DOUBLE DRAGON LEGEND

第五十話 監禁


K司教に仕える十二臣も、年がら年中円卓で顔をつきあわせている訳ではない。
招集された時以外は自宅或いは私室へ戻り、それぞれに自由な時間を過ごしていた。
ジ・アスタロトの仲間となったトレイダーにしても、同じ事。
ただ、彼は与えられた時間を自室で潰してはいなかった。
いつも研究所のほうへ顔を出していた。

「不審な人物を発見しました」
監視計器の前に陣取った研究員が振り返り、トレイダーへ報告する。
中央の大きなモニターには、一人の若者が映し出されていた。
見覚えのない青年だ。白衣を着ているが、やたらと周囲を気にしすぎている。
彼が向かおうとしているのは、恐らく十二真獣の囚われた部屋であると容易に想定できた。
「何者かな?」
第九研究所の総責任者はトレイダーになっている。
だが研究員その他の人材集めは、彼の担当ではない。
人事は老師MとF公爵の仕事だ。
この二人のお眼鏡にかなった人物であれば、そうそう不審者であるはずはないのだが……
「データが検出されました。顔写真から、同一人物であると確定されます」
隣に座る女性研究員が、画面を別のものへと切り換える。
映し出されたのは一枚の紙。この研究所へ入る際、提出する身分証明書である。
証明書の写真には廊下で様子を伺っていた顔と同じ顔が、こちらを睨みつけている。
「ふむ……ルックス・アーティン、十八歳か。若いね」
モニターを覗き込み、トレイダーが呟く。
証明書を下までスクロールさせて、経歴を読み上げた。
「十五歳まで傭兵として働き、仲介会社の倒産と同時に人員募集を読み、こちらへ応募……か。ふむ、なるほど、彼はMSなのだね」
「えぇ、それも純粋な」
研究員も頷き、トレイダーを見上げた。
「純血のMSを採用するなんて、今までの常識では考えられませんでした。F公爵は何を考えておいでなのでしょう?」
少し考える素振りを見せた後、トレイダーは小さく答えた。
「……もしかしたら、彼が本命なのかもしれない」
「本命?」
しかし尋ね返してきた研究員には、それ以上何も答えず。彼は正面モニターへ視線を移す。
「隔離空間へ向かっているね。外から彼らを解放するつもりかな?」
呟きは、どこか面白がっているようにも聞こえた。
だが、研究員としては面白がっている場合ではない。
シェイミーとゼノ、二人も十二真獣が解き放たれたら、いくら守りの堅い研究所といえど被害は甚大だ。
「ただちに人を向かわせます!」
トレイダーはOKともNOとも言わず、黙って微笑んだのみだ。
許可を得たと解釈して、研究員が内線に向かって叫ぶ。
「緊急要請、緊急要請、隔離された空間に向かう怪しい人影を発見。手の空いているMSは直ちに急行せよ!」
内線は全て研究員、或いは創造MSの部屋へ繋がっている。
廊下を歩いているルックスに聞かれない為の配慮だ。
数分後には廊下が騒然と賑やかになり、数名の走り抜ける足音が遠ざかっていった。

