BREAK SOLE

∽26∽ 緊張


Aソル以下戦闘機が各国へ出発できるのは、二週間後とのことであった。
二週間というのが早いのか遅いのか、春名には判らない。
それよりも、もっと判らないことがある。
クレイの事だ。
緊急指令は館内全体に響き渡ったから、ソルが出撃するのは知っていた。
なのにクレイ自身のくちから、それを聞かされた覚えがない。
ピートは、こちらが聞くよりも先に自分から話してくれた。
食堂に入ってきた途端、やたら自慢げに語り出したのである。いつもの調子で。
――ハルナちゃん、聞いてくれよ!フランスだぜ、フランス!
――オレ、フランスへ行くことになったから!
――ついにオレにも活躍の場が来たって感じ?
――二体だぜ、二体!二匹の宇宙人を一人で相手取るってわけ。
――おっ、心配してくれるの?さっすがハルナちゃん、優しいなぁ。
――でも心配はノーセンキューだぜ。だってオレ、強いもん!
といったことをベラベラ語ったあげく、春名の手を取り熱い眼差しを向けてよこした。
「オレ、絶対勝つよ。キミを守るために」
多分、真喜子や有吉にも同じような事を言っているのだろう。
厨房にいる有吉の顔が、それを物語っている。彼女は苦笑していた。
ヨーコは中国へ発つらしい。
食堂で彼女がスタッフを相手に、そんな話をしていたのを思い出す。
「ちゃんと整備してよね」と、しつこいぐらいに繰り返していた。
自分でやっているはずの整備も、今回は完全にスタッフ任せにしているようだ。
スタッフが何か言い返すたび、ヨーコはヒステリックに怒鳴り返す。
本心では、不安なのだ。
広島上空で初めて見かけた時、彼女達は一体を相手に三体で戦っていた。
一人で二体を相手にしたことなど、一度もないのかもしれない。
彼女が心配だったが、春名は声をかけられなかった。
凡人の春名に心配されたとあっては、ヨーコのプライドを刺激しそうだったので。
ヨーコが中国、ピートがフランスとくれば、残るクレイはアメリカへ行く事になる。
館内放送によれば、襲われている国は中国とフランスとアメリカの三つなのだから。

――本当はもう一つ、ドイツも襲われているのだが、春名達は聞かされていない。
救助しない国を皆に教える必要もないというR博士の独断で、放送では省略された――

さて、そのクレイだが、彼も食事の時間には食堂へ足を運んでいる。
にも関わらず、出撃の話を春名にしてくれた事は一度もない。
変わったところをあげるとすれば、今までよりも無口になったぐらいか。
通信機を用い、Q博士と話すこともしなくなった。
無言で食事を皿に取り、無言でQ博士と同じテーブルに腰掛け、無言で食べ始める。
食事が終われば無言で皿を片付け、無言で部屋に戻る。毎日が、その繰り返しだ。
クレイだけではない、Q博士も口数は少なくなった。
不意に遠くを見上げて、何か考える仕草を見せる時も多々ある。
組織の中心人物というだけあって、色々考えなければならない事も多いのだろう。
生活スタッフとしてできるのは、彼の思考を妨げないようにする。それぐらいだ。
一度だけ、博士の思考を中断させてしまったことがあった。
その時の博士の顔は、とても穏和な彼らしくもない表情で、春名は一生忘れられないほどのショックを受ける。
丸い眼鏡の奥で光ったのは、恐らくは殺気でもあったように思う。
以降、博士が物思いに沈んでいる時は、声をかけないようにしようと心に決めた。
この緊張は、クレイ達が宇宙人を撃退するまで続くのだ。
不意に、これまでの日々が懐かしくなる。
早く今までのような日常に戻りたい。
クレイは、彼は、どのように受け止めているのだろう。今の事態を。
彼も願っているのだろうか?日常へ戻りたい、と。


戦闘準備が行われている間も、訓練が休みになる日はない。
むしろ内容は厳しくなったように感じる。
途中でピートが弱音を吐いていたが、一切の手加減は加えられなかった。
アイザも博士も焦っているのだ、内心では。
今までは、常に一対一を想定しての特訓を行っていた。
複数相手の特訓は、まだ早すぎる。皆が、そう考えていた。
敵の戦力が地球人を遥かに上回る事からも、相手が複数で来ることはない。
そうも考えていたのである。
宇宙人が、こちらを邪魔者視するであろうことは予測できた。
できたがしかし、連合を組んでまで潰そうとしてくるとは。
そもそも、奴らが連合を組むという発想自体が意外だった。
奴らは、それぞれ別の思惑で地球を攻めていると考えていたからだ。
先に手を出したのは、地球人である。
だから奴らはやられた分を報復するために、地球を攻撃する。
しかし、やったやられたというのは個々の問題に過ぎない。
やられた側が手に手を取り、協力して恨みを晴らすなど。
種族も違うように見えるが、奴ら同士では意思の疎通が可能だというのか。
こちらは未だに、それらのどれとも交信が不可能だと言うのに。

