BREAK SOLE

∽46∽ 疑惑


その日、仕事が終わった後も春名は一人、食堂の厨房で頑張っていた。
何をしているのかというと、例によって例の如く、夜間働いている皆のために夜食を作っているのである。
護衛機も戻ってきた――三台ともに修理中だが――事で、戦艦製造のピッチも上がる。
そういった話を昼、食堂で猿山から聞かされた。
生活班に分けられた助スタッフは、どんなに遅くても仕事が深夜に及ぶことはない。
夕飯は七時から十時までと決まっているし、片付けを含めても十二時までには終わる。
だから深夜零時を回った今、生活班メンバーで起きているのは春名ぐらいなものであった。
「よし。できた!」
テーブルにずらりと並べられたピクニックバスケットを見渡して、彼女は満足そうに呟く。
バスケットの中には、弁当箱と水筒、そして食器類が収まっている。
スタッフの人数分が用意されていた。
これをワゴンに乗せて、格納庫から戦艦ブースまで全部、一人で回ろうというのだ。
誰かに手伝って貰うのは、もちろん一番最初に考えた。
だが秋子は作業班に分けられているし、瞳は未だ家事に慣れているとは言い難く。
毎日の食器洗いだけでも疲労困憊な彼女に頼むのは、気の毒とさえ思えた。
じゃあ、恵子と晃は?
残念。恵子は夜に弱く、晃は肉体労働に向いていない。
幼少の頃から勉強一筋で生きてきた晃は、春名から見ても脆弱な男であった。
なにしろ、ちょっと走っただけでも、すぐ真っ青になってしまうのだ。
荷物の乗ったワゴンを押して一人ずつに配り歩くなんて重労働は、させられない。
――などと本人の前で言ったら、晃は怒るかもしれないが。
恵子はもう、すでに眠っている時間だろう。彼女の瞼は九時頃から落ち始めるので。
考えた結果、春名は一人で回ることにしたのであった。
荷物は多いが大丈夫。エレベーターを使えば移動は楽だし、回る場所は一階だけだ。


