BREAK SOLE

∽30∽ ごめんね


廊下をパタパタと走ってくる足音が聞こえたかと思うと、すぐにドアが開いた。
「す、すみませんッ!遅くなりました!!」
慌ただしく入ってきたのは春名だ。
息を乱しているところを見るに、かなり焦って走ってきたものらしい。
エプロンもつけたままだ。
「いいんじゃよ、お仕事中すまんね」
Q博士に笑顔で言われ、彼女はエプロンを外しながら再度頭を下げる。
「あ、あの、皆にお茶を配っていたら遅くなっちゃって……!」
「お茶くみなんて、その辺の奴に押しつけてくりゃいいのに。ったく、鈍くさァ」
ぼそりと呟くヨーコの嫌味も聞こえ、ますます春名は萎縮した。
遅くなったのには、訳がある。
勿論、お茶くみも原因の一つだ。だが、一番の原因は別にあった。

昨日の夜半過ぎだっただろうか、部屋に有吉が来たのは。
「可哀想に、ブルー。大豪寺さんのせいで死んじゃうかもね」
彼女は来るなり、とんでもないことを言った。
まだ涙目の春名へ向かって、次々と酷いことを言い始める。
いつもの有吉らしくもなく思いやりの欠片もない、突き刺さるような罵倒を。

宇宙人から守ってくれている人相手に嫌いだなんて、よく言えるよね。
前に町へ行った時も守ってもらったんでしょ?
なのに、恩を仇で返すんだ。あなたが、そんな人だなんて思わなかったなぁ。
二週間経ったら、彼、アメリカに行くんだっけ?
でも、その前に酷いこと言われたら、集中力もなくなるよね。
あーあ。誰かさんのせいでブルー、死んじゃうかも。
でも、彼が死んでも悲しくないんでしょ?あなたは。だって嫌いだもんね?

彼女の辛辣な言葉を、春名は一身に受け止める。
自分はこれと同じ事を、クレイにしてしまったのだ。
言葉の暴力は、時として刃物のように鋭く相手の心を切り刻む。
改めて自分のしでかした罪の大きさを再確認させられた。
悲しくないんでしょと決めつけられ、春名は思わず怒鳴り返していた。
「そんなわけッ!悲しくないわけッ、ないじゃない!!」
「あっ、そ」
わななく春名を一瞥し、有吉は薄く微笑む。
「一応、反省してはいるんだ?」
当たり前じゃない、そう答えようとして、また涙がこぼれる。
「だったら」
すぅっ……と、有吉は目を細めた。
「どうして、すぐ謝りに行かないの?」
だって、どんな顔して謝りに行けばいいのか判らないんだもん。
それに私、クレイが話してくれなかったこと、まだ許したわけじゃ――
声の代わりに出るのは嗚咽ばかりで、うまく言葉に出来ない。
「大豪寺さん。あなた、まだ自分のことばかり考えてるよね」
有吉の言葉が春名の胸を貫く。
ハッと顔をあげると、彼女は既に笑顔を消していた。
「本当に悪いと思ってるなら、すぐにでも謝りに行けるでしょう?自分に甘えてるから、謝りに行く気力が沸かないのよ。不幸な私、可哀想な私。でもね、本当に可哀想なのは、あなたじゃない」
フン、と鼻で笑うと有吉は吐き捨てる。
「ブルーが話してくれなかった、それが何?不安で自分を慰めて欲しいから、言って欲しかったのよね?あなたは。でも、じゃあ、あなたはどうなの?あなたはブルーを慰めたことがあった?三対一でもブルーなら大丈夫。絶対勝てるって、言ってあげたことがあった?それもしないで、自分だけ一方的に慰めてもらうつもりだったの?それで慰めてもらえないからって、ふてくされて八つ当たり?お笑いね」
彼女の言葉は辛辣だが、真理でもあった。
さして親しくもない間柄だからこそ、真実が言えるのかもしれない。
これが秋子や瞳だったら、どう春名を慰めただろう。
きっと「春名は悪くない」だのと、優しくフォローに回ったことだろう。
そして春名は、しおらしい気分になったつもりでクレイに謝るのだ。
でも、それは本当の謝罪じゃない。
見せかけだけの優しさだ。
自分の非を認めなければ、認めた上で謝らなければ。
きっと気持ちは――本当の気持ちは、相手に伝わらない。
ぼろぼろ、と涙をこぼしながら、春名は、つっかえつっかえ声に出した。
「謝る……明日、謝りにいく………許して貰えなくても、ごめんなさい……って」
「ほらほら、鼻水垂れてるわよ?鼻ぐらい、かみなさい。女の子なんだから」
苦笑され、垂れてきた鼻水をチンとかむと、春名は有吉を見上げた。
再び彼女の口元には微笑が浮かんでいる。良くできました、とでも言うように。
「約束だからね?ブルーにきちんと謝って、仲直りしてあげて」
「うん」
「あと二週間なんだしさ。仲良くやっていこうよ。ね?」

