彩の縦糸

其の十九 狐祓い

「ほぅ、腕をあげたか長門日吉敷?……いや、違うな……」
足下に転がる村人を一瞥し、九鬼は指を鳴らす。
ぱちん、という音に呼び出されたのは黒い影。言うまでもなく、彼女が使役する悪霊達だ。
「その手に持つ霊刀が、鍵か。良い武器を手にしているじゃないか、どこで手に入れた?」
その問いには答えず、吉敷は九鬼に躙り寄る。
「貴様の無駄話につきあう暇などない」
「そうか?見たところ、お前達は時間稼ぎが必要なように思えたが」
間合いを詰めてくる吉敷に対し、そろり、と後退しながらも九鬼は減らず口を叩く。
だが以前と違い仕掛けてこないのは、やはり吉敷が両手で抱える大太刀のせいであろう。
それに彼の周りを飛び交う聖獣も以前とは、まるで違っていた。
前に戦った時は、霊力を集中しても彼らの姿を目にすることは叶わなかった。
なのに、今はどうだ。九鬼の目にも、はっきりと見えている。
火の馬は猛々しい炎を身に纏い、竜巻が発生する中央には小さな少女の姿を模した奴がいた。
背後に構える岩肌の奴、あれも聖獣の類であることは、すぐに判った。
霊気の質が、人のそれとは異なる。かといって悪霊や死霊とも違う。段違いに神々しい。
[ヨシキ、思いっきりやっちゃってもいいよね?]
傍らの火霊に囁かれ、吉敷は頷く。
「悪霊は全て火霊、お前と風来と俺で倒す。残りの者は、九鬼を狙え」
[悪霊遣いは、殺してしもうても良かろうか?]
物騒なことを尋ねてくるのは背後に控える土の聖獣、金剛。
対して答えたのは吉敷ではなく、彼の側に浮かぶ竜巻。その中央に潜む聖獣、風来が呟いた。
[生かしておいても、いずれは裁きを受ける身。受ければ、死罪は免れない]
九鬼自身は大罪を犯していずとも、世間を騒がせた闇陰庵に身を置くとなると話は違ってくる。
それに、苑田の娘を誘拐したという罪もある。拉致、誘拐は、この国では極刑に値した。
極刑、つまりは――死刑、である。
「……そうだな」
風来の言葉を聞き、吉敷も重々しく頷く。
彼としては殺さない程度に痛めつける予定だったのだが、罪の重さを考えれば、そうもいくまい。
どうせ大衆の面前で首をはねられて殺されるのならば、今、ここで片付けてやるのも優しさか。
「初めから全力で来い。俺達も全力で、お前を倒す!」
話している間にも、九鬼の周りを囲む悪霊は増え続けてゆく。
大見得を切った吉敷に舌打ちし、彼女も受けて応えた。
「よかろう、長門日吉敷!私も手加減など一切せぬ……貴様をここで必ず殺す!!」
その言葉が引き金となったか、火霊が真っ先に飛び出す。
[ヨシキ、突破口は僕が切り開くッ。君は後から来て!]
後方に下がった水蛇や風来も、ただ黙ってみているわけではない。
風来を取り巻く竜巻が激しく渦を巻き、上空へと舞い上がる。
[風は火を伴い、勢いを増して全てを焼き尽くす……火霊、加勢する]
放たれた竜巻が火霊の炎を巻き上げて、ごう、と燃えに勢いを与えた。
[さぁ、いくよ!]
今ならば霊力のない者にも、はっきりと見えているであろう。
荒れ狂う炎に包まれた巨大な馬の姿が、空へ駆け上がるのを。
「くッ!」
再び九鬼がぱちんと指を鳴らし、新たな悪霊が壁となる。
だが障害をものともせずに、火霊は空から急下降して、悪霊の真っ直中へと飛び込んでいった。