「なぁ、どう思う?」
バーナーや金槌、クレーンの音が騒がしい戦艦製造ブースにて。
コンソールを戦艦へ組み立む作業中のシュミッドは、仲間の一人に尋ねられた。
「どうって、何が?」と尋ね返すと、間髪入れず彼は答えた。
「新しく入ってきた奴だよ。シラタキとかいう」
「あぁ」
スタッフ会議の時、顔合わせをさせられた人物を脳裏に浮かべる。
研究者だと紹介されたが、白滝竜はレスラーかラグビー選手と見間違うほどの大男で髪はバッサバサ、無精髭は生やしっぱなし。
生意気そうな面構えで、室内だと言うのにサングラスをかけていた。
あのセンスじゃモテそうもないな、とシュミッドは肩をすくめたものだ。
……ま、余計なお世話だが。
コンソール球を戦艦コントロールに接合しながら、シュミッドは答えた。
「いいんじゃねぇの?Q博士のトコで働いてたっていうし」
「けどよ、なんか、あいつ、怪しくねぇ?」
シュミッドに話しかけてきたスタッフ、名はケインというのだが、彼は首を捻った。
白滝竜の身元は、はっきりしている。
彼はQ博士の推薦による加入だ。ふらっとやってきて、いきなり加わったわけではない。
Q博士が以前所有していた、ドイツにあった研究所に勤めていた人間だ。
このことはQ博士自身からも聞いたし、本人もそう言っていた。
ちなみに研究所を出た後は、ずっとアメリカ軍に在籍していたらしい。
アメリカ軍へ問い合わせれば、すぐに答えはでるだろう。
何を訝しむ必要があるのか。
「怪しいって何が?」と、一応シュミッドは話を振ってやる。
するとケインは声を潜めて、彼の耳元へ囁いたのであった。
「……あいつ、ホモくさくねぇ?」
一瞬ぽかんとしたシュミッドは、すぐに失笑で彼を窘める。
「ハ!何を言い出すかと思えば。怪しいって、そっちの趣味の話かよ?」
何かと思えば馬鹿馬鹿しい。
てっきりQ博士を信用していないのかと思ったじゃないか。
「人の性癖にケチつけるのは、野暮ってもんだぜ」
日頃他人から女癖の悪さを言われている彼だけに、切実な意見だ。
「だってよ」とケインは口を尖らせ、まだ言い足りなさそうな顔をする。
「あいつ、ブルーにベタベタしすぎじゃねぇ?あれ、絶対ホモだぜ。そんな気がする」
「そんな気ってだけでホモ扱いすんなって」
人づてで聞いた話によると、白滝はブルー=クレイの兄貴分にあたる人間らしい。
Q博士の次に懐いていた人物だというのだから、そうとう仲は良かったのだろう。
その友好関係が続いていたとしても、なんら問題ない。
「俺も気をつけなきゃな。ちょっと仲良くしただけでホモ扱いされちゃかなわねぇ」
ちょっと嫌味っぽく言ってやると、ケインはそれっきり黙ってしまった。
やれやれ。
要はこいつ、白滝に嫉妬してるんじゃないか?
Q博士に贔屓されブルー=クレイにも懐かれている新入り、だものな。
博士の贔屓はともかく、あのブルーと仲良しというのは、すごい快挙だ。
十年近く彼を見守っているスタッフだって、彼と仲良しな人間は、そうそういない。
年季の長いアイザ女史だって、そうだ。
彼女が訓練以外でブルーと仲良くしている場面など、一度も見た覚えがない。
と言っても、アイザが冷たい人間なのではない。
ブルーには何か、他人を寄せ付けない見えない壁のようなものが存在しているのだ。
Q博士は彼に通話機を渡したが、それで壁が崩壊するかと思えば、そういうこともなく。
多くのスタッフとブルーの間には、今もまだ見えない壁が存在し続けている。
「おーい、皆!仕事は一旦休憩にしろ、夜食が来たぞー!」
誰かが騒いでいる。鼻孔をつく香りは、夜食が届いたという何よりの証拠であった。
物思いに手を休めていたシュミッドも立ち上がり、ワゴンのほうへ向かった。


「助スタッフー!サル、じゃなかったサルヤマ、レンチ取ってきてくれ〜」
夜食タイムも終り、ブースは再び騒がしくなる。
工具箱をひったくって戻る途中、猿山は誰かに呼ばれて足を止めた。
振り返れば、そこにいたのは金髪の麗しい美人。確か名前はミリシアだったっけ?
ピートの代わりに召集されたCソルのパイロットだ。
現在Cソルは本部で修理中だというのに、何故、代役が呼ばれたのかは判らない。
「サルヤマくん、でしたよね?ちょっとお話が」
にこやかに微笑みかけてくる。
「何?俺、今急いでんだけど」
そう言いつつも、立ち止まってしまうのが猿山の良いところだ。
彼女は人目を憚るように周囲を素早く見渡し、彼に囁いた。
「ここでは少し……」
向こうへ行って話しましょう。そう言って、猿山の腕を取る。
背は猿山より少し低い。見上げられ、猿山は思わず頷いていた。
レンチを届けるのは、後でもいいだろう。

