BREAK SOLE

∽28∽ パートナー


「あ……えぇと、その……」
床に組み伏せられたクレイを見て、瞳は口ごもる。
その様子から大体を察したか、Q博士は頷くと、皆を部屋の外へ促した。
「ほれほれ、明日も早いんじゃ。皆はもう寝た寝た」
「し、しかしQ博士。彼をこのまま放っておいていいんでしょうか?」
クレイを押さえつけたスタッフは不安そうだ。
あんな声……
いや、クレイの声自体、この基地にいる殆どの者は聞いたことがない。
初めて聞いた声が、あんな絶望に満ちた絶叫だとは。
荒々しくて、でも深層には悲しみが広がっていて、心が引き裂かれるように感じた。
二度と聞きたくないとさえ思った。
「大丈夫じゃ。わしが夜通し見てるからの」
Q博士はスタッフの肩をポンと叩き、R博士やヨーコにも視線を送る。
「R博士、明日のミーティングは午後からに変更じゃ。皆も判ったな?」
まだ怯えた様子で、ヨーコが頷く。傍らのピートは半分寝ているようだ。
「は……はい。判りました」
「ピートとヨーコは、通常通り訓練室で射撃訓練を。開始は朝七時。さぁ、夜更かしは美容に悪い。さっさと寝なさい」
「で、でも」と渋るヨーコの背を押して、さっさと部屋から追い出した。
続いてR博士が、ピートの手をひきひき廊下へ出る。
「では頼むぞ。できれば明日は」
「判ってる。クレイは、明日の訓練は休ませる」
二人の博士は頷きあう。
R博士はピートを彼の部屋に放り込むと、自身も部屋へ戻っていった。
皆がぞろぞろと出て行った頃合いを見計らい、Q博士は秋子と瞳を呼び寄せる。
クレイは、すっかり大人しくなり床に座り込んでいた。
目が、うつろだ。
「さて。何が起こったのか、初めから説明してくれるかね?」
「はい。あの……」
瞳が、おずおずと話し始める。


ベッドで横になっていた真喜子はドアをノックされ、身を起こす。
「どうぞ。開いておりますわ」
入ってきたのは、パジャマ姿の美恵だった。
彼女は、びくびくと辺りを見回しながら、真喜子へ尋ねてきた。
「ねぇ。さっき、上の階から聞こえてこなかった?変な叫び声が」
すぐに真喜子は頷く。
「えぇ。聞こえましたわね」
実をいうと真喜子も、その声で目を覚ましたのだった。
時計を、ちらと見る。時刻は夜の十時を回っていた。
仕事の残っている者は、まだ働いている時間帯だから、非常識という時間ではない。
だが――叫び声というのは、変だ。非常識云々の問題ではない。
何かよくない、非常事態でもあったのだろうか。
「とにかく着替えて、館内放送を待ちましょう」
手早くネグリジェの上にガウンを羽織る。
美恵も頷き「じゃ、ちょっと待ってて。着替えてくる」と言い残して、出て行った。
自室で待っていようという意味で言ったのに、ここへ戻ってくるつもりだ。
一人で部屋にいたのでは、心細くて仕方がないのだ。
そういえば……食堂に居た人達にも、今の声は聞こえたのだろうか。
今の時間だと、整備班は食事を取っているはずだ。猿山や秋子もいるかもしれない。
美恵が戻ってきたら、一緒に食堂へ行ってみよう。
そして、皆にも意見を聞いてみよう。真喜子は、そう考えた。

