BREAK SOLE

∽27∽ 春名に嫌われた


廊下を飛び出し、自室へ走っていく春名を追いかける。
「春名!」
呼び止めるも彼女は部屋へ駆け込み、クレイの鼻先でドアは勢いよく閉まった。
ドアノブに掴みかかり回そうとしたが、回らない。鍵を、かけられたか。
「春名!開けてくれ、話がしたい!」
手荒にドアを叩く。中からの返答は無い。
「春名ッ!!」
なおもドンドンと叩いていたら、背後からクレイの背中を突いてくる指がある。
振り返ると、秋子と瞳が立っていた。二人とも、きまりの悪そうな顔で。
「……あのさ。こうなっちゃうと春名、誰の話も聞かなくなるから」
「しばらく、放っておいてあげて?」
この二人は春名と特に仲の良い少女だ。その二人が言うのだ、放っておけと。
機嫌を損ねた時の春名の扱いは、たとえ親友といえども難しいものらしい。
「それにさ、こうなっちゃったのは」と秋子は言う。
「クレイのせいだからね?春名さぁ、ずっと話して欲しがってたよ。出撃の話を」
秋子までがミカと同じ事を。
また馬鹿と罵られるのかと、クレイは少し不機嫌になりながら受け応えた。
『俺達が出撃するという話なら、全員が館内放送で聞いたはずだ』
「それは、そうだけど!でもッ」
興奮した様子で、クレイの音声を瞳が遮る。
「そうじゃなくて、春名はクレイ自身のくちから聞かせて貰いたかったの!」
――どうして?目で問うと、瞳は応えた。
「春名はね、クレイに言って欲しかったんだよ?大丈夫だから、何も心配しなくていいから……って」
瞳は握り拳を固めて力説。握りしめた拳は小刻みに震えている。
まだ判っていないといった表情を向けるクレイへ、彼女は怒鳴った。
「館内放送で知ってても!言ってもらいたかったの!出撃する本人から、絶対勝つって心配は無用だって言って欲しかったのに!」
少し考え、クレイも答える。
『勝負に絶対は、ない。それに心配無用と言い切れる根拠も、ない』
無表情な彼へ、瞳はキッと怒りの目を向け、その傍らで秋子は天を仰ぐ。
「あーッ!これだから天然は駄目なんだ、乙女心が判っちゃいないんだからなァ」
『乙女心?』
「そっ。乙女心。女の子ってのはね、好きな人から聞かせて欲しいもんなの」
『何を?』
「今回の件もだけど、他にも色々とね。今日の訓練はきつかったとか、さ」
『訓練は別にきつくない』
真顔で応えるクレイに苦笑しつつ、秋子は肩をすくめる。
「例えばの話だよ。他にもあるよ、暇な時間は何をしてるのか?とか」
『普段は』
またも真面目に応えようとする彼を手で制すると、秋子は春名の部屋のドアを軽くノックした。
「春名、聞こえてる?」
中からは、当然のように返事がない。構わず秋子は話し続けた。
「あのね、クレイは悪気があって、あんたに伝えなかったわけじゃないんだよ。もう知ってることだから、別に言わなくてもいいやって思っただけなんだ……ま、よくある男子の鈍感さってやつ?そーゆーわけなんで、そろそろ許してやってくれる?」
やっぱり返事がない――
かと思いきや、扉の向こうから、ぼそぼそと返事が返ってくる。
「……じゃないもん、クレイのことなんか、別に……」
「え?なんだって、春名。よく聞こえない」
扉に耳をつけて、秋子が尋ね返すと。
今度は扉がビリビリくるほどの大声で、春名は答えた。
好きじゃないもんッ!!クレイなんか、大っ嫌いなんだから!!!
「ひぁッ!?」
慌てて扉から離れると、秋子は耳を押さえながら春名に再度尋ねる。
「ちょ、春名あんた、何言って、自分が何言ってるか、判ってんの?」
「クレイの馬鹿!アメリカでも何処にでも、さっさと行っちゃえ!!」
あまりにも感情が高ぶりすぎて、自分でも押さえきれなくなっている。
ヒステリックに叫んだ後、扉の向こうからは言葉にならない嗚咽が聞こえてきた。
「ちょっとォ、落ち着きなってば!今、ここにいるんだよ?クレイが!」
そう言ってから改めて自分の失態に気づき、秋子は舌打ちする。
クレイを追い返した後にやれば良かった、春名へ話しかけるのは。
これでは秋子だって、恋する男性の気持ちが判っていないのと同じではないか。
とても、クレイに説教できたもんじゃない。
背後に目をやると、呆然と立ちすくむクレイが目に入った。
顔色が悪い。というよりも、真っ青だ。
今にも卒倒しそうな様子の彼に、瞳が慌ててフォローを入れる。
「あ、あのね?クレイ、あの、春名は今、ちょっと混乱してて……」
それさえも最後まで聞こうとせず、クレイがふらりと歩き出す。
「ちょっと、大丈夫?足下ふらついてるよッ。それに顔、真っ青じゃん!」
途中よろけて壁に肩をぶつけたが、それでも彼は立ち止まらない。
ふらふらした足取りでエレベーターへ向かう。ということは、自室へ戻るつもりなのか。
どうにも放っておけなくて、秋子と瞳はクレイを追いかけた。

