BREAK SOLE

∽中国編∽ 今、ひとつの歴史が終わる日−1


海底を、青くて丸っこいものがズンズン歩いていく。
窓を掠めて泳ぐ小魚に目をとられていたカタナは、ふと思いついてインカムへ話しかけた。
通信相手は戦闘機に乗り込み、空を飛んでいる整備班の連中だ。
「こちらBソル。速度は順調です。そちらはどうですか?」
すぐさま陽気な声が返ってくる。南米男、カリヤの声だ。
『こちらB班戦闘機。快適な空の旅を満喫中。おかしな影は見あたらないぜ』
Bソルのモニターにも、異常は見られない。
あと四時間もすれば、無事に北京へ到着することができよう。
カタナは、ちらっと中央に立つ少女を見る。
パイロットスーツに身を包んだ少女は、中央で仁王立ちして目を瞑っている。
ヨーコ=パリエット。Bソルの正規パイロットである。
彼女が呼吸するたび、それに反応するかのように足下のパネルがピカピカ光る。
ヨーコが念じることで光るパネルの色も変わり、ソルの動きを決定するのだとか。
今は、赤いパネルと青いパネルが交互に動いている。
あれが右足と左足に対応しているのかしら、とカタナは考えた。
尋ねてもみたかったが、運転中は大人しく乗っていろとヨーコに注意されている。
ソルを動かす技術――コンソール・コンセレーション。
脳内で動きをイメージし、そのイメージはスーツを通してパネルへ届き、動きとなる。
イメージするには、かなりの集中力を必要とするんだとは、ヨーコ談である。
だからカタナはすることもなく、時折空調をいじってみたり、窓から魚を眺めたりした。
不意に、残してきた白い子犬が脳裏に浮かぶ。
ラッピーは、元気でやってるだろうか?
出発して、まだ三時間も経っていないというのに気になって仕方ない。
皆は、ちゃんとラッピーと遊んであげているでしょうかねぇ……

「……よし、固定化した」
ヨーコが呟き、カタナもハッとそちらを振り向く。
目で問う彼女へ微笑むと、ヨーコは応えた。
「到着するまで自動で歩くようにセットしといたから。やっと、あんたと話せるわね」
「そんなこともできるんですか!」
驚くカタナを、ふふんと鼻で笑う。
「当然よ。歩いたり殴ったりするだけが、ソルの機能じゃないんだから!」
まるで自分が立てた手柄のように自慢すると、ヨーコは彼女の側へ来て壁に寄りかかる。
「綺麗ね〜」
魚のことをいっているのだと、すぐに気づき、カタナも頷いた。
「はい。天然魚は絶滅したと言われていましたが、まだ残っていたんですね」
「ね。ニホンなんて工場地帯って言うじゃない?魚なんて真っ先に絶滅してたと思ってたのに、意外と海も綺麗だし」
日本という島全体が工場地帯だとでも思っていたのだろうか。
ヨーコの顔には、ありありと驚き、そして感嘆の色が浮かんでいた。
カタナは苦笑し、TVや雑誌から拾った知識を軽く披露してみせる。
「日本は五十年ほど前から自然環境運動に励んでいましたから。海が綺麗なのは、その成果が表れたってことですよ」
「ふぅん。あ、ところでさぁ。チャイナって、どんな国なの?」
すぐにヨーコの興味は他へ移り、カタナはきょとんとする。
どんな国って言われても。
歴史ある大陸国家?
人口数の多い国?
世界一のコピー産業?
いやいや、ヨーコが聞きたいのは、そんな話ではないだろう。
少し迷った末に、彼女は笑顔で答えた。
「料理のおいしい国ですよ。特に海岸線沿いの都市は美味ですね。中華料理は、どんな味オンチでも満足すると思います」
するとヨーコは、じろっと睨んでポツリと呟く。
「それ、あたしに対する嫌味?」
あっ、と思いだし、カタナは大いに慌てる。
ヨーコの母国って確か、アメリカでしたっけ……
「そ、そんなことは!私はただ、一般論をですねっ」
だが弁解するカタナをジト目で睨み、ヨーコはそっぽを向いてしまった。
「ふーん。まぁいいわ。ソルの運転に戻るから、黙ってて」
「え、でも、固定化したんじゃ」
カタナの言葉を遮って、中央に立つ。
「速度をあげるって言ってんの。いいから黙りなさいよ」
再び睨まれて、カタナはシュンとなりながら、壁際に小さく座り込んだ。


