act7.副官着任
今日というこの日を、どれだけ待ちわびたことか。
羽佐間 由季子は鏡の前で入念に自身をチェックすると、姿勢を正して敬礼する。
完璧だ。
完璧なまでに美しい女性士官が、そこに映っている。
目鼻の通った顔立ち。
ただでさえ凜とした切れ長の瞳を、長い睫毛が際だたせている。
大きすぎず小さすぎずな胸は、形良く軍服の中に収まっている。
腰は、きゅっと細く、お尻も垂れることなく、それでいてみっちり感を醸し出している。
すらりと伸びた脚線美は、むだ毛の一本さえも存在を許さない。
この完璧な由希子を見たら、新しい司令官も一発で一目惚れしてしまうであろう。
今日の為に、毎日美容施設にかよった甲斐があったというものだ。
そして、その為だけに着任を遅らせてくれた上官には、感謝してもしたりない。
新司令の名は白羽 刃。
前帝の息子と聞いている。
帝なき現在は大臣が代役を務めているが、いずれは刃が跡を継いで帝になる。
その時、隣に座る后は自分でなければならないと由希子は考えた。
そう――
由希子は、刃に一目惚れしてしまったのであった。写真をひとめ見ただけで。


副司令が到着する頃には、バトローダーの訓練も最終段階に入ろうとしていた。
元より人工生命体に基礎体力は最初からついているも同然である。
毎日マラソンをやらされたと聞かされた時には目眩を感じた宗像だが、着任翌日からは己の考案した訓練を開始する。
空軍パイロットに求められるのは反射速度と瞬時の判断力だ。
機体が届くまでの間は、ひたすらボール投げで訓練した。
延々と飛んでくるボールを避ける事で反射速度を、変則的に飛んでいくボールを跳ね返す事で判断力を鍛える。
単調な訓練でバトローダーに飽きが出ぬよう、宗像は一応工夫を凝らした。
避け損なうとボールが爆発するようにしただけで、普段は生意気なミラもアルマも真剣になった。
最初の頃は爆発の連続だったクロンも、ようやく皆と同じ動きが出来るようになった頃――
まだかまだかと待ち続けていた、機体と副司令が到着した。

「失礼します。本日付で着任となりました、羽佐間由季子と申します」
カツカツと靴音を立てて入って来るなり敬礼したのは、宗像と同じであったが、その後ずずいっと刃に急接近してくると、由希子は甘い声色で囁いてきた。
「……白羽司令は何もかもが初めての挑戦とお聞きしました。判らないことがおありでしたら、何なりと私めにお聞き下さいませ」
「あ、あぁ……宜しく頼む」
若干引き気味ではあるが一応好意的にも見える刃と比べるとシズルの反応は実に判りやすく、眉間にこれでもかというぐらいの縦皺を寄せ、人相悪く睨みつけた。
「顔近ェーだろうが。司令との距離感も判らない副司令ってサイテーだな」
距離感ゼロの工場長に蔑まれては、由希子も黙っちゃいられない。
「司令、この者は?工場長が新米と聞いておりますが、この者がそうなのでしょうか。しかし、それにしては工場を放り出して任務を放棄しているとは余裕のご様子ですわね」
「工場は現在休みにしてんだよ。この小隊は、まだ戦っちゃいねぇからな」と、シズルも険悪にやり返す。
「工場は常にフル稼働しているとでも思ったのか?ベテランにしちゃ知識が浅いねェ〜」
頭からの見下しには見下しでお返しだ、とばかりに由希子も背一杯の見下し視線でやり返す。
もはや司令の手前だという事も忘れて。
「あぁら、失礼いたしました。私の知る工場は生産が活発な処ばかりでしたので。えぇ、戦闘がなくても技術の向上や機材のメンテナンス……仕事は沢山ございますわよねぇ」
バチバチと火花を飛ばして睨み合う二人に、刃は口も挟めず呆然とするばかり。
