彩の縦糸

番外・二 初恋

明日は早めに宿を出て山へ登ろう、という話になった。
食事を終えて部屋に戻る途中、レオナが、あっと声をあげて立ち止まる。
「しずさんに電話するの、忘れてた。かけてくるから、二人は先に戻っててね」
パタパタ走っていく背中へ「なら、俺も」と源太は声をかけるが、反対方向から引き戻された。
振り返ると、吉敷と目があった。いかにも不機嫌を漂わせた冷たい目で。
「戻ってろって言われただろ、素直に戻っていようぜ」
源太の返事も聞かずに、ぐいぐいと腕を引っ張ってくる。
静の名前を出すと、いつもこうだ。吉敷は、すぐ不機嫌になってしまう。
彼女の何が、そこまで吉敷の気を苛立たせているのか。さっぱり判らない。
静は気の良い女である。誰に対しても自分を飾ることなく、あけすけに接触してくる。
さっぱりした気性で、あまり女であることを意識させない。妻というよりは、友達みたいなものだ。
勿論、夫婦間の営みでは静も女に戻る。その差がまた、たまらない。
普段は男勝りな静が布団の上では可愛らしい声をあげ、これ以上ないぐらいの痴態を繰り広げる。
焦らしてやると、尻を振り、もっとしてぇとまで、ねだってくることも度々だ。
あれの時の静を思い浮かべるだけで、体が熱くなってくる。
たった一日二日しか経っていないというのに、源太は無性に静が恋しくなってきた。
「兄貴。涎垂れてるぞ」と吉敷にまで指摘され、慌てて口元を拭う。
照れ笑いを浮かべる源太を睨みつけ、吉敷は言った。
「どうせまた、静の事でも考えてたんだろ」
その言い方が少し気に障り、源太もやり返した。
「だってのぅ。吉敷はさせてくれんしのぅ、欲求のはけ口が見つからんのじゃ」
吉敷が慌てて兄を咎める。こんな会話、誰かに聞かれたら大変だ。
「妙な事、言ってんなよ」
「なんじゃ、恥ずかしがっとんのか?可愛いのぅ」
伸ばされてきた手を邪険に振り払い、吉敷は足を速めた。
「ば……馬鹿ッ。可愛いって、二十歳越えた弟に言う台詞か?」
顔が火照ってくる。赤面した自分を見られまいと、兄へ背を向けた。
「おぉ、何度でも言ってやるわい。幾つになろうと吉敷は可愛い弟じゃけんのぅ」
そう言って源太は、からからと笑った。
かと思えば足を速めて弟へ追いつき、肩越しに囁きかける。
「レオナが戻ってくる前に風呂にでも行っとくか」
「部屋を開けといて平気なのかよ」と心配する吉敷へは、片目を瞑って答えた。
「どうせ取られて困るもんなぞ持っとらんだろうが。まぁ、財布だけは持ってけよ」


――先に風呂へ行ってくる。
そう、書き置きをしたため、吉敷は腰を上げた。
源太は先に廊下へ飛び出していった後だ。いつでも落ち着きのない兄である。
出る前に、荷物をまとめて金庫に詰め込む。これで万が一にも、盗まれることはあるまい。
レオナの大荷物は金庫にも入りきらなかった。
だが、そんなことは知ったこっちゃない。吉敷にとって大事なのは、兄と自分の分だけだ。
幾分すっきりした部屋の様子に満足すると、吉敷は着替え一式を片手に部屋を出た。

