BREAK SOLE

∽53∽ ひとつの感情


月へ到着するまでの間、ソルは敵機が現れてから発進するように変更された。
要するに、先ほど襲われたのはソルが護衛機の周りに居たからでは?というのが博士の出した結論であった。
「まぁ、そういう楽観的な意見も必要よね。今のあたし達には」
素直に賛成と言えない年頃のヨーコが溜息をつき、ミリシアも苦笑する。
「そうですね。それに一戦闘終えた後ですし、私達にも休息が必要です」
「あんた、そんな華奢なコト言ってたらCソル降ろされちゃうわよ?」
冷やかし気味にツンとミリシアのおでこを突っつくと、ヨーコは廊下を走り出す。
「部屋に戻ってるから、用がある時は来てよね!」
ハイともイイエとも答える暇もなく、ヨーコはドアの向こうへ消えていった。
ちっとも笑えない冗談に、ミリシアは暗い溜息をつく。
「……ふぅ」
続いて舌打ちをしたように聞こえたのは、クレイの気のせいだったのかもしれない。
彼女はクレイが慰めてくれそうもないので諦めたか、自力で立ち直った。
「ああいう風に言われてしまうのも、私が実力不足なせいですよね。頑張ります」
『あぁ。連携練習ではピートより上手くいっていた。本番で出せれば上々だろう』
一応出遅れ気味に慰めると、クレイも廊下を早足に歩き出した。
その後を小走りに追いかけながら、ミリシアは彼に今後の予定を尋ねる。
「クレイさんも自室へ戻られるんですか?それでしたら、私と」
最後まで言わせず、クレイは早めに打ち込んでいた言葉で遮った。
『生活ブースへ行く。春名から先ほどの話の続きを聞いておきたい』
「先ほどの話って、声の主が、お祖父さんかもしれないという……?」
『そうだ』
「でも、声がお祖父さんに似ていたというだけで、それ以上の進展は」
ないんじゃないか。
ミリシアに言われるまでもなく、そんなことはクレイも重々判っている。
判っていても、尋ねておきたい事があるのだ。勿論、春名を問い詰める気はない。
大豪寺玄也の人となり、及び生活や趣向といった詳しい情報を聞いておきたい。
もし黒い機体のパイロットが玄也じゃないとしても、知っておくのは損ではないはずだ。

まぁ、もっとハッキリ言ってしまうと、玄也の話は二の次で。
クレイは春名に会いたかったのである。


生活ブースへ足を踏み入れた途端、部屋の空気が違うことに二人は気がついた。
どんよりというか、殺伐というか――
答えの鍵は、中央で睨み合うソールと猿山が握っているのであろう。
ソールの傍らには春名の姿もある。彼女は八の字眉で所在なく立っていた。
さっきからずっと喧々囂々怒鳴り散らしているのは、猿山のほう。
ソールは涼しい顔で、それを受け流している。
「いい加減、大豪寺から手を離せよ!困ってんだろ?大豪寺もッ」
春名の名を出され、クレイも春名へ目をやり、驚愕に目を剥いた。
なんとソールの手は、しっかりと春名の手を握りしめているではないかッ!
人が必死で戦っている間に春名へ手を出すとは、涼しい顔して図々しい。
ここに至って、初めてクレイはソールという男へ反感を抱いた。
殺意走った視線で睨まれた時は困惑したものの、それほど気にも留めなかったのだが。
「春名さんが困ったりするはずありませんよ、ねぇ春名さん?」
流し目で見下ろされ、春名は困ったように「え、えぇと……」と、どもっている。
「だから!そーゆー聞き方じゃ、大豪寺も答えられねぇっつってんだよ!」
猿山の的確なツッコミに、思わずクレイも頷いてしまう。
「卑怯だぞ、テメェ!!」
罵られてもソールは何処吹く風、何やら熱っぽい視線で春名を見つめるばかり。
「外野の言うことになど、耳を傾けてはいけませんよ。所詮、あれは貴女の心を射止められなかった負け犬の遠吠えです」
「え?さ、猿山くんは、そういうのじゃないよ……友達、だもん」
即座に答えた春名に、心なしか猿山はショックを受けた様子でブツブツぼやく。
「そ、そうだけど。友達だからこそ心配してるんじゃねーかっ」
まさに負け犬の遠吠え、そういったほうが正しい様子にも見えてきた。
例え春名に友達扱いされたとしても、気持ちの上では負けたくないものだ。
「そうそう!大体あんた、オペレーターだか何だか知らないけど!」
勢いを失った猿山と交代したのは秋子で、彼女も鼻息荒くソールに詰め寄る。
「何だって急に春名に馴れ馴れしくしてんのさッ」
するとソール、髪の毛をふわぁっと掻き上げて、秋子を見た。
いや、下等生物でも見るかのような哀れめいた視線で見下ろした。
「僕が春名さんに馴れ馴れしく?言いがかりもいいところです」
「してんじゃないッ、手ェつないだりして!」
カッとなった秋子が怒鳴るとソールは視線を秋子から春名へ移し、握った手へ力を込める。
いきなり力を込められて、「い、いたッ……」と春名が小さく悲鳴をあげた。
それに詫びるでもなく、ソールは真っ向から彼女を見つめて囁く。
「僕は春名さんに愛を告白された。だから僕と春名さんが結ばれるのは当然です。そうでしょう?春名さん」
「な」