――見つかった!
ルックスが気づく頃には、一番に到着した改造MSと鉢合わせる。
奴らは彼を見つけた途端に襲いかかってきた。
「くそッ、見境無しか!」
大きく後方へ飛び退いたルックスは、くるんっと尻尾を道管へ巻き付けると天井へ駆け上る。
「上だ、上にのぼったぞ!」
廊下で騒ぐ連中の声を聞き流し、天井の梁を駆け抜けた。
目的の場所まで、あと数メートルだったのに。
『隔離された空間』――
などと彼らは大仰に呼んでいるが、ルックスは見ただけで、その檻が何なのかを看破した。
あれはリフレクターだ。物質だけを遮断し、囲んでしまう特性を持つ。
中に閉じこめられた人は大抵パニックに陥ってしまうが、実を言うと逃げるのは至極簡単で、外側から膜を破ってやればいい。
それだけで中の物は、あっさり解き放たれる。
ただしリフレクターというエネルギーそのものについては、ルックスも、よく判っていない。
彼の育ての親だったテリアが昔、研究していたテーマだからこそ知っているだけだ。
古代の文献で見つけて以降、彼女は取り憑かれたように研究を始めた。
やがて研究所の目的が奇病治療と改善に移った後も、テリアは、その研究を辞めなかった。
辞めたのは、自分の研究が悪用された時だ。
ルックスの本当の母親、生みの母親を捕らえる際に使われたのが、リフレクターだったのだ。
テリアは自分に無断で使った当時の最高管理者を詛い、ルックスを連れ出して研究所を逃亡した。
当時の最高管理者というのが、つまりはエジカ・ローランドだったというわけだ。
エジカ博士がルックス親子を捕らえて何をする気だったのかは、今となっては判らない。
テリアは実験動物として使うつもりだったに違いないと幼いルックスへ教えてくれた。
あの男は私を裏切った。
私の信頼を。
そして、私の研究を奪い取った。私の立場も何もかも。
最後は必ず、そういった言葉で締めて、エジカへの憎しみを募らせた。
しかしリフレクターを、パーフェクト・ピースも研究していたとは驚きだ。
用途がMSに対する悪意なのも同じで、こうした使い道しか思いつかないのかとルックスは表情を曇らせる。
人を捕らえるだけが、物質遮断膜の使い道ではあるまい。
何か、もっと生活に密着した使い道があっても、いいんじゃなかろうか。
天井裏を駆け抜け、配水管を滑り降り、人のいない廊下を走りながら、ルックスは逃げ道を捜したのだが、敵は彼の行く先行く先を塞ぐように現われ、そのたびルックスは逃げ道を失う。
やがて小さな猿は、とうとう廊下の袋小路へと追い詰められてしまった。
先頭の狼が、牙を剥きだしルックスへ迫る。
「……誰に頼まれた?」
吐く息の生臭さに猿は目を背けるが、横から伸びてきた手が顎を掴んで、無理矢理正面を向かせた。
「言え!誰に頼まれて、奴らを解放しようとしたッ」
自分を睨みつけてくる熊を、ルックスも見つめ返す。
ルックスの瞳に、熊の姿が映り込んだ。
熊MSはルックスの瞳の奥に、怯えとは違う感情を見たような気がした。
頭の中へ直接声が届いてくる。声は、同じ言葉を何度も繰り返して叫んでいた。

狂え!
呪え、憎め。
お前の敵は後ろにいるぞ。
お前の首筋を噛みちぎろうと、牙を剥いて身構えている。
息が生臭いのは、何人も噛み殺してきたからだ。次に殺されるのは、お前の番。

――嫌だ!
あっとなって手を放し、自分の頭を押さえるが、脳裏に囁く声は止まらない。
そればかりか彼の脳を浸食しかねないスピードで、あちこちに転移する。
右から聞こえたかと思えば、左から。
上から、下から、狂気が熊MSの脳内を狂ったように駆け回る。

殺せ、憎め、奪え、命を!
狂え!詛え、殺せ。皆がお前を狙っている。

「おい、どうした?」
蹲ってしまった熊MSを、別のMSが揺さぶった。
むくりと顔をあげた相手に安堵したのも、つかの間で、次の瞬間にはシャッと風切る音と共に絶叫が轟いた。
血飛沫が舞い、廊下を赤く染め上げる。
「アンディ!てめぇ、何トチ狂って」
狼MSも最後まで言わせてもらえず、熊の凶爪の前に倒される。
熊の瞳に宿るのは狂気。両目は怪しい輝きを放ち、口元からは涎が糸を伝っている。
血にまみれた両手をだらりと下げ、おぼつかない足取りで歩き出した。
敵は何処だ。何処にいる。
何処にいようと、必ず見つけて、殺してやる――!
ふらふらと近づいてくる、かつての仲間に他のMSも動揺している。
もはや、小さな猿をいたぶるどころじゃない。
再び赤い飛沫が廊下を汚すのを横目に、ルックスは混乱の中、素早く駆け出す。
狂った熊が退治されるまで、そう時間はかかるまい。
上位の改造MSが到着すれば、量産型の改造MSなど脆い物だ。
だから奴がやられるまでに、何としてでも檻の元まで戻り、十二真獣を二人とも解き放つ。
そうすれば形勢は逆転するはずだ。
目的を果たす為なら、何人でも狂気の淵へ落としてやる。
ルックスは、彼もまた瞳に危険な光を宿しつつ、混乱の廊下を走り抜けた。


