数十年前までは、取るに足らない辺境の街だった蓬莱都市。
今は着々と移住民を受け入れ、中央国を脅かすほどにまで人口数を増やしていた。
大通りを、てくてくと歩きながら、物珍しげにキャサリンとカッズは左右を見渡した。
「東西折衷……」
ぼそっと呟くカッズに、キャサリンが頷く。
「だよね!東文化に西文化が混ざってるって感じ。ほら、アレ見て!あれなんか代表的じゃない?」
彼女の示す方向には教会が建っている。
天辺に輝くシンボルは、西ではお馴染みの十字に切られた紋章。
だが建物は、真っ赤に塗りたくられた横に広い木造建てだ。東大陸によく見られる建築物である。
「うわっ……違和感バリバリ」
ひきつるカッズの袖を引っ張り、またもキャサリンが騒ぎ立てる。
「ねぇ、ねぇ、お腹空いてこない?あたしは空いちゃったんだけど」
「……はぁっ?お腹?」
言われてカッズも気がついた。今日は朝から何も食べていなかった。
左手からは香ばしい匂いが漂ってきている。
ちらと、そちらへ目をやると、鳥を焼いている屋台の親爺と目があった。
親爺はニッカと歯を見せて笑いかけ、焼いていた鳥串を一本手にとってみせる。
「お嬢ちゃん達、東は初めてか?焼き鳥オイシイね。二本買ってくヨロシ」
今では滅多に聞くこともない東の方言丸出しで、話しかけられた。
おずおずと近寄って、キャサリンが鼻をひくつかせる。
「あれ……これ?」
「どうしたの?」とカッズが問えば、キャサリンは眉根を寄せてヒソヒソと囁いてくる。
「これ、鳥串なのは間違いないけど、味付けはケチャップとバジルだよ?」
「え〜っ?」
ケチャップもバジルも西の食材だ。
東文化を感じるのは、鳥を串で焼いている。その点だけらしい。
そうと知ったら、すっかり鳥串に対するカッズの興味は失われてしまい、別の店に入ろうよと親友を促した彼女は、さっさと歩いていく。
一方のキャサリンは未練があるのか屋台を眺めていたが、カッズが歩き出したので慌てて後を追いかけた。
「別の店に入るのはいいけどさ、この辺に喫茶店なんてあるの?……って、あった」
「そりゃあ、あるでしょ。西文化がブレンドされているんだから」
さして驚いた様子もなく、カッズが迷わず西風味の喫茶店に入っていくもんだから、キャサリンも渋々それに従った。
本当は、せっかくの初体験なんだし、東の情緒溢れるお店に入りたかったのだけれど。
街に入っていった少女二人とは異なり、狼のギルは山道を駆けていた。
――正確に言うと、追われていた。
蓬莱都市へ足を踏み入れてから、ずっとだ。
見えぬ気配に後をつけられているような気がして、逃げ回っているうちに山道まで追い込まれていた。
どこか広い場所は、ないか?襲われるなら、狭い場所よりは広い場所のほうが戦いやすい。
追ってきているのも、どうせロクな連中ではあるまい。
追いはぎや強盗、或いはMSに敵対する組織……つまり、パーフェクト・ピースの連中であろう。
少なくとも、街の住民につけ回される覚えはない。
山道の先に広い場所を見つけ、ギルは一気にそこまで駆け上ると、くるりと振り返った。
「おい、俺をつけている奴!姿を見せやがれッ」
すると後方の茂みが揺れて、二、三の人影が姿を現わす。
どいつも人間の格好をしているが、目は獰猛にギルを睨みつけている。
ギルは挑発した。
「変身しろよ。どうせ、お前らもMSなんだろ?」
だが誰一人として獣に変身する者はなく、代わりに手前の男が言葉を発した。
「俺達の街に入ってきやがって、獣臭いMSがッ!」
剣呑な目つきで、残り二人も懐から棒だの鎌だのを取り出す。
棒を握りしめた、ちらほら白髪の混じる初老の男が叫んだ。
「で、出ていけ……この街から、出ていけッ!」
よく見れば手は震えているし、かなり退け腰でもある。
男達がギルを怖がっているのは一目瞭然だった。
「出ていけって、なんでだよ?」
当然の疑問を投げかけるが、三人の男達は誰もギルに答えない。
震える手で各々の武器を突き出し、出ていけを繰り返すばかりだ。
