BREAK SOLE

∽68∽ 深夜の面会


黙っていても、噂というのは自然と広まるもので。
クレイが発熱した話は、瞬く間にアストロ・ソール内で広まったのだった。
かくして救護室には見舞いの人影が絶えず、クレイは寝るに眠れない。
終いにはヨーコがブチ切れて、救護室のドアには面会謝絶のプレートが下げられた。
「面会謝絶!だって〜。クレイの風邪、そんなに酷いのかなぁ」
怒りに任せて書いた、そんな勢いの文字が躍るプレートを見て、優は首を傾げる。
「Q博士の様子を見た感じだと、そうでもなさそうだったけどねぇ」
秋子も同じく首を傾げ、傍らの春名を気の毒そうにチラ見した。
「どうする?見舞い、出来ないみたいだけど」
本心ではガッカリきていたけれど、春名は二人を心配させまいと明るく答える。
「会えないんじゃ仕方ないよね。戻ろ?」
クレイが風邪で倒れた――そのニュースを聞いた時。
本当はすぐ駆けつけたかったのだが、春名には食事支給という大切な仕事がある。
あれやこれやと片付けしているうちに時間が経ちすぎて、気づけば就寝時間まで後十分!
という時間に来たのだ。クレイと面会できなくても、仕方ないというもの。
戻ろうと頷きあいUターンした春名達の目の前を、何者かが通り過ぎた。
それがミグだと一瞬気づかなかったのは、いつもとは格好が違っていたからだ。
彼女はワンピースではなく、男物のシャツにズボンを着用していた。
サイズも大きすぎて、お世辞にもミグに似合っているとは言い難い。
「あ、ミグちゃん。面会時間は、もう終わって――」
止める秋子の声に振り向きもせず面会謝絶のプレートがかかった扉を開けると、春名達を一瞥してミグは淡々と言い切った。
「面会したければ、すればいいのです」
「え?でも面会謝絶って」
言いかける優を遮り、感情のない瞳が三人を捉える。
「ヨーコの命令など、何故聞く必要がありますか?」
「え?ヨーコ?ヨーコなの?そのプレートを作ったのって」
「救護スタッフが面会謝絶って言ったわけじゃないの?」
口々に尋ねる秋子達を冷ややかに見つめていたが、ミグは先に入っていってしまう。
しばし躊躇したものの結局は会いたさが勝り、三人もミグの後を追って入り込んだ。
部屋の灯りは落とされていた。
何の躊躇もなくミグは灯りをつけ、スタスタとベッドへ近づく。
いきなり明るくなった室内に戸惑いながら、春名達三人もベッドへ近づいてみた。
――クレイは寝ていた。熟睡だ。
「……クマ?」
優が呟くのへ「しっ」と制した秋子も、クレイの枕元を見やる。
大きなクマのぬいぐるみが、どっしりと置かれている。誰かの見舞い品だろうか。
クマの首には青いリボンが巻かれていて、白い刺繍でRyuと書かれている。
不意にミグが、ポツリと呟いた。
「ずるいのです」
「え?」
反射的に春名はミグを見るが、彼女の顔には何の感情も浮かんでいない。
ずるいって、何のことだろう。誰かがクマをクレイに送ったことが?
だが春名が何のことかと尋ねるよりも早く、ミグは行動を起こした。
いきなりクマのぬいぐるみを引っ掴み、ビターン!と床に叩きつけたのである。
これには優も秋子も、そして春名も驚いてしまって声が出ない。