あと二週間――
去り際に何気なく言った有吉の言葉を思い出し、春名の足は止まってしまったのだ。
あと二週間で、クレイは基地からいなくなる。
一時的なものだが、戦闘で万が一のことがあれば、それは永久にもなろう。
離れたくない。
彼は前に、春名へそう言った。
今は春名も、そう思っている。クレイと離ればなれになりたくない。
でも、これは仕事なのだ。気軽に同行が許される話ではない――

「――というわけなんじゃがの。どうじゃろ、ハルナちゃん?」
ハッと我に返り、春名は声の主を見る。Q博士が、にこやかに微笑んでいた。
しまった、全然聞いていなかった。
見れば会議室内の視線という視線が全て、自分に向けられている。注目の的だ。
「はっ!?え、えぇと……」
しどろもどろに誤魔化していると、U博士が重ねて尋ねてきた。
「急に言われても困りますよね。でも、これはクレイ本人の希望なのです。どうか彼に同行して、アメリカへ行ってあげて貰えませんか?」
同行?アメリカへ?
なんでか判らないけど、クレイは任務へ一緒に来て欲しいと願ってる?
同行に関しては勿論OK、願ったり叶ったりだ。
むしろ春名としては、こちらから頼み込もうとさえ思っていたのである。
コクンと頷き、春名がOKの意思表示をすると、会議室全体が、どっと歓声に包まれた。
一部、不満そうなヨーコを除いて。
「え?えっ!?」
ここまで喜ばれるとは思ってもみなくて、春名は一人、動揺する。
唐突に横合いから手を握られた。
握ってきたのは日系の黒髪スタッフで、満面の笑顔で微笑まれる。
「ありがとうございます!ブルーを、どうか宜しくお願いします」
「は、はぁ……はい」
博士達も安堵するやら、肩をコキコキ鳴らして一安心するやら。
クレイの同行願いの裏には、一体、何が隠されていたというのだろう。
「よし、これで出発前の問題は全て片付いたわい」
T博士の顔からも、珍しく厳めしさが消えていた。
「では戦闘パートナーに任命された者達は、準備を急ぐように」
「はいッ!」
ジョンと一文字が元気よく返事し、春名は――きょとん、として博士を見つめ返した。
「戦闘、パートナー?」
「そうとも、さっき説明しただろうが」
ごめんなさい、聞いてませんでした。
T博士に訝しがられ、春名は赤面する。その肩をU博士が軽く叩いた。
「大丈夫ですよ、クレイに任せておけば。あなたが戦うわけではないのですから」
「よし、では解散!全員持ち場に戻れ」
バラバラとスタッフやピート達が出てゆく中、R博士がQ博士へ目配せする。
Q博士はそれに対し無言で頷きかえし、クレイへ何事かを耳打ちした。
「あっ、あの――!」
クレイを呼び止めようとする春名にも、Q博士はバチーン☆とウィンクを送る。
意味がわからず、ぎょっとする彼女には振り向きもせず、去り際にクレイを押しやった。
「頑張るんじゃぞ。クレイ」
扉がバタン、と閉まる。
部屋の中にクレイと春名の二人だけを残して。