第九研究所が、ちょっとした大騒ぎになっている頃――
同刻、東大陸・中央国では。
「あのババァ、今がどういう状況か判ってんのか!?」
腹立ち紛れに壁を蹴る坂井へ、葵野が話しかけている。
「坂井、俺が、俺が必ず何とかしてみせるから」
二人を隔てるものは、牢屋の柵。
何故、こんな状況になってしまったのか。少し時間を戻してみるとしよう。

中央国へ渡ってすぐ、葵野達は王妃へ面会を求めた。
何度も無断で抜け出した力也である。どんなお咎めも受ける覚悟で来た。
それに、今回は坂井だって一緒なのだ。多少の苦痛なら乗り切れる自信もあった。
直接の会談を求めたのは司だ。
友喜を共に従え、王妃と面会するや否や、彼女が神龍の生まれ変わりであることを説明した。
てっきり喜んでくれるかと思っていた婆様は難しい顔で黙り込み、ジロリと友喜の顔を睨みつける。
ややあって、口から出たのは否定の一言だった。
「白き翼よ……この小娘からは有希の気配を全く感じられん。本当に、この娘は神龍なのか?」
「何よ、信じられないの?カワイイ孫娘が、せっかく姿を変えて戻ってきたってのにさ」
ぐいっと胸を張って友喜が文句を言うが、婆様は無言だ。無言で友喜の顔を睨み付けている。
「儂らをたばかり、焚きつけようという魂胆か?白き翼よ」
以前パーフェクト・ピースの代表と対談した時とは全く異なる対応に、司も少し躊躇する。
西の女王が一緒ではないというだけで、ここまで扱いに差をつけられるとは。
なにより中央国はMSを信仰しているはずなのに、MSの言葉を信じないとは、どういうことだ。
「信じられないのも、無理はありません。僕も初めは半信半疑でした」
司は言葉を選び、慎重に続けた。
「ですが、彼女はドラゴンに変身します。僕は、この目で見ました」
「あぁ、俺も見たぜ。こいつがドラゴンの姿で葵野を乗せて飛んでくるトコを。あんたもボケる前に、自分の目で見といたほうがいいんじゃねぇのか?ボケちまったら、前の有希がどんな姿だったのかも思い出せなくなるだろうからな」
坂井も口を挟み、こいつと顎で友喜を示す。示された友喜も、力強く頷いた。
「有希の記憶を、あたしが受け継ぎ、力也は能力を受け継いだの。ねぇ、その頑固頭を二つに開いて、少しは真実を受け止めてよ」
せっかく司が言葉を選んでいるというのに、坂井と友喜は容赦ない。
オロオロする葵野は、婆様にジロッと睨まれただけで萎縮してしまう。
「力也に有希の能力が受け継がれた、だと?では何故、力也はMSに変化することができぬのじゃ」
それを突っ込まれると、誰もが頭の痛い点だ。
「それは……」と言ったきり、司も言葉を失ってしまう。
本当に、何故。葵野力也はドラゴンはおろか、普通の獣に変化することすら出来ないのであろうか。
有希の記憶を持つ友喜にも理由は判らないようで、言葉を必死で捜している様子が伺える。
「それ見よ。無理な嘘をつくから、話に矛盾が出よる」
嘘と決めつける婆様に、すぐさま坂井が反発した。
「でもよ、力也がMSじゃねぇとしたら、なんで有希はこいつを十二真獣だって宣言したんだよ!それこそ矛盾じゃねぇかッ」
しかし予想される範囲だったのか、婆様は意外や冷静に反論する。
「それは我ら残されし民を思っての、有希の気遣いじゃ。国に守護神がいなくなれば、必ずや攻め入る悪が出る。それを案じ、有希は力也に後を託した」
なのに、こやつときたら。
ギロッと憎しみのこもった瞳で睨みつけられ、力也は蛇に睨まれた蛙の如く哀れに縮こまる。
「国を抜け出て、ふらふらしよる王子に、今さら守護神の資格などないわッ」
「それは、まぁ、確かに、その通りですが」
頷く司へ「お前が言い含められて、どうすんだよ!」と坂井が噛みついてくる。
それすら遮るように、司は一段と声を大きくして続けた。
「しかし国の守護神が神龍である以上、力也くんは中央国にとって大切なMSであることに代わらないのではありませんか?」
婆様は、すぐには応えず白き翼を、じっと見つめる。
司も婆様を見つめ、見つめているうちに彼女の瞳の奥に、寂しさとも悲しみとも言い難い色を見つけた。
やがて小さな溜息と共に、東の王妃が気持ちを吐き出す。
「国の守護神が神龍だったのは、遠い昔の話よ。今や守護神なし、国も内側から崩壊しつつあるわ」
「何があったんだ?」と、坂井。
婆様は坂井の顔など見ようともせず、まっすぐ司だけを見つめて答えた。
「移住民どもの反乱が日増しに激しくなっておる。例のパーフェクト・ピースに乗せられて、東からMSを撲滅せよと毎日訴えてくるのじゃ」
「な……」「何ですってぇ!?」
驚愕の友喜、青ざめた葵野を見やり、婆様は苦々しい表情を浮かべる。
「こうなると予め判っておったら、早々に叩き潰しておくべきじゃった。今や奴らは各都市で人々の不満を扇動しておる。もはや軍隊だけでは静められぬほどにな」
こんな時期にMSが王妃へ面会を求めてきたと知られては、暴動の火に油を注いでしまう結果となろう。
悪いが、貴様らを東で自由に行動させる訳にはいかぬ。
婆様が言い放つや否や軍服の男達に襲いかかられ、司達は大した抵抗も出来ないまま拘束される。
坂井だけが地下牢に放り込まれ、司と友喜は個別の部屋に幽閉されてしまう。
力也は一応王子の面目か、城内での自由な行動を許された。
ただし、当然のように外出は禁止。事実上、城に監禁されているも同然であった。