空を焦がすほどの爆炎が、遠方で立ちのぼる。
陽炎と名乗った老人は目を細めて、それを見やった。
「おぅぉう、派手にやっておるわい。あの炎は聖獣のものじゃな」
吉敷か。九十九にも見当がつく。
しかし狐憑き如きに聖獣をけしかけるとも思えない。彼も誰かに見つかったのか。
だが彼の場合、共に連れている聖獣さえ本気を出せば、向かうところ敵なしのはずである。
聖獣は、全ての霊獣の上に立つ上位精霊と言われている。
その強さたるや、管狐曰く『神様の次ぐらい』なのだそうだ。
単騎でも凶悪な強さを誇るが、使役する術者が共に戦えば、さらに霊気が高まるという。
加えて、吉敷の手には霊刀がある。霊山で拾ってきたという、闇を払う刀が。
彼の心配は無用と気持ちを切り替え、九十九は余裕綽々な老人の様子を伺った。
陽炎は、これといって何かを使役する術者には見えない。
老人は手ぶら、独りで姿を現わした。それでも、九十九は水を誘った。
「呼ばないのか?使い魔を」
老人は薄く笑い「必要ないでな。お主こそ、かかってこぬのか?」と逆に挑発を返す。
じりじりと相手から間合いを外しつつ、九十九は一時も老人から目を離さず尋ねた。
「……何を企んでいる?」
とにかく相手の手の内が判らないのでは、迂闊に仕掛けることもできない。
しかし、陽炎と遊んでいる暇はない。こちらは親玉を倒し、小夜子を助け出さねばならないのだ。
一刻も早く結界を張り、狐遣いの居場所を探り当てねば。
それをするには老人の存在が邪魔であった。
せっかく符を置いても、敵に目論見を見破られてしまっては意味がない。
「ふッ、ほほほ」
陽炎は、ゆったりと笑い、警戒する九十九へ何の緊張もなく近づいてくる。
「怖いか?手の内が判らぬ相手と戦うのは苦手か?猶神流の霊媒師よ」
足下を素早く見渡し、何も落ちていないことを確かめると、九十九へ向き直った。
「ふむ……何があるというわけでもなし。それとも、ここへ何かを仕掛けるつもりだったか?」
あまり引き留めていると、相手に策を気取られるおそれが高くなる。
そろそろ限界かもしれない。
「貴様に答える必要など、ないッ!」
先手必勝。九十九は地を蹴り、陽炎へ躍りかかる。
手に握った数珠が彼の霊気と呼応するかのように、ぼんやりと光を放つ。
霊力を込めた道具とは、本来ならば霊相手に最も威力を発するものである。
だが、生身相手では全く効かない、という代物でもない。
霊気さえ込めておけば、普通に殴るより威力があるし、刀ならば切れ味も増す。
レオナは錫杖を使い、吉敷は霊刀を持ち、九十九の場合は数珠が、それであった。
溜めるばかりが脳ではない。霊気を波動として辺りへ四散させる事も出来る。
下手な弓矢よりも当たりやすく、殺傷力も高い。並の人間なら一撃で沈められよう。
依頼によっては、使い魔を使役する人間と戦うこともある。
猶神流に属する霊媒師、九十九は、これまでにも何度か人間と戦った経験があった。
ただの人間ではない。無論、自分と同じ霊媒師、或いは邪術師だ。
従って、生身とやり合うのには慣れていた。
極力相手には手数を見せず、一気に霊力で押し切ってやる――
数珠が唸りをあげて、陽炎老人の頭上に迫る。

だが、当たろうかという直前。
手元の霊気が念じもしないのに四散したかと思うと、老人との間で数珠が激しく光り。
「――ぐふッ!」
血反吐を吐き、後方へ吹き飛んだのは、九十九のほうであった。