「何だってェェ――――ッ!!?」

猿山だけではなく、その場にいた全員が驚いて叫んだ。
もちろんクレイだって例外ではない。違うのは、皆と一緒に叫ばなかったぐらいで。
「だっだっだっだ、誰が何にコクッたって言うのさ!テキトーこいてんじゃないよっ」
当の春名は真っ赤っか、秋子ですら真っ赤になってドモるのへ、ソールは平然と答える。
「地球の食堂で、春名さんは僕と約束してくれました。何があっても誰がなんと言おうと、私は貴方の味方だよ……と。つまり、それは春名さんが僕へ愛を誓ったという何よりの証拠なのです」
ねぇ春名さん?と促され、春名は慌てて首を振る。
「ち、違うよ!それは恋人になるって意味じゃなくて、友達になりたいっていう意味なの!」
だが、ソールには馬の念仏。
ほぅ……と悩ましげに溜息をつかれたあげく、せっかくの答えは否定された。
「ソラが言っていました。貴女は日本の大和撫子だそうですね」
「ハァ?」
ヤマトナデシコ、何それ?
長く日本に住んでいるが、そんな風に自分を例えられたのは初めてだ。
唖然とする春名へ、ソールは朗々と解説する。危険なほど熱っぽい瞳のオマケつきで。
「大和撫子は奥ゆかしい人が多いと聞きます。貴女もです、春名さん。男女の間に友情は存在しません。男女の友情は、すなわち恋の始まりなのです。春名さん、貴女は僕に恋をしている。それを貴女は自分で気づいていないだけですよ」
何という自意識過剰。
何という勘違い。
チョット優しく接されたというだけで、自分に気があるんだと勘違いしてしまう。
こういったケースは、一般にはモテない男性に多いとされる。
ソールのような美形青年でも、こういった勘違いを犯すとは。まさに新発見である。
嬉しくもない発見に、もはや春名は返す言葉も出てこない。
ポカンと大口を開け、間抜けな顔で彼を見た。
言い返せない春名をYesと取ったか、ソールは彼女を抱き寄せ耳元で囁いた。
「貴女は僕のものです、春名さん。僕も貴女のことを愛しています」
その言葉に、真っ先に我へ返ったのは猿山であった。
誰よりも早くソールの鼻っ柱へ拳骨を一発くれると、仰け反る彼へ怒鳴りつける。
くおらぁぁぁッッッ!!!てってって、てめぇ!大豪寺に何してやがんだぁぁ!」
出遅れた感に悔しさを滲ませながら、ようやくクレイも話の輪に割り込んだ。
『春名を困らせるな。オペレーターは操縦をしていればいい』
「……なら」
割り込んできたクレイへ憎しみの一瞥を向け、ソールは吐き捨てた。
「パイロットはソルの操縦だけをしていればいい。違いますか?」
流れる鼻血を、ぐいっと拳で拭い取ると、再び熱のこもった視線を春名へ向ける。
だが悲しいかな、春名の前には秋子と晃という名の二つの壁が出来ていた。
特に秋子は、視線すら春名の元へは届けまいと頑張っている。
晃は晃で恋愛音痴な彼だが、いかな恋愛音痴でもソールは異常に映ったらしい。
彼は落ち着いて言った。
「大豪寺さんは違うって言ってるんだし……落ち着いて考え直してみたら、どうだ?」
晃に諭され、誰に言うともなくソールは呟いた。
「そうですね……二人の愛には時間が必要なのかもしれません」
まだ判っていない。いや、全然判ろうともしていない。
呆れて溜息をつく晃へ、ソールは視線を向け、口元に笑みを浮かべた。
蔑むような笑みではない。さわやかに微笑んだ、そう言ってもいい笑みだ。
「貴方だけは、他の奴らとは違うようですね。いいでしょう。貴方に敬意を表して、一人で少し考えてみることにします。では」
意外な表情を向けられ、皆が怯んでいる間にソールは颯爽と部屋を出てゆく。
そして去り際、春名へ投げキッスを送るのも彼は忘れなかった。

