DOUBLE DRAGON LEGEND

第五十一話 意外な伏兵


天窓の向こうには、晴れ晴れとした青空が覗いている。
空を見上げる司の耳元で、焦れたように友喜が騒いだ。
「ねぇ、落ち着いてる場合じゃないでしょ。どうするの?このままじゃ、東の人達が敵に回っちゃうよ」
別々の部屋に幽閉されていたはずなのに、何故、友喜が司の部屋にいるのか。
開け放たれた天窓を見れば、その理由も一目瞭然で、いつぞやのように天井へ飛び上がり、自分の部屋の天窓から司の部屋へと移動した。
「パーフェクト・ピースに扇動されたというのなら、元凶であるパーフェクト・ピースを倒せばいい」
友喜へ向き直り、司が淡々と言う。
「だが、今までのように力押しで倒したんじゃ駄目だ。彼ら、表向きは平和主義を唱えているからね」
「じゃあ、どうするの!まさか話し合いでもしようって言うつもり?」
「まさか」
司は肩をすくめ、もう一度天窓を見上げた。
「話し合ったところで、僕らと彼らは永久に平行線さ」
相手はMSを絶滅させようとしている組織だ。
人として生きる道を捜すMSと、意気投合できるわけがない。
じゃあ、どうすんのよ!と、苛立たしげに尋ねてくる友喜を一瞥し、司はニッコリと微笑んだ。
「そうだな……王族を動かせないとなると、民の力を借りる必要がある」
「民の?」
首を傾げる友喜の側で、司は扉に手をつき耳を澄ませる。
廊下の向こうに人の気配はない。見張りをつけられては、いないようだ。
「まずは、ここを抜けだそう。このまま滞在しているのは時間の無駄だからね」
「どうあっても、美沙は話を聞いてくれないっていうの?」
「うん」と司は頷き、なおも耳を澄ませて廊下の様子を伺った。
「彼女は自国の民と移住民との摩擦を解消するのに手一杯だ。僕達の問題にまで手が回らない。今の女帝に出来るのは、僕達をひとまず外に放り出して様子見する。それぐらいさ」
「そっか……」
東の軍隊をアテにしていた身としては、残念な結果に終わりつつある。
しかし司には何か策があるのか、友喜ほど落ち込んではいなかった。
「裕福な西と違って、東は混沌としている。巨大国家の統治に隠れた障害のせいでね。キャラバン、サーカス団、トレジャーハンター……MSだけじゃない、貧しいが故に虐げられている民は大勢いる」
「巨大国家の障害?」
またまた首を傾げる友喜には、肩をすくめて司が応える。
「つまり大きな国が少ないせいで流通の便も悪く、うまく繁栄できなかったんだよ」
ふーんと良くわかったような判らない顔で友喜が頷き、結論を求めてきた。
「それで、つまるところ司は何をしようっていうの?貧乏人を引き連れて、クレイドルの処へ押しかける気?」
司は苦笑した。
「そうじゃない」
直接戦うだけが、味方じゃないだろ?