何が起きたのか判らなかった。
痛みで歪む視界で己の体を見てみれば、無数の針が突き刺さっている。
針はすぐに大気に消え、それが霊気でかたどられた物であると彼は知った。
不思議であった。針の霊気質が自分のものと、よく似ている。
針は、間違いなく陽炎十三郎の作りしものであるはずなのに。
針の抜けた後からは、血が、どくどくと流れ出す。
「何が起きたか判らぬといった顔をしておるな?わからんでもよい、死にゆく者には」
ニタリと老人は歯のない口で笑い、傷を押さえたまま、九十九は横っ飛びに退いた。
懐から破邪符を取り出すと、再び念を込める。
「無駄よ、無駄よ。何度やろうと同じこと。儂には何も通じんわ」
陽炎は何かを仕掛けてくるでもなく、ニタニタと笑いながら間合いを詰めてくる。
構わず、九十九は早口に呪を唱えると、符を投げつけた。
「東におわす炎神朱雀よ、我に力を貸したもう!」
途端に符が、ぼう、と燃えて鳳凰の形をとり、老人を取り囲む形で幾重にも舞い踊る。
炎の鳥は陽炎を捉え、彼をひと呑みにしようと、嘴を開いて襲いかかった。
――はずであった。
「ぬぅッ」
咄嗟に残りの符で炎を払い、九十九は驚愕に目を見張る。
朱雀の力を借りた符は陽炎ではなく、何としたことか自身へ向かってきたのだ。
否、跳ね返された。そう言った方が適切であろう。
ようやく彼は、目の前の老人が何者であるかを悟った。
「貴様……御魂師みたましか!?」
「やっと判うたか」
黒い空洞を開き、老人が声もなく笑う。
「そうじゃ、儂は御魂師。さぁ、もっと術を見せるがいい。どれも効きはせぬ」

御魂師――
呪術師、言霊師とも呼ばれる彼らは、単体では一般人と大差ない実力の持ち主である。
だが強力な霊媒師や霊であればあるほど、彼らの怖さも理解できるであろう。
彼らは自分から攻撃する術を持たぬ代わりに、相手の力を利用する。
九十九を襲った針も、そして鳳凰の符も、九十九自身の技に過ぎない。
陽炎は彼の放った霊気を、そのまま彼へ返しただけだ。まるで鏡に反射させたが如く。

――となれば、退治するのは簡単だ。九十九はニヤリと口の端を吊り上げる。
「いい気になるなよ。貴様が何者かさえ判ってしまえば、倒すのは簡単だ」
悪霊ならばともかくも、こちらは考える脳を持っている人間である。
それに、不意討ちで狙われているのとも違う。相手は目の前に見えているのだ。
再び数珠が光を放つ。
数珠を拳に巻きつけ「……ゆくぞ」と九十九が走り、陽炎は迎え撃つ。
「ふん、馬鹿の一つ覚えが」
渾身で放った一撃を陽炎は真っ向から顔面で――受け止め、勢いよく吹っ飛んだ。
殴る瞬間、数珠から光が消えたのを、十三郎は吹き飛びながら目にした。
二度、三度、地面に叩きつけられ、血反吐を吐いていると、駆け足が近づいてくる。
「はぁッ!」
間髪入れず横面に蹴りが入り、老人はまたしても地面へ転がされた。
めきりと嫌な音にして、陽炎は顎を押さえる。
続いて、彼を襲ったのは言葉にならぬほどの激痛。顎の骨が粉々に砕かれたか。
無様に転がる老人、その背中に今一度蹴りを入れると、陽炎は、ことりと前のめりに倒れ込む。
ぴくりとも起き上がる気配がない辺り、気絶したようだ。九十九は満足げに息を吐く。
「霊力が効かぬのならば、普通に殴ればよいだけのこと。貴様など俺の敵ではない」
霊媒師といっても、皆が皆、術に頼りきりの貧弱な肉体をしているわけではない。
九十九ほどの実力者ともなれば、格闘家とも互角に渡り合える。基礎体力は人並み以上であった。
忙しい時は一日に四、五件の祓いをこなすこともある。霊媒師の仕事は体力勝負なのだ。
さて、このまま転がしておいてもよいのだが、念には念を入れておきたい。
懐をさぐり符が切れていると知ると、九十九は老人の服を破り、切れ端に呪を書き込む。
「しばらく眠っていてもらおう」
陽炎の額に、ぺたりと即席封印布を貼り付け、草むらに寝転がせた。


