不器用な恋と呼ばないで

#7

改装工事計画が持ち上がったのは、季節が夏に差し掛かった頃であった。
「え〜、ちょっと遅くないスか?夏って一番かき入れ時なのに」
料理長から噂を聞かされた西脇が、吃驚眼で受け応える。
「そうなんだよなぁ」
一応は片倉も西脇に同意して、しかし皮むきの手は休めず雑談を続ける。
「俺もさ、工事始めるなら絶対連休後すぐだと思ってたんだよ。それが夏に延期になったって聞いて首を傾げたもんさね」
「延期?じゃあ工事の話自体は、前からあがっていたんですか」
会話に混ざってきたのは、西脇の隣で野菜を千切りにしていた横内 直也だ。
なにしろ料理長と西脇の声はでかい。
同じ厨房にいりゃ、嫌でも会話が耳に入ってしまう。
「あぁ。なんでも土建屋の都合でよ、夏に持ち越されたって話だ」
「舐められてんじゃねースかね、うちのおかみさん」とは、西脇の意見に。
片倉は苦笑し、「そうかもな」と小さく頷いた。
大蔵 美代司が死んだのは、十二年も前の話だ。
それ以降は、琴が一人で宿を切り盛りしてきた。
年季だけでいえば、新米ではない。
にも関わらず、地元の土建屋にナメられているのだとすれば。
「貫禄ですよ、貫禄が足りないんス」と、西脇。
「お前さんの言う貫禄ってなぁ、どんなイメージなんだ?」と片倉に切り替えされて、西脇は答えた。
「そりゃあ勿論、バーン!としてドーン!としてズドーン!って感じですよォ」
「すまん、日本語で頼む」
難解を示す片倉とは違い、横内の反応は明確だった。
「あーなるほど。おかみさんには、どっしり構えていてほしいんだ、アコちゃんは」
「そうそう、力士部屋のおかみさんみたいにね!」
ふんっと鼻息を荒くする西脇へ混ぜっ返してきたのは、横内ではない。
「でも、うちのおかみさんは、どっちかってーと、たおやかな華ってイメージじゃない?」
裏ごし作業に専念していたベテランの真木 久遠だ。
何年も勤めている先輩が相手だというのに、西脇の鼻息は「たおやかぁぁぁ?」と静まらない。
「はん、久遠先輩は上辺に騙されるチャラオっすか。うちのおかみさんは肉食ッスよ、ああ見えてバリ肉食!」
それらを、ずっと聞き流し、会話には一切混ざらずにいた島であるが。
「えぇ〜、うっそー。おかみさんが?だったら、なんで再婚しないんだよ」
驚く久遠へ西脇が出した答えには、ぎょっとなって振り返った。
「再婚したいのは山々なんスけど、相手が堅物ってんじゃ難しいってもんッスよ!」
「え、相手いるんだ?誰?」
興味本位で深追いする久遠を遮るようにして、島も会話に割り込んだ。
「憶測で適当な噂を流すのは感心しないぞ、西脇。それと、口を動かす前に手を動かせ」
いきなりの説教には「なんすかー」と口を尖らせ、西脇も反抗してくる。
「興味ないフリしてガッチリ聞いてたんスね、島先輩。むっつりスケベっすか?」
「きみって、ほんとに誰が相手でも物怖じしないよなぁ」と苦笑して、横内は彼女を宥めにかかる。
「島の言うとおりだ、アコちゃん。ほら、鍋が吹きこぼれているじゃないの」
「ありゃホント。やっべ、煮すぎちゃいましたかね?」
慌てて料理人に戻る西脇と、それをフォローする横内を見て、流れが変わったと島は安堵する。
西脇の指す堅物とは、恐らく自分の事だろう。
肉フェスで、ああもはっきり琴が断言したのだ。
今後も島と二人で出かける機会を作りたい、と。
だが。
まだ、はっきり告白されたわけではない。
判るのは、好意を持たれているというだけだ。
それなのに、再婚相手として周囲に認識されてしまうのは困る。
本音では琴と結婚したい。
しかし、自分が思うほどには琴が自分を好きではなかったら?
おかみさんに迷惑をかけるのは、断固避けたい。
故に、迂闊な噂を流さないよう西脇には堅く禁じておかなければ。


