BREAK SOLE

∽69∽ 救難信号


一夜明け――
目が覚めたクレイは、むくりとベッドから起き上がった。
二度三度、頭を振ってみて、思考がクリアなのを確かめてからパジャマを脱ぎ捨てる。
扉がノックされ妹のカルラが入ってきても、着替える手は休めなかった。
『クレイお兄様……御加減は如何でございますか?』
全裸の兄に恥ずかしがることもなく無表情にカルラが問えば、クレイも無表情で頷く。
着替え終えた腕に通信機を装着し、電子音で答えた。
『全快した』
『まぁ……喜ばしい事でございますね。ではQ博士へ伝えて参ります』
ちっとも喜んでいるとは思えない能面顔でカルラは言い、音もなく立ち去った。
入れ替わり気味に入ってきたのはカタナで、クレイを見るや否や駆け寄ってくる。
「もう起き上がってしまったんですか?駄目ですよ、検診してからじゃないと!」
ぺたりと額に当てられた手が冷たくて心地よい。
「熱は……下がったみたいですね」
カタナは笑顔で頷くと、改めてクレイに体温計を手渡した。
「でも、一応検診は規則ですから。熱を測っておきましょうね」
『わかった』
素直に頷き、脇の下へ体温計を挟んでいると、扉がノックされる。
「クレイ、調子はどうかね?」
本日、三人目の来訪者はT博士であった。
いつでも厳めしい顔をした老人だが、今日は特に眉間の皺が寄っているようにも思える。
『万全です』
頷くクレイに頷き返すと「では、さっそくだが来てくれ給え」と指示した。
「緊急事態ですか?」と尋ねるカタナへは「あぁ」と短く答え、さっさと出ていった。
「……緊急事態の連続ですね、宇宙へ出てからというもの」
カタナは小さく呟いたが、不安を押し隠すようにクレイへ微笑んだ。
「大変ですね、パイロットも。熱を測り終えたら、体温計はカルラに渡して下さい」
コクリと頷いたクレイも戸口へ歩きかけ、ふと思いついたように彼女へ言った。
『俺の荷物は私室へ移動しておいて欲しい』
間髪入れず「えぇ、判っています」とカタナは頷くと、枕元のクマへ目をやった。
「このクマのぬいぐるみも、あなたの持ち物なんですよね?」
再び無言で頷き、今度こそクレイは救護室を後にする。

ブレイク・ソールのメインルームには、既に中核となるメンバーが揃っていた。
艦長ドリクを始めとして博士やパイロット、そしてオペレーターの面々が。
「お兄ちゃん、快気祝いは夜やりましょ!」
クレイへはしゃぐヨーコを制し、ミクがモニターを切り替える。
「クレイも見て下さい。これが救難信号を出してきた機体です。見覚えがあると思いませんか?」
ミクの八の字に下がった眉を見ているうちにクレイは、ふと気づいた。
場の雰囲気が、いつもと違う。博士達は緊張しているようだ。
リュウは博士とスタッフに囲まれていた。否、左右を挟まれている。
まるで、この場から一歩も逃さないとする包囲網のように。
「お前達が宇宙人の処から逃げ出してきた時、乗っていた偵察機によう似とると思わんか?そっくり同じと言ってもよい」
Q博士にも重ねて言われ、クレイはハッとなる。
皆はまだ、クレイとリュウの脱出劇を疑っていたのだ。
リュウを包囲しているのは、そのためか。
あの偵察機を使って戻ってきたということは、奴らとグルではないのか――
正確に言うと、クレイではなくリュウを疑っているのである。
何かを打ち込もうとするクレイを手で制し、リュウは悠然と顎に手をやった。
「あぁ、似てやがるな。だが、あれは地球標準の偵察機だぜ?どの国の軍隊だって持っていやがる」
「ここは宇宙じゃぞ」
突っ込むR博士をチロリと見て、つけたした。
「宇宙人が横領してないとは限らねぇだろ。或いは例の組織の奴かもしんねぇし」
現に廃ステーションは、宇宙人に与する組織も使っているのだ。
リュウの意見には一理あり、博士達は唸るしかない。
「それで、救難信号の件はどうするのです。無視するのですか?」とは、ドリク。
艦長であるはずの彼も、自分の一存では決められないらしく博士に決断を頼っている。
「助けてやれよ」と言い出したのは、リュウ。
疑われている身だというのに堂々としたもので、彼はこうも付け加えた。
「どっかから逃げ出してきたのかもしれんぜ?俺達みたいにな」
「どっかから、とは、何処じゃね?」
尋ねるQ博士へは即答する。
「決まってんだろ?インフィニティ・ブラックじゃねぇか」
インフィニティ・ブラックは一丸となって戦っているように見えて、実際はそうでもない。
そのことを、リュウはよく知っていた。
皆が皆、クーガーのように忠義溢れる人物ではない。
ジェイのように私怨で戦う者や、シュゲンみたいな戦闘キチガイもいる。
だからKを裏切ってアストロ・ソールへ投降する輩がいたとしても、おかしくなかった。
「本当に遭難者という可能性もありますね。過去には宇宙での戦闘記録もありますから」
淡々とミグも言い添え、T博士の指示を待つ。
博士達は額を寄せ合いゴニョゴニョと話し合っていたが、やがてQ博士が結論を下した。
「仕方あるまい、ひとまずは救出しておくかの。ドリク、デトラへ連絡じゃ」
「了解です」

