BREAK SOLE

∽50∽ いざ、星の海へ


地球に残された白銀の砦。
北極の海深くにアストロ・ソール本部は、あった。
打ち上げ基地は地上にあり、氷山で偽装された中に隠されている。
「よく今まで見つからなかったもんだなぁ」
素直な感想を述べる猿山に、ミリシアが笑いかける。
「北極までは宇宙船も攻めてきませんでしたから」
奴らは主に都心部、ビル街や大きな街ばかりを襲っていた。
だから北極や南極など人の少ない場所は、安全地帯と言ってもよい状況にあった。
「それに、本部の連中は用心深かったしね。買い出し一つにしたって、全部夜中にやっていたんだ」
デトラも言い添え、猿山の頭を乱暴に撫でる。
撫でられた猿山が目を白黒させているうちに、晃も会話に加わった。
「軍事施設は街の近くにある、という常識を覆した発想ですね」
「その通り。さしもの奴らも、我々が北極へ移動したのは把握できなかったようじゃ」
満足そうに頷くと、R博士は前方のスクリーンを指さした。

巨大戦艦ブレイク・ソールは、海底をゆっくりと進んでいた。
晃達は、そのパーツの一つ、司令ユニットの中に乗り込んでいるのである。
戦艦パーツは全部で五つあり、それぞれにオペレーターとスタッフが乗り込んでいる。
ただし、その中にクレイだけは居なかった。
彼は護衛機に搭乗し、戦艦パーツの側をつかず離れずついてくる。
あっちに乗りたかったなぁ、と窓の外を泳ぐAソルを眺めながら春名は溜息をついた。
もちろんそれは、クレイと一緒に海を眺めたかったという一個人の不満でしかなかった。

「見えてきたぞ。あれが儂らの本部じゃ」
博士の声で引き戻され、春名も前方スクリーンに目をやる。
ゆらゆらと水間に見えてきたのは、巨大な氷山――いや、違う。あれは氷ではない。
氷山かと思ったのは巨大な建物であった。
横に細長く広島支部と形は似ているが、大きさは広島支部など比較にもならない。
有雅致中学の校舎が三つぐらいは余裕で入りそうな規模の基地であった。
いくら海底にあるとはいえ、これだけの基地が、よく見つからずに済んでいたものである。
入口がゆっくりと開いていき、戦艦パーツは順に入っていった。


アストロ・ソール本部へ足を踏み入れた一同は、またしても感嘆の声を上げた。
潜水艦を降りた途端、目に入ったのは色彩豊かな花畑。
そして緑の草原であった。
空気も澄んでいる。
ここが鋼鉄で出来た建物の内部ということを一瞬忘れそうになる。
「これ、誰の趣味なんですか?」
晃がQ博士へ尋ねると、彼はニコニコと晃を見つめて言った。
「誰といったわけでもないんじゃがの。長く海底に沈むんじゃ、自然は大切じゃろ」
「長いこと海底で生活してるとさ、ホームシックになる奴も出てくるじゃない?そーゆー奴への対策として、緑を増やしたり、娯楽施設を作ってあったりするわけ」とは、ヨーコ。
彼女自身は、そういう娯楽施設を使ったことなどあるのだろうか。
――いや、ないだろうな。
晃は自分の脳裏に浮かんだ考えを即打ち消した。
初めて出会った時の態度からして、ヨーコは娯楽に逃げたりするような奴じゃない。
ましてや、ホームシックなど。彼女の性格を考えるに、ありえない。
不意に軽い足音が近づいてきて、皆がそちらへ視線をやると――
「シュミッド!会いたかったッ」
早い足取りで駆け寄ってきた少女が、手前の銀髪スタッフに飛びついた。
かなり丈の短いミニスカートを履いていて、ぱっちりとした青い大きな瞳。
あちこち跳ね上がった金髪はポニーテールでまとめあげ、背丈は晃よりも低かった。
やたら幼い外見に見えるが、彼女が上に羽織っているのは深緑のジャンパー。
ジャンパーこそは、彼女が正規スタッフだという証であった。
「お、おいおい。相変わらず元気だなァ、ミシェル」
飛びつかれたスタッフは皆の手前、戯けて見せている。
でも、この親密そうな雰囲気。どう見ても恋人だろう。妹って感じではない。
「ちょっと、シュミッド〜。あんた、ミシェルにまで手ェ出してたの?」
後ろからジト目で女性スタッフに睨まれ、銀髪の彼はしどろもどろになっている。
「あんたも、ほいほいついていかないの。こいつは狼よ?」
だが、少女は生意気にもベーッと舌をつきだした。
「ふーんだ!あたしとシュミッドは恋人なんですッ。おばさんには関係ないでしょ」
「な!なんですってェ、人が親切にしてあげてりゃあッ」
たちまち二つのキンキン声での喧嘩が始まり、修羅場を横目にQ博士が歩き出した。
「いつまでも此処で立ちんぼというのも何じゃし、お茶でも煎れようかの」
慌てて後を追いかけながら晃は尋ねる。
「あ、あれ、ほっといていいんですか?」
「いつものことじゃ。あやつ、支部では大人しくしておったんだがのぉ」
背後では男性の宥める声も聞こえたが、すぐにキンキン声と泣き声で打ち消される。
シュミッドは泣き出す少女と怒り狂う女性の間で立ち往生していた。
あれが、いつものことなのか。大人っていうのも、大変だなぁ。
「なーんだ、シュミッドって最低ヤローだったのね。がっかり〜」
横ではヨーコが辛辣な呟きを漏らしている。
もう一度、晃は三角関係の修羅場を振り返った。
ふむ、ヨーコはああいうのも好みなのか……てっきりクレイ一筋かと思っていたのに。