シャワー室から出てきたクレイを待ち伏せする者がある。
小さな人影。ツインテールの少女は、ミカであった。
目が合うや否や、突き刺すような口調で彼女が尋ねてくる。
「ハルナに聞かれました。どうしてブルーは彼女と話をしないのですか?」
『話?何の話をしろと』
一拍おいて答える彼に冷たい視線を送ると、ミカは重ねて尋ねた。
「一つしかないでしょう。出撃の話です。どうして話をしてあげないのですか」
どうして、と言われても困る。
彼女だって館内放送で聞いているはずだし、二度も三度も繰り返す必要などない。
クレイがそう答えると、ミカは深々と溜息をつく。わざとらしいほどの溜息だった。
無感情な瞳がクレイを真っ直ぐ捉える。
「ブルーは、馬鹿ですね」
真っ向から罵倒された。それも歳の程、十にも満たない子供に。
何か言い返そうと通信機へ打ち込む間にも、ミカの攻撃は止まない。
「ハルナは心配しているのです。なのに放っておくなんて。最低です」
わたしがブルー、あなたなら、と彼女は視線を通路へ向けた。
「真っ先にハルナへ話します。そしてハルナに言ってあげます。心配は無用と」
心配無用。
頼もしそうではあるが、実際は頼もしくも何ともない言葉だ。
言われたところで心配する奴は心配するし、全く意味のない言葉と言える。
特に今回は、何もかもが初の試みだらけだ。
一機で三匹を相手にするのも初めてなら、三機が分散するのも初めてだ。
それなのに、何を根拠に心配無用などと言えるのか。
無責任な発言は、相手の信用を下げるだけだ。
なら、始めから不用意に言わない方がマシというものだろう。
『わかった。春名には出発する事実だけを伝えておく』
心配するな、などと余計な事は言わなくていい。
言ったところで春名はどうせ、心配してしまうのだろうから。
ミカへ頷くと、クレイは食堂へ歩いていく。
背後でまた、大きな溜息が聞こえたように思った。
加えて「……やっぱり、馬鹿なのです」という、小さな呟きも。

食堂は賑わっていた。
ピートやヨーコ、スタッフに博士の姿も見える。
絶望的なニュースを聞いてから、しばらくは誰もが元気を無くしていた。
だが出撃まで残す期間あと二週間となり、再び活気づいてきたものらしい。
逃げ出さない為には空元気でも出さなければ、やっていられないのかもしれない。
ここを乗り越えられれば、次への大きな飛躍も望める。そんな期待もあった。
クレイは食堂へ入るとすぐに、春名の姿を求める。
――いた。
お盆を手にしたまま、猿山と話している。
猿山は興奮しているのか、ご飯粒を飛ばしながら彼女と軽快に話していた。
内容は当然、今回の出撃について。
正しくはソルの整備手伝いについて、だ。
元々民間人で武器とは無縁の生活を送ってきた子供なだけに、全てが驚きの連続で話のネタも尽きないというものだ。
相づちをうつ春名にも興奮が伝染したのか、彼女は時折大きな声をあげていた。
さて。楽しげに話しているところへ割り込むのは、少々気が退ける。
話しかけようかどうしようか悩んだあげく、結局クレイはビュッフェへ向かった。
皿にハムやキャベツを乗せていると、背後から賑やかな声が彼を取り囲む。
「クレイも出撃するんですよね。ソルでの戦闘って、やっぱり怖いものですか?」
笑顔で尋ねてきたのは美恵だ。
恵子、瞳、秋子に雲母と、いつものメンバーの他に、優の姿もある。
ここ数日間、彼女達が話しかけたそうにしているのは知っていた。
それをさせなかったのは、クレイ自身の行動によるものであった。
話しかける暇も与えない早さで食事を終わらせ、自室へ引っ込む。
はっきり言うと、話しかけられたくなかったのだ。
話しかけられる事で、無駄な時間を過ごしたくなかった。
食事を迅速に済ませた後は、自室でのトレーニングが待っている。
博士に言われてやり始めたのではなく、クレイが自発的に始めたものだ。
決められた時間内での訓練だけでは足りない――
彼は、そう考えた。彼なりに不安を解消する方法だったのかもしれない。