そう諭されても、友喜にはまだ結論が見えてこない。
ともかく脱出するなら夜を待とうと司に言われ、それだけは納得した友喜であった。

司と友喜が脱出作戦を目論んでいた頃、葵野も祖母と対面していた。
いつになく燃える目の孫を迎え入れた女帝は、ハテ?と首を傾げる。
いつもは自分と向き合うたびに脅えているくせして、今日の力也は迫力があるじゃないか。
「お婆様、お話があります」
なんと、お婆様ときたか。いやに畏まっていて、気持ち悪いぐらいだ。
「なんじゃ、言うてみぃ」
婆様に催促され、コホンと咳払いをしたのちに力也は語り始める。
すなわち、現在自分達の置かれている現状を……だ。
B.O.Sのサリア女王誘拐事件から始まり、砂漠都市の滅亡。
パーフェクト・ピースの野望、そして――
ジ・アスタロトなる組織の暗躍までを一気に語り終えた力也は、じっと婆様の目を覗き込む。
彼女の表情には、何の変化も表われていない。
「もはや中央国だけを守ると言っていられる状況では、ないのです」
根気よく、力也は続けた。
「東も西も、今は人々の心が良からぬ方向へと動きつつあるのです」
「それは」
婆様が口を開く。
「お主らのせいとも、言えなくはないかぇ?」
「どっ、どうして?」
素に戻った力也が問えば、婆様は皺の間からジロリと孫を睨みつけて答えた。
「お主らがB.O.S相手に暴れまくったせいで、向こうも主らMSを危険視したのではないかぇ」
「し、しかし、仕掛けてきたのは向こうが先です!それは、女帝もご存じの事と思いますが!?」
思わず声を荒げる力也を、逆に諭すかのように婆様が静かに諫める。
「今さら鶏論争を繰り広げるつもりはない。力也、B.O.Sとやり合うにしても手段があったのではないか?と、儂は言っておるのじゃ」
「と、申しますと?」
キョトンとする力也の額を軽く小突き、婆様は玉座へ座り直した。
「MSに変身することなく、女王のみを奪還する。主なら、できたはずじゃ。MSに変化できぬ、お主ならば」
「い、いやっ、無理!無理だからっ!」
即座に百パーセント素に戻って、力也は全力否定する。
婆様は当時の状況を知らないから、そんなことが言えてしまうのだ。
B.O.Sの本拠地は城へ続くまでの道が、びっしり黒い絨毯で覆われていた。
言わずもがな、改造MSの群れである。
そんな場所をMSに変身しないで突っ走ろうものなら、五秒であの世行きは間違いない。
気がつけば、婆様が優しい目で自分を見つめている。
「力也。戦とはな、力押しだけが策ではない。主らに必要なのは東の軍勢ではなく、優秀な策士じゃ。おらぬのかぇ?そういった者は、お主らの軍団の中に」
作戦を立てる者といえば、真っ先に葵野の脳裏へ浮かぶのは白き翼の総葦司だ。
実質上、リーダーは彼であろう。リーダーに指名された葵野だって、薄々感じ取れていた。
皆が信頼しているのは自分じゃない、司だということぐらいは。
だが彼一人に何もかもを背負わせるのは、あまりにも過酷というもの。
司を頼れないとなると、次に頼れそうな策士は誰だろう。該、或いは美羽あたりか?
うぅむと考え込む力也の頭を軽く撫で、女帝が言った。
「力也、策士なしの軍団は戦場で勝つなど到底無理な話よ。そのような無謀な戦いに、お前を投じることは出来ぬ。奴らとは即刻縁を切れ」
「え!い、嫌だよ!」
間髪入れず突いて出た本音で婆様がムッとなるのもお構いなしに、葵野は続けて叫んだ。
「だって、もう皆こっちに来てるんだよ?なのに俺だけ安全な場所で見ているなんて、絶対に嫌だ!!」
「力也、聞け」
「俺だってMSなんだ!皆がMSの未来の為に戦っている以上、俺にだって参加する権利が」
「力也、待て、待つのじゃ」
「何だよ、何を待てっていうんだ!また城に幽閉するつもりなら――」
激高する孫の肩を掴み、美沙も叫んだ。
「力也、お主はMSではないッ!じゃから、この戦いに参加してはならん!!」


「え……?」


掴まれた痛みも忘れ、呆然と佇む力也の耳元で、婆様が再度繰り返す。
「お前はMSではないのじゃ……有希や、小娘が何と言おうとな。判ったら部屋に戻れ」
「で、でも」
語り部の末裔、アリアは葵野を龍の印だと断言した。
そう言いつのる力也だが、兵士に退けられて、自室に放り込まれる。
初めはポカンとしていたが、やがて怒りが満ちてきた力也はドンドンと扉を叩いて抵抗した。
「ど、どういうことだよ!なんで、婆様こそ俺がMSじゃないって断言できるんだ!?証拠はあるのか、証拠は!俺がMSじゃないと断言できる、納得のいく証拠を見せてくれよーっ!」
抵抗むなしく、廊下からの返事はない。
以前閉じこめられた時と同じく、兵士も婆様も無視の方向で行くつもりらしい。
すっかり下がり眉の葵野は天井を見上げた。
あの時と同じく、また友喜が助けに来てくれることを願って。

いくら待てども、葵野が戻ってこない。
さては婆様に言い負かされて、自室に監禁されたな?
