BREAK SOLE

∽22∽ ブルーは、いじわるです


広島市――かつては、そう呼ばれていた。
今はただ、風が吹き荒れる無人の街。
ここに住んでいた者は、地上型宇宙人の出現によって全て避難した。

はずであった。

その街を、男が一人歩いてゆく。
しわくちゃのシャツに、背中を丸めて、ぶらぶらと。
危険度はレベルA。
いつ宇宙人に襲われてもおかしくない緊急勧告が出ているというのに、男は、まるで緊張など感じさせないほど自然な様子で歩いている。
却って不自然であった。
不意に、男のズボンポケットから電子音が鳴り響く。
男がポケットから取り出したものは、小型の通信機だ。
それを耳に当て、男が応える。
「はい、こちら谷岡。あぁー定時連絡の時間ッシたか。すんません、忘れてましたァ」


「タニオカ調査員と連絡が取れました」
地上より遥か上空――
雲の上を突き抜けて大気圏のさらに上だから、宇宙と言った方が正しい。
宇宙に浮かぶ、小さなステーション。月の裏側に隠れるようにあった。
何年か前、どこかの国が放棄したものを拝借して、何者かが住みついている。
もちろん許可は得ていない。無断で、だ。
本来は調査用のステーションを、彼らはすっかり基地に改造してしまった。
メインルームと思わしき場所には、立派な通信機とモニターが据え置きされていた。
格納庫には小型の宇宙船が何機か。
「タニオカか。彼は今、ニホンにいるはずだったな。現在地を詳しく聞いてくれ」
オペレーターが座ってる位置よりも高くに設置された席に座る男が、指示を出す。
男は黒いコートの上に黒いマントを羽織っていた。
とても正気の格好とは思えないが、集団の中で彼の格好は黙認されているようだ。
オペレーターは平然と頷き、通信機を通して谷岡に話しかける。
かと思えば、また振り向き、男に指示を仰いだ。
「タケシマのフェリー乗り場についたそうです。迎えを出して欲しいと」
「街に人影は一つもなかったのか?それにしてはベクトルの帰りが早かったな」
男の呟きに、オペレーターが軽口を叩く。
「ベクトルは臆病な奴ですからね。何か動物に脅かされたのかもしれません」
「動物……」
男は思案する。
「タニオカに尋ねてくれ。街に動く生き物がいたかどうかを」
再びオペレーターはマイクに向き直った。
「タニオカ、Kは街に動物がいたかどうかを尋ねている。どうだったんだ?」
通信機は一瞬無言となり、ややあって谷岡が答えた。
『……それなんですがねぇ〜。いましたよ、人。三人ほど。子供ですがね』
意外な答えに、基地にいた全員が思わず席を立ち上がる。
「なんだって!?」
避難勧告が出ていたというのに、子供が三人も残っているなど有り得ない。
ホームレスの子供という可能性もないではないが……
『身なりですか?小綺麗なもんでしたね』
谷岡の返答を聞く限りでは、それもないようだ。
『クリスマスパーティーを開くんだ、とか言ってました。裕福そうでしたよ』
それに、と彼は付け加えて言った。
『一人のガキ、見覚えがあります』
訝しむKに、谷岡は『有田重工はご存知ですか?』と切り出してくる。
有田重工。
ニホンの有名な重工業会社だ。
それも、世界でも指折りの大会社ではないか。
『社長の一人娘に、真喜子ってのがいるんですがね。そいつですよ。三人のうちの一人は。見覚えがあります。何で見たんだっけなぁ……』
社長の一人娘が、親やガードもつれずに危険度Aの場所で何を?
クリスマスパーティーを開くだって?
今が、どんな時か判らないわけでもなかろうに。
「……怪しいな。タニオカ、海に異常はないか?」
『今のところは。海に何かあるんスか?』
Kの口元に笑みが浮かぶ。
「今まで彼らは地下へ基地を作っていた。もしかしたらと思っただけさ」
だが、この思いつきは悪くない。
ヒロシマ周辺の海を探ってみるとしようか。
奴らの本拠地を必ず探し出し、叩き潰してやる――!