脱衣所に入り、吉敷は首を傾げる。源太の脱いだ服が、どこにもない。
まだ到着してなかったのか。だが風呂と思わしき場所は、ここ一つだけのはず。
途中で土産販売所にでも引っかかっているのかもしれない。
ああ見えて、兄は、かなりの愛妻家だから。
静のことを考えると、また気が滅入ってくる。気持ちを切り替え、風呂の戸を開けた。
途端に、もわっと白い湯気と熱気が吉敷の体を包み込む。
誰も入っていないことを確認すると、手近な洗い場へ腰を下ろした。
蛇口を捻ると、すぐに熱い湯が出てきた。まずは体を洗ってから、髪を洗い始める。
と、背後でガラガラと戸の開く音がした。
「兄貴、どこほっつき歩いてたんだ?心配するじゃないか」
顔をあげず、吉敷は話しかけた。返事の代わりに、入ってきた人物が隣へ腰掛ける。
人違いか?
気まずくなり、吉敷は「失礼」とだけ呟き、頭を洗うことに専念した。
ちら、と横目で隣を見ると、相手の足が見える。綺麗な足だ。
少なくとも、源太でないことだけは確かであった。
色白で、すね毛も薄い。まるで少年のように、ほっそりとした――
「よっしーって、髪の毛ホントに長いんだねぇ」
「んなッ!?」
聞き覚えのある声に、がばっと身を跳ね起こして隣を見た。
桶に腰を下ろした人物は、にこにこしながら、吉敷を見つめている。
その顔はまぎれもない、里見玲於奈であった。
長い髪の毛は上にあげて、手ぬぐいで包んである。
いや、そんなことよりも。
吉敷の目は、彼女の胸元へと釘付けになった。
「やだなぁ、よっしーったら。どこ見てるの?エッチなんだから」
言って、レオナが胸を隠す真似をする。
ない。
ない、何もない。
女性なら多少なりとも大きさに差があろうとも、必ずあるべきはずの膨らみがない。
レオナの胸は、少年のように真っ平らのペッタンコであった。
「お、おまっ、おま、お前!お前……男だったのか!?」
壁際まで退避した吉敷が泡くって指さすのに対し、レオナは悪びれもせずに微笑んだ。
「そうだよ。あれっ?言ってなかったっけ」
「聞いてない!」
勢いで、そう叫んだ後。
男だとは聞いていないが女だとも名乗られていない事に、吉敷は気がついた。
姿格好から女性だと判断していたのは、完全に、こちらの勝手だ。
「そうじゃなかったら、よっしーと相部屋できるわけないでしょ。夫婦じゃないんだし」
夫婦者ではない男女が同じ部屋で一泊することは、この国の法では禁じられている。
レオナの言うことはもっともであり、一旦は壁際まで逃げた吉敷も戻ってくる。
「でもね、よっしーと夫婦ってことにしといても良かったんだよ?」
などと、とんでもない冗談を飛ばすレオナを、じっと眺め回した。上から下まで。
華奢な体格だ。手足は細く、色白で、体毛も薄い。
つるりとした撫で肩で、よく見なければ喉仏も見落としてしまうほど小さい。
そして胸は真っ平ら。まな板と呼ばれる胸の女子だって、もう少しは盛り上がっていよう。
まつげが長く、ぱっちりとした瞳。
顔は、女子ならば、かなり可愛い部類に入ると思う。
これで、この顔で、股間には吉敷と同じものがぶら下がっているのかと思うと。
詐欺だ。吉敷は頭を抱えた。
可愛い女性と旅が出来ると喜んでいたわけではないが、しかし、それにしても。
「あれ、額なんか押さえちゃって。もしかして、がっかりした?」
ずずいと近寄られ、ずりずりと身を退きながら、吉敷は答えた。
「がっかりしたわけじゃない。少し驚いただけだ」
それはそうと、戸を見やる彼に、涼やかな声がぴしゃりと言う。
「源ちゃんは当分来ないよ」
「どうして」と尋ねる吉敷へ、レオナは笑った。
「しずさんに電話してるからね」
何かを含むレオナの笑いに、吉敷はピンときた。
源太が風呂へ行く途中で進路を変えたのは、こいつの仕業に違いない。
大方、静が寂しがってるとでも吹き込んだのだ。
兄は騙されやすいから、すぐさま電話へ直行しただろう。
「それに、源ちゃんがいないほうが好都合だし」
「好都合?」
さらに間合いを狭まれて、吉敷は後退する。体勢を崩しかけ、縁に掴まった。
これ以上下がったら、湯船に落ちてしまう。
「そんなに怯えた目で見ないで。レオナのこと、怖いの?」
彼女、いや彼が目を細め、薄く笑う。
感情の見えない笑みだ。
立ち上がっても小さな体躯だというのに、何故か迫力を感じる。
「こ、怖がってなどいない!」
吉敷は虚勢を張ったが、声は震えていた。
レオナが迫ってくる。
「じゃあ、どうして逃げるの?」
追い詰められた吉敷の髪をすくい上げ、すん、と鼻を近づける。
「……良い匂い」
「なっ、何がしたいんだ!?話なら、座ってでも出来るだろッ」
ぐらっと後ろへ落ちかけ、慌てて体勢を立て直そうとする吉敷だが。
その胸ぐらに手を乗せられ、不安定な姿勢で湯の上に留まった。
吉敷の上へ寄りかかるかたちで、レオナが顔を寄せてくる。
「……よっしーは源ちゃんと、もうしたの?」
苦しい姿勢で「な、なにをだ」と吉敷が尋ねれば、その唇をレオナの指がなぞる。
「口づけ。まだなら、レオナが先にもらっちゃうね」
そう言って、妖艶に笑う。

