなど如何です?」
遠目にスターバックスと書かれた看板が見える。
しかし今からしようとしているのは、到底近場のカフェで出来るような会話ではない。
ダグーは首を真横に「キヅナさんの取ったホテルへ向かいましょう」とスタバへの寄り道を拒否し、キヅナを促す。
キヅナも同じ想いだったのか「ビジネスホテルでも全員入れると思います。行きましょう」と頷き、タクシーを探した。
21/09/10 Up