BREAK SOLE

∽米国編∽ 真打ち登場−3


避難区域へ来た途端、熱気にあてられて、ナクルはたじろいだ。
人、人、人。広い室内を埋め尽くす人の頭が、うごめいている。
人種もバラエティーに富んでいるところを見るに、旅行者も含まれているのだろう。
「こいつらを、どこに誘導しろっていうんだ?」
部屋を見渡したマルクが肩を竦めて、口笛を吹く。
メディーナは片手に資料をめくっている。基地内の地図を貰ってきたらしい。
「格納庫……は、ダメだね。ソルが戻ってくる」
「判らない時ぁ素直に聞けばいいのさ。司令官、どこへ誘導しておけばいい?」
通信でマルクが気安く尋ねると、すぐに返事が返ってきた。
『地下三階にある収容所まで誘導して頂きたい。部屋は十二まで開いている』
「了解」
通信を切って、二人にウィンクを飛ばす。
「聞いただろ?地下三階に行こう」
「収容所って言葉の響きが気に入らないわ」と、メディーナが眉をひそめた。
「まるで監獄みたい。体よく言えば隔離ってことかしら?」
口笛を吹き、マルクは肩を竦める。
「愛する国民を地下に閉じこめて、お守りするわけだ。それより」
メディーナに何か咎められる前に、もう一度部屋内を見渡して彼は言った。
「この人数、十二個で足りるかな?」
「文句言ってる場合じゃないでしょ。まずは、五列横隊で並ばせよう」
颯爽とメディーナが仕切り始め、マルクは再び口笛を鳴らす。
ナクルが、さっと手際よく拡張機をメディーナへ手渡した。
出際に士官の一人から預かったものだ。
自分で使えばいいものを、他人に渡すあたりが、いかにも彼女らしい。
だが受け取ったメディーナは、何の疑問もなくナクルへ笑顔を向ける。
「ありがとう、ナクル」
スイッチを入れ、ざわめく民衆へ声をかけた。
『これより皆様を避難部屋へ、ご案内いたします!我々スタッフの誘導に従って、右から順に列を作って下さい!』

スピーカーの音割れした声を、群衆は大人しく聞いている――
かと思えば、そうでもなく。口々に罵りや悲鳴、子供の泣き声などが飛び交った。
その中を、じっと大人しくしている人物が二人いた。
一人は幼い少女。
緩やかに波を描いた黒髪は腰まで届くほどの長さで、艶やかなシルクのスカートも黒く、瞳だけが青い。
少女はドイツ、またはイタリア人の血を引いていると思われた。
もう一人は、ぼさぼさの黒髪にヨレヨレの開襟シャツを着た男である。
股下の長さや茶色の瞳などから察するに、こっちはアジア人で間違いない。
まっすぐ視線は前へ向けたまま、少女が呟く。
「軍人じゃないわね。彼らは何者?」
同じく前を見据え、少女のほうなど見もせずに男が答えた。
「アストロ・ソールから出向したっていうメンバーだろう。多分」
「彼らと接触できるかしら。彼らだけと」
再びの呟きには、男は首を横へ振った。
「残念だが、それは無理だろうな。立ち止まっていたら怪しまれるぞ」
さらに声をひそめ、少女は呟いた。
「ねぇ、タニオカ」
やはり少女の顔には目を向けず、男が無言で頷く。
「Kは、あなたが他人の同情を買いやすいって言ってたわ。それ、本当?」
人の波に押されて、男が歩き出す。歩きながら、彼は小さく呟いた。
「買いやすいというか……憐みを受けやすいらしいね、俺は」
離ればなれにならないよう追いつくと、少女がさらに男へ囁く。
「なら、それを証明してみせて。あなたの演技力に期待してもいいかしら」
「キミは、どうするんだい?」
初めて男が少女へ振り返る。少女は彼の目を避け、早足に列を詰めてゆく。
「私は私のやり方で軍部に近づいてみせるわ。まずは、リュウとコンタクトを取る」
「白滝か。だが、どうやって?」
谷岡が尋ねるも、少女は前の方へ行ってしまい、答えは人混みに飲み込まれた。