膠着状態に業を煮やしたギルが一歩前に出ると、男の一人が「ひ……ひぃッ!」と甲高い悲鳴をあげた。
「えひゃあぁぁっ!!」
何かがプッツリと弾けたのか。
鎌を持った男が、奇声と共に狼へ振りかぶってきた。
ギルは余裕の動きで避けると、男の手をガブリと噛んでやる。
「ぎひゃあ!」
男が鎌を取り落とした。
間髪入れず棒を持った中年が突っ込んでくるのも、あっさりかわすと、狼は地を蹴り三人目に飛びかかる。
三人目の男は全くの無防備で突っ立っていた。
そこへギルが飛び込んできたもんだから、たまらない。
「ひぎぃッ」と蛙の潰れたような悲鳴をあげ、地に伏した。
もちろん、体当たりしただけだから死んではいまい。せいぜい肋骨にヒビが入る程度の怪我だ。
一人残った男は棒を取り落とし、「ひ、ひ……っ」と喉の奥で引きつった音をあげる。
狼に一歩近づかれた処で最後の理性も吹っ飛んでしまい、男は尻餅をついて命乞いを始めた。
「こっ……殺さないでくれ!頼むッ、俺達は、ただッ、俺達の街を守りたかっただけなんだ……!」
「守りたかった?何もしてねぇMSに武器を持って脅しをかけんのが、街を守った事になるのかよ」
ちょっと牙を剥いただけで男は涙目になり、鼻水をすすり上げる。
「だ、だって……言われたんだ」
「誰に、何を?」
ギルの問いに、男がしゃがれ声で答えた。
「き、黄色い服を着た奴らだ……もうすぐ街にMSが現われて、俺達の街を占領してしまうって」
黄色?白ではないのか。白ならパーフェクト・ピースの連中なのだが。
首を傾げるギルを、どう受け取ったのか。男は必死になって続けた。
「ほ、ホントだ……ホントに言ったんだよ。黄色い服の奴らが」
「その黄色い服の奴らってなぁ、パーフェクト・ピースって名乗らなかったか?」
「あ、あぁ……そういや、そんな名前も聞いたような」
男が顔をあげた、その時だった。
ギィンと耳障りな金属音が一回響いたかと思うと、目の前の男が、どうと倒れ込む。
「お、おい!どうしたッ!?」
慌てて駆け寄ったギルは、ウッと顔をしかめる。
男は既に事切れていた。
鼻から上が切り落とされていた。
じわじわと地面を染める赤は、血だ。切られた断面から血が溢れて、地面に染みを作っている。
再び金属音を耳にしたような気がして、ギルは直感で飛び退く。
直後、地面の草が一直線に刈り取られた。
「誰だ!!」
見えぬ敵に呼びかけるが、当然のことながら返事はない。
今度の敵は、明らかに最初の奴らとは違う。
ギルに対し、強烈な殺意を持っている相手だ。
全精神を耳に集中させ、ギルは次の音を待った。
金属音、今はそれしか相手の攻撃を知る方法がない。
音が鳴ると同時に男の顔は切断され、草も切れたのだ。
金属の、細い紐のようなものでも操っているのだと彼は予想した。
次に音がした瞬間、音の鳴ったほうへ大きく迂回しながら突っ込んでいけばいい。
草も男も、全て水平に切られていた。敵が前方向にしか攻撃できない事を示しているも同然だ。
前方向の何処まで届くのかは未知数だ。
しかし、横へ逸れてしまえば相手も無防備になるはず。
――策を立てる狼の耳に微かだが、ギィンと鳴り響く音があった。
今だ!
バッと、草を蹴って横手に飛び退いた――つもりだった。
だが。
「ギャッ!」
足首に刺すほど強烈な痛みを感じて、ギルは転倒する。生暖かい感触、これは血か!?
傷口を見るのが怖い。しかし、見ないわけにはいかない。
恐る恐る見ようと起き上がりかけたギルの耳に、更なる金属音が響く。
逃げる暇もなかった。
叫ぶ暇も。
ギルが最後に感じたのは、顔面を走り抜けた冷たい金属の感触だった……
「……風が、変わったわね」
簡単な昼食を済ませ喫茶店を出た直後、カッズが呟きキャサリンの腕を取る。
取られた方は、ぽえっとした表情で親友の顔を覗き込んだ。
「風?今日は、ずっと無風だけど?」
疎い友にカッズは眉を潜める。
彼女は何も感じないのだろうか?