ミリシアにつれられて入ったのは、無人の会議室。
【空室】のプレートを裏返し、【在室】としてから二人は中へ入る。
「今の時間、パイロットは訓練休みなの?」
猿山は思わず聞いてから、腕が掴まれっぱなしなことに気づいて顔を赤らめた。
胸の膨らみが押しつけられている……結構、大きい。
下心満載な猿山に気づいているのかいないのか、ミリシアは彼の腕を掴んだまま答えた。
「えぇ。それより、お願いがあるんです。いきなりでぶしつけだと思われるでしょうが聞いて下さい」
なにやら猿山を見上げる目に、切迫したものが見受けられる。
難しいお願い事でなければいいなぁ、と思いつつ猿山は受け応えた。
「えぇと……何?」
「お願いです。サルヤマさん、ハルナさんとつきあって下さい!」
理解するまで数分を要したが、猿山の口からは「え?」とだけ声が漏れる。
数分待たせた割には、気の利かない言葉だ。すぐに猿山は慌てて付け加えた。
「ハルナちゃ、いや、大豪寺とつきあえって、何で?何で、俺が?」
そりゃ、つきあえるものなら喜んでつきあいたい。ミリシアに言われずとも。
しかし何故、ミリシアに言われなければいけないのか。それも突然。
はっきり断っておくが、猿山が彼女と一対一で話したのは今日が初めてである。
そのミリシアに何故突然、春名とつきあえなどと言われなくてはならないのか。
そこまで考えて、猿山はピンときた。理由なんて、これしかなさそうだ。
「もしかして、クレイか?君、クレイとつきあいたいんだろ?」
言った途端、ミリシアの頬が可愛らしく紅色に染まる。
ビンゴだ。
彼女は口元に拳をあて、モジモジしながら答えた。
「そ、そうです……あの、候補生として、お会いしたときからずっと……なのに、久しぶりに会えたと思ったら、あの人の側にはもう……」
言葉に詰まり、目元には涙を浮かべる。
ミリシアは俯き加減なので、もろに胸の谷間が見えてしまう。
猿山は視線を逸らしつつ、彼女を慰めた。
「心配しなくても大丈夫だろ。あの二人、つきあってるわけじゃなさそうだし」
「嘘!」
だがミリシアは激しく否定し、ぽろぽろと泣き出してしまう。
「サルヤマさんは、あれを見ていないから、そんなことが言えるんです」
「な、何を見たんだ!?」
つられて猿山も動揺し、尋ね返す。
すると顔を覆った両手の隙間から猿山を見つめて、彼女は、こう答えてよこした。
「だって、見てしまったんです……わたし。あの二人がキスするところを」


「ベェーックショイ!」
格納庫にリュウのくしゃみが響き渡り、近くで作業していた連中がくすくすと忍び笑う。
ここ格納庫でも作業に忙しく走り回るスタッフ達の姿はあった。
破壊されたAソル、そしてBソルの修理を急ピッチで行っているのである。
戦艦製造もさることながら、ソルの修理こそ第一に急がねばならなかった。
いつ宇宙人が攻めてくるとも限らないというのに、出撃できる足がないのでは始まらない。
ちなみに、Cソルは此処にはない。アストロ・ソール本部のドッグへ運び込まれた。
ソルと共に重傷を負ったパイロットのピートも一緒に送還されたという。
今ごろソルは修復作業の真っ最中、ピートは本部の医療室で養生していることだろう。
幸いなことに、AソルもBソルも致命的な破壊だけは免れていた。
Aソルは機動部分が破損、及び故障。Bソルは胴体に穴が開いたぐらいだ。
戦果分析後、博士とスタッフ達は会議を開き、一つの結論に至った。
AソルBソル共に耐久をあげ、各ソルに特徴を与えることで連携を取りやすくする。
損傷はBソルのほうが少なかったという理由から、Bソルを近接用に作り替えるという。
Aソルが中間距離用になるらしい。となると、Cソルは遠距離用か。
避けるのが下手なピートの乗る機体だから、それもアリだろう。
「Aソルがエース機ってわけじゃねぇんだな」
ボソッと呟き、リュウは壁際に立つ青い髪の青年を振り返る。
訓練が終わってからずっと、クレイは格納庫にやってきて皆の作業を見つめていた。
無言でじっと見つめられているので、作業する方は気になって仕方がないのだが……
リュウは両ソルのコクピット改善を頼まれた。
今のままでは駄目だという結論が出て、操作方法そのものを替える事になった。
といっても、部品を一から作り直すわけではない。
普段からモーション・トランスで動かせるように、改造するだけだ。
コンソールパネルに念を送り込むのは変わらない。だから部品を替える必要もない。
ちょっとプログラムをいじくればよいだけだ。それと、スーツの改造も。