偵察機から連行されてきた人物を見て、クレイは内心あっとなる。
だが表面上は極めて冷静、無表情に彼女を見つめた。
リュウも然りだ。さぞや驚いた事だろうに、無関心そうな顔で見ている。
偵察機に乗っていたのはメリットだった。
インフィニティ・ブラックで、リュウの補佐を務めていた女性だ。
その彼女が何故、たった一人でアストロ・ソールの元へ来たのか。
降伏しに来たというには眼差しが憎悪で彩られていたし、ただの伝言係とも思えない。
両側からスタッフに腕を掴まれた状態でも、メリットの戦意は失われていない。
突き刺すような視線をT博士へ向け、彼女は刺々しい声色で言い放った。
「アストロ・ソールは、こういう歓迎をする組織なの?」
アストロ・ソールの存在を知っている。
何ヶ月も宇宙を漂っていた遭難者ではないことは、あきらかだ。
しかし彼女は、どう見ても地球人にしか見えない。
話している言語だって、流暢な共通語である。
「君は何者かね?」とQ博士が尋ねると、彼女は睨んだまま答えた。
「メリット」
「ではメリット君。キミは何故救難信号を出しておったのじゃ?」
「この船に、どうしても乗る必要があったから……」
「わしらの船に?どういうことかね、キミは一体どこから来たんじゃ?」
更なる追求に彼女は項垂れる。
だが、すぐに顔をあげ、何かを見つけたのか険しかった表情を和らげた。
クレイはメリットと目が遭い、ドキリとした。
彼女のくちから真実がバラされるのではないか、と危惧したのである。
Q博士を目線で追い越すと、メリットの視線は真っ直ぐクレイへ注がれる。
「私は……とある組織から来た。クレイ、あなたの腕の温もりが忘れられなくて」
そう言うと、メリットは頬を染めて恥じらう仕草を見せたのだった……!
瞬間、メインルームにいた全ての人間が驚いた。
時が止まったといってもいい。
見事なまでの沈黙が、部屋を支配したのだから。
Q博士は言うに及ばず、ヨーコもミリシアも言葉の意味が理解できるまでに時間を要した。
勿論リュウも例外ではなく、彼は咄嗟にクレイへ掴みかかり肩を揺さぶる。
「おいクレイ、今のは何だ!?お前、まさか、俺が居ない間に、そんなことをォ」
ガックンガックンと激しく揺さぶられ、クレイは目を白黒させながら答えた。
『そんなこととは何ですか?怒られるような真似はしていません』
彼からしてみれば、なんで皆が固まっているのかの方が理解できない。
リュウが怒っている理由もサッパリだ。
彼女は何もおかしなことなど言っていない。
メリットの言う腕の温もりとはハグを指しているのだとクレイには見当がついていたから、素直に彼女へ向けて頷いた。
『俺も、あなたの事は忘れられなかった。また会えて、嬉しい』
「ちょ、ちょ、ちょっと、クレイお兄ちゃァん!?」
「どういうことですか、クレイさん!この方とは、お知りあいなんですか?」
「クレイ、儂は、儂はっ!そんなフシダラな真似を、お前に教えた覚えはない!」
周りの女の子がピーチク騒ぎ、白髪頭の爺さんが喚くのを、メリットは白けた目で見渡した。
肝心のクレイはというと、メリットの言葉の意味を理解しているようには思えない。
子供のように、下心を微塵も感じさせない笑顔を見せている。
彼が先ほどの言葉を、どう理解したのかは判らないが、これだけは断言できる。
クレイは異性に対する関心が、他の者より格段に薄いのだ。
ならば、あのような意味深発言などする必要もなかった。
無駄に恥をかいてしまったわ、と後悔しながら、それでもメリットは演技を続ける。
「あなたも私の体を覚えていてくれたのね……嬉しいわ」
「コラ!クレイてめぇ、俺が居ない間に女を口説いてるたぁ、どういう了見だ!?」
だいぶ己を見失っているようだが、まだボロを出していないリュウにクレイは感心した。
人というのは大抵、逆上していると、うっかり発言をしてしまうものである。
うっかり本当のことまでバラしてしまい、以前ついた嘘との矛盾を突かれてしまう。
リュウは熱くなっていても嘘を矛盾化するような事を言わない。そこが、すごい。
感心するクレイの前で、リュウは天井を仰いだ。
「チクショウ、あん時無理やりにでもクレイにチューしとけば良かったぜェ!」
「ちょ、あんたまでクレイお兄ちゃんに何やってたのよ!!」
「一緒に誘拐されるシチュだけでもズルイのに、そんなことまでやってたんですかぁ!?」
……やっぱり、多少は突っ込んでおいたほうが良さそうだ。
リュウの暴走が激しくなる前に、クレイは皆へ説明した。