「ヤブ蚊が多い街じゃのぅ」
太股をぴしゃりと叩き、源太は、ぼやいた。
彼も九十九と同様、狐遣いを燻り出すための結界を貼る作業に回っていた。
草むらに入ったはよいが、やたらと蚊に食われているような気がする。
加えて、蚊のやつが吸う場所も微妙である。
腕や足を刺すのならまだ良いものを、尻や股の付け根など掻きづらい場所を狙ってくる。
先ほどから源太が、もむもむと股間を揉んでいるのも、蚊の所業である。
正確には股ぐらではない。金玉の裏をやられた。
痒くて仕方ないが、掻きむしったら後で酷い目に遭うのは判りきっているから、なお辛い。
「まったく、こんなところを吸うのは吉敷か静限定にしてもらいたいぞ」
馬鹿な独り言を呟く彼の神経が、僅かに漂う霊気を敏感に読み取った。
位置は、ここより南方。建物の陰に寄り添うように佇んでいる人影。
この状況で現れるとなると、敵の一人か。
よく通る大声で、源太は気さくに話しかけた。
「なんぞ俺に用かのぅ?そんな遠くで見つめとらんと、近くに寄ってこんかい」
影が揺らいだ、気がした時には、近くに気配を感じて源太は視線を向ける。女がいた。
身にはボロをまとい、フケだらけの頭。
胸元の膨らみがなければ、女だと断定できないほど小汚い奴であった。
女の周囲を、うるさいほどに飛んでいるのは小さな虫達だ。

蚊。
蠅。

蜂といった虫達が、彼女を囲むように羽音を立てている。
「ほぅ。お前が噂の虫遣いか?なるほど、初めて見る術師じゃのぅ」
源太が驚いてみせると、女も口元で笑う。
「そんなに虫遣いが珍しいか?猶神流の霊媒師」
幼い頃より体内にて虫を飼い、自身は虫の毒に対する免疫をつけておく。
その上で毒を持つ虫を操る術師を、虫遣いと呼んだ。
「あたしは闇陰庵が一人、虫遣いの暁永禮」
ほぅ、と顎をさすり、股間から手を外した源太も彼女へ向き直る。
「こりゃ俺も名乗らんといかんか?猶神流霊媒師、」
「知っているぞ、長門日源太」
「なんと、知っておったか。俺も有名人になったもんじゃのぉ」
豪快に笑う源太へ、暁も歯を見せて笑う。
「そうだ。だからこそ、猶神流は倒さねばならぬ。調和を保つ為にもな」
笑っていた源太が眉を潜め「調和だと?」と聞き返すのへ、女は頷いた。
「そうだ。猶神流は客を取りすぎでな。世界の調和を乱しておる。頂点に立つ流派など、この国には必要ない。我等闇の遣い手も必要とされる時代が来ねば、永久に飯の食い上げよ」
「人をさらい、人を殺し、人を悩ますのが調和だと抜かすか」
吐き捨てる源太を睨み、暁も語気を荒げる。
「人は所詮、自身のことしか考えぬ。猶神千鶴とて、そうではないか。手数の足り無さを理由に、仕事を選んでおる。切り捨てられた者どもは哀れだな」
「それは……」
痛い点を突かれて、どもる源太に、言葉の刃は止まらない。
「他人を幸せにしても自身が幸せになれぬでは、生きる意味も価値も見いだせぬ。猶神千鶴の本心も、そうであろう。手数が足りぬなら、増やせばよいだけの話。足りぬなら育てればよいだけの話!そうせぬのは何故だ?我等は、その理由が知りたい。直に千鶴から聞き出したい。長門日源太、貴様には千鶴を呼びに行く気はないか?」
「理由を……知れば、大人しくなるというんじゃな?」
源太が苦し紛れに切り出せば、女は、ゆっくりと首を振った。
「いいや。我等が悲願は、猶神流の没落。庶民の幸せは二の次よ」
そう言い、目を瞑って黙り込む。女の姿は、何事か回想しているようでもあった。
また金玉の裏がかゆくなってきて、源太は股間を揉みながら苦笑する。
「なんじゃ、偉そうに言うから大儀ありと思うて聞いとったが……お主も変わらんじゃないか。自分だけの幸せを願うようでは、有名人にはなれんぞぃ」
「黙れ!!」
カッと双眸を見開くと、女は叫び、虫に命じる。
「己の幸せを願うが何故悪い!綺麗事で飯は食えぬ。偽善者は皆、名誉の上に踏ん反り返り、貧しかった時代を忘れるのだ!さぁ、ゆけ!我が虫達よ、偽善者長門日源太の体を埋め尽くせ!!」
たちまち蚊や蠅といった虫達が黒い塊となり、源太へ飛んでゆく。
あっという間に彼は羽音のやかましい絨毯に包まれて、見えなくなってしまった。
「ハァーッ、ハハハ!どうだ、長門日源太!虫達の抱擁は。目も見えず、息も出来まいぞッ」
返事はない。虫の羽音だけが耳鳴りするほどに、この場を支配した。
喉の奥で笑い、暁は勝利を確信する。
「さぁ、やれ。虫達よ、長門日源太の体に卵を産みつけるのだッ」
だが――
続く、はっきりとした野太い声には驚愕の表情を浮かべ、ざっと飛びずさった。

