不器用な恋と呼ばないで

#8

夏が来た。
今年の大蔵屋は改装工事が入るため、営業を縮小する。
西脇は「やだぁ、かき入れ時なのに給料減っちゃうとか」などとブーコラ不満をぶっこいていたが、ほとんどの従業員が内心では、ホッとしていた。
ただでさえ暑い上、目の回る忙しさになるのが大蔵屋の夏だ。
それが今年は軽減されるというのだから、今年の夏は海行っちゃおうかな〜と仲居の美奈子が浮かれたとしても仕方のない話だ。
無論、忙しくなくなる分だけ給料は減る。
しかし夏の疲れを引きずったまま秋へ突入するのとでは、どちらがいいか。
言うまでもない。
たまたま降ってわいた休暇に、大蔵屋の従業員は盛り上がったのであった。
何故、シーズンに改装工事を入れたのか。
琴とて夏を潰すつもりはなかったのだが、ズルズルとずれ込んで、今の時期になってしまった。
なめられているんじゃないですか?なんて仲居の若い子には言われたが、そうではなく。
近辺の開発が、最近また急激に活発化した余波ではないかと思う。
今更リゾート開発もなかろうに、馴染みの大工まで、そちらに駆り出されたのだ。
琴は大蔵屋周辺の静かな土地が、好きだ。
今は亡き夫の愛した土地でもある。
この辺りが賑やかなリゾート地になるのは、耐えられない。
しかし開発は、地元住民の反対を押し切って行われる。
反対の声で開発を押し留められた事なんて一度もない。
遊ぶ場所がないのかと尋ねる客も増えてきたし、変わってしまうのは誰にも止められないのかもしれなかった。
変わりたくないと思っていても、変わらざるを得ない物もある。
大蔵屋の改装工事が、まさにそれ。
母屋と離れの一部で雨漏りが発生したのがきっかけだが、見渡せば、客間のあちこちにもガタがきている。
この際、思いきって改装に踏み切った。
亡き夫がデザインしたもので、出来れば変えたくなかったのだけれど。

「これは意識の革命ってやつですよ!」
握り拳を固めて力説する仲居の瑞穂を、島は怪訝な目つきで眺める。
普段、他の従業員と厨房の料理人が話すことなど滅多にないのだが。
この日はゴミ捨てに行った帰り、偶然ばったり外通路で鉢合わせた。
瑞穂は髪を茶色に染めて、ゆるやかにパーマまで当てていて、着物じゃなかったら、とても旅館の仲居には見えない。
不真面目な格好だが、勤務態度は真木曰く、非常に真面目なのだそうだ。
何故年中厨房にいるはずの真木が、彼女の勤務態度を知っているのかは捨て置くとして。
島は瑞穂と話した記憶が全くない。
琴のお供でしか客間には近寄らないからだ。
それでも、ぎこちない挨拶から始まり、改装工事に話題が移る頃には。
改装工事は、琴が昔の旦那と決別するための儀式である――と熱弁を振るわれて、島はドン引きしたのだった。
そのような話は初耳だし、乙女の妄想ロマンが混入気味なのではないか。
琴が昔の旦那との想い出を、どう抱いているかは島の知ったことではない。
しかし改装工事は、それとは全くの別問題だろう。
だいぶ前から母屋と離れの一部、主に島の寝泊まりしている離れに雨漏りが発生している。
島自身は特に気にしていないのだが、宿主としては雨漏り部分があると客に知られるの自体、嫌であろう。
客間にも改装が入るそうだが、そちらも古い建物だ。あちこち壊れた箇所があるに違いない。
現実的にまとめた島と違って、瑞穂は乙女の浪漫でもって改装工事を受け止めていた。
大先輩、照世経由で聞いた大蔵屋の前旦那は、そりゃあもう線の細い文学系イケメンで琴とはお似合いだったそうな。
二人は所謂おしどり夫婦、仲むつまじげで人も羨むほどであった。
だが突然の死が二人を分かち、旅館の経営は琴が引き継いだ。
だとしたら、だ。この旅館に向けられた琴の想いは、ずっとずっと深いのではなかろうか。
ここには琴の半生が詰まっている。死んだ旦那との想い出も。
なのに改装、修繕ではなく改装。旅館の建築そのものを、ガラッと変えてしまうというのは。
あなた、ごめんなさい。私は新しい恋に生きます――という、おかみさんから亡き旦那へのメッセージではあるまいか。
瑞穂は興味津々、爛々と輝いた目で、目の前の男を見つめる。
仲良しの西脇が、おかみさんの再婚候補と予想した相手、島 大志。
三年目の瑞穂から見ても先輩にあたる従業員だが、直に二人きりで話したのは今日が初めてだ。
同じ厨房の住民でも、真木とかいうチャラチャラした先輩や西脇とは、よく出会うのに。
今も、話しているのは瑞穂ばかりで、島は無言で頷いたり目線で相づちをうつばかりだ。
無口だとは照世やおかみさんから聞かされていたが、ここまで何も話さないとは予想外だった。
島は線の細い文学イケメンとは真逆を行く、体育会系イケメン……とでも、いうのだろうか。
腕や胸回りの筋肉が、いやに逞しい。
真木なんて比較にもならないぐらいには。
今は能面で人の話を聞いているが、それなりに人当たりの良い凛々しい顔をしているのではなかろうか。
これが海辺でサーフボードなどを担いで微笑んだりしたら、水着ギャルのハートが数人射抜かれそうな予感は、ある。
体育会系は残念ながら瑞穂の趣味ではないが、体育会系思考の西脇が私の婿!と騒ぐ気持ちは判る気がした。
琴は、どうなのだろう?
前の旦那は文学系イケメンだったそうだが、島だって見た目は悪くない。
この一貫した無口さだって、大人しい――というふうにも受け取れる。
「なんにしても楽しみですよね、改装後が。この古ぼけた、あっ失礼、古風な建物が、どう近代的に生まれ変わるのか」
島がコクリと頷いて「あぁ、そうだな」と相づちを打つのを見届けて。
ようやく、瑞穂は少々長引いた井戸端会議に終止符を打ったのだった。
「すみません。つい長話、しちゃいました。それじゃ私、戻りますね」
返事はない。
ちらと瑞穂が去り際に後ろを盗み見ると、手をふる島の姿が目に入った。
悪い人ではない。
悪い人では、ないのだ。
だが――
もう一押し、島のほうから動きがあれば、おかみさんの恋は一気に前進するのではないかと瑞穂は考えた。
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