「なぁーんなんでェ、あいつは!ったくー」
なおもプンスカ怒る猿山を、まぁまぁと宥めて晃は春名に問う。
「なんで、そんなことを言っちゃったんだ?」
「そんなことって?」
聞き返す春名へ「友達になる、なんてことをだよ」と、晃は溜息と共に付け加える。
「思い詰めるタイプだってこと、事前に判らなかったのか?」
「そ、そんなの!判るわけ、ないじゃないッ」
そう、判るわけがない。
何しろソールは本部を知らない連中にしてみれば、いきなり増えた仲間である。
宇宙へ発つ直前まで一度も話す機会がなかった相手の性格など、知る由もない。
ただ、本部の食堂入口で彼が呟いた一言。それが気になって。

――皆は僕を嫌っている――

そんな風にしか考えられないソールが、あまりにも寂しすぎる。
せめて自分だけでも友達になろうと決めた。
春名にとっては、それだけだったのだが……
「嗚呼、罪深きは優しさかな」
戸口で声がして皆が振り返れば、そこに立っていたのはリュウだった。
スタスタと大股に歩み寄ると、春名に向かって片目を閉じてみせる。
「春名ちゃん、あんたトップブリーダーになれるぜ。そこのクレイも含めて、男を手なずけるのが上手いこった」
春名よりも先に、秋子が口を尖らせる。
「ちょっと!変な言い方しないでよねっ。失礼じゃない、春名に!」
犬扱いされたクレイは、反論もしないで無言のまま直立不動を貫いている。
ちらっとクレイを見てから、春名は口ごもった。
「て、手なずけてるわけじゃないです……仲良くなりたいなって思っただけで」
クレイの時は、それ以上の下心があった。それは渋々ながらも認めよう。
しかしソールの時は本当に友達としてつきあいたいと、それしか考えていなかった。
あんな展開に持っていかれて、一番困惑しているのは春名自身だ。
さらに手なずけているなんて噂をまかれた日には、戦艦にいられなくなるかもしれない。
「あぁ、別に侮辱してるわけじゃねぇぜ?勘違いすんなよ」
ひらひらと手を振り、クレイの横へ立つと、リュウはニヤリと笑って皆を見渡す。
「モテそうでモテない野郎ほど、勘違いで懐く例があるって言いたかっただけさ。なーぁ、クレイ?お前も身に覚えがあるだろうが」
頬を指でグリグリされて、尚も無言で押し黙るクレイの代弁を晃が努める。
「クレイはモテるじゃないですか。まぁ、大豪寺さんが油断したのが一番悪いんですけど」
「油断?秋生くんは、誰かと仲良くなりたいって思うのが、よくないっていうの?」
ムッとして聞き咎める春名へ、ナンセンスとばかりに晃も肩を竦める。
「そうじゃなくて。今、白滝さんも言っただろ。モテない人ほど勘違いしやすいって。ソールは多分、友達が一人もいないんだよ。女の子の友達がね。そういうのに笑顔で微笑んだらさ、そりゃー勘違いもするって。ったく、大豪寺さんは鈍いんだからな。そういった男心に」
たとえ正論だったとしても、恋愛音痴な彼にだけは言われたくないものだ。
春名には男心が判らないと言うが、晃こそ判っているのか?女心というものが。
憤って尋ねようとして、ハッと自己解決した。
そういや晃は春名と違って、むやみやたらと他人へ声をかける奴ではなかった。
寂しい奴は寂しいまま放っておく。気の向いた時だけ、誰かの相手をする。
そういう意味では、彼は誰かと似ている。
もう一度、ちらっとクレイを見て、春名は、そっと溜息をつく。