「そいつは困るのぅ。俺は産みつけられるより、産みつけるが専門でな」

「長門日源太!まだ息が出来たかッ」
黒い絨毯は確かに源太を包み込んでいるというのに、彼の言葉には淀みがない。
苦しそうでもなかった。どこか愉快そうにも聞こえた。
「くッ……」
暁が手を引き、虫達を呼び戻す。
さぁっと黒い天幕が下がると、はたして、そこには五体無事な姿の源太があった。
「あいにくと、虫に囲まれたぐらいで窒息するほど俺も弱くないんでな」
相変わらず片手は股間を揉んでいるという余裕っぷり。
「お主の虫と比べたら、ここいらのヤブ蚊のほうが、よっぽど手に負えんわい」
などという嘯きには、思わず暁の脳裏にもカッと血がのぼる。
「ほざいたな、長門日源太!ならば目といわず鼻といわず、穴という穴全てに虫を潜り込ませてやろうッ!!」
一旦は引いた虫達が、大きく旋回して、再び源太に襲いかかる。
だが、彼に当たろうかという直前、それらは全て見えない壁にぶつかって弾け飛んだ。
「ッ!結界だと!?」
「ご名答」
余裕綽々の満足感を浮かべ、源太がニィッと笑ってみせる。
源太は霊気の放出で即席の結界を作り出し、虫達の突進を弾いていたという。
かなりの霊力を必要とし、且つ鋼の如き強靱な精神力がなければできない芸当だ。
暁の操る虫は、ただの虫ではない。
暁の霊力が宿った、特別な使い魔である。
それが、こうも簡単に弾かれるというのは、二人の絶対的な霊力の差を物語っていた。
「昔から俺の霊力は、だだ漏れ状態でのぅ。この程度の芸当は朝飯前よ。今じゃ霊力をちっと放出した程度じゃ、精神も揺るがなくなってしもうたんじゃ」
「ちっと……だと?」
ここへ来て、ようやく暁も、源太が自分の手に負えぬ相手であると悟ったようだ。
真っ青になり、よろよろと後退し、バッと踵を返すや否や。
悲鳴をあげ、一路退散とばかりに逃げ出していく。
その背中を追いかけるでもなく、黙って立っていた源太であるが――
「……言っただろ?ちょっとやそっとの放出じゃ揺るぎやせん、と」
ふぅ、と、腹に力を込めると、彼の体が、うすぼんやりと青白く輝く。
やがて「はぁッ!」という掛声と共に差し出した両手から、霊気の波動が放たれた。
波動は一気に暁の背中へ追いつき、壁となる虫達もろとも彼女を吹き飛ばす。
暁永禮の断末魔は、衝撃の余波で薙ぎ倒される木々の轟音に紛れて聞こえなかった。