司令室の戸を開けると、眩しいライトと歓声が一行を襲った。
全てのスタッフが立ち上がり拍手を送る中、Q博士ご一行は司令室へ入っていく。
「お帰りなさい、博士。お茶は何がいいですか?ダージリン?それとも緑茶?」
白衣の美人がティカップとポットを手に、微笑んでくる。
「用意がいいのぅ。儂とクレイは珈琲、他の者は紅茶で頼む」
「お菓子はクッキーで宜しいですわね?アイラが焼いたんですのよ、これ」
「ほう。あの子も料理が出来るようになったか」
親しげに話しながらQ博士が椅子へ腰掛けるのを、春名達はポカンと眺めた。
が、後ろからスタッフに背中を押され、皆も恐る恐る空いた席へと腰掛ける。
「なーにやってんのよ。田舎者丸出し?恥ずかしいわねぇ」
既に腰掛けていたヨーコに茶化され、猿山は口を尖らせた。
「だってよォ。こんな風に歓迎されたことなんてねぇんだもん」
それに、この雰囲気。なんというアットホーム。
もっとキビキビした、緊迫感のある場所を予想していただけに拍子抜けだ。
「あ。すみません」
紅茶を渡され、春名も恐縮する。
白衣の美人は微笑むと、次々と紅茶や珈琲のカップを皆の前に置いていった。
全員分、渡し終えたところで自己紹介を始める。
「新しく入った皆様とは、はじめましてだったかしら?代理所長を務めておりました、シルフィール=カスタレイドと申します」
容姿も美しければ、名前も美しい。
猿山や有樹は、早くもポーッとなって見とれている。
皆が情けなくデレデレする中、女性の容姿には無頓着な晃が尋ねた。
彼にとって興味の対象とは美人助手ではなく本部の秘密、それだけなので。
「代理所長?そういえば、戦艦の船長は誰がやるんですか?やっぱりQ博士?」
「そういっぺんに質問されては、困りますわ」
シルフィに苦笑され、晃も頭を掻く。
何でもかんでも聞きたがるのは彼の悪い癖だ。
「私は、ただの代理でした。アストロ・ソールの総責任者はQ博士です」
彼女は視線でQ博士を示し、Q博士も黙って頷く。
「戦艦の艦長は――あそこにいますわ」
振り仰いだ視線の先を追って晃も見た。
皆と同じテーブルについて紅茶をすすっている、堅物そうな白人男性。
着ているのは深緑のジャンパーだ。
「えっ?」
そうすると、普通のスタッフが船長を務めるのか?
軽く困惑する晃へ、シルフィは微笑んで頷く。そういうことで正解らしい。
皆の視線を受け止めて、男性が立ち上がった。
「ドリクソン=ガン=フォーエンだ。あー……知っている奴は知っていると思うが、今回、ブレイク・ソールの艦長を任されている。だが事実上、我々のリーダーはQ博士だ。俺の事は飾りだと思ってくれ」
驚いたのは春名やヨーコばかりではない。
正スタッフまでもが声をあげている。
皆の間では浸透していない話題だったようだ。
司令室はざわめきに包まれ、Q博士が殊更大きな声で皆の混乱を遮った。
「飾りじゃないわい。ドリク、お前さんは皆を率いる管理者じゃぞ」
「お前の能力に一任したのじゃ。もっと自信を持つようにな」
R博士にも背を叩かれ、ドリクは頷いた。
「は、はい」
頷いたものの、彼の両手は忙しなく組まれ、解かれを繰り返している。
自信なさげに見えたのは、きっと晃の勘違いではなかろう……
「やれやれ。艦長がこれでは、航海にも不安が出てしまいますね」
コト、と紅茶のカップを置き、白髪の青年が肩を竦める。
なんていったっけ、ソールとかいう名前の奴だったか。オペレーターの一人だ。
皮肉ぶった素振りは、どことなくピートを思い出させる。出会ったばかりの頃の彼を。
「そういえば。ピートの完治は結局、間に合わなかったんですか?」
何気なく尋ねた優の一言に、場の空気が凍りつく。
「って、あれ?えっ?」
難しい顔で黙り込む博士やスタッフを見渡して、優も猿山も首を傾げた。
博士に代わって、ヨーコが告げる。
「ピートならパイロットを降格されたわよ。あんた達、知らなかったの?」
「えぇぇっ!?いつの間にッ?」
驚く有樹へ応えたのは、ミリシア。
ピートの代わりと称してCソルのパイロットになった女性だ。
「ピートくんは、フランスでの失態が元で戦力外通知を出されました。わたしはピートくんの代わりとしてヒロシマへ行きましたが、その時点でCソルパイロットの交代は済んでいたようなものですわ」
「で、ピートは?まだここで寝てんの?見舞いに行ってもいい?」
腰を浮かしかける猿山の肩を押さえ、シルフィは悲しげに首を振った。
「……ごめんなさい。ピートは、もう、ここには居ません。ですから」
「いないって、どうして?怪我は治ったんですか?」
子供達の疑問は留まることを知らず、今度は春名が尋ねてよこす。
スタッフと博士は困ったように顔を見合わせ、ついにU博士が真相を明かした。
「実は……ピートは現在、行方不明となっているのです」