違う。

今までのレオナとは、明らかに雰囲気が違う。こいつは、本当に本物のレオナなのか?
レオナの顔が迫ってくる。あと数センチ、数ミリで、重なってしまいそうだ。
「や、やめろ……ッ!」
ドン、と彼を突き飛ばしたまでは良かった。
だが縁から手を放したせいで、吉敷は湯船に転がり落ちる。
鼻から思いっきり水を吸い込んでしまい、ガホガホやっていると、両手で頬を挟まれた。
レオナのアップが近づいてくる。口を窄め、目を閉じたまま。
「よせと言ってるだろうが!」
吉敷もムキになって暴れたが、ふりほどけそうで、ふりほどけない。
再び二人の唇が、あと数ミリというところまで近づいた時――
「うちの弟をからかうのは、その辺で許してやってくれんかのぅ?」
ガラッと戸を開け、源太が入ってきた。慌てず悪びれず、源太へレオナが笑いかける。
「なぁんだ。愛妻家って言ってる割には、もう電話、終わっちゃったんだね」
いつも通りの無邪気な笑顔で、先ほどまでの怪しさが嘘のようだ。
さりげなく弟とレオナの間に割り込むと、源太も豪快に笑った。
「なぁに、大事なのは長さじゃない。密度じゃ」
頭からずぶ濡れの吉敷を、肩にかけていた手ぬぐいで拭いてやる。
「どういう風呂の入り方をしたんじゃ?濡れ鼠じゃのぅ」
今度は一体、どの辺りから見ていたんだと訝しがりながら、吉敷は兄の手を振り払った。
ちらっとレオナを見れば、奴はクスクスと笑っている。
「せっかく助けてあげたのに。源ちゃん、嫌われてるね」
誤解されるのが嫌で、吉敷はつい反射的に叫んだ。
「違う!」
言ってから、二人の視線が注目していることに気付き、赤面で打ち消す。
「手ぬぐいぐらい巻いて入ってこいって思ったんだ。親しき仲にも礼儀あり、だろ」
源太の股間には、見事な太さのものがブラブラしている。
漢らしく何も巻かないで入ってくるものだから、近づかれると、どうしても目に入ってしまう。
それでも、二人きりなら別に文句はない。
レオナにも見られてしまうというのが、気に入らない。
だが、源太には笑い飛ばされただけであった。
「何を今更、恥ずかしがっとんじゃ?家じゃーいつもブラブラじゃろうがぁー」
「静さんと入る時も、ブラブラなの?」
横から入ったレオナの声に「当然じゃい」と頷き、改めて源太が彼を見る。
「しかし、お主が男だというのは驚きだったが、これで納得もいった」
「ふぅん?」
レオナが目を細める。
「一応、疑ってはいたんだ?」
「まぁの」
丹念に、股間へ湯をかけながら、源太は続けた。
「小さな男の子がご近所さんに居るとは、静から常々聞いておった。だが、小さな女の子の話は、今まで一度も聞いたことがなかったんでな」
「そうだよ」
レオナの目が細くなる。気配が一変し、吉敷は彼を驚愕の眼差しで見た。
こうも、ころころと気を変えられる奴だとは。
見た目ほど、無邪気な奴ではないらしい。里見玲於奈という少年は。
「その小さな男の子っていうのが、レオナだったんだよ。……いつからかな?レオナとしずさんの会話に、源ちゃんが入り込むようになったのは」
湯船の熱気すら肌寒く感じるほど、レオナの殺気が強まっている。
ここで死霊を呼び出されるのではと吉敷は危惧したが、源太に緊張の色はない。
「レオナね、しずさんのこと、大好きだったんだ。異性として、愛していたの。なのに源ちゃんが、しずさんをレオナから取っちゃったんだよ」
だから――と源太から吉敷へ視線を移し、レオナは静かに言った。
「だからレオナはね、男の子でいることを止めたんだ。これからは女の子として、しずさんの友達として生きていこうって思ったの」
「それで今度は吉敷に手を出そうって魂胆かぃ。だがの、吉敷はお主にゃ渡さんよ」
源太はレオナの視線から吉敷を庇う位置に立ち、ふんぞり返る。
「相手の気持ちも憚らん奴に、大事な弟をやるわけにはいかんからのォ」
「源ちゃんは欲張りだね」
ふぅ、と溜息をつき、次の瞬間には、レオナから殺気は消えていた。
「しずさんを手に入れたのに、よっしーも手放したくないんだ。でも、」
出て行く間際に呟きを残して、彼は風呂を立ち去った。
「それって、レオナと同じだから。源ちゃんも考えてないよね、相手の気持ち」