やれやれと諦めて、坂井はゴロリと横になる。
どうせ、それほど期待しちゃいなかった。こうなるだろうという予想もついていた。
今の女帝に他国の意見へ耳を貸せる余裕はない。自国の暴動を抑えるのが精一杯だろう。
それほどまでに、美沙女王の統治力は落ちている。有希が生きていた頃と比べて。
神龍復活を美沙に知らせよう、と言い出したのは司だ。
神龍が復活したとすれば、中央国も信仰を取り戻せる。そう考えての策だった。
神龍、つまりは力也をシンボルに立てて東の軍勢を動かそうとする白き翼。
移住民や移民二世を扇動して、反乱を煽るパーフェクト・ピース。
戦力補給という意味では賢いのかもしれないが、双方ともに卑怯なやり方だと坂井は考える。
何故、自分のちからだけで、どうにかしようと思わないのか。
何故、戦争に巻き込まれたくないであろう民まで強制的に巻き込んで、盾にしようとするのか。
不意に足音が響いてきて、坂井は考えを打ち切った。
柵の向こうに人影が現われる。
「……葵野、じゃねぇな……誰だ?」
足音の主が立ち止まる。見覚えのない兵士だ。
異様に毛深く、顎髭は勿論のこと、腕や手の甲にまで堅そうな毛を生やしている。
そいつが自分の名前をフルで呼んできた。
「退屈そうだな、坂井達吉」
「あぁ、見ての通りだ」
素っ裸で胡座をかいたまま、坂井も答える。
男が何をしにきたのか知りたくなった。婆様の伝言でも持ってきたのなら嬉しいのだが。
「力也王子が監禁されたよ」
そう言って坂井の反応を伺う。
「やっぱな」
はぁっと溜息をついた彼を、面白そうに眺めた。
「王子に会いたいか?」
何故、そんな当たり前の事を聞く?
会いたいと言ったら会わせてくれるとでもいうんだろうか。
ジロリと睨みつけ、坂井も様子を探ってみる。
「お前に、そんな権限があるってのか?」
「権限は、ない」
男が肩をすくめる。続けて言った。
「だが、会わせようと思えば出来ないこともない」
「ほぉー」
坂井の目が細くなった。
たかが一般兵に、女帝の決定を無視する権限などあるはずもなく。
かといって、女帝を裏切れば待っているのは極刑だ。そこまで勇気のある男にも見えない。
「女帝を裏切ろうってのかよ。とんだ兵士もいたもんだな!」
坂井の嘲りに動揺するでもなく、毛深い兵士は淡々と尋ねてくる。
「信じるも信じないも、お前の勝手だ。どうなんだ?会いたいのか、会いたくないのか」
「聞くまでもねぇだろ?会いたいに決まってる」
ぷいっとむくれてソッポを向く坂井を見つめていた兵士が、急に真顔になった。
「なら、会わせてやるよ。その代わり先に約束だ。俺が何をしようと、大声をあげるんじゃないぞ」
そう言いながら、服を脱ぎ始める。
坂井が怪訝な表情で彼の行動を見守っていると、全裸になった男が牢屋の鍵を開けて中へ入ってきた。
「お、おい……なんだよ、外に出してくれるんじゃなかったのか?」
思わず後ずさりする坂井の腕を引っつかんで、兵士が笑う。
「あぁ、勿論だ。お前が無事に外へ出るには、俺の協力が必要不可欠だろう」
自分は素っ裸、相手も素っ裸。最高に嫌な予感しかしない。
身構える坂井に対して、兵士は余裕の表情を浮かべて憎たらしい。
「そう脅えるなよ、王子のボディーガード様が」
軽口を叩く相手へ、たまらず坂井は怒鳴りつけた。
「まず、何をするつもりなのかを説明しやがれ!じゃなきゃ、約束しようにも出来ねーだろうがッ」
いきなりの大声に「シィッ!」と兵士も口元へ指をやって制すると。小声で耳打ちした。
