BREAK SOLE

∽47∽ 心の、もやもや


Q博士の朝は早い。
そして一度も、穏やかな朝を迎えたことはないのだ。
今日も博士を叩き起こしたのは、やかましい電話のベルであった。
寝ぼけ眼で受話器を取る。壁にかかった時計の針は、朝の四時を指していた。
「んー。なんじゃねR博士。眠いんじゃが」
ほげほげ答えていると、受話器の向こうで怒鳴られる。
『寝ぼけてる場合か!緊急事態発生じゃッ。緊急会議を開く、すぐ会議室へ来てくれ』
言うだけ言って、電話はさっさと切れた。
仕方なく、Q博士は身を起こす。
ばさっとパジャマを脱ぎ捨て白衣を羽織ると、顔も洗わずに部屋を飛び出した。

会議室には、既にいつものメンバーが集まっている。
T博士、R博士、U博士にクレイやヨーコといったパイロットの面々。
それからミグやデトラなど戦艦オペレーターの姿もあった。
「今度は何が起きたのかね?」
Q博士が尋ねると、答えたのはU博士。
口調は落ち着いていたが、U博士の顔は青ざめ、今にも倒れそうであった。
「非常事態です。ピートが本部を脱走したようです。先ほど本部より連絡が」
「脱走?どうやって」
本部も、ここと同じく海底に沈む基地である。
潜水艦でも使わない限り、逃げ出すことも叶わないはずなのだが……
「あやつ、兄貴の手を借りて脱走しよった。正確には兄貴を脅迫して、じゃな」
T博士が吐き捨て、きょとんとするクレイ達へはR博士が説明した。
ピートの兄は本部で潜水艦の整備スタッフをやっているのだと。
「家族が揃ってるってのも厄介よねぇ。団結して反旗を翻すかもしれないんだもの」
寝ぼけ眼でヨーコが呟き、大あくびをする。
「ま、ピートみたいなやつは反逆する根性もなさそうだけど」
T博士は彼女を睨み、軽く首を振った。
「あいつの兄にしたって、そうじゃ。反逆するような奴ではない。二人とも優れたサイキッカーだ。だからこそ、スカウトしたのだがな」
サイキックとは超能力のことである。サイキッカー、つまりは超能力者だ。
クロニクル兄弟は超能力者としての潜在能力が高かった。
兄のトールは気が優しく、それでいて破壊能力は凄まじいらしい。
弟のピートの能力は、まだ開花していなかった。
だが博士曰く、彼の潜在能力――こと、念動力に関してはクレイ以上の素質があるのだとか。
二人は期待されていた。
一人はパイロットとして。もう一人は、予備のオペレーターとして。
その二人が逃げたとなると、アストロ・ソールとしても穏やかではいられない。
見つけ出して説得するか、或いは記憶を書き換え、全ての情報を忘れさせなければ。
「じゃが潜水艦で逃げたとしても、どこへ行くつもりじゃ?あやつらの家は、とっくになくなっておる。受け入れてくれる国もあるまい」
「潜水艦は、既に回収済みです」と、青い顔でU博士が答える。
本部からの報告は、まだ終わっていなかったようだ。
「発見されたのはロシア海域の底……海の底に、あったそうです。また、海岸沿いにボートが漂流しているのを、地元の人が見つけたそうです。彼らは潜水艦を乗り捨て、水中を泳ぎ、ボートに乗り換え上陸したものと思われます。今、本部の連中が近辺を探索中とのことです」
「失踪したのは、クロニクル兄弟だけかね?」
Q博士が尋ねると、U博士は頷いた。
「潜水艦を回収した際、共に乗り込んでいたスタッフも連れ戻されています。今ごろは、本部で尋問が行われていると思いますが……」
しかし、こうも容易く脱走されるとは、考えてもみなかった事態である。
皆、強い志を持って集まった連中だ。
宇宙人を地球から追い出し、命にかえても地球を守ると決心した者達なのだ。
その彼らが、どうして、何故。クロニクル兄弟の脱走を手伝った理由とは一体何だ?
「……ピートの能力が開花したのかもしれん」
ぽつりとR博士が呟く。
「ピートの能力?ただの念動力じゃないのかい」
聞き返すデトラへは否定の意味を込めて首を振り、R博士は続けた。
「あいつの力は機械を動かすだけじゃない。人をも意のままに操れる強力な念動力じゃ」
「そんな!」
ヨーコが叫び、デトラも喚いた。
「それじゃ、神じゃないか!」
「使いこなせれば、な。使いこなせぬからこそ、使い方を他人が教え、導いてやる。だからピートは神になれず、人のままでいられる」
Q博士が言うのに、R博士も合わせる。
「誰かがピートへ悪知恵を入れ込んだか?」
「入れ込めるとすれば、トールの他は、あるまい。一番身近なピートの味方じゃからの」
二人の会話を聞きながら、T博士は天井を仰いだ。
「しかし、何故あいつらは脱走など……戦いに疲れてしまいおったのか」
「根性のない奴でしたからねぇ」
しみじみとヨーコが頷き、皆もシンとなる。
静けさを破ったのは、クレイの電子音声であった。

