不器用な恋と呼ばないで

#3

「おう、よく来てくれた。何か食っていくか?なんなら厨房へ回ってくれても構わんぞ」
笑う店長に釣られてか、客の視線も全員が入口に惹きつけられる。
全員の注目を浴びて、おきつの暖簾をくぐった島は硬直してしまった。
「旦那、彼は誰だい?」
常連客の一人が気安く興宮へ話しかけ、興宮が答える。
「なぁに、昔うちで働いていた職人でね。今は別んとこで修行してんのさ」
なるほどねぇと頷く客の横では、別の常連が島に声をかけてきた。
「ほら、こっち来なさいよ、そんな処で突っ立っていないで」
手招きされては仕方なく、カウンターに陣取った客の隣へ腰掛ける。
「職人なんだって?すごいね、まだ若いのに」
社交辞令で褒められて、訥々と島が言葉を返す。
「俺はまだ、職人と呼べる腕前ではありません。興宮さんには、ここで働いていた頃から良くしていただいています」
「そうだ、こいつに包丁の使い方を教えたのは俺だぜ。それが今じゃ向こう老舗の旅館で看板を張る料理人になったってんだから、俺も鼻が高いってもんよ!」
たちまち破顔する興宮を、常連客も持ち上げた。
「へぇ、一から育てたんだ。さすが、おきつさんだ」
それなのに何故、手放したのか――
誰もが気になるであろう込み入った事情を聞く客は、一人もいない。
ゆったりとした時間が流れ、興宮による島との想い出語りで盛り上がる。
暖簾を降ろした後、ようやく二人だけで話す機会が訪れた。
「……いい雰囲気の常連が多くなりましたね」
「まぁな。昔と違って一見さんが寄りつかなくなってきたからなぁ」
カウンター席へよっこらしょと腰を下ろし、興宮が島を見つめる。
「まぁ、お前がいた頃は、あれはあれで楽しかったがな。毎日ねーちゃんがいっぱい来て、小料理屋なんだかパブなんだか俺でも判らなくなるところだったぞ!」
「すみません」
小さく俯く島の肩を、バンバンと激しく叩いて興宮は笑った。
「違う違う、別にお前を責めているわけじゃない。あれはあれで楽しかったと言っただろ?ああいう時代があったおかげで、こちらもレパートリーが増えたんだ。あの時、お前目当てで来ていたねーちゃん達には感謝している」
小料理屋で働く中卒者は、さほど珍しい存在じゃなかったはずなのだが、何故か聞き伝えに島の存在が周囲へ知れ渡り、物珍しさの見物客が増えた。
全く料理無知なのに料理屋で働いているのが、珍しかったのかもしれない。
TV局が来たこともあったぐらいだ。
ローカルとはいえ、TVには島も映った。
興宮がバンバン島の名前を出したせいで、一時期は近所でも噂になった。
身寄り無しの中卒故に、住み込みで手ほどきを受けている――
そういった島の環境も、TVに華を添えるネタの一つにされたのだろう。
やがてブームは過ぎて客が減り始めた頃。
島は突然、おきつを出ていくと興宮に伝えたのであった。
「寂しかったぞぅ、お前がいなくなってからは。けどまぁ、割と近所に就職したんでホッとした」
ぐりぐりと頭を撫でられ、島がそっと視線をあげると。
「遠方じゃ二度と会えなくなるかもしれんからな。どうだ、大蔵屋は。そろそろ料理長にもなれるんじゃないか?」
ニッカと笑われ、即座に島は否定する。
「いえ、まさか。無駄に五年が過ぎてしまったという感じです」
「そうか?お前の噂は、この辺にも轟いているぞ。イケメンイケボで料理の上手い奴が働いているってなぁ!」
おきつにいた頃からそうだったが、島は料理の腕前よりも外見で人の興味を惹いてしまう自分が、たまらなく嫌であった。
料理人となったからには、料理の腕を評価して欲しい。
興宮は、島にとって人生の目標だ。
おきつは興宮が己の腕一つで知名度をあげた店だ。
父親から譲り受けたのではない。
自分一人、一代限りの店である。
無名の料理人が、腕前とクチコミだけで店を育てた。
そこに強く、憧れる。
大体イケメンと言われたって、自分では、よく判らない。
興宮先輩のほうが、ずっと男前だと島は思う。
父親性、或いは包容力とでもいうべきか、一緒にいるだけで安心する。
島より上背もあって、重たい荷物を楽々片手で持ち上げる。
彼に憧れて身体を鍛えているが、今のところは全然手が届かない。
声だって、興宮の深く太い声のほうが魅力的だ。
――何をするにも何を計るにも、島の基準値は興宮であった。

これだけ島に慕われている興宮は、どうなのかと言えば。
彼は彼で、島を大層気に入っている。
初めて自分の処へ面接に来た時から、店を辞められた今でも。
いずれは自分の店へ引き抜き返そうとも考えている。
島に似合うのは、大蔵屋の看板ではない。おきつの看板だ。
一から手ほどきして育てたというのも大きいが、それよりも何よりも。
"島 太志"という一人の人間を愛した。
いつでも手元に置いておきたいと思う程度には。
だが、島は興宮の手を振り払って出ていった。
それが、たまらなく寂しい。
「どうだ、せっかく遊びに来たんだ。久しぶりに、一緒に風呂へ入ろうか」
グイグイくる先輩に押されるようにして、島は風呂を頂戴する。
興宮の家の風呂は大きい。
どのくらい大きいかというと、庶民銭湯並みの広さはある。
島がいた頃から、ずっとこのサイズで、以前は興宮の両親や親戚も一緒に住んでいたから特に不思議と思わなかったのだが、今は彼一人だというのに、やはり風呂は大きいままで。
「一人は寂しいですか?」
なすがままに服を脱がされながら島が問えば、即答される。
「当たり前だ!なんなら今からでも、また同居したって構わんのだぞ」
「……今は、無理ですが……」
俯く顎を持ち上げられ、じっと至近距離で見つめられる。
「判っとる。そのうち、そのうちにな。寂しくなったら、いつでも声をかけてくれ。お前が使っていた離れは、いつ戻ってきてもいいように空けたままだ」
洗い場で汚れを落とし、湯に沈むと、興宮が背後から島を抱きしめてくる。
同居していた頃からの彼の癖で本人曰く、とても寂しがりやなのだそうだ。
「いつか、戻ってこいよ。それまで店も開けておくから」
譫言のように耳元で囁かれ、しかし島は頷けずに曖昧な返事をした。
「今は、まだ、今の勤め先の事で頭がいっぱいですから……」
「あぁ判っとる、判っとる。すまんな、どうも最近は昔が懐かしくてかなわん。意地はって親族蹴っぽりだして、一人暮らしなんざ始めちまったせいかねぇ」
ぎゅぅっと力一杯抱きしめて、興宮が手を離す。
一瞬の沈黙を置き、あとは二人のんびり湯に浸かった。
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