食堂に残っていた面々にも、三階からの叫び声は聞こえていた。
猿山や牧原など血気盛んな連中は、早くも階段を駆け上がり、三階へ到着する。
一方、怯えてしまってスタートを逃した鈴木は、立ち上がりかけるも、もう一回着席。
気を紛らわせようと、同じく怯えた目の笹本に話しかけた。
「なんだったんだろうな?今の声。ドラマに出てくる断末魔みたいだ、はは」
笑ってみたが、声は途中で引きつってしまい、うまく笑えない。
おまけに『断末魔』というキーワードが気弱な友人を、さらに怯えさせてしまった。
「やめろよ、断末魔だなんて……でも、誰の声だったんだろ」
震える手で笹本は、お茶の入ったコップを握りしめる。
いつもは熱くて飲むのにも難儀するコップだが、今はこの熱さが有り難かった。
「スタッフの誰かじゃないの?」
即座に受け応えてみたものの、有樹にも思い当たる人物がいない。
「スタッフにしたって」と震える声で優が言う。
「あんな声、なにがあったら出るっていうの?普通出ないよ、絶叫なんて」
「知らないよ、そんなの」
有樹は肩をすくめる。
吉田は廊下を見た。
「猿山君達が戻ってきたら、教えてもらおう」


瞳から一部始終を聞かせてもらい、Q博士は途方に暮れる。
あの子、ハルナちゃんといったか。なんということをしてくれるのだ。
彼女の気持ちは、判らないでもない。
好きな人が自信たっぷりに大丈夫だと言ってくれれば、不安な気分も和らぐ。
心配するなと言ってくれれば、胸が潰れそうになる日々も少しは楽になる。
それをしなかったのはクレイ側の落ち度だ。確かに彼が悪い、そうも言えよう。
しかし、それはあくまでもハルナ側の勝手な言い分である。
クレイは忙しかったのだ。
本当に忙しかった、それこそ食事を取る時間も惜しいぐらいに。
話す義務を忘れていたとしても、そこはハルナ側が気遣うべきではないのか。
不安なのは誰でも一緒だ。
ハルナが不安なように、クレイだって不安だったはずなのだ。
ハルナはクレイの不安を解消してあげていたと自信を持って言えるのか?
喧嘩両成敗。
ハルナにも、きちんと話を通しておく必要がありそうだ。
「あの……」
Q博士の眼鏡の奥に厳しいものを感じ取ったか、瞳がおずおずと切り出す。
「春名のこと、怒らないであげて下さいね?」
さすが親友、友人のフォローもばっちりだ。
しかしQ博士は冷たく首を振る。
「そうもいかんじゃろ。この大事な時期に喧嘩は、いかん」
言いよどむ瞳の代わりに、今度は秋子が口を挟んでくる。
「でもさ博士、春名だってホントは喧嘩なんかしたくなかったんだよ?」
「問題は結果じゃ」
「そうだけど、でも」
喧嘩のタネを植え付けたのはクレイでしょーが。
そう言いかけて危うく言葉を飲み込んだ秋子は、うまい回避を試みる。
どっちが悪いと言い続けていたのでは、喧嘩は終わらない。仲直りもできない。
「春名ってさ、結構寂しがり屋なんだ。博士は知らないだろうけど」
「ふむ、それで?」
Q博士に促され、秋子は視線上向きに応えた。
ここから先は秋子の想像だ。
「クレイが遠くに行っちゃうってんで、癇癪起こしてスネちゃったんだ」

寂しくて――
それなら、嫌いって言ったのも辻褄が合う、かな?
そう、本音じゃないんだよ。
意地っ張りが爆発して、つい、反対のことを言っちゃっただけ。

「まだ子供なんだよ、精神的にさ。ま、子供なのは、あたしもだけど」
ちらりとクレイを見た。
まだ視線は普通とは言い難かったが、彼も、こちらを見ている。
目が救いを求めている。
まるで、捨てられた子犬みたいに頼りない視線だ。
安心させようと、秋子は力強く頷いた。
「そうなんだよ。春名はね、クレイのこと、嫌いじゃない。好きなんだ、大好きなんだ」
クレイの口がパクパクと動く。
何か言いたくて、でも言葉にならなくて、結局、彼は通話機を使って秋子に尋ねた。
『どうして、横田に、それが判る?』
「だって」
秋子は微笑む。見る者を安心させる、輝かしい笑顔。
「春名とは友達だもん。長いつきあいだからね、判るよ」