人それぞれだし、そういう生き方もありだろう。
でも皆が皆、放っておいてしまったら、放っておかれた人は、どうなっちゃう?
寂しい人は、ずっと寂しいまんまだ。
仲間を寂しいまま放っておくのが、正しいなんて思えない。
皆が皆、隔てなく仲良くしてこそ、真に仲間だと言えるんじゃないだろうか。

考えはまとまっているというのに、怒りで頭はヒートビート。うまく言葉に出来そうもない。
自らの袋小路に追い詰められた春名を救ったのは、ミリシアの一言であった。
「でも……他人へ優しくできなくなったら、人としては、お終いです」
「そりゃあね。でも、今の場合は間違った優しさだったと思うよ」
肩を竦める晃へは首を振り、一言一言、噛みしめるようにミリシアは言う。
「ソールは物わかりの悪い人ではありません。春名さんが、きちんと話せば、彼はきっと気づいてくれます。自分の間違いに」
ね?と微笑まれ、春名は力強く頷いた。
きっと、さっきは狼狽えてしまって全力で否定したが為に、ソールの反感を買ったのだ。
ちゃんと順を追って説明すれば、彼も判ってくれるだろう。
そして、今度こそ友達として仲良くなれたらいいなぁ。
「じゃ、私、ソールくんと話してくるね!誤解が深まる前にっ」
最後の一言は、彼女の本心だったのかもしれない。
走って部屋を出る春名を追いかけようと、クレイも戸口へ行きかけるが――
「おぅ、金魚の糞。お前はココに残るんだ。春名ちゃんの邪魔をしちゃあいけねぇぜ」
リュウに腕を掴まれ、押し戻された。
キッと彼を睨みつけるクレイだが、元より威嚇が効くような相手ではない。
「お前も春名ちゃんのト・モ・ダ・チ、だろうが。ダチは信じてやらにゃーな」
友達の部分を、やけに強調された。
今まで散々恋人ではないと言った手前、修正するのも気恥ずかしくなりクレイは黙り込む。
「そ、そうっすね。おいクレイ、お前も俺と同じで大豪寺とは友達なんだから、こういう時は黙って見守るのが男ってもんだぞ!」
何故か、猿山まで勢いを取り戻して制してくる。
ここぞとばかりにミリシアまでもが戸口に立ちふさがって、邪魔をした。
「クレイさんが行けば、話がややこしくなります。ソールは……あの人は、クレイさんを、憎んでいますから……」
「え?」
聞き捨てならない独り言に、秋子が耳をそばだてる。
晃も聞いた。
「憎んでいるって、どうして?」
あっ、と弾かれたようにミリシアは体を震わせ、小さな声で答えた。
「あの……ソールは、ソルのパイロットになるべくして生まれた人だったんです。彼は、R博士の実の息子さんですから。この戦艦が考案された頃、生まれたとかで」
「え〜ッッ!?」
皆が綺麗にハモる中、リュウが話の続きを促す。
「なるほど、それでソールって名前なのか。で?なんで奴はパイロットから弾かれたんだ」
「彼の白い髪と赤い眼は、コンタクトでもなければ染めたわけでもありません」
それだけで何かを察したか、晃が叫んだ。
「そうか、やっぱり彼はアルビノだったんだ!」
「アルビノ?」
きょとんとして尋ね返す猿山へは、ミリシアが説明する。
「生まれつき、色素が欠乏している人を指しています。ソール……彼も生まれつき体が弱く、特に、視覚に障害があったそうです」
「なるほどねぇ。障害者ってんじゃソルには乗せらんねぇやな」
納得して頷くリュウへ、ミリシアも頷いた。
「彼は長らく自分の容姿と、弱い体を恨んでいたはずです。そしてドイツから来た青い髪の青年が、パイロットに選ばれました。彼と同じく、他人と違う外見を持つ人が……」
「でも、クレイは健常者だぞ?恨むにしたって、筋違いじゃないのか」
晃の疑問はもっともだが、ミリシアは悲しげに首を振ると、ぽつりと言い返した。
「それは私達から見た結果であって、ソールの下した判断ではないんです。ソールは自分が異常な外見だから……皆に嫌われていると思いこんでいるんです。なのに自分と同じく異常な外見を持つクレイは、皆に慕われている……そればかりか、ソルのパイロットにまで選ばれた!」
異常と連呼され、憤慨したように有樹が叫ぶ。
「異常って!髪の毛が、ちょっと青いだけじゃん!!真っ白い病気で生まれてきた奴と一緒にすんなよなっ」