シズルが女性嫌いなのは知っていたが、ここまで刺々しく変貌するとは。
それに、由希子も由希子だ。
彼女はベテラン軍人のはずなのに、素人の煽りに簡単に乗ってしまうとは頂けない。
「それを言ったら、あんただって俺としゃべってる暇はないんじゃねーの?ヤイバに戦闘のイロハを、きっちり教えてやんなきゃ」とシズルに指摘されて、ようやく我に返った由希子は、慌てて司令の顔色を伺った。
……ポカンとしている。
まずい。
第一印象が最悪で固まる前に、由希子は場を取りなした。
「では、新司令に軍規及び指揮の基礎をお教えしますので、部外者はご退場願えますかしら?」
「ヘッ。俺がいちゃ〜なんかマズイことでもあんのかよ」
減らず口を叩くシズルの背をぐいぐい押しやり、最後のほうは蹴っ飛ばして部屋から追い出すと、由希子は厳重に内側から鍵をかけ、再び刃の至近距離まで近づいてくる。
「では新司令……いえ、刃様。軍のイロハを教えて、あ・げ・る」
顎を持ち上げられて至近距離で見つめられても、刃は困惑するばかりだ。
いきなり気安くなったのにも戸惑うし、そんな近距離で言われずとも耳は遠くない。
「あなたが来るまでに、この部屋にある本を一通り読んで軍規及び作戦は理解したつもりだ。だが、まだ判らない点が幾つかある」
「なんでございましょう?」
「布陣だ。布陣によって何がどう変化する?詳しく教えてくれないか」
飛行機編成部隊でかかせないのが布陣であると指南書には書かれていたのだが、布陣の形は載っているものの、布陣が違うと威力にどういった差が出るのかが判らなかった。
「あぁ、なるほど……」と、ピンク脳に浸っていた副司令も瞬時に軍人の顔に戻る。
「フォーメーションとは、セルーン国が発案した飛行機部隊編成での効率的な攻撃方法でございます。デルタは一番先頭を飛ぶ機体を囮にした布陣。ラインは横一列での一斉攻撃。敵が多ければ多いほど効力を発揮するでしょう。トレインは縦一列の布陣ですわね、これは切れ目のない連続攻撃が可能です。ダイヤヘッドは……」
真面目に戻った由希子に安堵しつつ、やっと軍隊らしくなってきたと刃は考えた。
嫌々ながらの軍入りとはいえ、引き受けたからには真面目に司令官を務めたい。
死した父の為ではない。国のためでもない。全ては自分自身が納得するために。

刃が真面目に副官の講義を受けている頃、バトローダー達は初めて見る戦闘機に目を輝かせていた。
「ねぇねぇ教官、これに乗って戦うんだよね!」
「そうだ」
重苦しく頷く宗像の横では、ケイが嬉しそうに操縦桿をベタベタ触る。
「あ〜早く飛んでみたいなぁ。ねぇ教官、乗っちゃ駄目?試運転させてよ」
届いた戦闘機は全部で六機。
ちょうど人数分きっかりだ。予備機は、ない。
だが、仕方あるまい。空撃部隊は全部で38もある。
38の中で予算を、やりくりせねばならないのだ。加えて、この国はけして豊かでもない。
「まだだ。試運転の前に運転練習を行なわねばならん。試運転で壊されては、たまったものではないからな」
むっつりへの字に口元を折り曲げて答える教官には、ケイも口を尖らせる。
「え〜、壊したりしないよォ。こう見えても機械には強いんだから!」
教官はケイの文句には全く耳を貸さずに、号令をかけた。
「機械に強くとも、飛行感覚がなければ戦闘機は乗りこなせん。全員、整列!」
キャッキャと雑談していたバトローダー達が、宗像の号令で全員ビシッと横一列に並ぶ。
ここ一ヶ月、教官の下でみっちりスパルタ訓練を受けた皆は、すっかり軍色に染まっていた。
ただし基本性格だけは、さすがの鬼教官でも変えられなかったのであるが……