雲の合間を縫って、真っ白な戦闘機が飛んでゆく。
朝間移動は不用心ではないかという意見もあったが、今のところは順調である。
「どうやら奇襲を受けんで済みそうだね」などと暢気な事を言っているのはカリヤ。
操縦桿を握っているのは、彼だ。
隣に座って地図を熱心に眺めていた男が顔をあげ、彼を窘める。
「到着するまで油断は禁物だ。これから行く場所は宇宙人に襲われてるんだぞ、それを」
「ハイハイ、判ってますって。ったく、あんたは真面目すぎるのが玉にキズだよ」
カリヤは最後まで聞かず、ひらひらと手を振って男の小言を遮った。
すると今度は、後部座席で武器の確認をしている女が茶々を入れてくる。
「不真面目すぎるってのも、問題あると思うけどねェ」
登ってきた朝日に照らされて、美しい金髪が見事に輝く。
髪も美しいが、顔も美しい女であった。これで、性格も美しければ文句ないのだが。
「なんだよ。言いたいことがあんならハッキリ言えよ、アーニャ」
「別にィ。こういうのって自覚しないことには始まらないワケだしさ」
気のない返事をし、彼女は再び武器と向き直る。
銃を取り出しては筒を覗き込んだり、引き金を緩く引いて動作を確かめた。
不意に、助手席からカリヤへ指示が入る。
「そろそろ高度を下げろ。空港が見えてきた」
マチスが指さす方角へ、カリヤも目を凝らす。
「ヘイヘイ。空港、ね」
空港といったところで、どうせ今は何も機能していない。
それでも小さな戦闘機を着陸させるにあたり、それなりのスペースは必要であった。
「空港が敵に占拠されているって可能性は?」
アーニャの問いには首を振り、「向こうから通信だ」とマチスが回線を開く。
雑音に紛れて、アジア人特有のイントネーションでの共通語が流れてくる。
『……こちら中華人民共……空港側の受け入れ準備は完了して……』
マチスが応答した。
「了解。着陸準備に入ります」
『……了解。こちらの指示に従い、着陸準備を開…………』
「こう雑音が多いんじゃ、指示もへったくれもねぇやな」
ぶつぶつ言いながらも、カリヤは徐々に高度を下げてゆく。
朝靄の中、ぶっつけ本番での着陸だ。
カリヤは正規のパイロットではない。本職は、あくまでも整備技師である。
だが、こういうのは、今までにも何度か経験している。だから、怖くはない。
怖いものがあるとすれば、着陸までに奴らの攻撃を受けること――ぐらいだろう。
「しょうがないサ。あまり感度を良くしたら、今度は奴らに盗聴されるしさ」
「判ってるよ、ンなこたぁ」
後ろのアーニャが暢気に応え、南米男は珍しく舌打ちする。
地上から届いてくるのは、僅かな赤い光。あれが一応、誘導ってわけか。
ないほうがマシとも思える誘導であった。
早朝とはいえ、あまり目立つ真似はして欲しくないのも本音だ。
そう言い返しておけば良かった、と後悔しながら、彼は隣の男に指示を出した。
「おいマチス!お前は周囲を見張っててくれ」
「了解」
地図を後ろ座席へ放り込み、マチスは双眼鏡を取り出すと、目にあてる。
おかしな飛行物体は居ないか。地上から何かが飛んできたりしないか――
不安とは裏腹に、お天道様の登ってきた空は快晴に澄みきっており。
彼らの乗った戦闘機は、無事に北京へと到着した。

