BREAK SOLE

∽54∽ 流浪


目の前を流れている川へ石を投じる。
何度そうしていたか判らない。
もう、何もかもが判らなくなっていた。自分が何故、ここにこうしているのかも。
「寒く……なってきたな」
背後で兄が呟く。肩をかき抱くようにして震えていた。
兄弟には、どこにも行く場所がなかった。
住んでいた家は宇宙人からの空襲で焼け出され、やっと手に入れたと思った場所は――
「くそッ」
一つ石を拾い、ピートは川へそれを投げ捨てた。
ピート=クロニクル。
アストロ・ソールを脱走して、行方知れずとなっていた少年だ。
彼と兄のトールは今、故郷へ戻ってきている。
誰にも知られていないはずであった。
首都は既に焼け落ち、二人の故郷グラスゴーもまた、住民の姿は殆どない。
皆、疎開したか死んだか。かつては大都市として栄えていたのが、まるで嘘のようだ。
「……寒いな」
もう一度、兄が言う。
今度は素直にピートも頷いた。
「あぁ」
風が強くなってきた。
「今夜は、どこに泊まろう?」
観光客も望めず住民が次々と出ていく中で、宿屋など開く酔狂な者もいまい。
兄弟は勝手に、その日見つけた空き家で休んでいた。
「どこでもいいよ。雨風さえしのげれば」
ぶっきらぼうに答え、あてもなく歩き出そうとした時、前方に人影を見つけて二人はハッとなる。
「隠れよう」
トールに袖を引かれ、物陰に身を隠した。
だが、少し遅かったようだ。二人の隠れている場所へ声がかけられる。
「隠れなくてもいい。我々は君達の味方だ」
この状況で、誰がピートの味方だというのだろう?
頼れるはずの味方を、彼は一方的に裏切って出てきてしまったというのに。
恐る恐る半分だけ顔を覗かせるピートの目に映ったのは、米軍の軍服であった。
声をかけてきたのは、七、八名の男達。どれも陸軍の軍服を身につけている。
スコットランドでアメリカ兵を見るというのは些か妙な気がした。
近年イギリスから独立したとはいえ、ここはまだイギリス兵に支配されている国なのだ。
誰も銃を持っていないというのも不自然だ。
地上に宇宙人が潜伏していないという保証はないのに。不用心すぎる。
「ピート=クロニクルね。あなた、どうして此処にいるの?」
名を呼ばれ、ピートは身を固くする。
――追っ手か!
一番最初に考えたのは、そのことであった。
しかし、名を呼んだ声に聞き覚えはない。初めて聞く少女の声であった。
再び顔を覗かせてみる。ずらりと並ぶ軍人達の前に立つ、少女の姿が見えた。
少女は黒づくめであった。服も黒ければ、髪も黒い。
長く垂らした黒髪は、緩やかに曲線を描いている。
ふんわりとしたスカート。どう見ても、彼女だけは軍人ではない。
とすると一体何者なのだろう?
「ピート、あなたアストロ・ソールを抜け出してしまったのね?」
壁際に隠れたまま、ピートが答える。
「アストロ・ソールなんて知らないよ」
何故アストロ・ソールを知っているのか。
何故、ピートが在籍していたことまで知っているのか。
ともかく、彼女が何者なのか判るまで正直には答えられない。
嘘をつく弟を、トールは黙って見つめている。
咎めるでもなく諭すでもなく、ただ無言で、無表情に見つめていた。
沈黙に耐えられずピートが先に不満を表し、くちを尖らせて兄を責める。
「なんだよ。何か言いたいのか?兄貴」
兄は、ふいっと視線を逸らし「……別に」と呟いた。
少女が、また声をかけてくる。
「嘘ね。隣にいるのは、お兄さんのトールでしょ。二人揃って逃げ出したのね。離反の原因は、アストロ・ソールで酷い裏切りにあったから……違うかしら?」
事情に詳しい。やはり彼女は、アストロ・ソールが放った追っ手なのだろうか。
黙るピートに替わってトールが答える。
「そこまで知ってるなら、聞く必要もないだろう?君達は一体何者なんだ」
一拍おいてから、彼女は答えた。
「アメリカ軍よ。表向きにはね」
「表向き?」
尋ね返すトールへ、彼女が苦笑したように聞こえた。
「とにかく、いったんそこから出てきて貰えるかしら?話しづらいわ。私達は武器を持っていない。貴方達に危害を加えることはできないと思うんだけど」