リュウは、ロボット工学に関しては一種の天才であった。
小学生時代は、日本でおこなわれたロボット競技会で優勝を総ナメ。
中学へあがる頃には、一丁前に論文を世界へ発表できるほどになっていた。
頭がいいだけではない。発想力も人並み以上にあった。
やがてQ博士に才能を買われ、研究所へ誘われた彼は、念動力の研究に没頭した。
念動力――
大豪寺玄也が考案し、Q博士が具体化した、人の精神で機械を動かす力。
念力なんて、今時流行らないエスパーでもあるまいに。
そう言って多くの人が呆れる中、リュウも最初は半信半疑だった。
だが人は実物を見せられてしまうと、信じるしかなくなるのだ。
精神の力だけで動く機械を目の当たりにしてしまった日から、念動力に取り憑かれた。
やがて、研究所では平行して人工人間の開発も行われるようになる。
より強い精神力を持つものこそが、優れたパイロットになる。
それがQ博士の出した、結論だったのだ。
彼らの努力の甲斐あってか、何度目かの失敗を経てブルー=クレイは誕生した……

『リュウ兄さん』
声をかけられ、リュウはハッと我に返る。
我ながら自分らしくもない、思い出に浸って周りが見えなくなるとは。
「んん。なんだ?手が止まってたか、悪ィ悪ィ」
苦笑しながら、声をかけた相手――クレイへ目をやる。
『お疲れでしたら、今日はもう休んで下さい』
気遣ってくれるのは嬉しいが、クレイは全くの無表情。
少しは優しい顔を見せてくれてもいいのに、とリュウは内心ぶぅたれた。
仕事の分担が違っていても、リュウがクレイと話す機会は多い。
だが、いくら話す機会が多くても、その大半が無感情な機械音声では。
お前の生声が聞きたい。そう駄々をこねたこともあったが、クレイは決まって首を振った。
ここでは人目が多すぎますから。それが彼の回答であった。
人目が多いから恥ずかしい、そういうことらしい。
「じゃぁ、クレイ。俺はもう休むから、お前も来い」
有無を言わせず、ぐいっとクレイの腕を取ると、背後から囁きが上がる。
基地に来てからずっと、自分達がどう噂されているのかリュウは知っていた。
それも計算のうちだ。せいぜいアレコレ噂して不穏がるがいい。

外部へ通信が繋がらないのも、予想されていた範囲だった。
だったがしかし、やはりリュウとしては不便でもあった。
仕入れた情報を、あいつに――ミスターKに伝えたい。
しかし通信が繋がらないのでは、手も足も出ない。
リュウは早々に作戦を変更した。
内部へ潜り込めたからには、邪魔するのが敵対する人間の取るべき行動というものだ。
どうしてやろうか。
いきなり破壊活動というのは、馬鹿のやることだ。
海底にあるような基地で破壊をおこなったとして、どうやって逃げ出せというのか。
足を確保するにしても、新入りが出来る行動など制限されまくりで話にもならない。
ソルに細工をする。それも危険だ。
博士の目が光っている今は、何を細工したところで即修復されるのがオチであろう。
ここは一つ、地味で且つ、確実なダメージを与える行動をせねばならない。
色々考えたあげく、内部の人間関係を崩壊させてやろうという結論に落ち着いた。
リュウが見たところ、ここのエースパイロットはブルー=クレイだと思われる。
ヨーコ=パリエットも優秀な人材のようだが、彼女は感情に起伏がありすぎた。
ピート=クロニクルとは、まだ会っていない。
だが重傷で本部に送られたという話を聞いただけでも、実力はお察しだ。
ミリシア=パプリコは、そのピートの代用として送られてきた予備パイロット。
つまり、パイロットとしての実力はピートよりも劣ると見ていい。
あとは七名のオペレーターだが、これも戦闘力としては除外すべき対象だ。
所詮は戦艦の動力として集められた人材であり、護衛機のパイロットには到底なれまい。
護衛機は動かすだけでは駄目なのだ。加えて、戦闘センスもある人物じゃないと。