休息のお茶タイムを終え、一同は個室へと通される。
宇宙へあがるのは翌日の朝。
朝十時きっかりに打ち上げを行うのだとか。
今日は移動で疲れているだろうから、ゆっくり休みなさいとの指示を受けた。
と言ったって、大半の者は艦に乗っていただけだから疲れるも何もない。
恐らくは、コンソールを操っていたオペレーターとクレイへの配慮だろう。
「それにしてもピートが行方不明だったなんてね」
ベッドへ腰掛け、有吉がテレビをつける。
画面に映るニュースキャスターを見ながら、美恵も頷いた。
「そんな重大なこと、教えてくれないなんて博士達も酷いよねぇ」
「重大だからこそ、あえて教えなかったって考えることも出来るけど」
なんて軽口を叩きながら、有吉は部屋をぐるりと見渡す。
深海という事もあって窓がないのは残念だが、それ以外の調度品は満点だ。
テレビに冷蔵庫は当然として、なんとゲーム機やオーディオコンポまで置いてある。
向こうに見えるドアはシャワーとトイレの部屋だと、先ほど確認した。
ベッドは一つしかないが、二人、いや三人は余裕で寝られるほどの大きさだ。
無駄に豪勢な部屋の作りに美恵は感激し、有吉は呆れた。
しかも、この部屋は有吉と美恵の二人だけ。
無駄な広さが余計に目についてしまう。
他の皆も、多少の違いはあれど似たような部屋に入った事であろう。
「一日しか泊まれないのが残念〜」
ぽわんぽわんとベッドの上で弾みをつけて、美恵が呟く。
柔らかいと思ったら、ウォーターベッドになっているらしい。
どこまでも凝った家具。これは一体、誰の趣味なんだか。
「そうね。どうせなら、もっと早くに本部へ来たかったわ」
とりあえず美恵に同意しておきながら、有吉は自分の鞄を手元へ引き寄せた。
おもむろに携帯を取り出すと、自宅へかけてみて、有吉は美恵を振り返った。
「やっぱり駄目」
「ん?何が、やっぱりなの」と尋ね返す彼女へ携帯を掲げてみせる。
携帯の液晶には圏外のマークすら出ていない。全くの無反応だ。
「外への連絡は、まだ無理みたい」
「そりゃ、海底だから電波も届かないんじゃないの?」
呆れる美恵へは肩を竦め、テレビを指さす。
「じゃ、どうしてテレビの電波は届いているのかしら」
「あ」
改めてテレビを見つめる美恵を横目に、有吉は呟いた。
「全世界に宇宙へ行くと宣言したから、もう出来るかと思ったんだけどね」