「あ――その」
先に口を開いたのはクレイが先で、春名は彼に順番を譲ってあげる。
クレイのほうから何かを話しかけてくる、それ自体が珍しくもあった。
彼のオデコには、ぐるりと包帯が三周ほど巻き付けられている。
昨日の夕食までには、なかった怪我だ。別れた後、何があったんだろうか。
有吉と別れた後、春名も異常な叫び声は耳にしていた。
だが、それとクレイとは、どうやっても結びつかず、彼女は首を傾げる。
「すまなかった。春名の気持ちを、全然考えていなかった」
クレイは頭を下げ、真っ向から春名を見つめる。
驚く彼女を見つめながら、淡々と続けた。
「言わなくても知っていると判っていたから省略した。だが、それが春名の不信感を煽ることになるとは、思ってもみなかった」
「そ、そんな!違うの、違うんだってば、クレイ」
ぎゅっと手を握られ、クレイはハッとなる。
春名は無意識でやっているのか、特に意識している様子はない。
クレイの手を握ったまま、彼女は慌てて言った。
「不信とか、そういうんじゃなくって!ただの、子供のワガママなのっ。あのね、クレイが話してくれないのって、私のこと……それほど大事に思ってないっていうか、好きじゃないんじゃないかって」
「そんなことはないッ!」
思わず、クレイも握られた手を強く握り返す。
春名はビクッと身を竦め、続いて握られた手に気づいて赤くなった。
頬を赤らめ、どこか視線を漂わせながら、彼女はボソボソと呟く。
「だから、それは全部、勝手な妄想が生み出した私のワガママ。ごめんね。クレイだって忙しかったのに、私、自分のことばかり考えて」
「自分のことばかり考えていたのは、俺も同じだ」
頷くクレイを見て、春名が小さく溜息をつく。
呆れの溜息ではないのは、彼女の真っ赤に染まった頬を見れば一目瞭然だ。
「本当に、ごめんなさい。こんな私でもよければ、一緒にアメリカへ」
彼女が言い終わらないうちに、クレイは笑顔で応えた。
「あぁ。同行感謝する」
許してもらえて、良かった。
ほっとひと安心したところで、春名が尋ねる。
「あ、ところで……それ、どうしたの?」
おでこの包帯を指さすが、クレイには軽く流されてしまった。
「大した傷じゃない。それよりも春名。スペアキーは、まだ持っているか?」
「え、あ。うん。机の中に、ちゃんと」
「出発する時にはキーも荷物の中へ忘れず入れておいてくれ」
一緒に行くのに?そう尋ねると、クレイは少し表情を曇らせて頷く。
「万が一パイロットが倒れた場合、戦闘パートナーが代わりを務める事になっている。無論、春名に戦わせるような事態にならないよう万全は尽くすが」
「…………えええええええええええええええええええ!!!!!?
後半、クレイの言葉は春名の絶叫によって、かき消された。