軍人達に――いや、少女に連れられて、兄弟は一角にある店へ入る。
店といっても名ばかりで、今では誰も住んでいない空き家と化していた。
「私達はね、表向きにはアメリカ軍ってことになっているけど」
椅子へ腰掛けるなり、少女が話し始める。
「実態は、宇宙人へ手を貸す連合に手を貸している者達なの」
「――なッ!」
驚いて席を立ちかけるピートの腕を、トールが握りしめた。
「待て、ピート!……結論を下すのは、まだ早い」
「で、でも!」
狼狽える弟を宥めるように、トールの腕に力がこもる。
「まず、君の名前を教えて貰おう。それと、連合の名前もね」
彼の強い視線を受けても少女は怯まず、逆に挑むような視線で睨み返してきた。
「私はアリアン。アリアン=ゴールド=リッシュ。お父様は日本人で、お母様はドイツ人だったの」
「へぇ……」
ピートは改めて、まじまじと少女を見つめる。
髪は黒いが、瞳は青い。目は母親譲りといったところか。
「宇宙と手を組んだ連合の名は、インフィニティ・ブラック」
「インフィニティ……無限の闇か。あまり良い雰囲気ではない名前だね」
不吉な名にトールが顔をしかめるが、アリアンは構わず話し続けた。
「私達は、今の戦いにおいて一つの結論を下したわ。それは何だと思う?」
「え……何?」
深く考えもしないピートに、くすりと苦笑すると。彼女は答えた。
「先に仕掛けたのは地球人。だから、宇宙人は反抗してきた。それは判るわよね?」
「あぁ」
「つまり戦う気を地球側から捨てれば、物事は丸く収まるんじゃないかしら?」
アリアンの出した結論には頷けないこともない。
停戦を呼びかけた日本の声は、世界会議で無視された。
アメリカと中国は断固戦うという意志を、全世界へ向けて発表した。
あの時、全世界が停戦すると決めていたなら、今頃は、どうなっていただろうか。
ひょっとしたら宇宙人との戦いは回避され、終了していたのかもしれない。
「抵抗するから、滅ぼされるんだって気づいてしまったのよ。なら抵抗しないで協定を結べば、平和的に戦いも終結するんじゃなくて?」
「でも武器を捨てて、その、降伏したとして」
トールがつっかえつっかえ、言葉を挟む。
「彼らが僕たちに危害を加えなくなる、という保証は何処に?」
「そうだ!投降して捕虜になっても殺された民族の話、キミだって知ってるだろ!?」
ピートの反論は、アリアンには一蹴される。
「それは地球人同士での話でしょ。私達は宇宙人と交渉しているのよ」
そもそも、と付け加えた。
「彼らが最初、何のために地球へ来たと思ってるの?」
「そりゃあ……」
トールは言葉を濁し、ピートが即答する。
「侵略だ!」
するとアリアンは心底小馬鹿にした調子で、肩を竦めてみせた。
「遅れた文明に資源も取り尽くされた星を侵略して、何になるっていうの?彼らはね、交流を求めてやってきたのよ。遠い遠い銀河から、星の海を越えて」
なのに地球人は異形の者だというだけで、攻撃を仕掛けてしまった。
それでは、彼らが怒るのも当然だ――
「私達は、彼らとの誤解を解くための駆け橋となるつもりよ」
まず手始めに、と軍服の連中を振り仰いでアリアンは言った。
「アメリカ軍の中で、私に賛同してくれる人達を集めてみたの。それが、この人達。あれだけ大勢いて、これしか集まらなかったというのは悔しいけれど……でも、地球人全員が戦争続行を希望しているんじゃないと、私は信じているわ」
全てを話し終えた後、アリアンは黙って二人を見つめた。
ややあって、トールがポツリと呟く。
「……僕にも、手伝えることはないかな?」
「兄貴!?」
騒ぐピートを無視し、トールは真っ直ぐアリアンを見つめた。
「前から思っていたんだ。武力で武力を制圧しようとするアストロ・ソールは、どこかおかしいって。本当の平和っていうのは、君達みたいに話し合いで決着をつけることなんだ。僕も、平和の為に何かがしたい。そして、そして……」
ぎゅっと堅く目を瞑ったトールの肩に、小さな手が置かれる。
思いの外、優しい笑みを浮かべたアリアンを見て、ピートは胸の高鳴りを覚えた。
なんて穏やかな顔をしているんだろう。まるで聖母様のようだ。
「皆に、あなたの存在を認めてもらいたいのね?」
彼女の囁きに兄が頷く。
瞑った両目からは一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。
兄が泣く処など、ピートは初めて見た。
どんなに周囲から迫害されようと、ただ静かに笑って運命を受け入れてきた兄が――
「……ピート、あなたは?あなたは、どうするつもりなの」
考えるよりも先に、答えが口から飛び出していた。
「オレも、行くよ」
泣いていた兄が、ハッとして顔をあげる。
彼を安心させようと力強く頷き、ピートは同じ言葉を繰り返す。
「オレも行く。どうせもう、どこにも行くアテはないんだし……それに……地球を救うヒーローになるって夢は、まだ捨てちゃいないしな!」