しばらくしてから、横で病人が熟睡しているのも忘れて優は叫んだ。
「な……何してんのォッ!?」
「しィッ!クレイが起きちゃうでしょ!?ミグちゃんも、静かにしなきゃ駄目だよ」
止める秋子の注意も無視し、ミグは冷たい目でクマのぬいぐるみを睨んでいる。
「ずるいのです。今までだって散々独り占めした上、寝る時まで一緒だなんて」
「な……なんのこと?」
さっぱり訳がわからず困惑する春名を、ミグはジロリと睨みつける。
「判らないのですか?このクマは、クレイを独り占めしすぎなのですよ」
「クマァ?」
オウム返しに尋ねた秋子も、そして優も口をポカーンと開けている。
春名だって同じだ。
「クマさんがクレイを独り占めって、どういう意味なの?」
独り占めというのは、いつも一緒に寝ている、という意味だろうか。
となると、このクマのぬいぐるみは見舞い品ではなくクレイの持ち物ってこと?
だとしたら、なおさら無下に扱ってはいけない気がする。
春名はクマを拾い上げ、パンパンと汚れを払ってから枕元に置き直した。
睨んでくるミグを「駄目だよ、人の物を粗末に扱っちゃ」と、優しく注意したのだが……
再びミグはバシーン!と、さっきよりも激しくクマを床に叩きつけ、春名達を困らせる。
「な、なんなの?ミグちゃん、そのクマがそんなに嫌いなの!?」
すると肩で息をしていたミグは秋子に向き直り、吐き捨てるように言った。
「このクマはリュウの分身です。寝る時も一緒だなんて、私は許さないのです」
「へ?」
三人の戸惑いが見事にハモる。
「ど……どういうこと?なんでミグさん、怒ってるの?」
小声で春名に聞かれても、秋子に判るわけもなし。肩を竦め「さぁ?」と応えるしかない。
不意に気配を感じて優がハッと振り返れば、クレイが薄目を開けて、こちらを見ている。
あれだけバシーンバシーンと派手な物音を立てていれば、起きて当然だろう。
慌ててパッとクマを拾い上げ、汚れを払って言い訳した。
「あ、その、ご、ごめんっ!あ、これは、あたしがやったんじゃなくて、そのっ!」
じぃっと無言で見つめていたクレイは、やがて小さな溜息をつくと手を伸ばしてきた。
自分が悪いわけでもないのに責められているような気がして、優は項垂れる。
「……ごめん。クマさん、汚れちゃったね」
クレイに手渡すと、彼は黙ってクマを抱きしめる。
遠慮げに春名も、そっと尋ねてみた。
「あ、あのね、クレイ。そのクマさん……」
「リュウさんの分身って聞いたけど、どういうこと?全然意味がわかんないよ」
秋子にも尋ねられ、クレイは無言で三人を見つめた後、コクリと頷いた。
「いや、頷かれても判んないってば。正しいの?リュウさんの分身って説が」
秋子に突っ込まれ、クレイは小さく首を振る。
「……白滝さんに貰った、大事なもの……なんだよね?」とは春名。
彼が再び頷くのを見て、三人は朧気ながらに判ってきた。
ミグは嫉妬しているのである。クレイが他人から貰った物を大事にしているので。
その気持ちなら、春名にも少しは理解できる。
あれが別の女性からの贈り物だとしたら、春名だって嫉妬していたかもしれないのだ。
しかし嫉妬するというのは、大前提として相手を好きだという感情あってのもの。