αを狙えばγが牽制し、δが攻撃にまわる。
γを狙えばαが牽制し、この時もδは攻撃役だった。
つまり奴らにとっても攻撃の要はδであり、δが司令塔と見ていいだろう。
クレイは目標をδに定めた。
春名の目と自分の勘、それからソルのレーダーが頼りだ。
いくらδが素早いと言っても、レーダーでも追い切れない動きだとは思わない。
他を切り捨てて奴だけを追いかければ、捕捉できるはずだ。
「春名は窓に張り付いていてくれ。赤い光は、こちらの攻撃だ。恐れることはない」
「う、うん」
中央で構えるクレイを見て、春名は窓の縁に手をかける。
「黄色い光が窓を直撃しても手を放すな。ソルの窓は、簡単には壊れない」
「う……うん」
自信はなかったが、とりあえず頷いておくことにした。
「二、三、衝撃を感じるかもしれないが――」
「が?って、わきゃああぁぁっっ!!?」
話の途中でソルが動き出し、春名は精一杯の力を込めて縁にしがみつく。
吹き飛ばされそうな加速が彼女の体を襲い、窓の縁を掴む指が白じんだ。
ソルが横になり、逆さまになり、元の状態へ戻ったかと思いきや、今度は急上昇。
黄色い光が目の前でスパークし、ぐるんと景色が一回転した時、春名は視界の先に何かを捉えた。
慌てて大声で叫ぶ。
「クレイ、あれ!」
「くっ!」
短い呻きがクレイの口から漏れ、Aソルはぎりぎりで飛んできた何かをかわす。
目映く輝く黄色の太い光が、地上へ突き刺さるように降り注ぐのを春名は見た。
ぼ〜っと眺めている暇などなく、次の瞬間には、また景色が変わる。
一面真っ白に染まり、すぐさま灰色の空へ飛び出した。
「そこか!」
どこ?と、春名が見渡す暇もなく、再びソルがジグザグ飛行に入る。
激しく上下に揺さぶられながら、必死で窓にしがみついていると――
「きゃあ!」
目の前を突然、透明なものに塞がれて、春名は悲鳴をあげた。
透明なものが光線を撃とうという直前、視界下に小さな物体を見つけて指を差す。
彼女が「クレイ、下にいる!」と叫ぶのと、タイプγが光線を放ったのは同時であった。
胴体に激しい衝撃を受け、Aソルが大きく揺れる。
何かが爆発するような音も聞こえたかと思うと、けたたましくサイレンが鳴り出した。
コクピット内までもが赤く点滅し、いやでも危機感を煽ってくる。
「え、え、え、落ちちゃうっ、落ちちゃうの!?」
赤い光と大音量のサイレンに驚く春名だが、Aソルの動きは止まらない。
胴体から火花と煙を噴き上げつつも、タイプδに追いついた。
「捉えたッ!」
クレイが吼え、ソルの掌がタイプδの頭を鷲づかみにする。
もう片方の手に構えた火炎放射を、ここぞとばかりにタイプδへお見舞いした。
炎の舌は、あっという間にδの全身を包み込む。
全身を炎で包まれたというのにタイプδは叫ぶでもなく断末魔をあげるでもなく、ただ、じたばたと暴れ、ソルの手から逃れようとするばかりだ。
奴を助けるつもりか、タイプαとタイプγが同時に突っ込んでくる。
――馬鹿め、その攻撃はお見通しだ。
急上昇して二体同時の攻撃を難なくかわすと、タイプδを真下へ叩き落す。
δは素晴らしい勢いで落下していき、遥か下のほうで、ぼふんと土煙の輪が上がった。
まず一体。
残る二体に目をやれば、残念、正面衝突で同士討ちとはならなかった模様。
ぶつかる直前、互いに緊急停止したのだろう。向かい合う形で空中に留まっている。
何を考えているのか、今までとは様子が違うようだ。
こちらの体勢は整っていないというのに、攻撃を仕掛けてこない。
「やはりか」
クレイの呟きに、春名が振り返る。
「……え?何が?」
彼は満足そうに頷いた。
「やはり、δが攻撃の要だったということだ」


その頃、アメリカ軍の基地内では――
椅子に寄りかかり、一人、くつろいでいる軍人がいた。
同僚は皆、慌ただしく走り回り、命じられた仕事や市民の誘導に忙しいというのに。
さぼっている男は勲章をぶら下げているわけでもなく、階級も低そうであった。
偉そうにサングラスをかけている。耳元には通信機をあてていた。
「あぁ、見てたぜ。デルタの奴ら、油断したみてェだな。一機にやられやがって」
通信機に向かって、男が吐き捨てる。
かと思えば急に声を荒げ「あァ?」と通信の相手へ尋ね返す。
「フェルダ星人が撤退だと?つまんねェ展開になってきたなぁ、オイ!」
ペッ、と床へ唾を吐いた。
「しかしまぁ、まさかアストロ・ソールがノッてくるたぁ思わなかったぜ?」
通信の相手が何か言い返し、男は口元に笑みを浮かべる。
「昔の仲間と会って問題ないかって?まぁ、上手くやるさ。それより」
不意に、男が言葉を切る。
慌ただしい足音が数個、廊下を駆け抜けていった。
完全に聞こえなくなってから、男は通信を再開する。
「秘蔵の姫っ子は使わないのか?そろそろ出番を与えてもイイ頃だろ」
すぐさまンア?と声をあげ、ニンマリと笑った。
「そうか、さすがは大将。もうこっちに行かせたってか。いいだろ。姫様と手を組んで、パイロットの攪乱でも何でもしてやるぜ」
通信機をオフにし、軍人が立ち上がる。
体格の良い男であった。体格だけは、人並み以上だと言えた。
あとは無精髭といい、バサバサな黒髪といい、だらしなさばかりが目立つ風貌だった。