だが、思い出して欲しい。
クレイと初めて出会った頃を。
あの時、僕達はどうした?
彼の青い髪を見て、叫んだじゃないか。宇宙人だ!――と。

「ソールだって好きでアルビノに生まれたわけじゃない。言い過ぎだぞ、筑間」
晃に窘められ有樹は口を尖らせるが、何も言い返さなかった。
「ミリシア、お前随分と詳しいな。その話、誰から聞いた?」
リュウが尋ねると、彼女は自嘲するかのように少しだけ口元を歪ませる。
「噂というのは広まるのが早いですから。私はアニュエラさんから、お聞きしました。……彼本人から聞いたわけではありません。噂話で、すみません」
スタッフ内では、割と有名な話だったのかもしれない。
Q博士の身近にいるクレイが知らなかったのは、単に彼が噂話に無頓着だからであろう。
「……じゃ、あたし達も、あいつに優しくしなきゃいけなかったのかな?」
ばつが悪そうに秋子は呟き、笹本もションボリと項垂れる。
「俺達、あいつに怒鳴っちゃったよな……今さら、許して貰えるかなぁ」
「大丈夫ですよ、それは。ただ」
「ただ?」
笹本が聞き返すのへ、ミリアンは口元に指を当てて頷く。
「今は、春名さんがお話ししているから。その後で、どうぞ」

ミリシアは、誠意を込めて話せばソールは判ってくれると言った。
しかしクレイには、どうしても、そうは思えなかった。
というのもクレイ自身、身に覚えがあるからだ。
春名が初めて声をかけてくれた時――
本人は覚えていないかもしれないが、諦めちゃダメと声をかけてくれた時。
嬉しかったのだ。本当に。
母親に励まされるというのは、こういうことなのかもしれないと思った。
それから、ずっと、彼女は自分に対して好意的に接してきた。
もしかして俺が彼女を好きなように、彼女も俺のことを好きなのでは?
そんな風に考えてドキドキしてしまい、眠れなくなった夜も何日かあった。

今のソールは、在りし日の自分とソックリ同じなのである。
それだけに、春名が言い聞かせたぐらいで大人しく言うことを聞くとは思えない。
春名が危険だ。
晃はソールへ友好的に接するのが春名の油断だと言っていたが、それは違う。
今、こうしてソールへ接近することこそが春名の油断だ。
リュウの手を振り払い、戸口を塞ぐミリシアを乱暴に押しのけ、クレイは廊下へ出た。
「きゃあ!」と叫んで転ぶミリシアを視界の隅に捉えたが、それどころではない。
「コラ!待てクレイ、てめぇ本気で金魚の糞に成り下がるつもりか!?」
リュウが背後で喚いたが、それすらもクレイの足を止めるには至らなかったようだ。
騒ぐ彼には目もくれず、クレイは全力で走り去ってしまった。
「ったく、あの馬鹿が。この時期で喧嘩ってな、内部分裂でもするつもりか?」
そうなりゃなったで、リュウにとっては好都合である。
そうなったら困る晃達は、見事に青ざめたのであった……

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