ミグはクレイのことが好きだったのか――?

これには、秋子も優も春名も首を傾げる。
二人が一緒にいる処など殆ど見た覚えがないし、親しく話をしている場面も然り。
一目惚れという可能性もなきしにあらずだが、一年近く一緒にいるのに今頃?
皆が考え込んでいる間にもミグは布団へ潜り込み、パジャマ姿のクレイへ抱きついた。
「クマだけ依怙贔屓はズルイのです。私も今日から、一緒に寝ます」
「ちょっと、ミグちゃん何しちゃってんの!?」
皆の慌てっぷりとは対照的に、クレイはやんわりとミグを押しやって反対側を向く。
「断る」
小声で答えるクレイにミグは食い下がった。
「どうしてですか?」
「このベッドは一人用だ。二人で寝るには適していない」
どこかズレた会話に春名はポカーンとするが、ミグが次に放った質問には真っ赤になる。
「では、春名が私と同じ要求をしてきたら、どうするのです」
「なっ!何聞いてるの、ミグさんっ!?」
「それでも寝ないのですか?このベッドは一人用だから?」
即答するかと思いきや、クレイは結構悩んでいる。
それが、ますます春名の赤面をヒートアップさせた。
「そんなことしない、しないんだからっ!クレイもソコで考え込まないっ!!」
ちょっと悲しげな目でクレイに見つめられて怯んだものの、春名はキッパリ言い切った。
「大体、クレイは病人でしょ!?病人と一緒に寝たら風邪が移っちゃうじゃない」
「そ……そうだよ、ミグちゃん。風邪引いちゃうよ、そんなことしたら!」
正論の春名に秋子も同意して、優はミグを布団から引きずり出す。素晴らしき連携だ。
「何をするのです、優!放すのです、放して下さいっ」
「ほらほらミグちゃん、もう寝ないと明日がつらいよ?」とか何とか宥めながら、優は秋子と春名へ軽く手を振る。
「あたしはミグちゃんを部屋に連れて行くね。じゃ、お先〜」
まだ抵抗するミグをズルズルと引きずり、優は先に出ていった。
「もう寝ないと、明日がつらい……かぁ〜。それもそうだねぇ」
秋子の呟きに、春名も頷く。
「あ、じゃあ、そろそろ帰ろっか。それじゃ、クレイ。また明日ね」
秋子に続いて出ていこうとした春名は、戸口近くで押し戻され、秋子に囁かれた。
「ダメダメ、春名はまだ居なくちゃ。クレイが、ちゃんと寝付けるように。ね?」
「寝付くって、そんな、子供じゃないんだから――」
言いかける春名の鼻先でドアが閉まる。
秋子なりに気を遣ってくれたのは判るが、パジャマ姿の相手と二人っきりというのは。
しかも、あんな会話をした後では気恥ずかしさも二倍だ。
「……そうだ。起こしちゃったお詫びに、いいものを作ってあげるね。ちょっとだけ待っててくれる?すぐ作れると思うから」
笑顔で問えば、クレイは素直にコクリと頷く。
春名は駆け足で食堂まで戻ってくると、さっそく鍋と卵とお酒を取り出した。
昔から風邪といえば、日本には古来より伝わる秘薬があるのを思い出したのである。
クレイはドイツ生まれだという話だから、飲んだことがないかもしれない。
彼の驚く顔や飲む姿を想像して、春名はウフフと赤くなったのであった……


「――そう。判った。えぇ、必ず見つけます」
通信を切り、宇宙服に身を包んだ女性は、そっと溜息をつく。
ここは名も無き廃ステーション内、居るのは彼女一人だけだというのに。
先ほどの通信は、インフィニティ・ブラックのオペレーターから。
アストロ・ソールの隠れ家を探して来いという、Kからの通達だった。
味方や部下は一人もいない。一人っきりでの探索だ。

――切り捨てられた――

彼女の脳裏に浮かんだ最初の言葉は、それであった。
それも仕方のない話だと諦めもついている。
リュウにそそのかされ、彼の私事に荷担し、結果的には彼を逃がしてしまった。
アストロ・ソールのパイロットも捕獲していたのに、それも逃した。
ブルー=クレイ。
彼に同情した自分のせいでクーガー達は死んだのだ、とメリットは考える。
クレイを相手に返したせいで敵は勢いを取り戻し、仲間の命は失われた。
地球人が野蛮なのは知っているつもりだった。
だが、ああも簡単に殺されるとは思ってもみなかった。
つぅっと涙が一滴、メリットの頬を伝って落ちる。
「……ごめんっ……ごめん、ジェイ……ッ」
偵察機に寄りかかり泣いた後、鼻をすすり、まだ赤い目を擦る。
死ぬ覚悟など、いつでも出来ている。しかし、無駄死にするつもりはない。
手元の通信機をじっと見つめ、何を思ったかメリットは床に叩きつける。
粉々に壊れて飛び散る通信機の破片を蹴飛ばし、颯爽と偵察機へ乗り込んだ。
もう、インフィニティ・ブラックには戻らない。
かといって、アストロ・ソールに投降する気もない。
奴らを油断させ、乗り込んだ上で心中してやる。その覚悟が彼女にはあった。
仲間からの情報によれば、奴らが消息を絶ったのは月と地球間だという。
ならば、その付近で救難信号でも出していれば、奴らも引っかかるのではなかろうか。
地球人というのは野蛮なくせして、時折、妙に他人へ優しくなれる生き物だから。


