BREAK SOLE

∽56∽ ココロの音


地球から月へ向けた航路は、途中何に襲われることもなく順調であった。
戦艦ブレイク・ソールを覆い隠す対レーダーシールド――正式名称は、ブルバリア。
地球外惑星生物、彼らがタイプεと呼ぶ宇宙人の技術を応用した。
設計はミクが行い、R博士が地球上の物質でも造れるようにアレンジを加えたのである。
今のところ、黒い蜘蛛型ロボットの襲撃を除けば何のトラブルもなく稼働している。
「あと三時間二十九分で月面基地へ到着します」
正面に据え付けられたコンソール前へ陣取ったミグが、淡々と時を告げた。
後部座席に腰掛けていたQ博士が、大きく伸びをしてから立ち上がる。
「三時間半か。思ったよりは早くにつけそうじゃの」
「食事に行ってくるか?」と誘うR博士へ頷くと、二人連れだって出ていった。
博士の動きを横目で見送ったドリクソンは、正面モニターへ目をやる。
相変わらず、目の前には真っ黒な空に星が輝いている。
初めて宇宙に出た時は感動した風景でも、何時間も見ていては飽きが来るというもの。
人知れず、こっそり溜息をついた時、前方座席から声をかけられた。
「よぅ船長殿。退屈そうじゃないか?どうせなら俺らも今のうち食事といっとこうぜ!」
目を向けなくても誰の台詞か判る。この陽気な言いっぷり、カリヤだ。
「艦長がメインルームを留守にしている時に緊急事態が起きたら、どう対処するんだ。食事に行きたければ、お前一人で行ってこい」
ドリクは仏頂面で答えたが、すぐさま彼の言葉を追いかけるようにミグの声が重なる。
「航路は順調です。ここは私達に任せて、艦長は食事を取ってきて下さい」
メインルームにはオペレーターだけが居ればいい。
口にこそ出さなかったが、ミグの冷ややかな表情は、そう言いたそうにも見えた。
艦長など、やはり飾りでしかないのだ。
この船に必要なのは、船を動かすオペレーターと博士達だけなのかもしれない。
もう一度、今度は大きく溜息をつくと、ドリクソンは席を立つ。
「――わかった。カリヤ、食事に行ってこよう。他の者達も、適当に休みを取ってくれ」


ブレイク・ソールは全部で三つのブースに分かれている。
一つはメインルームのある司令ブース。戦艦の要ともいえるユニットだ。
メインルームを出て通路を渡ると、生活ブースへ出る。
ここには食堂や救護室、給湯室に各自の個室や風呂、トイレ、娯楽室などが並んでいる。
そして娯楽室を抜けて通路を渡れば最後に控えるのが、発着ブース。
ソルを格納したり、宇宙へ出る扉があるのは、ここだけである。
総勢四十九名の乗組員を乗せて、戦艦は一路、月へ向かっている最中であった。

救護室を出て食堂へ向かう途中、カタナは見覚えのある背中を見つけて走り寄ると、ポンと肩を軽く叩いた。
「えっと、ティナでしたっけ?どうしました、こんな処に一人で」
すると相手は、くわッ!と大きく目を見開いたまま振り向き、カタナを驚かせた後。
すぐさま項垂れて、小さな声でボソボソと呟いた。
「ティ……ティナ、じゃない…………ティカ…………」
蚊の泣くような返事は当然カタナの耳に届くことなく、彼女はティカの名札を見た。
「え?……あぁ、ティカでしたね。すみません、お名前を間違えてしまって」
笑顔で謝ったものの、心臓はまだバクバクいっている。
さっきの顔、本当に怖かった……次からは、名前を間違えないようにしないと。
気を取り直して、カタナは先ほどと同じ質問を繰り返す。
「それで、どうしたんですか?通路に一人で」
「………………怖い………………給湯室………………から、殺気、が」
「え?」
「渦巻く憎悪………………困惑と、悲しみ………………つらい、胸がぎゅってなるの」
必死に耳を傾けるも、呟きは聞き取れない。
ティカの声は、小さいばかりか掠れてもいた。
ああ、しかし何を言っているのか判らずとも、ティカの苦しそうな表情。
顔は俯き加減に、小さな手を、ぎゅっと胸に当てている。
理由はわからないが、彼女は悩んでいるのだ。それを思うとカタナの胸も痛んだ。
ティカの顔を覗き込み、唇の動きを読む。繰り返される言葉だけに意識を集中した。
「……きゅう、とう、しつ?給湯室で、何かを見たんですね?」
こくり、と少女が頷く。
顔が真っ青だ。
カタナは、それ以上は何も言えず、彼女をぎゅっと抱きしめた。
ティカの身体がビクリと震えるのが、腕の感触越しに伝わってくる。
「大丈夫。私が見てきますから、あなたは自室へ戻っていて下さい」
安心させようと、ゆっくり声をかけながら小さな背中をさすってやると、やがて啜り泣きがティカの口からこぼれた。
しばらく、そうしていただろうか。
すすり泣きが落ち着いてきたと思える頃に、カタナが優しく囁く。
「では、行ってきます。自室へは一人で戻れますね?」
無言でコクリと頷き、少女は泣きはらした赤い目でカタナを見上げた。
「ウン…………気を、つけて………………」
何と言ったのかは聞こえなかったが、カタナは力強く頷く。
聞こえなくたって何と言われたかぐらいは判るのだ。
こういう時にかけられる言葉は、いつだって同じモノしかないのだから。