「判ったよ、そう怒鳴るなって。俺の能力でお前を包んで連れていく。その際、体が密着する事もあろうが我慢してくれ。そう約束してほしかったんだ」
「お前の、能力?」
訝しげに聞き返すが、目の前で男が異形の姿へと変わっていくのには心底驚かされる。
なんと兵士の体が、うっすらと透明になっていき、最終的には壁へ溶け込むように消えてしまった。
「なっ……なっ、なんだァ!?」
慌てて壁に手をやってペタペタと叩いてみたが、何の反応もない。
おたおた周囲を見渡していると、兵士の笑い声が背後から聞こえてきた。
「ハッハハ、驚いたか?こいつが俺の能力だ。俺は生まれつき風景と同化できる力があってね、他の奴よりも潜伏能力が高いのを買われていた」
ハッと後ろを振り返れば、そこには人間サイズの大きなトカゲが腕組みをして立っていた。
いや、トカゲではない。
ぎょろりとした大きな目、そして鼻先には長い角を持つ異形の怪物だ。
毛深かったはずの肌はイボイボに変わり、緑の光沢を見せている。くるんとした尻尾を生やしていた。
「お前……MS、なのか?」
にしたって、こんな生き物は今まで見たこともない。
咄嗟に思いついたのは、改造MSや創造MSの存在だった。だが、女帝が奴らを雇うだろうか?
スパイ、それも考えた。
しかし例え彼がスパイだったとしても、葵野と坂井をあわせたがる理由が思いつかない。
「そう、俺はカメレオンに変化できるMSだ」
「かめ……れおん?」
聞いたことのない名前に坂井が首を捻る。男は笑い、デキシンズと名乗りをあげた。
「野生のカメレオンは、とっくに絶滅して久しいからな。若いお前が知らないのも無理はない」
「それで……風景と同化できる力ってのは、なんなんだ」
「見たままさ。正確には、風景と同じ色になって視角を誤魔化しているだけなんだが」
そう言って、もう一度見せてくれる。
今度こそ見失うまいと目を凝らしていると、ぼんやりとだがデキシンズの姿を捉えることが出来た。
なるほど、確かに背後の壁と同じ色の肌に変わっているだけだ。
注意深く見ていないと、うっかり見失いそうでもある。
「便利な能力だな。お前も十二真獣の何かなのか?例えば……猿、とか」
試しに聞いてみたが、デキシンズは、かぶりを振った。
「俺は十二真獣じゃない、ただのMSだ。他の奴とは違う能力を持っていたってだけの」
猿の印がカメレオンに変化するはずもないし、単に特異体質のMSか。
それにしても便利な能力だ。坂井が感心していると、元の色に戻ったデキシンズが近づいてくる。
「……そろそろいいか?あまり長居していると、他の奴らにも不審がられる」
「あ、あぁ」
それじゃ頼む、という前に抱きつかれた。
イボイボの肌と触れあって、なんとなく気持ち悪いが、ここは我慢のしどころである。
「よし、それじゃ」
片手で牢屋の鍵を閉め直し、デキシンズは歩き出す。
「階段を登ったら一旦外に出て、直接外壁を昇っていこう」
「外へ出るのか!?」
驚く坂井へ、デキシンズも驚いたように彼を見つめる。
「出ちゃ何か拙いことでも?」
「俺達の格好を思い出してみろ!この格好で表に出る気なのか!?」
言うまでもないが、二人とも裸。上から下まで何も身につけていない。
人前で裸になることの多い坂井といえど、裸でトカゲもどきと抱き合っているのを見られたらと考えると気が気じゃない。
それに、こういう噂ほど伝わるのも早いのだ。
万が一、葵野の耳に入ったらと死にたくなってくる。
「大丈夫、俺の能力は途中で切れたりするほどチャチなものじゃないんだぜ」
