BREAK SOLE

∽23∽ 悪い知らせ


午後八時。
基地内放送が元気よく夕飯の時刻を告げている。
「うっしゃー!特訓終わりィ、メシメシィ〜!」
ピートが真っ先に訓練室を飛び出してゆき、続いてヨーコとクレイも廊下へ出る。
「あら?あんた、確かミカって言ったっけ。ここに何か用なの?」
ドアを開けた途端、ミカと顔を合わせた。
彼女は尻餅をついている。
大方ピートと衝突して突き飛ばされたのだろう。
ピートは何故か、この少女を嫌っているようだ。
女の子なら誰でもチョッカイをかけるのが、彼のモットーだったはず。
何をかくそう本部に初めて来た時は、ヨーコでさえナンパされたのだから。
珍しいこともあるものだ。それとも、幼女は好きじゃないんだろうか?
ミカは無言で立ち上がると、ヨーコを無視してクレイを見上げた。
「……ごめんなさい、です。今後は仲良くしましょうなのです」
すっと右手を差し出し、彼女にしては精一杯の表情を見せる。
困ったような、泣きそうな、八の字に下がった眉。
精一杯の謝罪を意味した表情に、クレイの口元も思わず綻ぶ。
『そうしよう。こちらも大人げなかった、すまない』
ニコリと微笑み、がっちり握手。
訳がわからないといった風でヨーコが尋ねてよこした。
「何なの?喧嘩でもしてたの?二人とも」
「そうなのです。でも喧嘩は終わりなのです。これからは、仲良くしますです」
ヨーコの問いにはミカが答え、クレイも満足そうに頷いた。
いつの間にか始まっていた戦いは、知らないうちに終わったようだ……


食堂は、いつも以上にワイワイガヤガヤと騒がしい。
今までと違う雰囲気なのは、スタッフと子供達の席が混ざり合っているせいだ。
今日からスタッフの仲間入りをしたのだから、当然といえば当然。
年若いスタッフは話しかけられやすいのか、皆からの質問攻めにあっていた。
「前から聞きたかったんですけど、ここってどこの国の組織なんですか?」
晃の問いに、スタッフのカイトは肩をすくめる。
「国?俺たちは国に所属してる組織じゃァないぜ。有志による私設集団さ」
「あぁ、それで」
周囲を見渡しながら晃は頷いた。
「色々な国の人がいるんですね」
「でも、スポンサーは必要でしょう?」と割り込んだのは有吉。
「スポンサーね。うちの金蔵は博士達だよ」
親指でグイッと博士達の座る席を指し、カイトは言う。
「最初にアストロ・ソールを結成しようって考えたのが、あの博士達だからな。初期のメンバーは皆、博士の意志に感銘を受けた人間ばかりなんだよ。俺は初期メンバーじゃなくて、スカウトって形でココに来たんだけど」
「スカウト?そんなの、どこでやってたんだろ……見たことなかったなぁ」
有樹がキョトンとし、スタッフは天井を見上げて溜息を漏らす。
「秘密裏に動こうって組織が一般公募するわけないだろ?裏でやってたんだ」
「裏世界とか、闇世界ってやつ?なんかダークだよね!格好いいよねぇっ」と、喜んでいるのは雲母だけ。
ほかの皆は、まだ納得いかぬ顔を見合わせる。
「ま、お前らが納得しようがしまいが、そういうルートでの話だったんだ。誰かさんがヒロシマで墜落したりしなきゃ、まだ秘密のハズだったんだがね」
「本当は、いつ頃公開の予定だったんですか?」
晃がまた尋ね、カイトはうーんと唸って考え込む。
やがて、お手上げだといわんばかりに両手を広げ、すまなそうに謝った。
「そいつは俺には判らんね、博士達にでも聞いてくれや」
「あ、じゃあ次の質問!」
今度は川村が手を挙げる。
「おいおい、まだあるのかい。そろそろ飯を食いたいんだがなぁ」
「食べながらでもいいですよ。何か取ってきましょうか?」
席を立つ晃に生ハムメロンとソーセージを注文してから、カイトは川村に向き直る。
「で、何だって?」
「物資って、どこから送ってもらってるんですか?」
「どこからって――本部からに決まってるじゃないか」
呆れるカイトへ、なおも尋ねる。
「本部って、どこにあるんですか?」
だがスタッフの答えは冷たいもので、「ノーコメント」の一点張りだった。
まだ補助スタッフだから、核心に迫った秘密は教えてもらえないのだろうか?
がっかりする皆に悪いと思ったか、カイトは微妙に話題を変えた。
「んーまぁ、その代わり、他の場所なら教えてやってもいいかな……まずオーストラリア。ここにはT博士の研究所があった」
「あった?」
聞き返す有吉に、スタッフは頷く。
「あったんだ。空からの襲撃でやられて、今はなくなってしまったがね」
研究所がなくなったから、T博士は合流せざるを得なくなったというわけか。
「それから、ドイツにはQ博士の研究所。ここは博士自身が破棄して、今は建物も残っちゃいない」
ついでに知ってるか、と皆を促してカイトは言った。
「Q博士はユダヤの血が混ざってるらしいぞ。発明力も、それのおかげだろうな」
博士がユダヤ人だと、なんで発明家としてすごくなるのか。
子供達は頭を捻ったが、答えは見つかりそうになかった。
もしかしたら今のは、外国人特有のジョークだったのかもしれない。
それにしてもユダヤの血とは。
ユダヤ人など、とうの昔に滅びたと歴史の教科書には書いてある。
まだ生き残りがいて、身近な人が血筋だなんて。珍しい偶然もあるものだ。
「あれ?じゃあクレイはドイツ人なの?」
「ん、まぁ、国籍上では、そうなるかな。でもあいつは無国籍人だよ。かくいう俺たちもそうなんだが」
「え?どういうこと?」
再びポカンとなる有樹に、カイトは答えた。
「この組織に参加するにあたり、俺たちは戸籍を捨てたんだ。どこの国の者でもない。ただ互いに協力し合い、地球を守る礎となるために」