全身を貫く殺気が、カッズとキャサリン二人に向けて四方から放たれているのを。
この街で二人は一度もMS化していない。
だから二人をMSだと見破れる奴はいないはずなのである。
にも関わらず、悪意に満ちた視線は二人を捉えて放さない。
そればかりか、気配は徐々に増えているようにも感じられた。
「走るよ」
短く呟き、カッズが急に歩調を早めた。
腕を取られたキャサリンも、引きずられるようにして早足に。
やっぱり判っていない顔で、なおもカッズに尋ねてくる。
「ど、どうしたの?急いで戻らなきゃいけないような事態になってないでしょ、まだ」
「なりそうだから急いで戻るんじゃない」
言うのも、もどかしく、カッズは短く応えたのだが、その二人を真正面から回り込んで足止めする者が現われた。
どれも見知らぬ顔だ。
共通しているのは皆が人間体型である事と、手に武器を持っている事ぐらいか。
「そこを、どいてもらえる?」
カッズが強気に出ると、通せんぼした一人が震える声で答えた。
「おっ……お前らが街を攻め滅ぼしに来たのは、判っているんだ!い、言えッ。お前らの仲間は、何処に隠れていやがるッ!!」
何を言っているんだろう?と訝しげに二人が周囲へ視線を巡らせてみれば、それまで暢気に鳥串を焼いていた屋台や道の左右で果物を売っていた店までが、変貌を遂げていた。
嫌悪。畏怖の目が、あちこちに光っている。
ついさっきまで平和だった風景は、一瞬にして居心地の悪い空間と化してしまった。
さすがに鈍感なキャサリンも状況に気づいたのか、困惑の表情でカッズの袖を引っ張ってくる。
「ね……どうしよ?この人達、なんで、あたし達のこと疑ってんの?攻め滅ぼすって、何のこと?」
その手を乱暴に払いのけると、カッズは苛々した調子で答えた。
「そんなの決まってんじゃない。あたし達を敵視する奴らが扇動したんだわ、街の人達を」
言いながら、彼女の目は忙しなく脱出ルートを求める。
心なしか気配の距離が近いような?
いや、気のせいではない。確実に二人を囲む包囲網は狭まっていた。
手前の奴らを無理矢理押しのけてでも、逃げるしかなさそうだ。
いくよと目で合図してくるカッズにキャサリンも頷くが、それよりも先に真横から何かがバサッと投げつけられ、二人とも走るタイミングを逃した。
「な……」「何っ、これ!?」
二人の口から、同時に言葉が飛び出す。
カッズもキャサリンも、投げつけられたものを凝視したまま動けない。
投げつけられたもの――それは。
どす黒く変色しつつある血に染まった、狼の毛皮。
それも、まるまる一頭から剥ぎ取ったとしか思えないほどの大きさであった。
「……帰ってきませんねぇ〜」
都市方面を双眼鏡で眺めていたミミルが、ぽつんと呟く。
偵察へ向かわせたキャサリンとカッズ、それからギルの行方を案じているようだ。
心配性な少女を横目で一瞥し、ミスティルは苦笑を浮かべる。
ミスティルは彼女ほど三人を心配していなかった。
信用していないのではない。
MSならば偵察の一つや二つ、こなせて当然と思っているからである。
帰りが遅いのも、それだけ調べる要素があるということだろう。あの街に。
「あまり遅いようであれば、迎えを行かせますか?」
ネオドールへも目をやり、ミスティルはかぶりをふった。
「いらん。見つかった時には逃亡しろと言ってある」
「しかし――」
ネオドールの言葉は、ミミルの甲高い「あっ!」という驚愕に遮られた。
「どうした?」
ミスティルに促され、両目にくっきり双眼鏡の跡を残したミミルが騒ぎ立てるには。
「大変です!街から煙があがりました!!」
彼女が騒ぐまでもなく、肉眼でハッキリ見えている。
街の奥にある白い大きな建物から、もくもくと黒煙が上がっているのが。
あの建物は、恐らくパーフェクト・ピースの第九研究所。美羽と該がしくじったのか?
「どっどっど、どうしましょう!?」
泡食うミミルとは対照的に、ミスティルは冷静であった。
瞬く間に炎に包まれた鳳凰は、ばさりと大きく羽ばたいて空へ舞い上がる。
「ミスティル様、何処へ!?」
問いかけるネオドールへは「行ってくる」と短く応え、鬼神は、それこそ皆が止める暇もなく一人勝手に蓬莱都市の方面へと飛び去っていってしまった。