BREAK SOLE

∽16∽ まだ、判らない


ガラガラと忙しなく、クレイを乗せた台車が廊下を走っていく。
「集中治療室、入ります!」
訓練室をスタッフが開け、台車も、その中へと消えていった。
扉がバタンと重たい音を立てて、皆の鼻先で閉められる。
「ク、クレイが倒れたって本当?本当なのかな!?」
「やだぁ……大丈夫かなぁ、クレイさん……」
皆のざわめきが、耳元で何重にも木霊する。
先ほど見た床の赤い血だまりが、酷く目眩を起こさせる。
「春名?顔色悪いよ、休んだ方がいいって」
不意に肩を叩かれた。
振り向くと、秋子が心配そうに覗き込んでいる。
傍らには瞳の顔もある。やっぱり心配そうな目で、こちらを見ていた。
宇宙人にクレイが脇腹を撃たれたことを、猿山は皆に伝えた。
本来なら、ここへ帰ってきた時、すぐ報告するべきはずだった内容だ。
だが、あの時はバタバタしていたから、話すチャンスが全くなかった。
クレイが倒れてから、皆は、それを知ることになったのである。
「なんで、そんな大事なこと!最初に言わないのよッ!!」
真っ先にヨーコがブチきれ、ピートも珍しくクレイの事で怒りを見せた。
「忘れてた、じゃ済まねぇぞ、このサル!判ってんのか?オレらがやられたら、ここを守る人間は居なくなるも同然なんだぞ!?」
実験動物だと馬鹿にしていても、本心では仲間だと認めているじゃないか。
ピートを少し誤解していたな、と晃は反省した。
猿山に関しては、彼だけを責めるわけにはいかない。
彼らが無事に帰還した時、僕達は友達の安否だけを気遣っていたけれど、本当ならクレイの安否も、あの時に気遣ってやるべきだったのだ。
クレイが倒れたのは、僕達にも責任がある。
買い物への不満ばかりを並べ立て、彼の様子がおかしいことに気づけなかった僕達にも。
「済んだことを責めたてたって仕方ないだろ。今は治療が無事済むよう祈ろう」
猿山、そして宥めに入った晃をも睨みつけ、ヨーコは吐き捨てた。
「治療は無事済むに決まってるわ!済まなかったら……絶対に、許さない!!」
「許さないって、僕達をか?それともスタッフの人達をか」
「全員よ!お兄ちゃんを殺す原因を作った、あんた達も!治療の下手なスタッフも!大事なことを知らせなかったサル、あんたもよ!」
もし憎しみで人が殺せたとしたら、今の一睨みで猿山の心臓は止まっていただろう。
それほどに恐ろしい殺気を込めた目つきで猿山を睨むと、ヨーコは踵を返す。
「ちょ、ちょっと待てよ!それって逆恨み……」
有樹が彼女を呼び止めようとするも、ヨーコはさっさとエレベーターに乗り込んで、立ち去っていってしまった。
今は怒りで頭がいっぱいでも、後から涙が出てくるかもしれない。
ヨーコは泣き顔を皆に見られたくなくて、去っていったのかもしれなかった。
現に廊下でクレイの安否を祈っている少女達の中には、既に涙ぐんでいる者も多い。
脇腹を撃たれたぐらいで死ぬわけないよな?
そう思ってみても、なかなか終わらない治療に晃も気が気ではない。
ピートらに責められた猿山は真っ青になって、ちらちらと春名の顔を伺っている。
クレイの容態も心配だが、もっと心配なのは春名の様子なのだろう。
春名がクレイに関心を持っている、というのは猿山も気づいていたのか。
……自分の気持ちは、彼女に気づいて貰えないのにな。
とてつもなく猿山が可哀想になって声をかけようかと晃が近づいた時、ぼそぼそした呟きが猿山を慰めるのを耳にした。
「大丈夫。大丈夫だから。クレイも、大豪寺さんも。だから猿山くんも安心して」
それは、とても小さくて、注意していないと聞き取れないほどの小声だったけれど、呟いたのは倖だと、晃は気がついた。
肝心の猿山には聞こえていないようで、彼は倖のことを見もしない。
彼の視線に映るのは、青い顔で黙り込む春名の姿だけであった。
――誰も彼も片思いばっかりで、なんだか心苦しい世の中だな――
そっと溜息をつく晃の横顔を、有吉は黙って見つめていた。