「――そういえば」
皿に山盛りいっぱいハムやらチキンを乗せて、カリヤが席につく。
その正面へ向かい合わせに腰掛けながら、シュミッドは口を開いた。
食堂には現時刻、人の姿もまばらである。
今の時間は自室で仮眠を取ったり、休憩している者が多いはずだ。
全てのスタッフが、常にメインルームでスタンバイしているわけではない。
シュミッドも、つい先ほどまでは発着ブースにいた。
ソルの各部調整を終え、休憩がてら食事を取りに来たというわけである。
「ン、なんだ?」
チキンに蜂蜜を垂らしつつ、カリヤが促してくる。
思わず露骨に顔をしかめながら、シュミッドは視線を逸らした。
「うわ!なんだ、その食い方?気持ち悪ィなぁ」
「うっせー、俺ァ甘いのが好きなんだよ。それで?」
露骨に嫌がられているというのに、カリヤは笑顔でチキンを頬張っている。
蜂蜜でベトベトになったチキンを……だ。
「いや、パイロット選考前に聞かされた話だと」
シュミッドは仕切り直す。
「確かオペレーターってのは、最低でも八名いるって言ってなかったか?」
「ん?そうなのか?」
南米男は初めて聞いた、とでも言わんばかりの顔をしている。
待てよ、こいつ――もしかして、カリヤは二次募集スタッフなのか?
シュミッドは思い直し、離れた席で食事を取るドリクにも話しかけた。
ドリクソンはシュミッドと同じく、初期からいるスタッフの一人である。
「なぁドリク、じゃなかった艦長。そうだったよな?確か」
艦長は顔も上げずに黙々と、ソーセージをナイフで細かく切り刻みながら答える。
「あぁ。八人目とは月基地で合流の予定だ」
「え?いるんだ、八人目!」と叫んだのは、シュミッドではない。
突然の大声に振り向いてみれば、お盆を片手に叫んでいたのは金髪の好青年。
シュミッドと同様、ソル整備に関わっているスタッフ。テリーであった。
ソーセージを刻み終えて満足したのか、ドリクが顔をあげる。
「八人目は先に向こうへ輸送されていたそうだ」
「輸送?」
どういうことだろうか。まるで、人間ではないかのような言い方だ。
不安に曇る三人を見つめ、ドリクが淡々と応える。
「Q博士とU博士がミカの協力を得て緊急培養した、と聞かされている」
「培養?ってことは、もしかして人工生物なのか?」とは、テリー。
ドリクは頷いた。
「あぁ。ブルーの妹にあたる人工人間で、名前はカルラだそうだ」
「名前、ついているんだ……」
妙な部分で安心するカリヤはさておき、テリーが鼻息荒くドリクへ詰め寄る。
「人工人間!? じゃ、その子は人間じゃないか。なのに輸送だなんて!艦長は、人工人間は人間ではないとでも言いたいのかッ?見損なったぞ!!」
その彼を手で制しながら、小さく切ったソーセージを一つ口に放り込むと、艦長は小さく呟いた。
「あとで写真を見せてやる。それを見たら、君も考えが変わるだろう」
眉間には皺を寄せて。