皆を怯えさせた叫び声が聞こえた夜も更けて、翌日。
食堂や製造ブースは当然のように、その話題で持ちきりであった。
訓練室に、クレイの姿はない。
騒ぎを知らなかった連中も最初は訝しんでいたが、理由を知って納得する。
ただし、誰もクレイが乱心した本当の理由は知らないままだった。
――ごく一部の者達を除いては。

「急に大暴れするなんて、頭脳回路でも狂ったんじゃないかねぇ」
ここぞとばかりにデトラはクレイを叩き、その横でボソッとミグが突っ込む。
「……ブルーは、ロボットではありませんよ。人間です」
「似たようなもんじゃないかィ。感情のないトコなんて、そっくりだ!」
あんたもね、とばかりにミグを睨みつけると、デトラは会議室を見渡した。
Q博士とクレイの姿だけが、ない。
本日のミーティングは急遽、午後に回された。昨夜の一件が原因だという。
昨晩デトラは遅くまで製造ブースにいたから、事件については今朝聞いた。
聞いた直後の彼女の感想は――くだらない、この一言に尽きる。
機械みたいな人形野郎が絶叫をあげた?だから、なんだというのだ。
そんなつまらないことで、こちらの予定まで崩させないで欲しい。
「諸君、静かに。では、本日のミーティングを始める。今日の議題は」
T博士が場を取り仕切り、話し始めた直後。会議室のドアが開く。
皆の視線が、入ってきた丸頭に集中する。
「Q博士!それにクレイも一緒か、もう大丈夫なのか!?」
R博士の問いに、まん丸頭のQ博士が頷き、クレイを部屋の中へ押しやる。
クレイの頭には白い包帯が巻かれていた。
「ひとまずミーティングのほうが大事なのでな。仲直りは、この後じゃ」
「ふむ……仲直りは、する気でいるのか。良い心がけだな」
二人して、ぼそぼそと打ち合わせた後、それぞれに着席する。
「なんだい、男二人で内緒話か?コソコソしちゃって気味悪いねェ」
デトラに煽られたが、R博士は肩をすくめ、Q博士は苦笑したのみだった。
皆の視線もT博士へ戻る。
「えー。本日の議題だが、各パイロットは起立。諸君らに指名を命じる」
がたんと席を立ち、ピートがオウム返しに尋ね返す。
「指名?」
「君達三人には、それぞれ修理班が同行する。それとは他に、戦闘補助。戦闘パートナーを指名して、同行させることを許可する」
「戦闘、パートナー?」と聞き返したのは、ヨーコ。
怪訝な顔をする彼女へ、T博士は頷いた。
「そう、戦闘パートナーじゃ。戦闘中、諸君らの目となる補助役じゃよ」
なにしろ、数では圧倒的に不利だ。
一応、多人数相手の特訓もしているが、不安要素が消えたわけではない。
レーダーだってアテにはできない。結局、判断するのは己自身だからだ。
だがソルは、普通に動かすだけでも、神経をすり減らす乗り物だ。
そのうえ敵の動きを把握して、戦うとなると、長期戦では自爆しかねない。
「ふむ、それで戦闘パートナーね。要するにレーダー代わりとなって、敵の動きを教えてやる人間を、コクピットに同乗させようってわけだ」
ソルの操縦席は広い。
席というよりは、ルームと言ってもいい程の広さだ。
二人三人、乗せようと思えば乗せられないこともない。
うんうんとデトラは頷く。
「だったら」と続けて言った。
「パートナーには、戦闘慣れした人間を選ぶべきなんじゃないかい?」
あたしを選べ!と言わんばかりの自信に、T博士は首を振る。
「それも考えた。だが、一番大事なのは互いの相性だという結論に至った」
「相性ォォ?ハァ?何言ってんのさ、博士。友達ゴッコじゃあるまいし」
厳しい視線を向け、R博士もT博士をフォローする。
「実際に戦闘するのはパイロットだ。パートナーではない。気の合わない者が乗り込んだとして、お前なら素直に言うことが聞けるか?」
「仕事は仕事だからね、ちゃんとやるよ」
ふん、と鼻を鳴らし答えるデトラへ、さらに尋ねた。