『それは、違うと思います』

「違う?何が違うというのじゃ」
見れば、クレイの横でミグも頷いていた。
聞き返すQ博士、及び全員へ向けてクレイは言った。
『ピートは現状に不満を持ち、脱走という手段に及んだだけだと思われます』
ちら、とミリシアを一瞥し、さらに彼は言う。
『Cソルのパイロットはピートです。他の誰にも彼の代わりは務まりません』
「ちょ、ちょっと!」
慌ててヨーコが遮ろうとし、ミリシアも絶望に瞳を潤ませる。
「わたしじゃ……無理だとおっしゃるのですね?ひどいわ、クレイさん……」
無感情な声がミリシアの糾弾を遮った。
「無理、不可能という問題ではないのです」
ミグが、まっすぐミリシアを見つめている。
彼女が呆然とする様子を見据えてから、視線をR博士へと移した。
淡々と、だが反論を許さぬ口調でミグは続ける。
「Cソルのパイロットがピートに決まった瞬間から、Cソルは彼の手足となりました。誰にも彼の手足を、もぎ取る権利はないのです。なのにR博士。あなたは勝手に、もぎ取ってしまった。ピートが怒るのは当然です」
『ピートはパイロットとして選ばれた自分に誇りを持っていました。パイロットを降ろされるというのは、彼にとっては何よりも耐え難い屈辱です』
言い終えるとミグは黙り込み、クレイも目を伏せた。
『俺もピートと同じ扱いを受けたならば……ここを、出て行くと思います』
「それはいかん!」と、怒鳴ったのはQ博士。
まともに顔色をかえクレイの腕にすがりつくと、宥めるように彼を見つめた。
「クレイ、お前が出ていってしまったら、誰が地球の未来を守るんじゃ!?後生だから、そんなことを言わないでおくれ」
途端に、小さな溜息。ミグがついたものだ。
「ブルーは、もし受けたならば、と言っています。たとえ話ですよ。まだ受けていませんから、出て行きもしません」
クレイも頷き、真摯な眼差しでQ博士を見つめ返す。
『パイロットの変更を取りやめて下さい。ピートがいつでも戻ってこられるように』
「うぅむ」
Q博士は唸った。
「じゃが、本人不在の今はミリシアに頼るしかないぞ」
「Cソルが戻ってきたら、ピートも戻ってくるんじゃないですか?」
希望的観測をヨーコがくちにし、デトラも肩をすくめる。
「Cソルはパイロット同様オシャカだしね。決定するのが早すぎたんじゃないか?」
博士達は顔を見合わせ、苦笑する。
確かに、そうかもしれない。
Cソルは大破しているのだ。パイロットを替えたところで出撃は出来ない。
フランスでの戦闘結果から判断し、博士達はピートをパイロットから降格させた。
だが、それは彼の怪我が治り、ここへ戻ってきてから伝えても良かったのではないか。
大怪我で名誉挽回を焦っているところへ、失望のニュース。
もう裏切ってくれと言わんばかりのタイミングであったかもしれない。
「……しかし、お前達に教えられるとはな」と言って、T博士はミグとクレイに目をやる。
「お前達はピートを嫌っているものかと思っていたが」
すかさずミグが「嫌っているのは、ピートが私達を、です」と訂正し、クレイも頷いた。
『俺達にとって、ピートは大事な仲間です。共に地球を守るための』