自分の部屋を抜け出し地下牢へやってきた葵野は、真っ先に坂井のいる牢屋へ走り寄る。
見張りは、いない。見張らなくても、ここへ放り込まれた者が逃げることは叶わない。
中央国の地下牢は、頑丈な石造りだ。MSの怪力をもってしても壊せない設計になっている。
何重にも分厚い石を積み重ね、隙間を粘着度の高い砂土で塗り込めてある。
中央国の王家はMSを信仰する反面、MSの能力を恐れてもいた。
将来、MSの犯罪者が出た時に備えて、この牢屋を造ったものらしい。
牢屋のスミッコで、いじけたように丸くなっている黄色の毛玉を見つけ、葵野はそっと呼びかけた。
「坂井……坂井、もう寝ちゃった?」
「寝てねぇよ」
不機嫌な返事が聞こえ、首を向けた虎と目が合う。
「ねぇ……もっと、こっちに来てよ。そこじゃ触れない」
「お前はいいよな、自由に動き回れて。せっかく動き回れるってのに変身できねーんじゃ意味ねーけどよ」
思わぬ嫌味に、葵野はビクッと体を震わせる。声にも震えが走った。
「ご、ごめん……俺が、変身できたら……皆も、閉じこめられなくて済んだはずなのにね」
少し言い過ぎた、と慌てて坂井は身を起こし、葵野の側へ近寄ってくる。
頬を流れる涙を舌で舐め取ってやり、優しい目で葵野の顔を覗き込んだ。
「悪い。お前に当たってもしょうがねぇのにな」
「う、うぅん、いいんだよ、坂井。坂井には怒る権利、あるから……」
慰められれば慰められるほど、葵野は自分が惨めに思えてくる。
MSがMSであると証明するのは簡単だ。変身すればいいだけなのだから。
なのに、自分はそれが出来ない。
出来ないが故に、神龍の能力を使うこともままならず、大切な局面で戦えもしない。
臆病なタンタンやアリアだって変身できるのに。
有希や友喜は力也を十二真獣だと認めているし、語り部の末裔アリアも彼を十二真獣だと言い切った。
だから、力也が十二真獣であるのは間違いないのだ。
何故変身できない。
婆様に問い詰められるまでもなく、力也は自分で自分を問い詰めた。
何故、俺はドラゴンに変身できないんだ。
そもそも変身って、どうやってやるんだろう?
それとなく該や新しい仲間達に尋ねたものの、皆、一様に声を揃えて、こう答えるばかり。
考えた事もない。
戦う、或いは逃げるという考えが脳裏に浮かんだ時点で、勝手に体が変化するのだと。
つまり脳で考えた危険を体が察知して、自動的に変身してくれるらしい。便利なものだ。
その理屈からすると、力也は本当の危機に陥ったことがないのではなかろうか?
――いや、ある。
葵野は以前戦った強敵を思い出し、ゆるゆると首を振る。
Nドールだか、そんな名前だったか、トレイダーの創り出した創造MSだ。
奴の率いるMS軍団と戦った時、葵野は本気で死にかけた。
あの時、龍の力を使えていたら、少なくとも坂井は重傷を負わずに済んだはずだ。
意識不明で医者の所へ運び込まれ、気がつけば二人とも傷が完治していた。
自分には有希の意識が憑依していたので、傷の治りが早かったのは判る。
しかし、坂井は?
坂井にも有希の意識が働いたんだろうか。その辺りの記憶が、どうも曖昧である。
「ばか。お前を怒る権利なんざ、誰にもねぇよ」
ざらざらした舌が頬と言わず、葵野の手を、腕を舐めてくる。
「お前は悪くない。悪いのは人の話を聞かないババアと、人の話に流されやすい、この国の移住民だ」
「坂井……」
背中を撫でているうちに、坂井が、ゆっくりと変化を解く。
何度見ても不思議だ。