デキシンズは自信たっぷりに言い放ち、がっしりと坂井を捕まえて階段を昇っていく。
「いや、でも、せめて裏から回るとかなぁっ?」
力也の部屋は中庭を通り抜けた先にある。
どうあっても庭を横切らなければ、外壁を登ることも叶わない。
だから坂井の抗議は当然のようにスルーされ、ついでに口元も片手で塞がれた。
「あんまりゴチャゴチャ話すなよ。見つかる率があがるだろ」
悔しいが、彼の言うとおりだ。
自分から騒いで見つかっていたんじゃ、どうしようもない。
大人しく口をつぐみながら、坂井は別の事を考えた。
このデキシンズという男、何の利があって自分と葵野を会わせようとしているのか。
婆様の意図ではない、それだけはハッキリしている。
なら誰の指図かというと、それがさっぱり思いつかない。
坂井を抱きしめたまま、デキシンズは中庭を堂々と歩いていく。
兵士がうろうろしている中を。
誰も気づかない。
まるっきり二人の姿が見えていないのか、誰一人として呼び止める者がいない。
二人は風のように中庭を通り抜け、力也の閉じこめられている部屋のある塔、その外壁へと辿り着く。
「よぅし、ここからが本番だ」
小さく呟くデキシンズを見上げ、坂井もそっと小声で尋ねてみた。
「俺を抱えたまま登るつもりなのか?」
「当然だ」
何を当たり前のことを、とでも言うようにデキシンズが見下ろしてくる。
「どうやって?」
続けて尋ねる坂井の腰に、ぐるんっと尻尾が巻き付いてくるもんだから、思わず坂井は叫びかけ、自分で自分の口元を押さえた。
途端に視界が逆さまになり、頭に血が上る。
目の前にトカゲの股間が近づいてきて、たまらず坂井は怒鳴りかける。
「ちょ、おまえっ、何考えて――」
その続きは最後まで言わせてもらえず、口を開いた瞬間、しゅるっと長いものが喉の奥まで突っ込まれる。
逆さ吊りのまま上に登っていく感覚を覚えた。
続いて、頭の後ろへ何かが回される。デキシンズの足であると判るまでに時間を要した。
足でしっかり頭を固定された為、視界は真緑に覆われ、長い何かを吐き出すことも、ままならない。
細長くも生暖かい何かは、デキシンズの体から直接生えているように感じた。
心なしか、ビクビクと脈打っているようにも。
「んーっ、んぶぅっ、んんんっ」
涙目で呻く坂井へ「しぃー」とカメレオンが口をすぼめる。
「静かにしろ、見つかりたいのか?」
逆さまの坂井を足で抱えると、デキシンズは両手だけで外壁を登り始める。
三本しか指が生えていないくせに、恐るべき腕力だ。
「あっ……はぁ、ちょ、頂上についたら天窓を開けて……お前を、うっ、ほ、放り込んでやるよ。謝礼は、まぁ、うっ……うぅ、考えなくてもいい……っはぁ」
なにやら呻きながらデキシンズが言っていたようだが、パニック状態の坂井の耳には全く届かず。
「よっ……と」
ずるっと引きずられるような感触が尻から背中へと伝わって、ついでに長いものからも解放される。
坂井は自分が塔の最上階、その天井に寝そべっていると気づいた。青空が眩しい。
「……もうついたのか?」
勢いよく坂井が身を起こすと、「あ、あぁ……」と上擦った声が返ってくる。
見ればデキシンズは後ろを向いており、股間に手をやってゴソゴソと何かをたぐっていた。
様子のおかしさに首を傾げる坂井だが、すぐに興味は天窓に移り、枠を外そうと屈み込む。
人の力では外せまい。
すぐに考え直し、虎へ変化してから、ガッチリと枠に噛みついた。
「んぐっ、このォ……ッ!く、くそ、堅いな……おいデキシンズ、お前も」
手を貸せ、そう言おうと振り返って驚いた。