夕食も滞りなく終り、一同は再び、それぞれに割り当てられた部屋へ戻る。
シャワーの音を聞きながら、ソファーで足組みをしたリュウは話しかけた。
「で、通信解禁はいつからなんだ?全世界に宣言したんだろ?もうコソコソやらなくても済んだんじゃねぇのか?どうなんだ?Q博士から何か聞いてねぇのかよ。クレイ!」
目線はテレビへ釘付けだが、内容など、ろくすっぽ見ちゃいない。
彼は内心焦っていた。
広島支部では当然のように外部への連絡は取れず、ここでも何かの妨害が働いている。
このままでは宇宙へ出ても、外部通信が出来るかどうかは怪しいものだ。
早く、早くKと連絡を取らなければ――
と、思っているうちに明日は宇宙へ出る。連絡を取る暇もない。
シャワーの音に混ざって、クレイの声が返ってくる。
さすがに裸でいる時は、腕の通話機も外しているようだ。
「外部への通信は、宇宙に出た時点で解禁となります。しかし、リュウ兄さん。兄さんは誰と連絡を取りたいのですか?アリアンという少女とですか」
リュウが天涯孤独の身であることは、Q博士もクレイも昔から知っている。
ドイツの研究所に入る時、身元調査は一通り行われていた。
それだけにアリアンの存在は、二人には意表を突かれるものであった。
Q博士はリュウの参入を受け入れた。
だが、同時に彼を疑ってもいた。本人には内緒で監視をつけた。
広島支部にて、リュウが外部へ通信を取ろうとした件も報告されている。
通信先までは把握できなかったが、地球上のエリアではないという予測が出た。
それからだ。博士達のリュウへ対する疑いが増したのは。
それでもリュウが今まで追い出されなかったのは、ひとえにクレイのおかげだ。
彼はリュウが裏切り者やスパイだとは思いたくなかった。
昔の思い出もある。
リュウの、ロボット工学に対する情熱の深さも知っている。
何より、自分がリュウと一緒に居たい。
せっかく再会できたのだ。もう、二度と会えないとばかり思っていた相手と。
だからクレイは、彼にしては必死で、博士達に申し出たのであった。
彼の監視は自分がやる。
決定打が見つかるまではリュウを追放しないで欲しい――
「誰だっていいじゃねぇか。どうせ、通信内容は記録されるんだろ?」
「当然です」
シャワーのコックを締め、手早く体を拭きながらクレイは淡々と応える。
「外部へ秘密を漏らす者がいては、全体の志気にも支障が出ます」
深海での生活を終えたと思ったら、今度は長い宇宙空間での生活が始まるのだ。
閉鎖空間での生活に嫌気が差し、裏切りや逃亡を謀る者が出てきても、おかしくない。
そこで博士達は、宇宙での通信回路を開放することに決めた。
家族や恋人へ連絡を取っても構わない。ただし、内容は記録するという条件の下で。
「秘密?秘密ってのは、こっちが取る作戦のことか」
音もなく立ち上がり、リュウは素早くシャワー室のドアを開ける。
「そうです」と答え、振り向いた途端。クレイはリュウに抱きつかれた。
本能で腕を振り回した拍子に、嫌というほど拳がリュウの顔面を殴打する。
「ぐわ!」
潰れた蛙のような悲鳴をあげ、リュウはヨロヨロと壁に手をついた。
目の前がチカチカする。きっと目の辺りには、青あざが出来ているに違いない。
「ってぇなぁ、何すんだよクレイ。てめ、ちょっと見ない間に凶暴になりやがって」
クレイも驚いてしまったが、リュウの様子を見る限りじゃ謝る必要もなさそうだ。
「リュウ兄さんが悪いんです」
そらっとぼけて答えると、素肌の上にパイロットスーツを着込む。
直接肌に密着させたほうがソルとのシンクロ率もあがり、操作が滑らかになる。
そういった指南をクレイに教えてくれたのは、目の前で顔面を押さえている男であった。
クレイが年端もいかない幼児だった頃の話である。
「おう、感心感心。俺のアドバイスを覚えていたか」
「はい。ヨーコやピートにも教えておきました」
嬉しそうに答えるクレイの肩を軽く叩くと、リュウはニヤニヤ笑いを浮かべて言った。
「そいつぁいいねぇ。なら戦闘中は嬢ちゃんのソルへ同乗すっかな?転んだ拍子にベタベタ触りまくってやるぜぇ〜。胸とか腹とか尻をよォ!」
何かと思えば、セクハラが目的か。
ヨーコにちょっかいをかけようとは、怖い者知らずにも程がある。
やるのはリュウの勝手だが、それの尻ぬぐいまではクレイも面倒見きれない。
「追い出されても知りませんよ」
ふいっと視線を外し、クレイはシャワー室を出てゆく。追って、リュウも出てきた。
「なんだよ、お前には春名ちゃんがいるだろぉがぁ。それとも何か?ここの組織の女は、全部お前のお手つきか?アン?ヨーコ嬢ちゃんともデキてるってわけか?やるねぇ、このモテモテ男!」
訳のわからない妄想に幾分機嫌を損ねたか、クレイはそっぽを向いて応えた。
「俺は、シュミッドとは違います」
「シュミッド?あぁ、銀髪の修羅場野郎か。あいつもナカナカだが、お前のモテっぷりには勝てないと思うぞ、俺は。なんてったってヨーコに春名ちゃんにミリシア、それにアイザとミグもだろ。ミエだかヒトミだか、その辺のガキどもも、お前にメロメロだしよ。さすがは俺の見込んだ男、その勢いで全スタッフを萌え殺しだな!」
リュウの見立てでは、全ての女性スタッフがクレイの虜となっているようだ。
間違った噂を広められる前に歯止めをかけようと、クレイは彼を窘めた。
「アイザ博士はドリクソンの恋人だと、テリーから聞いています。それにミグは――」
少し、声のトーンを落として呟く。
「ミグは、俺を嫌っています」
大して気にもかけず、リュウは、なおも顎に手をやり一人納得している。
「あぁ?そうだったか?ありゃ俗に言うツンデレだと思うんだがな、俺は」
彼の軽口に延々つきあっていたら夜が明けてしまう。
残りの会話は全て返事もせずに聞き流し、クレイはベッドへ潜り込んだ。