話が一段落ついたところで、R博士が切り出してくる。
「それはそれとしてだな。残りのオペレーター達も、こちらへやってくるそうだ」
「ほぅ」
受け応えたのは、Q博士。
「脱走したピートの探索も兼ねて、か?」
「まぁ、そういったところだ。本命は完成間近の戦艦だがな」
R博士はサラリと受け流し、ミカとミクの前まで歩いてくる。
きょとん、と見上げる二人へ優しく諭した。
「本部で待機していた連中が、全員こちらへ来る。仲良くするんじゃぞ」
「大丈夫ですわ」
トン、と胸を叩いてミクは元気いっぱいに答える。
「大船に乗ったつもりで居て下さいませ」
反対に暗く重く沈んだ声で、さも残念そうに答えたのはミカ。
「……来るのですか、ティカとソールが。一生来なくていいですのに」
「な、なによ?その反応」
正反対な姉妹に、却ってヨーコのほうが動揺している。
「あぁ。あんたはまだ、他の奴らとは顔見せしてないんだね?」と、デトラ。
ヨーコが素直に頷くのを見て、彼女はニヤッと笑った。
「……会わないほうがいいかもねェ。ティカとソラは可愛いんだが、ソールは一筋縄じゃいかない野郎だよ」
そうは言っても同じ場所で働く以上、会わないわけにもいくまい。
ヨーコは、ミカとデトラに嫌われているソールという人物が少し気になった。
「ねぇ博士。ソールって人は、皆に嫌われているんですか?」
直球な彼女の質問に、T博士は曖昧に笑ってみせると小さな声で答えた。
「ソールは気むずかしい奴でな。本部に居た頃は皆、苦労しておったもんじゃ」