『目標を完全に見失いました。これより帰航します』
クーガーからの通信を受け、Kは溜息を漏らす。
奇襲されたアストロ・ソールのトドメを刺そうと機体を放ったのに、一足遅く謎の人物は撤退してしまい、さらには奴らまで見失おうとは。
「彼らの対レーダーシールドですが……やはり地球外技術でしょうかね?」
尋ねてくるオペレーターには無言で頷き、乱暴に通信機のチャンネルを替えた。
呼び出しを受け、慌てて出たのは谷岡だ。
地球に残りアストロ・ソールの基地を探す一方で、各国の様子も見張っている。
『な、何か進展あったんですか?K』
「進展を尋ねたいのは、こちらのほうだ。あれから彼女と連絡は取ったのかね」
『いえ、それが……』
少し躊躇した後、谷岡は声のトーンを落として項垂れた。
「どうした?」
『感づかれたようです。いえ、彼女ではなく彼女の上司に』
愛の囁きに混ぜて、それとなくナクルが今いる環境を尋ねてみたのだが――
それがいけなかったらしい。通信内容は逐一チェックされていた。
根掘り葉掘り聞きたがるような輩と、通信を行ってはいけない。
そう厳重注意された上、通信内容を規制されたと、彼女本人から聞かされた。
『それ以来、こっちが何を聞いてもはぐらかされるばかりで。やっぱり相手の目を見て話せないのは、つらいですね。同情も買えやしない』
そう言って顎をポリポリと掻く。無精髭が以前見た時よりも濃くなっていた。
谷岡は日本で、どのように暮らしているのだろう。
母性本能をくすぐるという能力か何かで、どこかへ転がり込んでいるのかもしれない。
そんなことが脳裏をよぎったが、Kは、あえて別のことを尋ねた。
「アストロ・ソールの基地探索は、はかどっているか?」
一瞬の気まずさがあり、谷岡はへの字にくちを曲げて答える。
『いやぁ、そっちも難航してますね。ただ、』
「ただ?」
言葉の続きを待つと、谷岡は空を見上げて、続いて街を振り返った。
『有田真喜子が、家に戻ったようです』

アリタ、マキコ?