いつの間にやら彼は急接近しており、虎の尻を嗅いでいる。超真顔で。
「な、何やってやがんだ!人のケツの匂いを嗅いでる暇があんなら、手伝えってんだよ!!」
おぅとも嫌とも言わず、デキシンズは坂井の期待する返事とは百八十度違う言葉を吐いてよこす。
「さ、坂井。お前……ここ、王子と使ってるのか?」
助力要請を無視された挙げ句、お尻の穴をツンツンされて、とうとう坂井の堪忍袋は緒が切れてしまった。
「いいッ加減にしやがれ、このバカヤロウ!こっから真っ逆さまに突き落としてやろうか!?」
「わ、わわっ、まてまて、暴れるな!暴れたら落ちるのは俺じゃなくて、お前だぞ、お前っ」
天井の上でドタバタやっていると、天窓の下から声をかけられる。
「その声……もしかして、坂井?坂井なのか?」
葵野だ。急いで坂井が天窓を覗き込むと、物憂げな表情で見上げている彼と目があった。
これだけ騒いでいれば、下まで声が届いていてもおかしくない。
黄色と黒の縞々模様を見た途端、葵野の顔は明るくなり、坂井も尻尾をぱたつかせながら愛しき相棒の名を呼んだ。
「葵野!」
再び枠に噛みつこうとして、思いとどまる。
窓枠を外すよりはガラスを割った方が楽なことに気づいたのだ。
「葵野ーっ、天窓割るから、ちょっとどいてろ!」
嬉々として話しかける坂井へ、水を差す者がいる。
「チョット待て。ガラスなんか割ったら、大きな音が立っちまうぞ」
まだいたのか、とばかりにウンザリして振り返ると、坂井はデキシンズを、ぞんざいにあしらった。
「枠が外れねぇんだ、仕方ねーだろ?誰かさんは尻に執着してばっかで全然手伝っちゃくれねぇし」
するとデキシンズ、ふてぶてしくも言い返してくる。
「力任せに噛みつくだけが枠の外し方じゃないぜ」
「引っ張るほかに枠を外す方法?そんなのあんのかよ」
カチンときた坂井が聞き返してみれば。
「まぁ、見ていろ」
自信満々に天窓へ近づいていき、デキシンズは大きく口を開く。
謎の行動に坂井は眉を潜めたが、続いて起きた出来事には彼も口をあんぐりさせるしかない。
デキシンズの口から何かがシュルルッと飛び出してきたかと思うと、ピタッとガラスに張り付いて、次の瞬間には赤い何かが天窓のガラスをひっつけてシュルルッと口の中に収まった。
「……な?噛みつけばいいってもんじゃないって」
窓を手で持ち直し、デキシンズがウィンクを飛ばしてくる。
口の端からチラチラと見えている赤い何かは、舌だった。
舌をガラスにくっつけて、粘着力で窓ガラスの一枚を綺麗に剥ぎ取ったのである。
もう、驚きすぎて言葉も出ない。
風景と同化する能力といい、コイツの引き出しは何段あるんだ!
入ろうぜと促してくるデキシンズの手を振り払い、坂井は尋ねた。
「お前……一体、何者なんだ?」
「言っただろ?ただのMSだって」
「違う、そうじゃなくて……どうして、俺と葵野の脱出を手伝おうとしてくれたんだ?」
最初の疑問に戻り、デキシンズは空を見上げて考えていたが、やがてニッカと笑って振り向いた。
「言うなれば、王子様とお前に同情したってところかな」
「なんだ、そりゃ?」
拍子抜けする答えに坂井の眉間には皺が寄るが、デキシンズは構わず先に飛び降りる。
突如降りてきた緑色の怪人に腰が退ける葵野へ手を差し出すと、彼は脱出を促した。
「さあ、王子様も急ごうぜ?早くしないと、さしものボンクラ兵士達でも気づいちまうだろうからな」

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