自分達が居た場所とは反対側の林にて。
吉敷は、草むらに転がされた里見玲於奈を発見する。
彼は全裸で横たわっていた。辺りに狐憑きの人間は、一人も見あたらない。
倒してから、誰かにやられたのか。それとも倒されて、おまけに逃げられたのか。
考えるまでもなかった。
「レオナ……!」
レオナの目は虚ろに開かれ、吉敷が抱きかかえても返事すらしない。
ぼうっと空を見つめたままだ。
酷い有様であった。
乾きかけた精液が、体の至る箇所にこびり付いている。
それが酷い悪臭を放っており、吉敷は顔をしかめる。
太股といわず、腕、胸、首筋に噛みつかれたような痣がつけられていた。
唇の端からも尻からも夥しいほど、精液の流れた後らしき筋が残っている。
誰か大勢の手で犯された、それだけは間違いない。
たった一人で大人数を相手にした代償が、これだというのか。
恐らく、南樹先輩も発見された時には、このような状態だったのだろう。
だが、南樹の時は見せしめとして猶神千鶴の元へ送り届けられた。
レオナが放置されているのは、彼が猶神流の霊媒師ではないから?
或いは――吉敷達に、これを見せるためかもしれない。
だとすれば、それは俺達にとって逆効果にしかならないぞ、と吉敷は怒りに震えた。
それにしても……
レオナは使役を得意とする術者である。
死霊を呼ばなかったとは思えないのだが、何故、周囲には痕跡が残っていないのであろうか。
死霊を盾にすれば、このような悲惨な事態も避けられたはず。
一体どうして、彼は狐憑きとはいえ一般人なんかに犯されてしまったのだろう。
「よ……よっしー……?」
腕の中でレオナが息を吹き返し、ハッと吉敷も我に返る。
「大丈夫か、レオナ!」
「……よっしー、どうして、こっちにいるの……?」
「俺が引きつけた分の囮は全て片付けたんでな、お前を心配して駆けつけたんだ。だが……遅かったようだ、すまない」
そう言って唇を噛む吉敷を見て、レオナは微かに微笑んだようだった。
「そう……一人で…………強く、なったよね。よっしー」
「違う。俺は何も変わっていない。変わったのは、あいつらだ」
聖獣と吉敷による九鬼戦は、吉敷達の圧勝といってよい。
風来が風の力で火霊の炎を増幅し、悪霊を片っ端から焼き尽くした。
次から次に壁として呼び出された悪霊も、水蛇と雷角が、激しい水流と稲妻で蹴散らした。
使い魔も消え失せて丸裸になった九鬼にトドメをさしたのは、吉敷ではない。
吉敷の霊力を受け、力を増幅された金剛が、大地の割れ目に彼女を挟み込んだのだ。
地中へ引きずり込まれる際に九鬼のあげた断末魔が、今でも吉敷の耳にこびりついている。
骨の砕ける音が吉敷を身震いさせ、喉元にまで嘔吐感を迫り上げさせた。
これが人を殺すということだというのを、彼は初めて知った。
一生、忘れられそうもなかった。
「でも、あの子達が……全力を出して、戦えるようになったのは……やっぱり、よっしーのおかげだと……思うな。よっしーが、いてくれたから……みんな、戦おうっていう気に………なったんだと、思うよ」
真っ赤になって目を逸らしながらも、吉敷は一番聞きたかった事を尋ねた。
「俺のことは、どうだっていい。それよりも問題なのは、お前だ。お前、なんで、あんな一般人相手に……そ、その、やられたりしたんだ?」
答えようとして、ごほっ、と汚い塊を唾に絡ませて吐き出すと、レオナは弱々しく応える。
「えへ……ちょっと、油断しちゃって………敵の中に、言霊返しを使える人がいたみたい……レオナの友達も、元の世界に帰されちゃったの」
「言霊返し?」
聞き返す彼へは首を振ると、レオナは、きっと吉敷を睨みつけた。
「もう……レオナのことは、それこそ、どうでもいいでしょ?今は、さよちゃんを助けることと、狐遣いの撃退。それだけに集中して」
話しているうちに、だいぶ元気が戻ってきたようでもあった。
これなら、しばし此処へ置いたままにしておいても大丈夫かもしれない。
レオナの露出した下半身へ自分の上着を脱いで被せると、吉敷は立ち上がった。
「……なら、行ってくるか。お前は、もう少しここで休んでいろ。いいな?」
「うん」
かけられた上着を愛おしそうに撫でて、レオナが頷く。
「よっしー……ありがとね?上着」
それには応えず、吉敷は駆けだした。兄貴がいると思わしき場所を目指して。

  
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