「αとγの動きは肉眼でも追えるな?春名はγの捕捉を頼む」
追えるな?と尋ねられても春名は頷かず、代わりにクレイをじっと見つめた。
相変わらずコクピット内はサイレンが鳴り響き、一面真っ赤な光で点滅しっぱなしだ。
今にも爆発しそうな機体も心配だが、春名が何より心配なのはクレイの様子であった。
先ほど外で爆発音が上がった時、彼が苦痛に表情を歪ませるのを見た。
タイプδを放して両手が自由になった後は、片手で腹を押さえている。
今だって、そうだ。腹を押さえたままの手が、どうしても気になる。
「ねぇ……一旦、退却しちゃ駄目かな?」
恐る恐る尋ねてみたが、クレイには無表情に見つめ返されただけだった。
僅かな沈黙の後、ゆっくりとクレイが首を振る。
「駄目だ。三体を撃退する、それを達成するまで退却はできない」
「で、でも」
声が震え、怯えが表に出てしまう。
ふ、と表情を緩め、クレイは微笑んだ。春名を安心させようと。
「……大丈夫だ。春名が無事帰還できるまでは、気を失ったりしない」
裏をとって返せば、気を失ってしまいそうなほど体が痛い、という意味ではないのか。
そういえば、ソルが攻撃を受けるたび、クレイは苦しそうだった。
まるでソルの受けたダメージが、直接クレイにも伝わっているかのように。
「だ、駄目だよ!無理しちゃッ。無理しすぎて、ここでやられちゃったら」
「いいから、言ったとおりにγを捕捉してくれ!」
大声で怒鳴られ、春名はビクンッと身を竦める。

どうして、そんなに無理しようとするの?
命令って、そんなに大事なもの?
死んじゃったら、そこで何もかもが終わっちゃうんだよ……

じわりと涙が滲んできて、クレイの顔がぼやけて見えた。
「すまない」
ややあって、苦渋の声をクレイが絞り出す。
「怒鳴るつもりじゃなかった。だが」
停止したまま、仕掛けてこない二体を一瞥する。
αもγも動く気配がない。迷っているのか、それとも様子見をしているのか。
「春名の任務はソルのレーダー補佐だ。だから、それだけを全うして欲しい。俺を気遣う必要などない」
「任務に、含まれていないから?」
尋ねる春名へ、彼はコクリと頷いた。
だが春名に強く睨まれて、初めて動揺を表に出す。
「そんなの、おかしいよ」
「……おかしい?」
聞き返すクレイの顔には明らかな感情が浮かんでいた。すなわち、困惑という感情が。
「私がクレイを心配するのは、任務とは関係ないもの。クレイのこと……仲間だから。友達だから、心配してるの」
さすがに好きだからなんて言葉は面と向かって言えず、いくぶん濁したものの、春名の目は真剣であった。
「仲間を心配するのに、任務かどうかなんて関係ないでしょ?それとも何?クレイは任務に含まれてなかったら、私のことも心配して――」
最後まで彼女は言わせてもらえなかった。
途中で、ぎゅうっとクレイに抱きしめられたからである。
力強い腕。
パイロットスーツを通して、クレイの体温が伝わってくる。
ドキドキしてしまって言葉を失った春名の耳に、二度目の謝罪が囁く。
「……すまない。春名の言うとおりだ。心配するのは任務とは無関係だ」
見上げると、微笑むクレイと目があった。
知らず頬の紅潮を感じながら、春名も微笑む。
「……でしょ?」
良かった。
心配しない、などとハッキリ言われなくて、本当に良かった……
急にハッとなり、春名が窓を見る。
クレイも春名を抱きしめたまま、視線を外へ向けた。
「そ、それより敵は!?」
「――逃げたか」
ぽつりと呟くクレイへ「はぁっ!?」と思わず間抜けな声で聞き返した後、春名はもう一度、窓を食い入るように眺め見た。