レオナが去り、風呂場には静寂が訪れる。
だが気まずさも残り、兄弟は会話をかわすこともなく、黙って湯船に浸かった。
それでも何かを言おうとする源太に対し、吉敷は先制をかける。
「どのへんから見ていた?」
「あー……」
源太はボリボリと頭を掻き、素直に答えた。
「レオナが、源ちゃんと接吻したのか?などと尋ねた処あたりからかのぅ」
やばい部分は全部見られていたようだ。
それならそれで、もっと早く止めに入ればよいものを。
まさか、困る吉敷を見て楽しんでいたんじゃなかろうか、この兄は。
「それで、だ。……まだ、だったんかの?」
「何が」
冷たい目で睨みつけると、源太はモジモジと指を突き合わせている。
でかいナリをしてモジモジされるというのも、気味が悪い。
「だから……吉敷は、まだ誰とも接吻したことがないのか、と」
「悪かったな」
源太とどころか、女としたこともない。それは本当だ。
源太は恐らく、吉敷はモテモテで女に不自由しない、とでも思いこんでいるのだろう。
確かに言い寄る女子の数は、小学校高学年辺りから徐々に増えてきた。
高校へ入る頃には、登下校を待ち伏せされることも少なくなかった。
それでも吉敷は頑として、恋人を作ろうとはしなかった。
女よりも兄が好きだった、というのもある。
だが、それ以上に、吉敷は面食いであった。
彼のお気に召すような美人が、彼の近辺には居なかった。それだけの理由だ。
不意に、小夜子の面影が脳裏を横切る。
苑田小夜子。あれほどの美少女が、学生時代にいたならば。
彼女とだったら、つきあってみたいと、吉敷も思ったかもしれない。
「なら、してみるかの?レオナに奪われる前に」
現実に引き戻され、吉敷は横に座る男の面を見た。
源太は目を閉じ、タコのように口を尖らせ、ちゅぅ〜っと迫ってきている。
「してみるって、誰と?」
わかりきったことを尋ね、吉敷は慌てて身を離した。
すぐにザボザボと間を詰められ、おまけにがっしりと肩を掴まれる。
「ここにいるのは、誰と誰だ?俺と吉敷、お前の二人しかおらんじゃろが」
なおも迫ってくる蛸口を両手でぐいーっと押しのけると、吉敷は叫んだ。
「冗談よせって。誰かが入ってきたら、どう説明するつもりだ?」
「なぁに、遠目に見たら女にしか見えんわい吉敷は」
たちの悪い冗談だ。ここは男湯、女性が入ってるなどありえない。
いくら吉敷が細いからって、髪の毛が長いからって、その言葉は侮辱としか思えない。
それに細いといったって、源太から見て細いという話であり、遠目に見ても吉敷は男である。
カッとなった吉敷は、力一杯、湯に沈んだ源太の逸物を蹴りつけた。
「おぐっ!?」
声にならぬ悲鳴をあげて股間を押さえる兄を無視して、湯をあがる。
「つ、使い物にならなくなったら、どうしてくれんじゃい……ッ、吉敷ィ!」
「その時は女として生きればいいだろ?レオナみたいに」
手早く濡れた体を拭いてから、吉敷は風呂を後にした。