クレイがシャワーを終えて食堂へ入る頃には、時刻も九時を回っていた。
大部分の者が食事を終えて仕事に戻っている。
Q博士は、いつもの席で待っていてくれたけど、他の博士は姿が見えない。
先に食堂へ入っていったはずの、ヨーコとピートもいなかった。
もう部屋へ戻った後だろうか。
まぁ、いたとしても話す話題などないから、どうでもいいのだが。
出迎えてくれたのはQ博士だけではない。春名もいた。
今日の春名はスタッフジャンパーの上にエプロンをつけている。
彼女は生活班にまわされたと、Q博士から聞いた。
これからは毎日、彼女の作った飯が食べられるのだ。
「今日の特訓お疲れ様、クレイ。ご飯は何がいい?」
あらかた綺麗に片付けられたビュッフェを一瞥し、クレイは答えた。
『何が残っている?』
彼の目線をたどり、春名が苦笑する。
「あ……っと、ごめん。何も残っていそうにないね……それじゃ、特別メニューでも作ってみる?」
晩飯用に作ったのとは違う料理を、即席で作ってくれるらしい。
クレイは即座に頷いた。
この言葉のない会話にも、だんだん彼女は慣れてきたようだ。
「そう言ってくれると嬉しいなっ。それじゃ、用意するね!」
いそいそと台所へ入っていったかと思えば、大きな鉄板を抱えて戻ってきた。
彼女一人の手には余る大きさの鉄板だ。
すぐさまクレイは立ち上がり、鉄板を抱える手を手伝ってやる。
「ありがとう」と間近で微笑まれ、彼は胸の高鳴りを覚えた。
よもや、自分の顔は紅潮したりしていないだろうか?
心拍数が上がっていること、春名には気づかれただろうか?
――春名は全然気づいていなかった。
だがクレイがドキドキして焦っていることなど、お釈迦様でも見抜けなかったはずだ。
彼は表面上は全くの無表情で、しかも無言だったのだから。
押し黙るクレイにニッコリ微笑むと、春名は鉄板を机に敷いた。
横についたスイッチを最大まで回して予熱に入る。
「これでヨシ、と。あとは〜タネを持ってきて焼くだけ!」
『タネ?』
タネって何のタネだろう。
花のタネを焼く料理?そんなの見たこともないが。
ひまわりのタネを食べるのは、どの生き物だったっけ?
クレイが考え込んでいるうちに、春名が問題のタネとやらを持ってくる。
ボールの中に入っていて、どろっとしたクリーム色の液体。これがタネらしい。
液体の中には刻んだキャベツが見え隠れしている。なんとなく不気味だ。