戦闘機とBソルは、一旦地下へと格納される。
今や、どこの国でも地下基地は常識であり、地上からは軍部施設が姿を消しつつあった。
ようやく狭い機体から解放され、アストロ・ソールの面々は外の空気を堪能する。
「ふぅーっ……」
カタナが思いっきりノビをしていると、戦闘機から降りたマチスが歩いてきた。
「お疲れ様。あいつと二人っきりは大変だっただろう、神経が」
彼もヨーコが嫌い派か。苦笑して、カタナは笑顔で答えた。
「そちらこそ。カリヤと一緒じゃ大変だったでしょう、おしゃべりの相手するのに」
南米生まれを自称するカリヤが、超のつくほど話し好きなのは有名だ。
ラテン系は陽気な人間が多いらしく、彼もまた、その例に漏れず陽気で騒がしい。
マチスは肩をすくめ「まぁな」と頷いた後、こうも続けた。
「でもな、あいつ、俺が答えようが答えまいが関係ないって顔してたぜ」
かと思えば不意に真面目に戻り、周辺へ素早く視線を巡らせる。
「ここはまだ大丈夫のようだが……市街地は、見たか?」
「えぇ」
カタナも深刻な表情で頷く。
地上の様子は、ドッグへ入る直前、ちらりとだけ見えた。
――無惨だった。
首都であったはずの北京は、見る影もなくなっていた。
被害はおそらく、日本よりも酷いだろう。
ビルは片っ端から崩され、中心街と思わしき場所からは、黒煙があがっていた。
なにしろ、連日襲われているのだ。完膚無きまで、荒れ野原と化すまで。
「そういやカタナ、お前の祖父は中国出身だって話だが」
物思いに沈んでいた彼女の意識を、マチスの声が引き戻させる。
「中国は、お前にとっても祖国にあたるのか?」
「私は中国を祖国に持つ、華人ですよ」
真っ向からマチスを見つめると、カタナは言った。
「私は、日本人ではありません。一文字は父方の姓です」
「華人?」
予想通り首を捻る白人男性へ、説明してやる。
「中国の戸籍を持ちながら外国で暮らす中国人を、そう呼びます」
まぁ、戸籍を捨てた今は、こだわっても意味がありませんけどね、と苦笑しつつ。


百年、いや、もっと前からかもしれないが、官僚には利己的な人間が多い。
立場が上になればなるほど拝金主義も多くなり、狡賢さも増していく。
基地でアストロ・ソールの面々を歓迎した連中も、そういった人種であった。
「ようこそ、アストロ・ソールの皆様方。我々は貴方がたを歓迎致します」
堅苦しい共通語で迎え入れられ、整備班、及びヨーコとカタナも会釈する。
さっそくですが、という前置きの元に、役人達が交渉を始める。
それは、このような内容であった。

施設内は、案内人立ち会いの元に歩き回って欲しい。
立ち入り禁止と書かれているエリアへは、極力近づかないように。
戦闘機及び護衛機の給油に関しては、きちんと領収書を切っておくこと。
また、こちらの緊急要請は、できるだけ最優先して欲しい。

生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、領収書もへったくれもないと思うのだが……
だが、そこが中国人らしくもあるとマチスは心の中で苦笑した。
「何?それ。ずいぶん都合のいい条件を、つきつけてくるんですね」
ヨーコの不機嫌な声に、全員の視線が注目する。
パイロットの無粋な発言に、向こうの官僚は、いくらか気を悪くした様子であった。
「都合が宜しい?これでもかなり、そちらへは気を遣っているつもりなのですが」
本当にそう思っているのなら、燃料ぐらいは無料奉仕するべきではないのか?
とても救助要請してきたとは思えないほど頭が高い要求なのに、まるで判っていない。
ヨーコがブチキレようと大きく息を吸い込んだ時、すかさずカタナが割って入り、ぺこぺこと頭を下げて謝りだした。
「す、すみません。この子はまだ子供なので、礼儀作法がなってないんです。あとで叱っておきますので、この場は怒りを収めて下さい。本当に、すみません」
彼女の平謝りに気分を直したか、連中はヨーコを無視した形で話を戻す。
「自由な行動を許可できないのは軍事機密ということで、ご了承願いたい」
「判っております」と、マチスは深々頷いた。
「それより、現在の状況を確認しておきたいのですが――」
これ以上、無駄話もしたくないとばかりに話を切り替えると、急に部屋が暗くなり、スクリーンが降りてきた。
職員がプロジェクターのスイッチを入れると、二枚の写真が映し出される。
右上に映っているのは、空にたなびく宇宙人。通称・タイプγ。
コンニャクのように、ぷよんぷよんとしていて、ハンカチのように薄っぺらい。
だが、頼りない見かけとは裏腹に攻撃は極悪で、追尾式の光線を撃ってくる。
右下に映し出されているのは、空と同化している宇宙人。タイプαである。
本当に同化しているわけではない、そう見えるというだけの話だ。
透き通る体には、不思議なことにレーザーも実弾も効かない。
レーザーは貫通し、実弾は弾かれる。
そのくせ奴の放つ光線は、こちらの戦闘機を確実にスクラップ化するほどの破壊力。
こんなのが二体も同時に攻めてきたんじゃあ、緊急SOSしたくなるのも無理はない。
実弾は効かないと、こちらが散々アドバイスしてきたにも関わらず、中華軍のやった抵抗とは戦闘機で応戦するか対空射撃するかの二択だったらしい。
そんな無駄な抵抗をするぐらいなら、市民を確実に避難させておけばいいものを――
戦闘機や軍艦は、戦うためだけに造られたシロモノではないだろう。
時として、かなわない相手から逃げ出す為の、箱船として使用してもいいはずだ。
被害報告にあげられた死者の数を頭に刻み込みながら、カリヤは、そっと溜息をついた。