旅館据え置きの浴衣に着替えた吉敷が部屋へ戻ってくると、既に布団は敷かれていた。
窓際の布団にはレオナが寝転がり、雑誌を読んでいる。
忙しなく頁をめくっていたが、気配で気付いたか、こちらに視線を向けた。
「よっしー、おかえり。源ちゃんと、した?」
邪気のない笑顔。
風呂場で見た殺気など、今のレオナからは微塵も感じ取れない。
「なにをだ」
冷たくあしらいながら、吉敷は一個離れた布団へ腰を下ろす。
くすくすという忍び笑いが聞こえた。
「やだなぁ。離れても意味ないのに」
寝込みでも襲うつもりなのか、レオナの態度からは余裕さえも伺える。
布団を被り、吉敷は彼に背を向けた。
「妙な真似をするなよ。明日は早いんだからな」
「わかった。今日は何もしない。で……したの?」
同じ質問を繰り返すレオナ。意外としつこい。いや、意外でもないか。
瞳をキラキラと輝かせている。何を期待しているのか知らないが、吉敷はつっけんどんに答えた。
「蹴っ飛ばしてやった」
またも、くすくすという忍び笑い。ややあって、レオナも同意を示してくる。
「いいね、それ。あとでレオナもやってみようかな?」
どこを、と説明しなくても、彼には通じていたようだ。
まぁ、静を取られたという恨みがあるから、レオナにも源太のナニを蹴る権利はあろう。
あえて止めるような事は口にせず、吉敷は灯りを消した。
「おやすみ。あ、源ちゃんは?また電話?」
「さぁな。沈んでるんじゃないか?」
吉敷が答えた時、がらっと襖が開いて、にぎやかな足音が入ってくる。
「うぉっ?暗いのぉ〜。もう寝る気満々かぃ、二人とも!」
ぐにっと体を踏まれて吉敷が抗議の声を荒げるも、お構いなしに源太は寝転がる。
――真ん中の布団にではなく、吉敷のすぐ側、真横に。
「何やってんだよ!邪魔だろ!もっとあっち行け!!」
ぐいぐいと押しても、全然動く気配がない。
わざとやるにも度が過ぎている。再び怒鳴りつけようとして、吉敷はポカンと口を開けた。
源太は、すでに鼾全開で寝入っていた。
口元からは涎を垂らし、片手でボリボリと股間を掻きむしっている。
しばらく、だらしない寝顔を見つめた後。
兄をどかすのは諦めて、吉敷は押し入れに潜り込む。
「……何やってるの?よっしー」
尋ねてくるレオナには、ひらひらと手を振った。
「兄貴の鼾は深夜が一番すごいんだ。俺は押し入れで寝る、お前も耳栓つけて寝ろよ」
完全に背を向けていたから、レオナは恐らく気付かなかっただろう。
吉敷の顔に、微笑みが浮かんでいた事には。

  
△上へ