翌日――
朝も早くから午前五時、全員館内放送によって叩き起こされる。
出発は十時だというのに随分と早い目覚ましに、猿山は文句を呟きながら部屋を出た。
廊下へ出た途端、晃や優とも鉢合わせ、おもむろに優が切り出してくる。
「おはよー。夕べは、よく眠れた?」
「まぁまぁかな」と余裕の返事な晃と比べて、猿山は眠そうだ。
ごしごしと瞼を擦りながら、彼は半分夢の中にいるような声で答えた。
「お前は、いつでもクールだよな。俺なんか興奮して眠れなかったぜ」
「僕だって興奮しているよ。ただ、眠れる時に眠れる体質ってだけさ」
晃が言い返し、隣で優も苦笑した。
「あたしも興奮しちゃって、あんまり眠ってないかもー」
それにさ、と優が言う。
「あのベッドもボヨボヨしてて寝にくかったっていうか」
「ウォーターベッドだっけ?あんなの初めて使ったよ」
俺も俺もと、しょうもないことで盛り上がった後、のんびりと食堂へ足を運ぶ。
「食事、九時までだよね。なんでこんなに早いのかなー、朝」
「そういやさぁ」
猿山が切り出した直後、ドアが開いて有吉と美恵が顔を出す。
「廊下が騒がしいと思ったら、やっぱり猿山くん達だったのね」
「あッは、二人部屋はどうだった?あたしは一人部屋だったから寂しかった〜」
優が言うのへ、晃と猿山は首を傾げる。
一人部屋だった?皆それぞれ二人ずつ部屋へ分けられたんじゃなかったのか。
現に猿山は笹本と、晃は有樹と相部屋であった。
ちなみに有樹は館内放送を聞くなり部屋を飛び出し、笹本はまだ寝ている。
「聞いてよ優、有吉さんってば意外と寝相が悪いの!」
さっそく美恵が愚痴り始め、その横で有吉は、さらっと呟いた。
「あら。誰かさんと違って歯ぎしりはしなかったから、いいじゃない」
「ちょっと!誰が歯ぎしりしたっていうのよッ」
猿山と晃の手前、美恵が慌てて突っ込むが、有吉は涼しい顔で素知らぬふり。
二人の喧噪に巻き込まれてはタマラナイ、とばかりに優も慌てて話題を逸らす。
「桜井さんと横田さんは、もう起きたのかな」
「え?桜井と横田が相部屋なのか?」
猿山に尋ねられ、きょとん、として優が頷く。
「そうだけど、それが何?」
「いや、だって、佐々木は一人部屋だったんだろ?一人、余らないか?」
やっと彼が何を言わんとしているのかが判り、優はポンと手を叩いた。
「あー、大豪寺さん?大豪寺さんは夕べ、ミカちゃんの部屋で寝たから」