無駄に長い会議も終わり、ようやく解放された一行は、それぞれの機体へ戻る。
これからスクランブルがかかるまで、ヨーコとカタナはソルで待機。
整備班の面々は、機体の中で待機するか、あてがわれた部屋での待機を強制された。
もちろんマチス達は用意された部屋を、やんわり拒否して戦闘機へと戻ったのだが。
「なぁーにぃー?これぇッ!?」
後部座席へ戻った途端、アーニャの悲鳴が響き渡る。
「なんだよ、どうした……」
振り返ったカリヤもマチスも、そのままの格好で硬直した。
後部座席へ積んであった武器箱の蓋が、開けられている。
しかも中に詰めてある銃のほとんどが、栓をされていた。
銃口にコルクで蓋がされている。引き金には、汚らしくガムテープが巻かれていた。
「ぶッは! やってくれるよ、あいつらも」
意外にも、一番に吹き出したのは真面目男のマチス。カリヤは硬直が解けていない。
怒りで真っ赤なアーニャが、大笑いするマチスに食いかかった。
「何なの、これ?あんたがやったの!?」
「馬鹿も休み休み言えよ、俺がやるわけないだろ」
肩をすくめ、マチスは窓を突いてみせる。
窓の外では軍服に身を包んだ軍人が、忙しそうに走り回っていた。
「あいつらが?」
思わず声の裏返る金髪美人に頷いてみせると、コルクで栓された銃を手に取った。
「そう。基地内における武器の所有は禁止ってことさ」
取り上げられなかっただけマシかもしれない。あとで剥がす手間は、あるものの。
「あ、じゃあ」
カリヤの硬直が解ける。
「あいつの武器、大丈夫だったかな?」
「武器?」と聞き返すアーニャへ頷いた。
「うん。カタナ、持ってただろ。じーさんの形見だっていう、日本刀みたいなのをさ」

Bソルへ戻ってきた途端、カタナは隅っこに走り寄る。
「何よ、どうしたの?」と尋ねるヨーコには構わず、ばさっと風呂敷を取り除いた。
その下から細長い棒状のものを取り上げ、さも愛おしそうに抱きしめる。
「あぁ……!良かった、無事でした」
「無事?取り上げられなかったってこと?」
一瞬は訝しげに眉をひそめたものの、すぐにヨーコは鼻で笑った。
「なら、当然よ!あいつら、キー持ってないもん。ココに入れるわけないじゃない」
「あっ。そういえば、そうでしたね」
カタナも頷いて、取り出したものを腰に差す。
棒状のような物は日本刀であった。かなり年季が入ったようにも見受けられる。
「なんなのよ?その、ばっちぃ剣は」
嫌そうに尋ねるヨーコへ、カタナは笑顔で答えた。
「祖父の形見です。常に携帯しているようにと遺言で言われまして」
今の時代に、刀を?
銃で撃ち合い、ミサイルのスイッチで戦争をやりあう、この時代に?
ずいぶんとクラシックな物の考え方をする、お祖父さんだったようだ。
しかし、それにしても、彼女の嬉しそうなこと。
ニコニコしながら話しているし、小汚い刀を見つめる視線にも愛情がこもっている。
「やっぱり、最終的に自分の身を守る武器は、自分しかないですからね」
まぁ……本人も納得しているみたいだし、別にいいか。
呆れて大きく溜息をついた後、ヨーコはパイロットスーツに着替えながら、じろっとカタナを睨みつけた。
「そういや、さっき。あんた、よくも、あたしのこと子供扱いしてくれたわね?」
途端に、蛇に睨まれた蛙のように萎縮するカタナ。
しどろもどろに弁解を始める。
「あっ!あれは、その、ことを穏便にすませようという言葉のアヤでして」
「ふん。どーだか」
冷たい視線がカタナの全身を貫き、彼女は、ますます縮みあがる。
「まぁいいわ。緊急コールが来るまで少し休むから、静かにしててよね」
言うが早いか、ヨーコは、さっさと眠ってしまい、カタナは溜息をつく。

戦闘パートナー……
私なんかでも、本当に勤まるんでしょうかねぇ……?

無性に海底基地が懐かしくなった。
まだ、中国へ到着してから一日も過ぎていないというのに。

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