メリットが出した信号を、いち早くキャッチしたのはアストロ・ソールではなく、宇宙を漂う小さな船であった。
えらく小さいサイズだ。メリットの乗る偵察機よりも小さいのではなかろうか。
「惑星地球付近で救難信号が出ています。この生態パターンは地球人のようですね。どうしますか?」
ピコピコと目映く光る計器を前に、奇妙な生き物が仲間へ問う。
奇妙な生物――人間サイズの芋虫とでも呼べばいいのか、そんな姿の生物だ。
仲間も勿論、彼と同じ姿をしていた。勿論地球人ではない。宇宙人である。
「多分、Kの出した餌です。ベクトル星の奴らへ教えてあげましょう」
誰かが答え、計器の前に陣取った奴は頷く。
「奴らは餌に食いつきますかねぇ」
「さぁ、食いつくのではないでしょうか?」
やる気のない会話を続けていたが、やがて彼らの関心は他に移っていった。


ブレイク・ソールの食堂にて――
あつあつの鍋を前に、春名は会心の笑みを浮かべる。
「よしっ、できあがり!」
多分、地球時間にして深夜一時ぐらいだろう。
さすがに誰も起きておらず、廊下も怖いぐらいにシーンと静まりかえっていた。
常夜灯がついているから真っ暗というわけではないが、それでも怖いものは怖い。
何となく早足になりながら、且つこぼさないよう細心の注意を払い、春名は廊下を走った。
「……おまたせっ」
そっと救護室のドアを開けて覗いてみれば、クレイはちゃんと起きていた。
傍らにはクマのぬいぐるみが、布団に寝かされている。
「クマさんは、もうオネンネ?」
春名もベッドの脇に腰掛け、鍋はサイドテーブルに降ろした。
クレイはコクリと頷き、春名の持ってきた鍋へ目をやる。
鍋の中には、ほこほこと湯気を立てた液体が入っているようだ。
これは、何?
目線で尋ねるクレイへ、春名は教えてあげた。
「これ?卵酒っていうの。風邪に効くんだよ」
コップに注ぎ、彼に手渡す。
クレイは注意深く、クンクンと匂いを嗅いでみる。
……酔っぱらっている時のリュウが発する匂いに、似ているような気がする。
飲んでも大丈夫なのか?と春名を振り返ると、彼女は見当違いの事を言った。
「あ、熱いから、ゆっくりね。ゆっくり飲んでね?」
否、まるっきり見当違いというわけでもない。とりあえず、飲んでも大丈夫のようだ。
もう一度匂いを嗅いでから、クレイは、ゆっくりと口をつける。
眉をしかめ、おっかなびっくり飲み干す彼を、春名は苦笑しながら眺めていたが――
全部飲み終え「これで、ぐっすり眠れるよね?」と尋ねた途端、クレイが、いきなり前のめりでバターン!と床に倒れ込んだものだから仰天した。
「ちょ、ちょっとクレイ、大丈夫?ねぇっ!」
ユサユサと揺さぶってみたが、クレイからの反応はない。
顔を覗き込むと、茹で蛸みたいに真っ赤になっているのが見えた。
「だ、誰か!来てー、お願い〜っ!!」
おかげで春名は、大慌てで緊急救護コールする羽目に。
勿論、集まった救護班の連中に春名が大目玉を食らったことは言うまでもない。

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