「ハルナお姉様は本当に、ブルーとは恋人ではないのですか?」
八の字眉毛のミクに念を押され、春名は疲れ切った顔で頷いた。
「うん。昨日からずっと言ってるけど、本当に恋人じゃないから……」
夕べから、正確には夕飯が終り部屋へ誘われてからずっと、繰り返されてきた押し問答。
好奇心旺盛なミクとミカ、それにミグまでが一緒になって春名を尋問した。
質問内容は、もちろんクレイとの仲。
どこまで進んでいるのか、どこまでお互いに認識しているのか。
男女間の愛とは何であるのかまで質問され、春名は心底クタクタになってしまった。
「そうですかぁ……残念ですぅ」
残念がられたって、恋人ではないのだから仕方ない。
本音をいうと、恋人ですと言い切りたい気分が春名の心の中にはある。
しかし本当に恋人なのかと己を問い詰めてしまう疑問もあった。
何しろ、まず、クレイの態度が煮え切らない。
時々思い切った発言をする割には、春名へ恋人らしい態度の一つも取ってくれない。
次に問題なのは、彼を取り巻く環境だ。
クレイへ想いを寄せているのは春名だけではない。
ヨーコを筆頭に数多くの女性スタッフ。
それから、これは春名の勘だがミリシアもだ。彼女もクレイに想いを寄せている。
クレイと話す時だけ、ミリシアの瞳は異常な情熱に満ちていた。
この状態で、クレイの本心も判らないというのに、恋人宣言しようものなら。
ヨーコや女性スタッフから、春名が総スカンをくらうことだけは間違いなしだ。
誰だって、嫌われるよりは仲良くやっていきたいと願うものである。
春名もまた、皆から嫌われるぐらいなら、今のままでいいとさえ思うようになっていた。
「いいのですか?恋人宣言しておいたほうが、後々面倒もないと思いますが」
ミグが言い出し、春名は慌てて手をパタパタ振る。
「こういうのって、効率じゃないから!クレイの気持ちも考えてあげないと」
「ブルーの気持ち……ですか?春名の言うことは難しいですね」
さして難しいことを言ったわけでもないのに、ミグはやたら感心している。
「ですが、春名の発言には説得力があります」
「そ、そう?」
曖昧に笑顔を浮かべていると、反対方向から誰かが歩いてきて、入口で一緒になった。
「おはようございます」
丁寧に会釈したのは白髪の青年、ソールだ。
ミカは嫌そうに無言の挨拶をしたかと思えば、先に食堂へと駆け込んでしまった。
「あ!ミカちゃんっ。もう……ごめんなさい」
代わりに春名が謝ると、ソールは低く笑って首を振る。
「いえ。構いませんよ、僕は皆から嫌われていますから」
「え?そ、そんなこと」
ないですよ、と言いかけるも、そっと背中を押されて食堂へ入る。
「僕には判ります。僕はブルーより劣る。くちには出しませんが、皆そう思っています」
「え?ク、クレイ?」
再び春名が驚いているうちに、ソールは「失礼」と春名の横を通り抜けて席へと腰掛けた。

