不器用な恋と呼ばないで

#9

休憩時間に携帯電話が鳴る。
着信を見て、島の顔は知らず綻んだ。
久しく市場や街中で会うことのなかった相手からの電話だ。
「お久しぶりです、興宮先輩」
自分でも判る。電話に出ての第一声が、少々浮かれてしまったのが。
『久しぶり〜いうほどの間でもないだろ、まぁ日にちは空いたが』と苦笑され、さっそく興宮が本題に入る。
彼の要件は簡潔にまとめると、海へ行こう――という、お誘いであった。
ただ遊びに行くのではない。
新鮮な食材ルートを確保する仕事を兼ねた旅行だ。
長年提携を結んでいた漁師が高年齢の為、引退してしまうらしい。
至急の要件かと尋ね返す島に、興宮は、そうでもないと答えておきながら。
『けど、なるたけ急いで確保しとかんとな』と、結局は緊急なのではないかと匂わせる発言を漏らした。
「俺もご一緒していいのですか?」
『ついてきてほしいと思ったから誘っているんだ』
そこまで言われては、断るわけにもいかない。
否、断る気など最初からなかった。
興宮と二人での旅行。
おきつにいた頃は時々していたが、店を出てしまってからは全然だ。
是非とも、ついていきたい。ついでに、海の幸も堪能してみたい。
大蔵屋は山の中に建っている。
久しく、これこそ本当に久しく海へ行った記憶がない。
「では、詳しい日程を決めてください。それに併せて、こちらも休みを取ります」
嬉々と尋ねる島に興宮も後日伝えると約束し、電話は切れた。


日程を決め、有休をとり、来る旅行当日。
楽しみに待っていた旅行だというのに、島の顔は冴えなかった。
「おう、島、こっちだ、こっち。しっかしなんだ?一人を誘ったら、芋づる式にゾロゾロと」
興宮に苦笑されるのも当然だ。
待ち合わせ場所に現れたのは、島一人ではなかった。
「すいませーん、いやー、海には俺達も行きたかったもんで!」
元気はつらつ、無遠慮をかましたのは真木だ。
背後には、西脇や瑞穂の姿もある。
「まぁかまわんがね、旅は道連れ世は情けってもんだ。しかし、おかみさんまで来るたぁ、大蔵屋は閉店する予定でもおありなのか?」
後方へ目をやり皮肉を飛ばす興宮へ、琴が挑戦的な視線を向ける。
「閉店ではありませんよ、おきつさん。大規模な改装工事に入りましたので、臨時休業を取ったのです」
島が興宮と二人で旅行する。
それを聞かされたのは、有休許可申請をされた時だ。
有休を取るには理由を話さなければいけないルールが、大蔵屋にはある。
プライバシー侵害との批判もあるが、悪用されない為の策である。
有休理由を聞かされた直後、琴の心は激しくざわついた。
旅行自体はいい、何処へ行こうと構わない。
しかし同伴者が興宮となると、話は別だ。
あの男は、未だ島へ未練を残している。
隙あらば自分の手元へ戻そうと企んでいる――とは大蔵屋の従業員、西脇の推理だが。
琴にも、その気配は伺えた。
旅行で信頼を取り戻そうという魂胆だろうが、そうは問屋が卸さない。
絶対に阻止してやる。だが、自分だけでは手数が足りない。
よって、従業員を引き連れての同行となった。
「なるほど、なるほど。しかし何も、こちらの旅行に併せた日取りでなくとも」
なにやら愚痴を言う興宮を遮って、琴は、にこやかに笑いかける。
「肉フェスと同じです。誘う側は一回で済んでも、誘われる側の費用が二倍になるのは困りますでしょう?」
浮かない顔の島を見、琴にまんまと言いくるめられたのだと興宮も察する。
おかみ直々に旅行へ誘われては、彼も断り切れなかったに違いあるまい。
いや実際、島は琴からの提案を断る気はなかった。
琴と二人きりならば、二回三回になろうと旅行する気満々であった。
当日である。
日時と、そして大蔵屋の従業員が数名同行すると聞かされたのは。
控えめに言って、がっかりだ。
それぞれに琴と二人旅行、興宮と二人旅行だったら、文句なかったのに。
真木にも瑞穂にも、島は全然興味がない。
西脇なんてのは論外である。
同じ職場にいるから仕方なく話を併せているだけであって、一緒に旅行したいと思える相手ではない。
これまで社員旅行なるものは一度もなかったから、完全に油断していた。
まさかここで、しかも日時を併せてまで社員旅行を突っ込んでくるとは誤算であった。
大蔵屋の従業員は五十名近くいるのだが、旅行に参加するのは島を含めて、たったの四名だ。
他はどうしたのかというと、それぞれに休暇を楽しんでいるはずだと琴には説明された。
改装工事による臨時休業は一週間。
無論、休業期間を終えても改装工事は続く。
琴は一番の儲かるシーズンを潰してでも、海に行きたかったのだろうか?
大蔵屋は山中にあるし、ずっと山派なのかと思っていたが……
「先輩は、どんな水着にしたんすか?フンドシ?それとも超食い込みビキニ?」
島の思考は、西脇のトンデモ発言に邪魔される。
「や、男でチョー食い込みビキニは、ないでしょ」
苦笑いで突っ込む真木にも、西脇のトンデモ発言が襲いかかる。
「そっすかねぇ。まぁ、超ハイレグビキニは久遠先輩が着そうだよね、ねーミズチン」
「着ないよ!?」と泡を食う真木をほったらかしに、ミズチンこと瑞穂が西脇に相槌を打つ。
「ワッキーは、そういうの好きなの?あたしは抑えめなボクサーパンツが好きだなー」
相槌ではなく個人的な感想だった。
「そっかー、ちなみにミズチンの水着は、どんなん?」
「それは着替えてからの、お楽しみ☆」
どうでもいい雑談を聞き流しながら、西脇と瑞穂は何故仲良しなのだろう、と島はぼんやり考える。
二人が入ってきた時期は異なる。瑞穂のほうが若干先輩だ。
それでいて、年齢は西脇のほうが年上である。
しかし、こうして雑談する姿は同い年のように見える。
ワッキーミズチンとあだ名で呼びあい、十年来の親友の如き距離感だ。
大蔵屋が初の顔合わせ場所だろうに、数年で仲良くなるとは侮れない。
性格も趣味も、似た者同士とは思えない。
それでも二人は仲良しなのだ。
西脇も瑞穂も、心から楽しげに笑いあっている。
五年たっても、島とおかみさんの仲は、ほとんど進展していない。
西脇の図々しい距離の詰め方が、時として羨ましく感じる島であった。
「ん、がっかりするのは判らんでもないが、しゃっきりしろ?島」
ぽんと興宮に肩を叩かれ、島は我に返る。
せっかく誘ってくれたというのに長らく興宮をほったらかしていた事にも気づき、慌てて頭を下げる。
「すみません、人数が増えたと事前にお伝えできればよかったのですが……」
「いや、構わん。ただ、な?お前が楽しめないんじゃないかってのが気にかかっただけだ」
それをいうなら島との旅行を楽しみにしていたであろう興宮だって、そうではないのか。
これ以上の余計な心配をさせまいと、島の返事も多少気合が入ってくる。
「たっ、楽しみたいと思います……!旅行は、まだ始まってもいないのですから」
興宮には「その意気だ」と褒められ、頭を撫でられて。
彼が失望も消沈もしていないと伝わり、島も、ほんの少しばかり安心したのだった。
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