彩の縦糸

其の五 見える者、見えざる者

慌ただしく草履を突っ掛け、管狐に吉敷が追いついたのは通りから外れた畔道であった。
道の両脇には田圃が広がっている。
今は季節が冬だから、何も植えられていないが。
[吉敷、遅いよ]
ぷぅと頬を膨らませる聖獣へ、吉敷もむっつりと、やり返す。
「お前が早すぎるんだッ」
ここに至るまで、管狐は一度も迷ったり立ち止まったりしていない。
畳まれた下着に小夜子の手が触れていた期間など、ほんの僅かな瞬間でしかないはずだ。
その僅かな残り香、いや残り霊気だけで、本当に彼女の居場所を探すことは出来るのか?
「それより本当に、この方角で合ってるんだろうな?また奴らの幻に騙されて」
[今度は大丈夫。小夜子自身の霊気を頼りにしてるもの]
最後まで言わせず管狐は更に前方へふわり、ふわりと飛んでゆく。
仕方なく、吉敷も後を追いかけた。
なんのかんのと喧嘩したところで、これしか手がかりがないのだ。
得意な能力は探ることだと、管狐本人も言っていたではないか。今は、それを信じよう。


その頃。
長門日家には珍しく、一人の客が訪れていた。
「しーずーさーんっ!」
甲高い大声を張り上げながら、勢いよく玄関の戸を叩いている。
ドンガドンガと激しく叩かれ、少し苛立ちながら静が戸を開けると――
白の法衣に頭巾といった出で立ちの者が、ニコニコしながら立っていた。
手には錫杖を握りしめ、首からは小さなホラ貝をかけ、如何にも胡散臭い山伏スタイル。
だが顔を見た途端、静の眉間からは怪しむような皺が消し飛んだ。
「レオナ!レオナじゃないかー!やーっ、久しぶりィ!!」
「しずさん!ご在宅で良かったぁ。いなかったらどうしよって思っちゃった」
二人してハイタッチ連打の嵐をしていると、背後でゴホンと咳払い。
「あー。玄関先で、はしゃぐのもなんだ。中に入ってからにしたらどうかのォ」
源太であった。
ひょい、と静の背後から山伏姿を目にして、嫁に尋ねる。
「誰じゃ?」
「あ、この子はレオナ。昔住んでたトコのご近所さんでさー、可愛いでしょ?」
紹介され、山伏姿の少女も軽く会釈する。
「里見玲於奈でーす。レオナって呼んでネ」
「おう」という源太の返事もそこそこに、静が来訪の意図を聞く。
「で、レオナ。急に、どうしたん?あたしに会いに来ただけじゃなさそうだけど。つーか、どうしたの?その格好。あんた、山伏に就職でもしたの?」
「あ、これ?」
といって、玲於奈は、くるりと一回転してみせる。ポニーテールが風に舞った。
「似合うでしょ?レオナねぇ、山伏にスカウトされたんだよ。それでね、今は修行ってことで、霊媒師やってるんだぁ」
「霊媒師!?」
源太と静の声がハモる。
「うん。あ、しずさんのダーリンも、霊媒師さんだったっけ?じゃあ、レオナとは同業者だね」と、玲於奈はニッコリ。
満面の笑顔からは、どんな意図があるのやら、さっぱり読み取れない。
「それで?山伏になった報告をしに来たっちゅうわけか」
源太が問えば、玲於奈は、あっさり首を横に振る。
「それもあるけど、本題は違うよ?あのね……この辺に猶神流って霊媒師さん、いるでしょ。レオナね、それを調べに来たんだ」
普段は何事にも動じない源太ですら、玲於奈の話を聞くうちに軽く目眩に襲われた。

玲於奈の話を全て聞き終えた後。源太は腕を組み、うなり声を上げる。
すぐには信じがたいが、玲於奈の顔を見ている限り、嘘ではないと思われた。
それほどまでに、彼女の表情は真剣だ。
鷹津禍流。
古来より猶神流と戦い、敗北して以降、猶神流を目の敵にしている流派である。
その鷹津禍流が、現代に蘇り、再びあちこちで悪さを働いているという。
出雲大国の山伏協会が掴んだ情報によると、ここ中津佐渡でも魔の手が蠢いているらしい。
玲於奈が中津佐渡へ派遣されてきたのも、その調査が目的であった。
「――じゃあ、あんたは鷹津禍流ってのと、戦ってるわけだ。今」
「うん」
「猶神流、といって最初に思い浮かんだのが、うちだったのは、どうして?」
「しずさん、最後に会った時、言ってたじゃない。今度結婚する相手は、猶神流に師事してもらってるんだよって。あの頃はレオナ、霊媒に興味なかったから、何のことか意味分かんなかったけど」
「へぇ……よく覚えていたもんだねぇ」
結婚する前、静は中津佐渡ではなく、隣町の相模奥武原さがみおうはらに住んでいた。
まだ源太と交際していた当時、静は二十一。玲於奈は七歳かそこらだったはず。
「えへへ。レオナねぇ、記憶力はいいんだよ」
静に感心され、エヘンと得意げに胸を張ったかと思えば、声を潜めて玲於奈は囁いた。
「でね、教えて欲しいんだけど。猶神流で今、一番弱いプロの霊媒師さんって、誰?鷹津禍流が狙うとしたら、多分その人を一番に狙うと思う。人質または見せしめでね」
その人が仕事を請け負っているなら、レオナも手伝うよ。
そう言って話を締める彼女を前に、静と源太は顔を見合わせる。
猶神流で一番弱いプロの霊媒師。一人しか心当たりがなかった。