「お、おい。聞こえたか?今の」
春名の大声は廊下を通じて、食堂に残っていた面々にもバッチリ聞こえていた。
「今の声って、大豪寺さんだよね。なんか怒鳴ってたみたいだけど」
優が呟けば、有樹がすぐさま相づちを打つ。
「うん、大豪寺さんの声だった。クレイなんか大嫌いって」
「こりゃまた、盛大にふられてしまったものだねぇ」
お茶をすすって、吉田が一言。
「クレイくんは大丈夫かな。出撃前だというのに大ダメージだよ」
「大ダメージっていうか、ヒットポイントゼロじゃねぇ?」
笑いの壺にでも入ったか一人で肩を震わせているのは、牧原。
ついでに、隣に座る猿山へも話題を振ってよこした。
「良かったなぁ、猿山。クレイが大豪寺にフラレてさ」
核心をついた話題に「ぶッ」とお茶を吹いた猿山は、テーブルを叩いて怒鳴り返す。
「な、なんで俺に振るんだよ!?何度も言ってるが、俺ァ別に大豪寺のことは」
「ハイハイ。照れない、照れない。もう皆、知ってるんだしさぁ」
今更な態度の猿山に、ひらひらと手を振って茶化す牧原。
彼の顔から意地悪なニヤニヤ笑いを消させたのは、晃のお小言であった。
「趣味が悪いぞ、牧原。人の失恋を笑いのネタにするなんて」
「それにクレイくんがダメージを受けたら困るのは、ここにいる全員だ」と、これは吉田。
「このショックが尾を引いたら、宇宙人との戦闘にも支障が出るだろう」
有吉は涼しげな瞳で廊下を見やる。
「なにも出撃前に告白しなくてもいいのにね。何考えてるのかしら、大豪寺さん」
「すっ……スーちゃん!」
珍しく倖が大声をあげた。
皆の視線が一気に集まり、たちまち倖は真っ赤になる。
だが「なぁに?サッチ」と有吉に促され、俯き加減に話を続けた。
「スーちゃん、前に言ってたよね。スーちゃんにしかできない仕事があるって」
「え?……えぇ」
すぐに思いだし頷く有吉へ、強い思いを込めて倖は頼み込む。
普段弱気な彼女からは考えられない行動だ。
「だ……だったら、これも、スーちゃんにしかできない仕事だと思うの。大豪寺さんを、慰めてあげて!」
「大豪寺さんを?ブルーじゃなくて?」
有吉だけではなく、食堂にいた全員が首を傾げる。
クレイを慰めろというのなら話も判るのだが、何故、春名のほうを慰める必要が?
「う、うん……大豪寺さんを」
「どうして?大豪寺さんはブルーを傷つけた張本人なのに?」
じっと見つめられ、視線を完全に下へ落として倖は呟く。
「だって……」

だって、私には判るんだもの。
大豪寺さん、本当はクレイのこと、嫌いなんかじゃない。
ただ、好きって思いが強すぎて、不満に思う気持ちと、ぶつかっちゃって。
それで、大爆発を起こしちゃったんだ。
きっと今ごろは後悔してるはず。うぅん、泣いてるかもしれない。
その時、側で慰めてくれる人がいなかったら、すごく寂しいと思う。

「だって、ほんとは傷つけるつもりなんか、なかったから」
最後のほうは囁きに近かったけれど有吉には聞こえていたようで、優しく倖の頭を撫でてやると、有吉はニッコリ微笑んだ。
「判った。滅多に聞けないサッチのお願いだものね。やってみる」
ただ、有吉と春名は、それほど親しいと呼べる関係ではない。
こういうのは本来、秋子か瞳がやるべきなのだが、当の二人が見あたらない。
恵子も親しいといえる範囲だが、彼女は今、厨房で洗い物と格闘中だ。
今日の洗い物当番は彼女なので、仕事を邪魔するわけにもいくまい。
では、晃は?
無理無理。彼に春名の乙女心が理解できるとは思えない。
何しろ、有吉の秘めたる乙女心にも気づかないような鈍感男なのだからして。
万が一理解できたとしても、彼に恋のキューピッドができるかといえば、これもノーだ。全く期待できない。
彼が得意とするのは喧嘩の仲裁であって、恋人の仲人ではないのだ。
そもそも、晃は誰かを好きになったことがあるのだろうか?
そんな噂など、有吉は一度も聞いた覚えがない。
駄目だ。
春名と親しい者の中で、彼女を説得できそうな人物が一人もいない。
――仕方ない。
サッチの頼みでもあることだし、一応ダメ元でやってみますか。
有吉は重い腰をあげ、食堂を後にした。