空から謎の組織が探していることなど、つゆ知らず。
今日も海底基地アストロナーガでは、パイロットの特訓が行われていた。
『OK、ブルー!良い調子よ。その調子で次のレベルに移行するわね』
スピーカーから聞こえるアイザ博士の声も弾んでいるようだ。
ブルー=クレイの訓練結果は上々で、現在は重力三十倍に達している。
二十倍は今日、ノーミスでクリアした。
激しく動き回った後だというのに、クレイの息は乱れていない。
二十倍でダウンのピートは、信じられないものを見る目つきで室内を見た。
「なにあれ。さすが人間じゃない生き物は予想以上の能力だわ」
クレイが入っているのは、重力制御装置室。
宇宙人との戦いで生き残る為には、まず重力を制すべきである。
これは、アイザ博士やR博士の口癖でもあった。
相手のフィールドで自由に動けないようでは、戦いどころじゃないというわけだ。
「お兄ちゃんは人間よ!」
すかさず傍らのヨーコにごちんと殴られ、ピートは涙目で見上げる。
「どこがだよ!もう明らかに人間やめちゃってる能力値だろアレ!」
通常の二十倍だって、腕を動かすのも億劫なほど、きつかったのだ。
三十倍だなんて。想像もつかない。
現にヨーコだって、まだ二十倍で特訓中である。
三十倍までいっているのは、今のところクレイだけだ。
「エリィートのお前だって!二十倍で詰まってんじゃんかッ」
ピートが指摘すると彼女はウッと言葉に詰まったが、すぐに立ち直る。
「あ、あたしは元々素人だったから……慣れればすぐに追いつくわ!」
「あ〜!エリートが素人を建前にするんだ!ヒッキョォ〜!」
「な、なにが卑怯なのよ!?それ言ったら、あんただってエリートじゃない!エリートに選ばれたのに、二十倍でミスばっかり出して!」
突いたのは、やぶ蛇だったようだ。
ヨーコの成績に比べたら、ピートはとても誇れたものではなかった。
二十倍というのは重力特訓の中でも一番最初に行われるものだ。
それがミスばかりでは、次に進むどころではない。
『ピート、ヨーコ、無駄話はやめなさい。貴方達には基礎訓練を命じたはずよ』
「は〜い」
二人の返事は綺麗にハモり、かったるそうに立ち上がる。
「あーあ、また筋肉ついちゃう……」
ぶつぶつ文句を言いつつ、ヨーコがバーベルの下に潜り込む。
「いいんじゃねーの?その筋肉でオニーチャンでも拘束したら」
彼女のキーキー声を背に、ピートもトレーニング器具の前に座り込んだ。

「楽しそうですぅ……」
メインルームのモニターに、訓練の様子が映し出されている。
本来は外の様子を映すのが目的のモニターだが、操作一つで基地内にも切り替わる。
コントロールの操作など、ミクにとってはお茶の子さいさい。
物心ついた頃からT博士に、みっちりと教え込まれてきたのだ。
そういったわけで、ミクは先ほどからモニターでパイロット訓練室を覗いていた。
メインルームにはミクの他にもスタッフ達の姿が見える。
それぞれ、分担された仕事に取りかかっている。
当座の仕事がないのは、ミク達オペレーターぐらいなものであった。
戦艦がまだ完成していないのだから仕方がないとはいえ、暇だ。
聞けば、春名も仕事を貰ったという。
それで誰も部屋にいないのね、と各自の個室を映しながらミクは納得する。
「ミク、暇そうですが設計は完成しましたか?」
不意に背後から冷たい声。振り返らなくても判る、ミカだ。
ミグはR博士に呼び出され、今頃は戦艦製造へのアドバイスをしているはず。
「基本の設計は出来ましたわ。あとはR博士にアレンジして貰うだけですの」
どれどれと設計画面を覗き込み、ミカは何度か頷いてみせる。
「……さすがはミクです。抜かりのない堅実な設計なのです」
ミグもミカも、一応は設計を学んでいる。
だがミクほど理解しているわけでもなく、設計図が組めるのはミクだけの得意技だ。
褒められ、ふふんと胸を反らし、ミクは椅子の上でふんぞり返った。
「ミクはエキスパートですもの、これくらい出来て当たり前ですのよっ」
「エキスパートといえば――」
不意にミカの視線がモニターに動き、つられてミクもそちらを見た。
モニターにはまだ、パイロット達の訓練模様が映し出されている。
「わたしには、ピートとブルーがエキスパートとは、到底思えないのです」
「えっ!?」
いきなり飛び出た否定的な言葉に驚いてミカを見やると、彼女は冷めた目でモニターを睨んでいた。
「ピートは、変態です。そしてブルーは、いじわるです。あんなのがエリートだなんて、わたしは認めないのです」
会ってまだ日数も経っていないというのに、一体何をされたんだろう。
ピートの変態説については、歓迎式の前に聞かされた覚えがある。
一人、トイレの中でエッチな妄想に浸っていたらしい。確かに、それは変態だ。
でもブルーが、いじわる?初耳だ。それに、彼は意地悪ではない。
「ブルーは意地悪ではありませんわよ。ミカ、失礼な事を言っちゃ駄目ですの」
メッと叱ると、駄々っ子のようにミカは繰り返す。
「でも、いじわるなのです!」
「意地悪ではありませんわよぉ」
むきになって、ミクも言い返す。
ぷぅっと頬を膨らませ、彼の優しさ目撃瞬間を語り始めた。何故か潤んだ瞳で。
「午前中、ミクはブルーと会いましたのよ。図書室で読みたい本がありまして。でも探していた本は、ミクには手が届かない場所にあったんですの。そうしたらブルーが無言で手にとって、すっと差し出してくれたんですのよ?」
さりげない優しさが出来る方は紳士ですわね、とミクは締めくくり、うっとりする。
「そんなの、偽善です……」
ぶーとふてくされ、なおもミカは否定した。
「ブルーは、いじわるです。わたしがハルナに近づこうとすると邪魔するのです!」