今のは、どういう意味なの……?
誰かと誰かを比べて、どっちが劣るなんてこと、皆が思っているだなんて。

「気にしないことです」
ハッとして春名が振り向けば、ミグはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「気にしないことです。ソールの発言は、殆どが彼の被害妄想ですから」
淡々として冷たい一言。彼を心配する暖かさなど、ひと欠片もない。
どうしようもなく胸が苦しくなり、春名は服の上から心臓を押さえる。
ソールとミグは仲間なのに。同じオペレーターだというのに、何故突き放すのか。
何故、誰一人として彼に救いの手を差し伸べてあげようとしないのか――
泣きそうになった瞼をグイッと拭うと、春名は決心を固めて頷いた。
一転して笑顔になると、ソールのいる席へと歩いていったのであった。


――これが、宇宙……――

漆黒の中を無数の星が煌めき、まるで夜の海を思わせる。
宇宙は星の海だ、なんて前にカタナが言っていたが、上手い例えだとヨーコは感心した。
十時きっかりに地球を飛び出したブレイク・ソールは、宇宙で無事にドッキングを終える。
今はソルの真横を静かに飛行していた。
全長、九百五十メートル。
こんな大きなものが宇宙を漂うことになるなんて。
地球に居た頃は想像もしなかった。
いや、宇宙へ出ることすら考えていなかった。
「Q博士には感謝しなくっちゃね」
小さく呟き、再び窓の外へ目をやった。
やはり不思議であった。こうして星の輝きを間近に見ていても。
一番最初の宇宙人、彼らは、どの星から地球へやってきたのか。一体どんな目的で?
今となっては知るよしもない。戦いは地球人側から仕掛けてしまったのだ。
地球の各都市を壊滅させても、宇宙人は戦いをやめようとしない。
壊滅か。壊滅が、最終目的なのか。それだけは、絶対にやらせてなるものか。
コクピットでヨーコが熱い闘志を燃やしていると、内部の通信機が激しく鳴り始める。
「何?敵が来たの!?」
怒鳴り返すと、通信機から聞こえてきたのは、あっけらかんとしたカリヤの声。
『おー。感度良好、バッチリだ。いや、敵機来襲じゃないんだけど。テストテスト』
どうやら単なる通信テストだった模様。
思わずズッコケつつも、ツッコミを入れるのだけは忘れないヨーコであった。
「ちょッ、あんたねぇ!ただのテストなら、ンな激しく鳴らす必要ないでしょーがッ!」
『や、激しく鳴らしたほうがソレっぽいかなっと思って』
何がソレっぽいというのやら。この南米男は相変わらずのマイペースである。
「ったく。どこに行っても、あんたはあんたなのね」
『ハハハ』
「馬鹿笑いしてないで。さっさと切りなさいよ、エネルギーの無駄だわ!」
怒鳴りつけると、『悪い悪い』と誠意を感じない謝罪を残して通信は切れた。
「ったくもう。あのバカは、どっかの個室に隔離して……!」
独り言が途中で途切れる。
ハッとなり、ヨーコは今し方切れたばかりの通信スイッチをオンにした。
「ちょっと!敵が来たわよ、皆、戦闘準備に入って!!」

レーダーには一点の反応もない。
だがヨーコの勘は、確実に敵の接近を感じ取っていた――

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