倖の予想通り、春名は自室でへこんでいた。
足音が三つ立ち去った後も、鬱な気分は春名の中から消え去ろうとしなかった。

――クレイなんか大嫌い――

あんなこと、言うつもりなかった。
クレイが部屋の外にいるのだって、判っていた。知っていたのに。
なんで、あんな酷いことを言っちゃったんだろう。
涙が後から後からこぼれてきて、止めようにも止まらない。
ポタポタと枕に、幾つもの染みを作っていく。
言った春名が、こんなにも悲しいのだから、言われた方は、もっと悲しいに違いない。
体を張って守っている対象に嫌いと言われ、どこへでも行けと罵倒されたのだ。
「ごめんなさい……ごめん、なさいっ…………」
彼の顔を思い浮かべたら、また涙が出てきた。
ボタボタと大粒の涙が枕を濡らす。もうすっかり、枕は涙でぐしょぬれだ。
ずずっと鼻をすすりながら、何度も春名は謝った。ここには居ない人物へ向かって。
「うぇっ……ご、めんなさ…………クレイッ、ごめん……っ」


春名が泣き濡れてる間、クレイも傷心を抱えて自室へ戻る。
「クレイ、大丈……ぶッ」
追いかけてきた秋子と瞳の目の前で、ドアが派手な音を立てて閉められた。
どうしよう。
中へ入って慰めるべき?
秋子と瞳は顔を見合わせる。
そこまで立ち入ってよいものかどうかが、判らない。
自分達がクレイにしてあげられることは、何もないかもしれない。
それでも去りにくくて、二人は扉の前に立ちつくす。

部屋に入ってもしばらく、クレイは呆然と扉に寄りかかっていた。
春名に嫌われてしまった。
何故?
話さなかったからか、出撃の話を。
だが何故、その程度で嫌われてしまうのだ。
秋子もミカも、ブルーは馬鹿だと言った。
秋子は面と向かっては言わなかったが、言葉尻には似たようなニュアンスがあった。
春名の気持ちが全然判っていない、とも言われた。
判っているつもりだった。
春名が自分に好意を持っていることは、うすうす判っていた。
だから告白した。思っていたことを彼女に言うことだって、できた。
でも、本当のところは、どうだったのだろう。
春名は、本当に自分のことが好きだったんだろうか?
それとも、好意を持たれているなんてのは、ただの自分の勘違いだったのか。
きっと博士に褒められて、いい気になっている自分が心の中にいたのだ。
春名が好意を持っているなんて思いこんだのも、その気持ちが生み出した幻影?
本当は、春名はクレイのことなんか初めから――
「う……お、あ………あああああああああああああああああああッッッ!!

部屋の外にいた秋子と瞳は、壁を叩く強烈な音と突如聞こえてきた大声に身を竦ませた。
「なっ、何!?今の大声、誰が出したのっ!?」
慌てふためく秋子に、扉を指さしながら瞳も狼狽える。
「な、中!中から、聞こえてるッ!」
あまりにも異様な叫び声だったのか、あちこちの扉が開いて皆が飛び出してくる。
パジャマ姿のヨーコが真っ先に走ってきて、秋子と瞳に掴みかかった。
「ちょっと!今の声、お兄ちゃんでしょ?違うっ!?一体、何があったのよ!」
「わ、わかんない!わかるわけないじゃん!!」
ぶんぶんと首を振りながら、だが本当のところは秋子にも予想はついていた。
春名に嫌われて絶望に瀕したクレイが発狂、いや絶叫したのだと。
中からは、叫びに混ざって壁を叩く音も連続的に聞こえている。
「とにかく開けろ!ドアを開けるんだ!!」
R博士に促され、せーのでドアを開けて、皆で揃って踏み込んだ。
青一色の色彩に、秋子と瞳は目を奪われる。
だがそれよりも、もっと目を奪われる光景が、そこにはあった。

一面に広がる空色の壁紙に、赤い染みが転々と飛び散っている。

クレイはというと、叫びながら壁に頭を打ちつけていた。
赤い染みは彼の血だ。
ガンガンと打ちつけるうちに額が割れて、そこから飛び散ったものらしい。
秋子や瞳はもう、怯えてしまって足が動かない。
ヨーコもただ呆然と、クレイの異様な行動を見つめていた。
「クレイ、何をしとるッ!?よさんか、頭がブッ壊れるぞ!!」
R博士が後ろから羽交い締めにするも、クレイの動きは止まらない。
寝ぼけ眼のピートが呟いた。
「頭の前に壁がブッ壊れんじゃね?」
「こら!お前らもボケッと見とらんと止めんか!」
R博士に怒鳴られ、我に返ったスタッフが何人か加勢に入る。
数人がかりで床に押さえつけられて、ようやくクレイは動きを止めた。
「誰か、Q博士を呼んでこい!」
「は、はいっ」と走り出したスタッフは、入ってきた人物と正面衝突。
入ってきたのは、Q博士だった。呼びに行く手間が省けた。
Q博士は壁に散った赤い染みを一瞥してから、皆に尋ねる。
「これは一体、何事じゃ?」
そしてスタッフが首を傾げる中、秋子と瞳へ、もう一度尋ねた。
「君たちなら、知っていそうじゃの。クレイに一体、何があったのかね?」

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