メリットと出会ったのは、インフィニティ・ブラックにさらわれた時だ。
リュウがKの処へ連れて行かれている間に出会った。
彼女はリュウが殺されないためのアドバイスを、何個か提案してくれた。
だから感謝の気持ちを込めて、彼女とハグした。

あながち嘘ではないので、思ってもみなかった以上に、すらすらと言葉が思い浮かんだ。
「ほぉ〜う。なんだ、俺の身を案じてくれるたぁ、結構良い奴なんじゃねぇか?」
リュウは感心してみせ、ヨーコも胸をなで下ろす。
「良かったぁ。ったく、言い方が紛らわしすぎるのよね!ビックリしちゃったじゃないっ」
健康的に修正され、仕方なくメリットも苦笑してクレイに併せた。
「まったく……あなたって堅物すぎね」
ともかく今はクレイかリュウと一緒にいて、身の安全だけでも確保しなければならない。
ブレイク・ソールを破壊する為にも、自分が死ぬわけにはいかないのだ。
「では、こちらへ来たのは何のため――」
問いかけるドリクを焦れたように軽く睨み、メリットはクレイへ目線を戻す。
「決まっているでしょう?逃げてきたの。クレイのいる組織なら、絶対に保護して貰えるだろうと信じて」
両脇のスタッフの腕から巧みに擦り抜けると、メリットはクレイの胸元に飛び込んだ。
「あなたと一緒なら絶対に助かると……信じているわ、クレイ」
そっと目を閉じクレイに抱きつく彼女を見て、またも女子を中心に一騒ぎが始まった。


メリットの待遇は、結局は捕虜扱いに決定した。
インフィニティ・ブラックの全容が判らぬうちは、彼女を全面信用するわけにもいかない。
加えて白滝竜のスパイ疑惑も、まだ完全に晴れたというわけではなかった。
従って、リュウと彼女を接触させるのは危険であると博士は判断した。
もちろんクレイも同様だ。
彼をスパイだと疑っているのではなく、素直なのでメリットに言いくるめられる可能性を危惧した。
クレイとメリットが接触する件に関しては、Q博士が一番反対した。猛反対といってもいい。
彼女がクレイを狙っているのは一目瞭然だし、そもそも、彼女自身も気に入らない。
ハグしたなら、そう言えばいいのに、何故あんな誤解を招く言い方をするのか?
クレイに淫らな教育をつけてもらっては困るのだ。
実に不潔だ、不愉快極まりない!と、唾を飛ばしてQ博士は激昂した。
およそ普段の彼らしくもない大激怒は、やっぱり相手がクレイだからだろう。
クレイを我が子のように可愛がっているQ博士の逆鱗に、思いっきり触れてしまったのだ。
そんな彼の気持ちも考慮して、メリットを隔離しておこうと皆は決めたのであった。

「大体よ、逃げてきたってのも嘘くさいと思わねぇか?」
クレイの部屋へやってきたリュウは、開口一番そう言った。
「リュウ兄さんも、そう思いますか」
「あぁ。あいつは地球軍に恨みを持ってるんだ、そう簡単に投降するたぁ思えねぇ」
青いベッドに腰を下ろし布団の中からクマのぬいぐるみを取り出すと、リュウはしげしげと、それを見つめながら続けた。
「しっかし、お前の腕が恋しいたぁ……あいつも演技とはいえ、とんでもねぇこと言うよな。びっくりしたじゃねーか」
その問いには「そうですか?」とキョトンとした後、クレイは首を真横に振る。
「俺には、すぐに見当がつきました。メリットと触れたのは、あの時だけです」
「だって腕の温もりだぜ?お前、普通は抱いたのかと思っちまうじゃねぇか!」
大仰に肩を竦めるリュウを、なおも不思議そうに見つめ、クレイは頷いた。
「はい、ハグしました。ですからメリットの言ったことは間違っていません」
会話が何処までも平行線だと、ようやくお互いに気づきあい、二人はしばし沈黙する。
ややあって、立ち上がったリュウはクレイの肩を叩いて苦笑した。
「なんちゅうか、お前ってやつは可愛いよなぁ。メリットがお前に目をつけたのも、判る気がすんぜ」
「目をつけたというのは、つまり、俺を利用しようということですか?」
首を傾げて尋ね返したが、リュウには肩を竦められただけであった。
「俺と接触した方が、話をスムーズに進められるだろうになァ。全く女ってのは土壇場になると、理性よりも感情を優先させちまう生き物らしいや。メリットの奴ぁ、どうやらお前に惚れたらしいぜ?気をつけろよ」
突拍子もない結論にポカンとするクレイを置き去りに、リュウは部屋を出ていった。

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