「機体の他に訓練用具も本部から送ってもらった。そいつを使って、まずは空中での平常心を養う特訓を行なうぞ」
「わ〜、すごい!本格的ィ」
喜ぶアルマ達は教官の後にくっついて、その訓練用具の前に来た途端。
訓練用具――と呼ぶには、あまりにも雑で大雑把な器具の前に、落胆の溜息をもらした。
「え〜何これ?子供の遊具じゃないんだからぁ」
「あたし達、今更こんなもんで遊ぶのぉ?」
ケイなどは、あからさまに侮蔑の表情を浮かべている。
その器具とは――
巨大なシーソーの上に棒が一本立っている、としか言いようのない謎の形容を成していた。
「遊びではない。訓練用だと言ったばかりだろう」
むっつりを崩さず宗像は答え、手招きでカリンとクロン、それからミラを呼び寄せる。
「シーソーの上に二人が乗り、平常心を養う者が棒の上に乗れ。シーソー組は、ぎっこんばったん激しくやれよ。棒の上の奴は絶対に落ちるな」
おっかなびっくり登っていくクロンを下ではカリンが気の毒そうに眺め、なにをやらされるのか理解したミラはシーソーの上に跨った。
「気分は曲芸師ですわね……はぁ、対面に座る者が司令であれば、やる気が出ますのに」
「そこッ!司令への不敬は許さんぞ!!」
「はいはい」
この一ヶ月、何の文句も出さずバトローダー達が素直に特訓に応じたわけでは、けしてない。
なにかをやらせるたびに『司令が一緒なら楽しいのに』と文句を言い、失敗した時に叱れば『司令なら、もっと優しく接してくれるのに』と愚痴を垂れ、上手くいったと褒めてやれば『どうせ褒められるなら司令に褒めて欲しい』と言い出す始末。
バトローダーに性格を与えた工場長を、重ね重ね締め上げたい。
この一ヶ月間で、抜け毛がめっきり増えた宗像であった。
「が、がんばりましょう、ミラ」
対面に座ったカリンが檄を飛ばし、ミラも渋々ぎっこんばったんを始める。
「がんばりましょうったってねぇ……まぁ、いいですわ。やりましょう」
足下が上がったり下がったりすれば当然グラグラ揺れて、棒の一番上にいるクロンは落ち着かない。
いや、落ち着かないどころか振り落とされないようにするので精一杯だ。
ぎゅっと棒に掴まり、ついでに両目もぎゅっと閉じて、必死になってしがみついている。
「乱気流に飲まれれば、この程度では済まないぞ!どんな状況でも平常心を保てるようになれば、まずは第一段階突破だ」
「でも、機体は棒一本より広いスペースですよねぇ」と、アルマ。
「あれで落ち着けたとしても、戦闘機に乗っているのとでは感覚が違うと思うけど」
ケイも頷き、次第に激しくなっていく、ぎっこんばったんを呆れ目で見つめた。
「なんだか、これっ、楽しくなってきました!」
「ほほほ、もっともっと揺らしてやりますわ!そぅれそぅれ!」
渋々始めたはずなのに、カリンとミラは夢中でシーソーをこいでいる。
見れば二人とも笑顔でやっており、別の方向に気持ちが飛んでしまっているようにも伺えた。
「乱気流でも、あそこまで激しくないような……」
サイファが呟いた直後、皆の見ている前でクロンがドサッと落ちてくる。
これには本人以外が「あーっ!」と思わず大声をあげて驚いてしまったのだが、腰を打っても悲鳴一つあげないで、しかめっつらのクロンを宗像が褒め讃えた。
「よし、よく頑張った。次はもう少し長く掴まっていられるよう踏ん張ってみせろ」
一言も返事をせず、無言で立ち上がったクロンが、こくりと頷くのを眺めながら。
「これ、もしかして全員やるの……?」と判りきった事を尋ねてしまう、アルマであった。
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