緊急会議も終わり、それぞれの持ち場へ戻る途中。
ミリシアに引き留められ、クレイは会議室に残っていた。
ヨーコがしきりに急かしてきたが、彼女はミリシアの涙に負けて退散する。
ミリシア=パプリコ。クレイは彼女が苦手であった。
何がどう、と言われると明確な答えは出せないのだが……
ヨーコや春名とも違う彼女特有の話し方が、どうにも鼻につく。
話し方は丁寧なれど、彼女の口調には媚びを売るような気持ちの悪さがあった。
べったりとまとわりつく馴れ馴れしさ。
少しでも冷たくすると、恨みがましい目で睨んでくる。
好意を持たれているようではあるが、鬱陶しいので、いい気はしない。
ヨーコがベタベタしてくるのとは、雰囲気が違う。
どちらかといえばネガティブな雰囲気を、ミリシアは持っていた。
Cソルのパイロットはピートしかいない。
先ほどそう断言したが、実際それほどピートを信頼している訳ではない。
ミリシアよりはピートのほうが好感を持てる、というのがクレイの本音であった。
「先ほどのお話ですけれど」
彼女の前置きを聞き、内心はうんざりしながらクレイは無表情に遮った。
『Cソルのパイロットは最終選考でピートに決定した』
「えぇ、判っております。ですからクレイさんは、けして、わたしが実力不足だと言いたかったわけではありませんよね?」
よね?と語尾をあげながら、ノーと言わせぬ力強さを言葉の端々に秘めている。
実際そうではないから、クレイも素直に頷いた。
すると途端にミリシアは笑顔で輝き、クレイへ身をすり寄せる。
「わぁ、よかった!そうだよって言われたら、どうしようかと思っちゃった」
ぴったり胸を押しつけてから、慌てて身を離す。
「キャッ。ご、ごめんなさい。わたしったら、つい興奮しちゃって」
動作一つ一つが実にわざとらしく、クレイは白けた気分になる。
これならヨーコの直球なお色気攻撃のほうが、百倍はマシとさえ思えてきた。
もっと嬉しいのは、春名が見せる優しさだが……
クレイとて成年男子。
女性に対する興味は持ち合わせているし、恋愛感情にしても理解しているつもりだ。
ただ、興味の対象はミリシアやヨーコではなく春名一点に絞られていた。
『話はそれだけか?』
つっけんどんに返すと、ミリシアは少し表情を曇らせる。
「それだけですけれど……もう少しお話につきあって下さっても、いいじゃありませんか」
いや、少しなんてもんじゃない。
すでに涙は両目にスタンバイ、いつでも泣ける状況だ。
「それともクレイさんは、わたしとおしゃべりするのも、お嫌なのですか?」
うるうると瞳を潤ませて、上目遣いに見上げてくる。
春名にこれをやられたら速攻折れているところだが、相手は所詮ミリシアだ。
クレイは無表情に突き放した。
『先に行く。自室へ戻る』
さっさと歩き出すと、背後から聞こえてきたのは、かすかな嗚咽。
普通の男ならUターンして慰めてしまいたくなるような、か細い泣き声であった。
構わずドアノブへ手をかけると、力を入れないうちにドアが開く。
「ヒュウ、お邪魔しちまったか?いやぁモテモテだなぁ〜クレイちゃんよ」
入ってきたのはリュウだった。
不意に背後の泣き声がやんだ気がして、クレイは素早く視線を向ける。
チラ見ではあるが、険悪な表情のミリシアが目に入った。
普段はふわふわとして頼りない、といった顔をしている時が多い彼女だが――
リュウが入ってきた直後のミリシアは鬼女、そう表現しても差し支えない顔をしていた。
だが、それも一瞬のことで、再びミリシアは涙をこぼし、リュウを上目遣いに見つめる。
「いいえ。お邪魔なのは……わたしです。失礼しますッ」
キラキラと涙をこぼしながら、リュウとすれ違うように部屋を出ていく。
何から何まで彼女の仕草は完璧なほど芝居がかっていて、同情する気も起こらない。
しかし、そう思っているのはクレイだけで、リュウは憐憫の目で彼女の背を追った。
「フッちまったのか?何が不満だってんだ。可愛いじゃねぇか、あの子。俺ならソッコーいただいちまってるがね。あ?もしかして襲ったのか?ん?それでフラれたってか?違うか?どうなんだ、そこんとこ」
『振っても振られてもいません。会話のキャッチボールを失敗しただけです』
「キャッチボールならぬデッドボールか。いや、打ち返してファールボールか?」
首を傾げるリュウを背に、クレイも部屋を出る。
「おいこら待て、俺の話はまだ終わっちゃいねぇぞ。逃げるな、コラ」
追いかけるリュウへ、彼は振り向いた。
いつもの鉄仮面は崩し、口元に僅かながらの笑みを浮かべて。
『助かりました』
「あン?なにが」
きょとんとするリュウへ、クレイは照れくさそうに囁く。
『ちょうどいいタイミングで入ってきてくれたので、彼女から逃げることができました』
「あ?嫌いなのか?ああいう女は」
リュウ兄さんは、きっとミリシアみたいな女性でも好きになるだろう。
首から下が女性なら何でもOKだ、などという冗談をよく放つ人だから。
「泣き虫ってのは案外可愛いんだぜ?泣いてる時に押し倒しても抵抗しねぇからな」
今も悪人みたいな事を言っている。どこまで本気なのか、判ったもんじゃない。
『嫌いではありませんが、好きでもありません』
簡潔に答えると、次なる追求が来るよりも前にエレベーターへ近づき、さっさと乗り込んだ。
リュウが扉の向こうで何か騒いでいたようだが、聞こえないふりをした。

春名に会いたい。

足は自室へ向かいながらも、クレイの脳裏に浮かぶのは春名の笑顔ばかり。
三階へ到着した後も彼は考え込んでいたが、やがて顔をあげ、二階のボタンを押す。
今ならまだ、食堂で働く春名に会える。彼女に会えば、この嫌な気分も晴れるはずだ。
二階へつくや否や、クレイは走ってエレベーターを飛び出した。

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