腕を取られて、クレイは俯きがちに照れている。
これもまた、皆に誤解を招く理由の一つだとリュウは思った。
どんなに強引に扱っても、クレイはけしてリュウに逆らわない。
幼い頃のしつけの賜か、或いは好意を持たれているせいか。
逆らわないというのは、こちらとしてもやりやすいし、悪い気もしない。
これで相手が可愛い女の子だったら、もっとやる気が出るんだが……
ともかく、部屋に連れ込んで別々のベッドで寝るだけで、皆は勝手に誤解してくれるのだ。
噂が全体へ伝われば、腫れ物でも触るように自然と皆も遠のき、やんわり隔離されることだろう。
先ほども言ったが、ブルー=クレイはエースパイロットだ。
そのエースが隔離される。仲間のパイロットからも。
そうなれば、連携も総崩れだ。ざまぁみろ。
クレイが仲間はずれにされるというのは多少、心が痛むが、仕方あるまい。
今のリュウは、クレイとは敵同士。仲間なのは演技の上だけだ。心を鬼にしなければ。
「まずはシャワーだ。丹念に洗ってやるぜェ〜、後のお楽しみもかねてな!」
皆の熱い視線を浴びながら、そんなことも言ってやる。
もちろん陽動を誘う為の言葉であって、本心ではない。
リュウは根っからの女好きであり、男に性的な興味は絶対に持てない主義である。
だが黙って頷くクレイを見て、彼は少し心配になってきた。
まさかこいつ、本気で俺に何かされると期待しているんじゃあるまいな……?


嘘だ。
嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
春名ちゃんとクレイがチューしていたなんて、絶対に嘘だ!!

しかし目の前の少女が嘘つきだと断言できる自信も、猿山にはなかった。
そう思えてしまうのも悲しい。
有吉が悪魔の告発をして以来、猿山の目にも、二人はつきあっているように見えた。
アメリカから帰ってきてからは、そうでもないようなのだが……
いや、そうでもないようではなくて、邪魔者が一人乱入したせいで、そう見えるだけだ。
白滝竜。彼は、ミリシアと猿山にとっての救世主になりはしないだろうか?
猿山は倒れそうな貧血から立ち直って彼女に尋ねるが、ミリシアは首を振る。
「あのひとは……クレイが、好きなんですよ?わたしと同じで。あなたにとっては救世主かもしれませんが、わたしにとってはライバルです」
どこまで本気か知らないが、そういって、また瞳を潤ませた。
「この状況を打破するには、あなたがハルナさんを奪うしかないんです」
クレイが春名と別れたならば、あとは女の魅力で、どうとでもできるだろう。
春名を好きになるぐらいなんだし、クレイだって女の子のほうが好きに決まってる。
ヨーコも一応ライバルと言えなくもないが、彼女はクレイの眼中にない。楽勝だ。
問題は、猿山も春名の眼中にないという点だ。
どうやってクレイから春名を奪えというのか?
顔は……負けている、ハッキリ言って。
スタイルも……駄目だ。猿山は典型的日本人であり、お約束の胴長短足。
対するクレイは外人並に逞しく、足も長い。
じゃあ、頭脳は?残念ながら猿山は、自分の頭が良いとは自分でも思えなかった。
「比べて勝とうとしなくてもいいです。あなたがクレイに勝る外見的要素もありませんし」
ズバッとミリシアに言われ、さすがにへこんだ猿山に悪いと思ったか、彼女は付け加えた。
「あなたの長所で勝負してください。男はハート、ですよ」
男はハートか。なかなか良いことを言う。
女もハートで勝負した方がいいぜ、と言ってやろうかと思ったが、それはやめておいた。
下手なことを言って、またズバッと切り込まれては堪らない。
「まぁ……考えてみるよ。お互い、がんばろーぜ」
ニッカ、と笑いかける。ミリシアも、ほんの少し微笑んでくれたような気がした。
「いけね!レンチ届けなきゃ、怒ってるだろうなぁ〜」
慌てて会議室を飛び出していく猿山の背を見送りながら、ミリシアはポツリと呟く。
「あいつだけじゃ無理ね。アキラって子も焚きつけておかないと」
そう呟いた時の彼女の顔を見たならば、猿山も思い直したかもしれない。
ミリシアが浮かべた表情は、昔話に出てきそうな鬼女の形相と呼んでも差し支えなく。
眉間に皺を寄せ、険しい双眸は人でも刺しかねない危険な光を帯びていた……

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