いや、不気味というか……彼女には悪いが、嘔吐したときのアレに似ている……

クレイでさえそう思ったのだから、ヨーコやピートが見たら即座にゲロ扱いしただろう。
「見た目は悪いかもしれないけど、おいしいんだよ」
鉄板から湯気が立ち始めた頃を見計らって、春名がタネを鉄板の上に流し込む。
もうそろそろ、これが何なのか教えてくれてもいいだろう。
鉄板の上で香ばしい匂いを放つタネを見据えて、クレイは尋ねた。
『なんなんだ?これは』
横合いからの素朴な疑問に、彼女は笑顔で答える。
「これはね。うちのおばあちゃん直伝、広島名物お好み焼きっていうの」
答えながらも、生焼けのタネに青ノリやらネギやらモヤシを降りかけている。
「ほほぅ、郷土料理というやつかの。わしも一口欲しいのぅ」
いつの間にか席を移動して、Q博士も覗き込む。
「えぇ、どうぞ。焼けたら、こうやって皆で分け合って食べるモノなんです」
鉄製のヘラで、器用に三等分へと切り分けていく。
切った後は、たっぷりとソースをかけてから皿へと盛りつけた。
「広島の名物料理は他にもあって……たこ焼きとか、もみじまんじゅうとか。私がおばあちゃんから教わったのは、たこ焼きとお好み焼きの二つだけど」
春名は、とっても嬉しそうに語っている。
彼女が故郷ヒロシマを誇りに思っているのは間違いない。
Q博士は自分が作った掟を思い出し、否応もなく胸が締め付けられるのを感じた。


アストロ・ソールに所属する者は、国籍を捨てなければいけない。


彼女に、ハルナにそれを伝えるのが、非常に心苦しくて。
傍らではクレイがもしゃもしゃと、お好み焼きに手をつけている。
見た目のグロさとは相反して、どうやら美味らしく、彼は何度か頷いていた。
『Q博士もどうぞ。おいしいです』
「ほほぅ、そうかね。では、いただくとしようかの」
スプーンですくって、ぱくりと一口。
口の中に、ほわんと広がるは香ばしさとソースの味。キャベツの甘みも効いている。
「あ、クレイ。口元に青ノリがついてるよ?」
伸び上がって取ろうとした瞬間、春名は彼が首から何かぶら下げているのに気がついた。
細い鎖はジャンパーの中にしまい込まれている。
春名の視線に気づいたか、クレイは鎖を服の中から取り出した。
鎖の先についているのは、ビーズで出来た青い犬。
歓迎式の日、春名がクレイにプレゼントしたキーホルダーだ。
ホルダー部分には鎖が通されて、ペンダントのようになっていた。
青い犬は首のあたりに白いテープが巻いてある。
テープには、小さな文字が書かれていた。

Fruhling

「……何て書いてあるの?それ」
春名が読めないならば、当然共通語ではない。
ちらっと盗み見したQ博士が呟いた。
「ほぅ……春か」
「ハルカ?」
聞き返す春名に、クレイが訂正する。
『春、と名付けた。この犬に』
青い犬に、春という名前をつけたと言う。たかがビーズで作ったマスコットにだ。
春名がくれた犬だから、春。
単純だが、贈り主をも大事にしている想いが伝わってきて、春名はジンと胸が熱くなる。
口元をごしごしと袖でぬぐって青ノリを落とすと、クレイは彼女を見つめた。
『お好み焼き、おいしかった。ありがとう』
春名の目は潤んでいる。少し近寄ると、頬に赤みが差した。
クレイが犬を持っていたことに対し、何か心に来るものがあったようだ。
感動しているのは、こちらとて同じだ。
クレイの食事が終わるまで、彼女は待っていてくれた。
明日も早くから仕事があるというのに、待っていてくれたのだ。
そのことも感謝していると伝えなくては。
だがクレイが通話機へ打ち込んでいる合間、野太い声が二人の時間に割り込んだ。
「おやおや。いつから食堂は若い二人の愛の巣になっちまったのかねぇ?」
ハスキーな女の声。こんな声を出す女はスタッフにも居ない。

――誰だ?