管狐に先導されて吉敷が辿り着いた終点とは、沼であった。
水面は不気味な緑に染まっていて、魚一匹いやしないのではと思わせられる。
「本当に、ここなのか?」
油断なく周囲を見渡す吉敷に、管狐も怯えながら周囲を見渡して答える。
[ここだよ。間違いない]
「しかし、ここは」
沼じゃないか、そう言おうとして、吉敷は、あっとなった。
沼の中央に、一瞬ではあるが、何かが浮き沈みしているのが見えたのだ!
[えっ!ちょ、ちょっと待って、吉敷っ]
管狐が止めるも構わず、沼へザボザボ入っていき、吉敷は浮き沈みする何かを掴む。
掴んだそれは驚くほど冷たく、だが、白くて細い人間の腕であった。
胸元まで引き上げて抱き寄せると、俯いていた顔を上げさせる。
「小夜子殿!」
死人のように青ざめているが、布団の上で見た少女と同じだった。
彼女こそが、本物の苑田小夜子に違いない。
何時間、沼に浸かっていたのだろう。
着物は水を含んで重たくなっていたし、顔は青ざめ、全身が氷のように冷たい。
顔を上げさせると、僅かに開いた口から、水が、ざぁっと流れ出た。
胸に手をあてると、トク、トクと微かな鼓動を感じる。生きている、彼女は生きている!
細くか弱い小夜子の体を抱き上げると、吉敷は岸へ戻ろうとする――

が。

小夜子を見つけ、吉敷の心に一瞬の隙が生じた。管狐が間髪入れず叫ぶ。
[吉敷ィ、後ろッ!]
後ろ?いや、後ろだけじゃない。
派手な水音と共に、黒い影が四方を取り囲むように立ち上がった。
一応どれも人の姿を模してはいるが、人ではない。
少なくとも、背後の景色が透けて見える人間など、この世には存在しないはずだ。
ゆらゆらと揺らめきながら、吉敷を岸へ帰すまいと通せんぼしている。
「よく、ここを探り当てられたな。長門日吉敷!」
急に名を呼ばれる。甲高い声であった。
声は空からした。ハッとなり、吉敷が上空を見上げると――

宙を舞う、黒い人影。その上に、誰かが乗っている。

黒いスーツに上下を固めた長髪の男――いや、今の声からすると、女だろうか?
「そうでなくては困る。猶神流を受け継ぐ霊媒師であるのならば。だが、」
そいつは吉敷を見下ろし、口元に僅かな笑みを浮かべる。
「お前を帰らせるわけにはゆかぬ。我々は、お前に用があるのだからな。お前を捕らえ、千鶴を誘き寄せる罠とさせて貰おう!」
女が手を振ると、四方の黒い影が一斉に、吉敷へ迫ってくる。
四方向から伸びる手をスレスレでかわしながら、両手ふさがりの吉敷は叫び返す。
「姑息な真似しかできぬ輩が、大婆様を相手に戦おうなど!ふざけるなッ」
「姑息?幻影を遣い、お前を誘き出したことか?それとも」
女の言葉を遮って、吉敷は怒鳴った。
「俺を人質にしようなどという事も含めてだ!」
すっかり四方は黒い影で囲まれている。
源太ほどの霊力があれば突破もできようが、今の吉敷では到底打ち破れまい。
何しろ悪霊を五体操り、まだまだ余力を見せているような術師が相手なのだ。
観念したか、吉敷は相棒の名を呼んだ。
「管狐!聞こえているかっ」
聖獣は、すっかり怯えて草むらで丸くなっていたが、吉敷の声に顔を上げる。
「逃げろ!逃げて、兄貴に伝えてくれッ。大婆様に、このことだけでも」
言いかける吉敷の口へ黒い影が入り込み、息が出来なくなって、彼は咳き込んだ。
だが苦しむ彼などお構いなしに、影は次から次へ、体の穴という穴から入ってくる。
口からだけではない、鼻からも、耳からも、目の隙間からも、尻の穴からも。
[吉敷!]
黒い影に覆われ、吉敷の姿は見えなくなってしまった。
彼を助けようか、それとも逃げて応援を呼ぶか。
一瞬は躊躇したものの、管狐は草むらへと飛び込んだ。源太を呼びに行くために。
「聖獣を逃がしたか。まぁいい。誰が来ようと、貴様が人質の役目を果たすことに代わりはないのだからな」
意識を失った吉敷に言うと、女はパチンと指を鳴らす。
すると黒い影が吉敷の体を包み込み、ふわりと舞い上がった。
「先に戻っていろ。私は、この女を屋敷に送り返してくる」
再び沼へ沈みかけていた小夜子の体を、無造作に引っ張り上げる。
どれほど乱暴に扱われても、彼女が目を覚ます様子はない。
「ふん。何者でも助けるのが猶神流、か。ならば弟子の命と流派の命。どちらを優先して助けるのか、見届けてやろうじゃないか」
黒い影が飛び去るのを見届けてから、女は小夜子を引きずって歩き出した。

  
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