思い出すのに少々時間を要したが、そうだ、確かアリタ重工の一人娘だったか。
谷岡が見かけて、そのまま姿をくらましていたという、あの娘だ。
『近所のおばさんが噂してたんですがね。彼女、やっぱり北海道には行ってなかったみたいです』
「本人が言っていたのか?」
『らしいです。なんでも、今をときめくアストロ・ソールにいたと』
「ちょっと待て」
『ハイ?』
谷岡の軽口を制し、Kは改めて聞いた。
「今をときめくアストロ・ソール?」
『ハイ』
どういうことだ。
何故、ご近所のおばさん如き一般市民が、奴らの名前を知っている?
有田真喜子がしゃべったにしろ、【今をときめく】というのが気にかかる。
彼女から話を聞く以前より、奴らを知っていたような言い方ではないか。
Kがそれを尋ねると、谷岡は一瞬ポカンとした後、無精髭を引っ張った。
『ありゃあ……ご存じありませんでしたか?』
「なにをだ?」
尋ね返すKへ肩を竦めると、谷岡は答えた。
『あいつら、宇宙へ上がる前に宣言しています。全世界へ向けて。自分達の正体を明かすと同時に、宇宙人を必ず倒してくると』
「何だって!?」
予想外の返事に、Kは思わず立ち上がった。
思った以上に椅子が激しい音を立て、オペレーター達が驚いて彼を見る。
『世界放送だったんですが……あれ?もしかしてKは見てなかったんスか』
見ていなかったというと、Kが如何にもサボッているように聞こえる。
彼の沽券に関わるから、あえて言い訳をしておくと、ここ数日のKは交渉で忙しく、アストロ・ソールだけに構っていられなかったのだ。
奴らが全世界へ宣言を放った時、きっと彼は外惑星の者と謁見していたはずだ。
「……君は見ていたのか」
気を取り直し、Kは椅子へ腰掛け直しながら谷岡へ尋ねる。
『えぇ。堂々としたもんでしたよ』
「なら、教えて欲しかったな」
仏頂面のKを見て気持ちを推し量ったのか、谷岡は困ったように頭を掻いた。
『すいません。次からは気をつけます』
溜息をつき、Kは通信を打ち切った。
「もういい。では、引き続き奴らの住処を探してくれ」
向こうもホッと溜息をつき『了解です』の返事と共に、モニターが音を立てて消える。
次からは、か。
次もあると思っているところが、さすがは元日本人。危機感が足りない。
まぁ、しかし彼は彼なりに頑張っている。
部下を少数しか連れて行けず、制約も多い中で、情報を集めてくれているのだ。
谷岡はまだ、しばらく日本へ残しておこう。
その気になれば彼の首は、いつでも切ることができるのだから……
「K、アリアンより連絡です。アストロ・ソールの元メンバーと接触したと」
オペレーターの声に、物思いに沈んでいたKは現実へ引き戻される。
「元メンバー……誰だ?」
心当たりは全くなかった。
首を傾げる彼へ、オペレーターがアリアンからの報告を読み上げる。
「は、なんでもCソルの元パイロットだとか。モニターに映しますか?」
「頼む」
頷いた直後、大画面に金髪の少年が映し出される。
あちこち跳ねまくった元気の良いクセッ毛。
生意気そうな青い猫目は挑戦的に、こちらを睨んでいた。
「名はピート=クロニクル。スコットランドで保護したとのことです」
「保護?どういうことだ」
「彼はアストロ・ソールを脱走したんです。米軍では彼の身柄を探していたそうです」
各国の軍隊とアストロ・ソールは、近い関係柄にある。
ピートの脱走を早急に片付けるため、軍部へ話を通したとしてもおかしくはない。
それにしても、脱走か。
何があったか知らないが、アストロ・ソールというのも一枚岩ではないらしい。
「彼をこちらへ連れてこられるだろうか?」
「それは少し待っていただきたいとのこと。完璧に洗脳してから連れていくと、アリアンは言っています」
洗脳とは念の入ったことで。だが、彼女に任せておけば心配あるまい。
送られてきた機体のパイロットになる仲間が増えたというのは、心強いことだ。
「では、我々は引き続きアストロ・ソールの母艦を探すとしよう。クーガーを呼び戻せ。残り二機も出撃させて、地球から月間をくまなく探索する」
「はッ!」
すっかり余裕を取り戻したKへ敬礼すると、オペレーターはクーガーへ通信を取りつけた。

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