黄色と黒の毛並みが見る見るうちに消えてなくなり、色黒の地肌が見えてくる。
するすると尻尾が短くなってゆき、見えなくなったと思えば、つるりとした尻が表われた。
「……服、どうしたんだよ……」
坂井は素っ裸だった。彼は裸であぐらをかき、不機嫌そうに答える。
「兵士どもに剥がれた」
「え!?」
てっきり彼が自分で脱ぎ捨てたんだとばかり思っていたので、葵野は素っ頓狂な奇声をあげる。
「そんなに驚く事かよ。俺が脱走しても、どこにも逃げ込めないようにっつー配慮だろうぜ」
「だ、大丈夫だった!?何か、誰かに変なことされなかった?」
脱がされた本人は、どっしりと落ち着いており、逆に葵野のほうがオロオロしてしまい妙なことを口走る有様。
「お尻の穴に指を入れられるなんてこと」
「誰もしねぇって。俺なんざ触って、お前以外の誰が喜ぶっつーんだよ?」
被害者たる坂井には、呆れられる始末。ようやく我に返った葵野は、ふぅっと大きな溜息を一つ。
「……良かった。お前が無事で」
ホッと安堵に顔を綻ばせる葵野の手を柵越しに握ると、坂井も笑顔になる。
「まぁな。いきなり処刑されなかっただけ、幸いだ」
途端にガバッと立ち上がり、葵野が大声で喚き立てた。
「処刑なんて、そんなこと!俺が、絶対にさせやしないッ」
「ほぉ〜。頼もしいね、王子様」
あまり本気にしていない目で言った後、坂井が葵野を見上げてくる。
「だがよ、お前だって勘当一歩手前だったんだぞ」
「う、うん……」
あれには心底驚いた。
どんなことがあっても、婆様だけは力也を迎え入れてくれると思っていたのに。
自業自得が招いた結果だと言われれば、そうかもしれないので、納得する部分もあった。
不意に坂井がボソリと呟く。
「……ごめんな」
えっ?となって葵野が座り直すと、坂井は視線を下へ向けて謝ってきた。
「俺が誘ったばかりに、お前まで家をなくしかけたんだ。本当なら、お前のほうが怒る権利あるんだぜ」
「そ、そんなこと」
「何も知らない世間知らずの王子様を口八丁で連れ出したんだ。それも、何度もだ。この程度の監禁で済むのが不思議なくらいさ。死刑になったっておかしくないし、なったらなったで俺も……そいつを受け入れる覚悟が、あった」
いつも自信満々な彼のくちから、こんな弱気が飛び出してこようとは。
だんだん坂井が心配になり、葵野の慰めにも力が入る。
「で、でも、お前についていこうと思ったのは俺自身だし」
「けど俺に出会わなきゃ、お前は外の世界へ出ていこうとは思わなかっただろ?俺が、お前の人生を狂わせたんだ。勝手な自己満足でお前を連れ回し、何度も危険な目に遭わせた」
こちらを見ようとしないが、彼の気持ちは痛いほど伝わってくる。
声が震えていたし、真下を向いた頬には光るものが滴っていた。
「お前が……死にかけた時、思ったんだ。もう、こんな危険な旅は、やめるべきなんじゃないかって」
語尾が涙で染まる。言葉に詰まり、かわりに出たのは嗚咽だ。
何度も目元を拭い、何かを言おうとするのだが、言葉の代わりに出るのは嗚咽ばかりで。
あぁ、二人を隔てる柵さえなければ、ぎゅっと抱きしめてやりたい。
否。柵など関係ない。
葵野は手を伸ばし、坂井の腕に触れた。
ビクリと僅かながらに震える彼の腕を掴み、自分の元へ引っ張り寄せる。
まだ彼は、こちらを向こうとしなかったが、葵野は言ってやった。