なるほど。
ミカはまだ、ハルナを取り合ってブルーと交戦中というわけか。
ミカがハルナと仲良くしようとすれば、当然ブルーは邪魔に入らねばなるまい。
ハルナをミカに取られては、たまったものではないからだ。

ミクはしたり顔で頷くと、お姉さんのように偉ぶって見せる。
実際、ミクのほうがミカよりは年上なのだ。一、二時間ほどの差だが。
「それはミカが悪いですわよ。ハルナはブルーの恋人ですもの」
「コイビト?それは何なのですか、ミク」
まだ幼いミカ、そしてミクも本当は、恋人が何なのかは正しく理解していない。
だが言いだした手前、ミクは知ったかぶりで堂々と答えた。
「恋人というのはですね。好きな人のことですわ。ブルーはハルナが好きだから、ミカがハルナと仲良くするのを嫌がるのです。ミカがハルナを取ってしまいそうだから、それを恐れているのですわ」
背後からは、くすくす忍び笑いが漏れている。
スタッフが盗み聞きして、苦笑しているものらしい。
ミカが春名をクレイから奪う。はっきり言って、それはありえない。
ミカが、どんなに春名を慕っていても、最終的に決めるのは春名自身である。
春名に同性愛感情でもあれば話は別だが、皆が見た感じ、彼女は異性愛者だ。
だから、ありえないのである。春名がクレイを離れてミカの元へ走るなど。

春名と一緒にいたい。
春名の側にいたい。
春名と誰かが仲良くしていると、何故かムカムカっとくる。
要はクレイもミカも、互いに互いの立場を嫉妬しているのだ。
ミカは可愛いから、春名に可愛がられる。
クレイは格好いいから、春名に憧れられる。
春名には、自分だけを見ていて欲しいのに――!
だからこそ、相手が春名の近くに来るのを許さない。
まるで独占欲の強い子供だ。子供が母親を取り合うようなものである。

ミカも口には出さないが、クレイが春名の元へくるのを妨害ぐらいはしていそうだ。
「ブルーがミカに意地悪してるのは判りましたわ。でも、ミカはどうなんですの?ブルーに意地悪……していませんわよねぇ?」
ちろっと流し目でミクが彼女を見つめると、ミカは黙り込んでしまった。
……身に覚えがあるようだ。
「ハルナは、お優しい方なんですのよ?意地悪な人を好きになるとは思えませんわ。ブルーには、ミクから注意しておきますわね。だからミカも意地悪しないこと」
お姉さんらしく妹を叱ると、ミカは大人しく頷いた。
「……はい、なのです。ごめんなさいです」
しょんぼりと項垂れて、メインルームを出て行く。
きっと、クレイか春名のどちらかへ謝りにいくつもりなのだろう。
「ふぅ。ミカも難しいお年頃になったのですわねぇ」
どさっと椅子の背に身を投げ出すと、ミクは再びモニターを眺めた。
素早く操作して、室内から廊下の方へカメラを切り替える。
重力制御装置室へ向かう妹を見つけ、ミクは満足そうにモニターを初期設定に戻した。
何もない、空だけが映し出されているモニターへと。

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