カタナが到着するよりも、かなり前――
給湯室では、ちょっとした修羅場が展開されていた。
愛を囁きかけるソールのせいで、春名に無視されたクレイが泣きベソをかく。
という、傍目に見たら大変情けない光景が。
何しろ少年だというのならともかくも、クレイは二十歳を越えた成人男性である。
ソールはフンと鼻を鳴らすと、クレイを辛辣に突き放した。
「大声で気を引けないから、今度は泣き落としですか?鬱陶しい男ですね」
対してクレイが発したのは、ずずっと鼻をすする音。
影に隠れて見えなくなってしまったが、きっとボロ泣きに違いない。春名は慌てた。
ソールの甘い囁きに気を取られて、クレイの存在を忘れていたのは事実だ。
だが、それで彼が泣きだすとは思ってもみなかった。
「ちょ、ちょっと、ソールくん!通してッ」
ソールを押しのけようとするが、腕を壁際に押さえ込まれて却って身動きが取れなくなる。
いくら病弱な障害者といえど、ソールは春名よりは腕力があるようだ。
「駄目ですよ。軟弱な大人を甘やかしては」
「で、でも、泣いてるのに……ほっとけないよ!」
「それが甘やかしだと言うんです。甘やかしては、成長する機会も失われます」
彼の言いたいことは判る。
甘えた大人ほど手のつけられない厄介な存在もない。
「でも!」
悲しんでいる時に誰も慰めてくれない寂しさなら、よく知っている。
春名の親は父も母も揃って、そういう人達だったから。
泣いている春名を、ほったらかしにするような人種だったから……
クレイには、そういう寂しさを知って欲しくない。
うぅん、クレイだけじゃなくて、誰にも。
「あなたが彼を甘やかすのは、Q博士にも迷惑がかかるということですよ?いいんですか?この船に貴女と彼の居場所がなくなってしまったとしても」
物わかりの悪い子供を諭すように言われ、思わず春名はカッとなって叫び返す。
「どっ、どういう意味!?」
真っ向から春名を見つめ、ソールは声高らかに宣言した。
「我々は運命共同体です。誰か一人でも甘えた存在がいては調和が崩される。クレイが邪魔な存在に育つのは、彼の親であるQ博士の立場も危うくなる!ということなんですよッ」
おそらくは春名を動揺させるつもりでソールが放った一言は、春名よりもクレイ本人に一番衝撃を与えた。
「……ッ!」
頬を伝う涙を手荒く袖で拭うと、クレイは踵を返し給湯室を飛び出す。
「あ!待って、クレイッ!!」
背後から春名の声が追ってきたが、振り向く余裕も存在しなかった。

どこかで一人になりたい。
誰にも会いたくない。
自分のことを、冷静になって考え直したい。
自分は本当に甘えているだけなのか?
春名に構って欲しいとするのは、希望してはいけない甘えなのか……?

「おッ……と!」
一人になりたい、その思いは通路でリュウとぶつかった時に四散した。
リュウも、ぶつかった相手がクレイで、しかも泣いている様子に驚いたようだった。
「お、おい。なんだ、お前、どうした?泣いてんのか?あぁん?誰だ、誰に泣かされたんだ?言ってみろ。大丈夫だ、相手にチクッたりしねぇから!大体どーゆー理由で泣かされたんだ?女か?金か?それとも、暴力か?」
大きな手が肩に置かれる。暖かくて優しい手。
サングラスの奥からは、相手を気遣う光も見え隠れしている。
「リュウ、兄さ……」
涙は留まるところを知らず、ぼろぼろと両目から溢れて頬を伝う。
言葉にならないクレイを見て、何を思いついたのかリュウは一人頷いた。
「あぁ、言いたくねぇなら無理して言わなくてもいい。とりあえず、ここじゃ人目についてかなわんから、俺の部屋へ移動するぞ」

背後でドアが閉まり、クレイは言われるままにベッドへ腰掛ける。
すぐ隣にリュウも腰掛け、話の続きを促された。
「ま、大体わかるけどな。お前を虐めそうな奴っつったらソールか黒人女だろ?」
炭酸の弾ける音にクレイが顔を上げると、ビール缶を手にするリュウと目が合う。
「へッ。食堂から失敬してきたんだが、お前も飲むか?」
力なく首を振ると、クレイはポツリポツリと話し始めた。
「……俺は、甘えているんでしょうか。博士や、皆に」
「あ?」
さすがに怪訝な顔のリュウ。まぁ、無理もない。
唐突すぎる結論だけを話されて、意味の判る奴がいたら、お目にかかりたいものだ。
グビリと一口ビールを飲んでから、再度話を促した。
「まずは順を追って話せ。お前が甘えん坊かどうかは、それから判断してやる」
身じろぎせずに床を見つめながら、クレイがまた、ぽつりと呟く。
「ソールに言われました。大人は甘えてはいけないのだと」
「ハァ?なんだ、そのガキ臭ェ理論はよ」
呆れながらも脳裏に浮かんだのは、殺気走った視線を向けるソールの顔。
親の愛に恵まれていなさそうな奴であった。
親に愛されていない子供ほど大人の弱さを嫌うというのは、よくある話だ。
育ての親に愛されて育ったクレイとは、対照的ともいえよう。
「異端の者が恵まれて育つというのは、悪しき事なのでしょうか?」
「異端?誰が?」
ちらり、とクレイを見ると、項垂れた頬をまだ涙が伝っている。
本人は必死で涙をこらえようとしているところが、何ともリュウの本能をくすぐった。
「オイ、まさかクレイ。お前、自分が異端だと思ってんじゃねぇだろうな?」
「……違いますか?」
そう言って顔をあげたクレイが、すん、と鼻をすする。
目元は、涙で潤んでいた。

――チクショウ、こいつ……俺を萌え殺す気か!