ヨーコが逆ギレして立ち去る頃には、実はクレイの治療は完了していた。
だが、すぐに動き回れるほど軽傷でもなく、まだベッドに横たわっている。
「ワシは逃げろと命令したはずじゃがの。無茶はするもんじゃないぞい」
口調は穏やかだが目の奥に厳しい意思を秘めて、Q博士が彼を諭す。
クレイは悲しげに答えた。
通話機による返答なので、声は無機質だったが。
『勝つつもりで戦ったわけではありません。彼らを逃がすのを最優先したまでです』
Q博士なら判ってくれる、そう思っていた。
常に民間人の安全を優先しろとクレイに教えてくれたのは、Q博士なのだから。
「それならば、何故ソルの出撃を要請したんじゃ?」
クレイの返事は無い。
彼は何かを打ち込んでは、消している。
言葉が見つからないのだ。うまい説明になりそうな言葉が。
「ソルならば勝てる、そう思ったからじゃろ?この馬鹿者め!お前にはまだ、ワシの言ったことが理解できておらんようじゃの。民間人を守れというのは、単純に敵を倒せばよいということではないのじゃ」
一応怒っているのだが、顔が顔だけに全然怖くない。
だがクレイは黙って項垂れたまま、Q博士の叱咤を受け止めた。
「あの狭い街の中、ソルで暴れたら一体どうなる?一歩間違えば、ハルナちゃんを踏みつぶしてしまったかもしれんのじゃぞ!」
クレイが真っ青になったのを見て、博士は少々声を和らげる。
「ソルは市街戦に向いておらん。ソルで戦えば、街を壊すだけじゃ。よいかクレイ、ワシらは皆の未来を守る為に戦っておる。皆の住む街を壊す為に、戦っておるわけではないんじゃよ」
『はい』
返事は短かったけれど、真っ直ぐな目を見れば判る。
クレイは充分反省している。春名の名を出したのが効いたのかもしれない。
Q博士は急に調子を変えて、彼に尋ねた。
「ときにクレイや、一つ尋ねてもよいかの?」
『何でしょうか』
「お前はハルナちゃんの事を、どう思っておるのかね」
なんとしたことか。
博士ったら、ニヤニヤすけべぇな笑いを浮かべてクレイを見てるではないか。
博士も人の子、いやオヤジ根性とでも言うべきか、人の恋話は気になるようだ。
背後で片づけをしていたスタッフも、思わず含み笑いを漏らす。
聞かれた当のクレイは少し考えた後、ゆっくりと打ち込んだ。
『まだ、わかりません』
「判らない?」
何が判らないというんだ、とばかりに聞き返すQ博士へ繰り返し答える。
『俺は多分、春名が好きなんだと思います。ですが、この感情は本当に愛なのでしょうか?』
でしょうか?と聞かれたって、博士はクレイじゃないんだから答えようもない。
戸惑うQ博士へ、クレイは尚も言う。
『春名と会うたびに、心拍数が上がります。春名が話す姿を見るのも、春名が微笑むのを見るのも嬉しいんです。ただ、俺はこの感情が、子が親へ向ける愛なのか、それとも男女の間で生まれる愛なのかが、判らないのです』
Q博士は驚いた。
そんな小難しく考えながら、クレイが彼女と接していたことに驚いた。
ポカーンとしたのは博士だけじゃない。スタッフの面々もアングリしている。
ややあって、Q博士は何とか答えを絞り出した。
「そんなもん、わざわざ分類する必要など、ないじゃろ。ハルナちゃんだって気にしちゃおらんだろうし。クレイ、お前はお前らしく素直な感情を彼女にぶつければ良いんじゃ。ハルナちゃんも、お前のことは、まんざらでもないようだしの」
あまり気の利いた答えではなかったけれど、クレイを満足させるには充分であった。
彼は自分の中で納得したかのように何度か頷き、尊敬の眼差しで博士を見上げる。
『やはり、博士に相談して良かった。博士の助言は頼りになります』
それほど頼れる助言とは思えなかったけどなぁ。
そんな思いを顔に浮かべるスタッフもいたが、褒められたQ博士は大いに照れている。
「そうじゃ。クレイには、まだ教えておらんかったかもしれんが……近々、ハルナちゃん達の歓迎式をやる予定になっておってな。クレイもドレスアップするとよいぞ。彼女と一気に親密になるチャンスじゃ!」
男のお洒落をドレスアップと言ってよいものか、どうか。
だが、やる気になってる二人に水を差せる勇気あるスタッフは一人もいなかった。

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