いない。
どこにもいない。

さっきまで窓の外で空中停止していたはずの二体が、いなくなっている。
「レーダーの反応が消えた。二体とも範囲外まで移動したようだ」
驚愕で目を見開いた春名とは対照的に、クレイは淡々としている。
まぁ春名とて、バンザーイ!と、彼が喜ぶ姿を期待していたわけではない。
しかし、それにしたって、もうちょっと……
感動する姿を少しは見せてくれてもいいのに、と春名は心の中でブー垂れた。
そんな彼女の胸の内など知るよしもなく、クレイは春名を解放すると中央に立つ。
「一応、撃退には成功した。これより基地へ帰還する」
無表情にクレイが呟き、ソルはゆっくりと降下していった。


五列横隊で並ばされた民衆が、ゆっくりと進んでゆく。
さながらゾンビの行列だ。
うんざりするほど遅いスピードに、谷岡は溜息をつく。
先ほど少女に言われた事も思い出し、更に気が重くなる。
人から同情を買うのが上手い、か。
自分では、そうは思わない。
ただ、強い者や年上から可愛がられる傾向は、昔からあったかもしれない。
しかし今、この状態で、どうやって奴らの同情を買えというのか。
うっかり災難に巻き込まれた、哀れな旅行者でも装えと?
悲惨なのは旅行者だけではない。この国の全ての者が悲惨な目に遭っている。
じゃあ、いっそ国民のふりをしてみるか。
今日びアメリカの大地に、日系の住民は珍しくない。
前の人の背をゆっくり追いながら、谷岡は自分の服装を見下ろした。
よれよれのシャツは、汗ばんで黄色くなりかけている。
顎をさすると、ぞりぞりした感触がある。髭を剃ってくるのを忘れたようだ。
――まるで、難民だな。
自分の哀れな格好に、谷岡は満足した。
よろけた足取りで目の前に倒れ込んでやったら、奴らはどう反応するだろうか。
のびあがって先頭を見やると、入口だか出口だかが待ちかまえていた。
もうすぐ、この部屋を出られる。チャンスは、その時だ。
スタッフと名乗っていた奴ら。あいつらこそがアストロ・ソールのメンバーだろう。
ここの軍人は全員、軍服着用を義務づけられている。
そして軍服を着ない連中が、軍人に命じられてスタッフを名乗れるはずもない。
もし名乗れるとしたら、そいつらは軍人と親密な関係にある――そういうことになる。
出口付近にスタッフが立っている。
そいつらの前で転ぶんだ。
よし、今からヨロヨロしておこう。
空腹で今にも倒れそうな難民を装うんだ。ビッコでも引いておけば、完璧か?
足を引きずり、腹を押さえて、谷岡は疲れた足取りで歩いていく。
途中、何度も前の人の背中にぶつかり、嫌な顔をされた。
いよいよ部屋の外へ出ようという時、彼はふらりと前屈みになり倒れ込む。
「あっ」
小さな悲鳴がし、駆け寄ってくる足音。
差し出された腕に捕まり、谷岡はスタッフの顔を間近に見た。
「大丈夫ですか?」
小さな声で囁いてくる彼女。
その黒い顔を見上げた時、谷岡もまた、喉の奥で小さな悲鳴をあげていた。

――亜矢!?

東京の空は灰色で覆われてしまった。
青空など最後に見たのは、いつの日だったか。
いつでも空からの攻撃に怯えていなけりゃいけない。
地下に掘った穴蔵で、毎日びくびくと怯えて暮らすだけの人生。

そんな酷い人生でも、一筋の光はあった。
いつでも俺の側にいてくれた、一人の女性。
彼女の名は、美東 亜矢。
たった一つだけ俺に残された、希望の光――

若い女性とスタッフの顔が重なり、幻影はすぐに消え去る。
似てると思ったのも一瞬だった。この女性は黒人だが、亜矢は日本人だ。
似てるわけがない。では何故似てるなどと、先ほどは感じたのだろう。
「大丈夫……ですか?」
もう一度尋ねられ、谷岡は頷いた。
「う、ぅ、腹が減って……歩けない」
情けない演技だと自分でも思ったが、スタッフは怪しまず彼の体に腕を回してくる。
脇に彼女の胸が密着して、谷岡は内心ドキリとした。
小さなナリのくせして、胸は結構大きい。そんなところも亜矢と似ている。
小声で囁いてくるところも似ている。
そうか、彼女は雰囲気が亜矢と似てるんだ……
――馬鹿な。俺は一体何を考えてるんだ。
脳裏に浮かんだ妄想を、頭を振って追い払う。
今は、それどころじゃない。
なんとかして、こいつからアストロ・ソールの情報を聞き出さなきゃいけないってのに!
彼はスタッフに引きずられるようにして、歩き出した。

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