「自分を責めるなんて達吉、お前らしくないよ。俺を連れ出したことを後悔するのも、やめてくれ。俺は、お前に誘われなくても、きっと……お前を誘って、いずれ外の世界へ飛び出していたと思うんだ。中央国を、この国をもっと良くする為には、外の世界を知る必要があるからね」
「力也……」
かすれる声で、坂井が顔をあげる。
溢れる涙を、もはや拭おうともせず、彼は泣いていた。
意地っ張りで負けず嫌いな、この男が葵野の前で涙を流すなど。
牢屋にブチ込まれて、己の人生を顧みて、よっぽどナーバスになっていたとしか思えない。
「坂井、俺が必ず何とかしてみせる。だから……自分を責めたりするのは、やめようよ」
柵ごしに口づける。
さっき坂井がしてくれたように今度は葵野が彼の唇を舐め、頭の後ろに手を回し、吸い上げる。
「……んっ……」
舌が蠢き、絡み合う。
片手を伸ばして股間に触れると、坂井は小さく身じろぎした。
まだ名残惜しかったが、唇を放す。坂井の涙はもう、止まっていた。
「……坂井。約束だ。短気を起こして暴れたりしないように」
「うん……」
意外や素直に頷くと、坂井は、ふと思いついたように呟いた。
「あ、そうだ」
「何?」
「ババアは、なんて言ってた?」
「何を?」
「俺達の今後に関してだよ。このまま牢に放りっぱなしって訳にもいかないだろ」
俺達も何も、牢に放り込まれているのは坂井だけである。
だが反論すれば彼の事、たちまちブチ切れるのは判りきっている。
葵野は軽く流して女帝の意志を伝えた。
「司と友喜は、状況を見計らって追放するって。俺は……たぶん、城から出さないつもりだと思う。坂井のことは、何も言っていなかった」
「司と友喜を追放だァ?つまり全然信用してねぇってのか!」
「うん。今のユキからは昔のユキの持つカリスマを全く感じないから……って、婆様が」
「カリスマだと?んなこと言ってる場合かよッ」
苛立ち紛れに壁を蹴る。
先ほどまでベソッていたとは思えないぐらいの素早い立ち直りっぷりだ。
「あのババァ、今がどういう状況か判ってんのか!? 嘘でも何でもいい、今、兵を挙げなきゃ世界はジ・アスタロトとパーフェクト・ピースの手によって、無茶苦茶にされっかもしんねーんだぞ!」
ガンガンと壁を蹴っているが、そんな程度で壊れる牢じゃない。逆に坂井が足首を捻挫してしまう。
葵野は慌てて止めに入った。
「坂井、俺が、俺が必ず何とかしてみせるから。だから、ちょっと落ち着いてってば」
「コレが落ち着いていられっか!」
一度火のついた彼を止めるには、並大抵の言葉では聞きっこない。
「もう!言うことを聞かないと、こうだぞっ」
つられて葵野も癇癪を起こし、さっと差し入れた手が坂井の金玉をギュッと掴み上げる。
「ひァッ!?」
軽くグニグニと握っただけで、あっという間に力が抜け、彼はヘナヘナと座り込んでしまう。
「ひ、卑怯だぞ……力也ぁ」
床にへたって何か喚いているが、葵野は聞く耳もたんとばかりに揉み続ける。
やがて完全に抵抗力も失ったか、ぐったりと身を横たえる坂井を前に、勝ち誇った調子で葵野が念を押した。
「俺は、この国の第一王位継承者なんだ。国の事は俺に任せて、お前は牢屋を出た後の事を考えるんだ。いいな?」
返事はなかったが、葵野は牢屋を出て行った。
坂井に大見得を切った以上、何が何でも婆様を説得して中央国を動かしてみせる。
大股に歩いていく葵野の両目には今までに一度も見られなかった、ある種決意の光が宿っていた……

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