本人がどれだけ用心深くしていても、噂というのは広まるもので。
「ねぇねぇ聞いた?おかみさんの再婚話」
などとキャッキャ騒いでいるのは仲居たち。
西脇の漏らした憶測が、今や改装工事よりもトップニュースになっているってんだから、女性の噂好きは侮れない。
「あーもしかしてェ、改装するのも、新婚新居を作っちゃう予定?」
「まさかァ。改装は客間でしょ、関係ないんじゃない」
仕事の手は休めず、テーブルを拭いたり畳を箒で掃きながら、口も盛んに動かした。
客や上司の前では神妙にしていても、監視の目から逃れた途端、気分は女子高校生まで若返ってしまうようだ。
「ワッキーから聞いた話だと、厨房の島さんらしいですよ?お相手」
花瓶の水を取り替えながら、檻 瑞穂が言う。
今年で勤続三年目に入った仲居で、皆と同じく薄桃色の着物に身を包んでいるが、皆と違うのは茶色がかった髪の毛だ。
毛を染めている者は一般に旅館では雇われにくいものだが、大蔵屋は違った。
老舗だというのに外見には拘らず、才能を重視した。
瑞穂の十八番は本人曰く『デコ』であり、要は部屋の装飾センスが優れていたので採用されたのであった。
「えー、島くん!ナットクだわぁー。いつも連れ回してはるものねぇ」
何度も頷いているのは年嵩の仲居頭、吉備 照世だ。
本来なら雑談や言葉遣いの乱れを叱らなければいけない立場のはずだが、若い子と一緒になってキャッキャしている。
「情報元は西脇さんかぁ、あまり信用ならないんじゃない?」と、難色を示す者もいる。
吉岡 美奈子は勤続七年目、仲居としてはベテランと呼んでもいいだろう。
「そぉ?けどワッキー、こないだのGWで、おかみさんと外食したんだって」
「え〜、いいわねぇ、奢ってもろたん?」
即座に反応した照世には苦笑し、「違いますよ」と一応否定してから、瑞穂は続けた。
「その時、島さんも一緒だったんだけど。いつも自分を引っ張ってくれてありがとう、これからも島さんとは色々なとこに出かけたいって、おかみさんが言ったんだって言ってましたよ、ワッキー」
たちまち雑談していた輪が一斉に色めき立ち。
「ワ〜、プロポーズ!」「ガチじゃん!」
などと口々に騒ぎ、自分事でもないのに頬を火照らせ恥ずかしがる。
「島さんと、おかみさんのカップルかぁ。うん、いいかも!」
納得したかのように何度も頷いているのは、新米仲居の青柳 遥佳。
「そうね〜、料理の出来る旦那って最高かも。おかみさんの料理って表に出せないレベルだもんねぇ」
美奈子の毒舌風味な呟きに、照世も併せてくる。
「そうねぇ、あれは、どうして上手くならないのかしらねぇ。おかみなのに……」
おかみとて人間、得手不得手はあろう。
だがしかし、そんなフォローでも誤魔化せないほど、琴の料理は凄かった。
一度食べたら二度と食べたくなくなる破壊力――
とは片倉料理長の発言である。
前の旦那も、それが原因で死んだんじゃないかと、美奈子は密かに疑っている。
「けど、なんか」と瑞穂の話は、まだ続いていたようで。
「小料理屋の旦那が怪しい動きしてるって言ってたな、ワッキー」
「小料理屋?どこの?」
さっそく食いついてきた同僚をチラリ横目で眺めると。
「島さんが昔勤めてたってトコ。なんて名前かは忘れたケド。そこの店長が島さんを引き抜こうとしてるんじゃないかって、ワッキー疑ってた」
とだけ答え、あとは畳を雑巾で拭くのに専念する。
「やだわぁ、引き抜きだなんて」
大袈裟に照世が項垂れ、両手で頬を押さえる。
「引き抜きなんて、おかみさんが許さないでしょ。だってもう島さんは、うちの看板料理人だし」
「おかみさんなら絶対阻止してくれるって、あたし信じてる!」
なおも雑談は尽きぬかのように、大騒ぎしながら次の空き部屋へと移動していった。
Topへ