そして、あっという間に日は流れ、出発の朝が来た。
格納庫には基地に住む全員が集まっている。
どの顔も緊張で強張り、大勢いるというのに不気味なほど静まりかえっていた。
「クレイ、ピート、ヨーコ。それから整備班の諸君に戦闘パートナーの諸君も。無理は禁物じゃぞ。生きて帰る、そのことを常に忘れるんじゃない」
Q博士の送辞に、選ばれた面々は「はいッ!」と力強く返事する。
「我々の戦いは、ここで終わりではない。ここから始まるようなものだ。今回は、各国首脳に我々の働きをアピールするチャンスでもある。無理は禁物、とはいえ無様な戦いだけは見せんようにな」
続いてジロッとR博士に睨まれ、一部の気弱な者達が苦笑する。
U博士が、さっと手を挙げた。
「では、パイロットと戦闘パートナーはソルに搭乗。整備班は戦闘機へ搭乗せよ」
全員が敬礼する中、選ばれた連中は、それぞれの元へ走っていく。
中には敬礼を乱しているのも何人かいて、走る背中へ声援を送った。
「大豪寺〜!絶対、絶対生きて帰ってきてくれよぉ〜!」
叫んでいるのは猿山だ。
涙をボロボロこぼして、隣の晃に押さえつけられている。
『五番ハッチ、六番ハッチ、七番ハッチ、開きます。注水を開始して下さい』
館内放送でミグの声が流れ、プールに水が満たされていく。
それぞれのハッチは長い通路をくぐり抜けた先に、外の海水へと繋がっている。
Aソルは五番、Bソルは六番、Cソルは七番から出て、各地へ散らばる予定だ。

ハシゴを登ってくる春名の腕を掴み、クレイは彼女を引っ張りあげてやる。
「わ、わわっ!?」
入る際、足にハシゴを引っかけ、春名はクレイの胸へ飛び込む形で転がり込んだ。
外で激しい音がしたが、誰もハシゴの下敷きになっていないことを祈るばかりだ。
さて――ソルの内部は広かった。
てっきり一人腰掛けたらギュウギュウだと思っていた春名は、感嘆の声をあげる。
操縦席と言いつつ、操縦桿らしきものが見あたらない。
何もない、といっていい。
丸い床に敷き詰められたパネルがある程度で、あとは空間が広がっている。
体育座りで五、六人ぐらいは乗れそうなスペースだ。
……まぁ、別に体育座りでなくてもいいのだが。
「広いね〜」
今にも踊り出しそうな春名を横目に、クレイが淡々と説明する。
「内部温度は壁の赤いスイッチを回して調整。操縦時にはパイロットスーツを着用。スーツがコンソールの役目を果たしている。それから」
足下をトントン、と踏んで、注目を促した。
「足下のパネルが操縦キーだ。脳内の動きを具体化させる」
「え……っと?」
何を言ってるのか判らず、首を捻る春名を置き去りに、クレイの説明は続いた。
「だが、これは覚えなくてもいい。操縦は俺がやる」
軽快な音がして、前方のシャッターが開く。明るい光が差し込んできた。
窓は四角い。そこから見えるのは、格納庫の様子だ。
「春名は窓から見える敵の動きを見て、俺に指示を与えてくれ」
「う、うん」
できるかしらと思いはしたものの、春名はぎこちなく頷いた。
できるかしら、じゃない。絶対やるのだ。やらなきゃ、二人とも死ぬ。
「任務中は出来る限り、ソルの中で過ごせと命令を受けている。寝る時も食事も、ソルの中で行う。説明は以上で終了だ。質問は?」
「へー、寝る時も、食事も、ソルの中で」
クレイの言葉を繰り返しながら見渡してみたが、ここにはベッドもテーブルもない。
「……えっと。食事と寝るのは、ソルの中でやるの?どうやって?」
春名の問いに、クレイは即座に答えた。
「寝るのも食事も、床の上で行う。寒くはない、大丈夫だ」

つまり……
床でゴロ寝しろと?
食事は、床に座り込んで食えと?

無表情なクレイを見るに、どうも、そういうことらしい。
「え〜っ」
堅そうな床に、さすがに春名の口からは不満が漏れる。
それを見たクレイは、にっこり微笑み、自分の胸を叩いた。
「大丈夫だ。床で寝るのが嫌なら、俺が春名のベッドになる」
一瞬、言われた意味がわからず、ポカーンとする春名だが。
「ちょ、ちょっとそれ、どういう意味ッ!?」
真っ赤になってクレイへ食ってかかった時、再びミグの放送が聞こえてくる。
『各ソルはハッチへ移動。着水を開始して下さい』
途端にソルが動き出し、春名はよろけて尻餅をついたのだった……

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