「パートナーがクレイやミグでも、か?お前の勘とは真逆を指示されても、きちんと言うことを聞いてやれるか?」
これには「うっ」と呻きをあげ、ミグとクレイの顔を一瞥するデトラ。
どちらも無表情に、こちらを見つめている。
こいつらの言うことを、素直に聞けだって?それ、新手の拷問か?
OK、判った。
博士達の言うとおりだ。気の合う者が乗り込む、それでいい。
「それで、指名ですか〜。ホントに好きな人を選んじゃっていいの?」とピートが何故かウキウキして尋ねるのにも、T博士は釘を刺した。
「言っておくが、相手が嫌だと言ったら、そちらを優先する。諸君ら以外の人間は、元々非戦闘員だということを忘れるなよ」
それに関してデトラは何か言いたそうであったが、口をつぐむ。
文句を言ってクレイのパートナーにでもされたら、たまらないと考えたのだろう。
ピート、ヨーコ、クレイの三人が、並んで壇上にあがる。
「ではまず、ピートから。あなたが連れて行きたい人物の名前を挙げて」
アイザに命じられ、ピートは、あれこれと悩んだ後、ようやく一人の名をあげた。
いや、あげた名前は一つだけではなかった。
「まず、第一希望はマキコおねーさま!第二希望、スミコおねーさま♪」
「おねーさまばっかりじゃねぇか、真面目にやんなよボウズ」
デトラにさっそく突っ込まれ、ぶぅっと口を尖らせる。
「好きな人じゃないとダメなんだろ?だからオレは、好きな人をあげたんだ!」
「スミコ=アリヨシと、マキコ=アリタ……ですか」
データを打ち込むアイザへ注文をつけるのも、ピートは忘れなかった。
「あ、マキコおねーさまが第一希望だからね?順序、逆、逆」
「アリタマキコは、アリタ重工の娘じゃな」
手元のデータを見ながらQ博士が呟く。R博士が即座に反応した。
「なんだと!それはいかん、彼女を戦場に引きずり出すなどッ」
面倒ごとを嫌う、博士らしい反応だ。
「彼女なら丁寧に辞退しそうですけどね。見るからに鈍くさそーですし」
呆れた調子でヨーコも突っ込み、ピートに睨まれる。
「ヨーコ、あなたの希望は?」
アイザに促され、ヨーコは答えた。
「第三希望まで言っておくわね!」
彼女のあげた名前は全て正規スタッフであり、助スタッフは一人も含まれず。
理由を聞くと「だって、素人になんか任せらんないわよ」と即座に切り替えされた。
戦闘はプロかエリートがやるべき仕事だ。
その点では、ヨーコはデトラと同意見の持ち主であった。
「最後はブルーですね。誰を選ぶつもりなのですか?」
ミグの視線がクレイを突き刺す。アイザも重ねて尋ねた。
「ブルー、あなたが希望する人物の名前をあげてちょうだい」
一応尋ねてはみたが、ミグには彼が誰の名をあげるのか大体の見当がついていた。
昨夜の事件――
今朝ミカから聞かされた、あの話。
いつもは無口なミカが、雄弁に語ってくれたのだ。
皆が知らないような事でさえ。
恐らくは、ミカの推測も混ざっているのだろう。
ちら、とQ博士に視線をやる。彼は満足そうに微笑んでいた。
博士にも見当がついているようだ。だから、笑顔を浮かべていられる。
クレイが通話機に名前を打ち込んでいる。
こんな時ぐらい、自分の声で話せばいいのに。
不満の溜息をミグは漏らす。ミカの不満が感染してしまったようだった。
『大豪寺春名。彼女以外の人物は、同行を拒否します』
名前には見当がついていたものの、条件付きだとまでは思わなかったのだろう。
彼の返答に会議室がざわめく。ミグも目を見開いた。
「で、では彼女がノーと言ったら、あなたは、どうするつもりなのですか!?」
U博士が勢い込んで尋ね、クレイはコクリと頷く。
『一人で戦います。パートナーは不要です』

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