幼少の頃ですら、泣くという行動を見せなかったクレイだ。
泣きそうになることは時々あったが、いつでも彼は、ぐっと我慢して堪えてきた。
そのクレイが大人になった今、目の前でスンスン泣いている。涙を流して。
「俺は、髪の毛も青いし、身体能力だって……人間じゃない」
「そりゃ、そういう風に作られて生まれたからなァ。でもよ」
ぐっと力強く抱きしめてやると、クレイは抵抗するでもなく逆にしがみついてきた。
リュウの胸に耳を当てている。
彼の顔から不安が消えつつあるのを確認しながら、リュウは続けた。
「人間ってのは、そういう基準で判断される生き物じゃねぇんだぜ。大事なのは能力でも外見でもねぇ。心ン中だ。感情や気持ち、だな」
なぁ、と笑いかけ、クレイの頭を自分の胸に押しつける。
「聞こえんだろ?心臓の音が。お前は、この音を聞くのが昔っから好きだったよな」
「はい」
素直に頷くクレイの顔にも、ほんのりと笑みが浮かぶ。
「俺にも聞こえてるぜ、お前の心音が。こうやって自分以外の音を聞いてるとよ、一人じゃねぇって思うよな」
クレイはコクリと頷いた。
その頭を優しく撫でながら、さらに強く抱きしめてやる。
子供の頃は、よくこうやって彼をあやしたものだった。
幼少のクレイは泣いたりぐずったりはしなかったが、たびたび情緒不安定に陥った。
ひとたび無口モードに入ってしまうと、こちらの命令も無視するようになってしまう。
そんな時はリュウがハグしてやると、大抵は元の素直で従順な子供に戻った。
「誰かに甘えたりすんのは、悪じゃねぇ。人間ってのはな、一人じゃ生きてけねぇ弱い生き物なんだよ。だから、誰かに頼ったり甘えるのを恥じんじゃねぇぜ?あぁ、モチロン、頼りっぱなしは情けないけどな。だからって誰かに文句言われる筋合いもネェが」
「甘えても、いいのですか?」
「まァな。で、お前が甘えたい相手ってのは誰だ?Q博士、は当然として俺も範囲内か」
クレイが黙っているので、リュウは自ら補足した。
「あとは……春名ちゃんだろ?お前が今一番甘えたい相手だな。おっ。さっそく赤くなりやがって!図星か、コノコノ〜ッ。だがよ、甘えんのはいいけど一日中独占してんじゃねーぞ?周りに僻まれっからな!」
ぽぅっと赤く染まる頬をグリグリしてやる。
クレイが、じっとリュウを見上げてきた。
まだ目元は赤く腫れていたが、涙は既に止まっている。
「……リュウ兄さん。ありがとうございます」
「何がだ?あぁ、慰めてくれてアリガトウってか?別に礼なんざ――」
いらないぜ。そう言おうとして、リュウの脳裏にピンと閃くものがあった。
「イヤ、感謝の気持ちがあるんだったら、そうだなァ。ちっと俺につきあえよ」
「え?」
驚くクレイから身を離し、ぐいっと残りのビールを全部飲み干す。
「月面基地についたら、宇宙散歩としゃれ込もうぜ。お前だって宇宙は初めてなんだろ?」
「……でも、勝手な外出は禁止されています」
困惑の体で俯くクレイの顎を持ちあげ顔を上げさせると、リュウはニヤリと微笑んだ。
「なぁに。博士には俺から許可を取ってやるからよ。なぁいいだろ?行こうぜ」
再びギュッと抱きしめられ、クレイは真っ赤になって頷く。
リュウに酒臭い息をかけられたせいで、少し酔ってしまったのかもしれない。
「……判りました。少しだけなら……」
「よっしゃ!じゃあ、その前に、お前は春名ちゃんと仲直りでもしておけよッ」

心残りを残さない為にも、な。

ふらつく足取りで出てゆくクレイの背中を目で追う。
彼が去った後、リュウは机の中から小さな通信機を取りだした。
アストロ・ソールに編入してからというもの、一度も使う暇のなかった物だ。
胸元に通信機をしまいこみながら、知らずリュウの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
待っていろよ、K。でっかい手土産を持って、お前の元に帰ってやる。

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