でも、今日は違う。
話をするために、ここへ来たのだ。

『怖くはない』
答えると即座に、黄色い歓声が沸き上がる。
「それでこそクレイって感じィ!宇宙人なんてブッ飛ばせぇ〜!」
雲母のテンションは底なしに上がりまくり、優もガッツポーズで叫ぶ。
「敵は三体だっけ?チーム戦で来てるんだよね?でもソルは負けないよね!」
『負けないよう、相応の努力はするつもりだ』
心配無用とまでは言えないが、クレイだって全く自信が無いわけではない。
ここ数日ずっと、複数相手の特訓を行ってきた。
多角からの攻撃を避けることに関しては、ヨーコもピートも自信をつけたと思う。
身体能力を鍛えると同時に、コンセレーションの復習も行っている。
ソルの操縦も基本は戦艦と同様、コンソール・コンセレーションで動かす。
着用者の思考はパイロットスーツを通して、足下の操縦パネルへ伝わる。
念じる思考が強ければ強いほど、ソルは敏感に動きを表現してくれるのだ。
もっとも、操縦に関しては、クレイは前々から自信があった。
自信がないとすれば、初の多勢戦へ向けた覚悟。それと――
「頑張って下さいねぇ」
月並みな言葉を美恵が吐く。
秋子も同様だ。
「あたし達も、頑張ってソルの整備、手伝うからね!」
戦っているのはクレイ達だけじゃない。
私達だって戦っているんだ。
ということを、彼女たちは繰り返し強調してきた。

それは判っているつもりだけれど。

何故か今回の戦いでは割り切れない思いが、心の底に貯まっている。
一緒に頑張ると言ったって秋子達に出来るのは、せいぜい準備止まりで、クレイ達が出向いた後は基地で帰りを待つことしか出来ないだろう。
なのに、彼女たちは「頑張れ」と無責任にも言い放つ。
「私達も頑張るから」などと、恩着せがましく言ってくる。
恩着せがましく?
いや、そんなつもりは秋子達にはないはずだ。
クレイの耳が、そういう風に聞き取っているだけに過ぎない。
――怖いのか?
宇宙人三匹相手に、たった一人で戦うのが。
怖いから、秋子達に八つ当たりすることで、感情を抑えているのか?
クレイは自問する。自答は、出てきそうになかった。


ようやく猿山から解放された春名は、スタッフへお茶を配る。
何気なく食堂を見渡して、「あっ」と小さく叫んだ。
クレイがいる。
美恵や恵子に囲まれた席で、食事を取っているようだ。
話しかけるのは美恵達が一方的に、ではあったが。
ハイペースで食べることが多い最近にしては、珍しく長居している。
今日という今日こそは、話を聞かせてもらおう。
ついでに、何で今まで話してくれなかったのか理由も教えてもらおう。
彼女にしては強気に考えつつ、春名はクレイの元へ近づいていった。
「どうぞ。食後のお茶です」
コトリ、と音を立てて暖かい湯気を立てたコップが置かれる。
目線をあげて、クレイは驚いた。
目の前に春名が立っている。それも、心なしか怒った顔で……
何を言ったらよいのやらサッパリ思いつかず、ひとまず名前を呼んでみた。
『春名』
「はい?なんですか」
間違いなく怒ってる。口調が、いやに余所余所しい。
『アメリカへ行くことになった』
慌てて打ち込むと、「知ってます」と、つっけんどんに返される。
「三体を相手に戦うんでしょ。ピートくんから聞きました」
ビシッと言い切られ、素直に頷く。
「……どうして、話してくれなかったんですか?」
不意に口調が柔らかなものになり、クレイはハッとして彼女を見た。
「いつまで経っても話してくれないから、私……」
春名が言葉に詰まる。
また怒ってしまったのかと思えば、そうではなかった。
涙が。
目元から零れた涙が、頬を伝う。
涙は、幾つも幾つも零れ落ちて机を濡らした。
おしゃべりに夢中だった他の女子も、春名を見た瞬間に言葉を失う。
皆の注目を浴び、我に返った春名は慌てて目元を拭った。
「……ごめんなさい。頑張って、戦い」
挨拶もそこそこに、春名が食堂を走って出て行く。
クレイは乱暴に席を立つと、彼女の後を追いかけた。

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