振り返ると、戸口には恐ろしく背の高い女が一人、たっていた。
黒人だ。健康的に黒々と焼けた褐色の肌。肌と同じぐらい濃い茶髪。
たくましい二の腕を堂々と晒し、迷彩色の半袖シャツを着ている。
「デトラか、八年ぶりだったかの?おぅおぅ、見違えたわい」
Q博士が陽気に挨拶をかまし、女はプイッとそっぽを向いた。
「丸顔ジジィ、生きてやがったのかよ。アイザは何処にいるんだい?」
八年ぶりだというのに、随分そっけない態度だ。
かと思いきや、女は無遠慮に食堂へ入ってきて、春名のそばに腰掛けた。
「可愛いねぇ」
そしてボンと乱暴に彼女のお尻を、ひとはたき。
「きゃっ!」
春名がびっくりして飛び跳ねるのもお構いなく、ニヤッと微笑んでみせる。
「こんなガキも仲間に引き入れたってかィ。マスコットのつもりか?」
「わ、私……マスコットじゃないです、スタッフ手伝いですっ」
半分ビビりながらも春名が反論すれば、女は立ち上がり、春名の頭を乱暴に撫でた。
「ハッハ!お手伝いさんか、こいつぁ失礼したね。がんばりなよ。で、名前は?」
近づかれると、長身なのがよく判る。おそらくは、クレイよりも背が高い。
天井から見下ろされて、足がガクガクに震えながらも春名は気丈に答えた。
「だ……大豪寺、春名です」
「ハルナね。ジャップか。でも気に入ったよ!可愛いからね」
ボンボンと激しく頭を叩かれて、春名は目眩に襲われる。
『春名を乱暴に扱うな』
ふと気づけば、クレイが席を立っている。女の真後ろに回り込んでいた。
手にはナイフとフォークを握りしめて、一体何をする気なのか。
無表情なのが、今だけは余計に怖く感じられる。
たぶんだが、彼は彼なりに春名を守るつもりなのだろう。
しかし、ナイフとフォークは頂けない。どんな相手であろうと、脅しはよくない。
注意しようとQ博士が彼に声をかけるより一歩早く――
褐色の女はクレイへ振り向くと、容赦なく彼の頬にビンタを食らわした!
「なっ……!」
食堂に木霊する、張り詰めた音。
それだけで緊張の糸が切れてしまい、春名はガクガクとへたり込む。
ちらりと彼女を一瞥すると、デトラは手を差し伸べた。
「ごめんねぇ、驚かせちゃったかィ?何、このバカが、ナイフとフォークであたしを脅そうとしてたからさ」
春名は目元に涙を浮かべたまま硬直しており、差し出された手にも反応しない。
溜息をつき諦めると、デトラは差し出した手を引っ込め、クレイへと向き直る。
激しいビンタをくらったというのに、クレイの顔には何一つ表情が浮かんでいない。
それがまたデトラの神経を逆なでしたらしく、彼女は怒りの言葉を吐き出した。
「クソヤロウが。テメーのせいで、この子を驚かしちまったじゃねェか。後でちゃんと謝っとくんだよ、あたしの分もついでにな!」
「デトラ、お前も誰かに招集されたのかね?」
出て行こうとするデトラを呼び止めたのは、Q博士だ。
その声に一度だけ振り返り、褐色の女は答える。
「宇宙人に味方するバカどもの正体が判ったんで、そいつを伝えに来たんだよ」
そしてペッと廊下につばを吐き、彼女は大股で歩き去っていった。

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