不器用な恋と呼ばないで

#18

翌朝、爆睡する真木を部屋に残して島と興宮は外へ出る。
この旅行本来の原点、おきつの材料調達先である腕のいい漁師と契約する為だ。
興宮曰く、すでに目星はつけてあるとのことだ。
宛があるのなら、自分が同行せずとも良かったのではないか。
と、島は思ったりもしたのだが、一緒に行こうと誘ってくれたのは、向かう先が遠方であったからだろう。
それに、自分も行きたかった。興宮と二人きりでなら。
予定とは違う日程になってしまったが、それでも今、この時間だけは二人きりだ。
しばらく黙って電車の座席に座っていた興宮が、口を開く。
「しかし、なんだ。旅館っていうから休みなんざ取れないもんかと思っていたが、案外すんなり休みが取れるたぁ。なら遠慮せず、どんどん誘っておけばよかった」
じっと彼の横顔を見つめながら、島は答えた。
「……今は、ちょうど時期が良かったんです。改装工事が入りましたから」
「そうよ、それなんだが、なんだって、この時期に改装を?今はシーズンじゃないのか」
「雨漏りが酷くなった箇所がありまして……それで改装を決意したのではないかと」
「ほぅ。綺麗に見えて結構ガタがきていたんだな」
それよりも、と島は話題を変える。
大蔵屋のことよりも、おきつの現状はどうなのか。
そう尋ねると、興宮は島の頭をぽんぽんと撫でて微笑んだ。
「ぼちぼちだ。以前ほどの忙しさはないが、馴染みの客は毎日来てくれる。足腰が立たなくなるまで店は続ける予定だ」
ちらと興宮の太腿を見て、後十年は安泰ではないかと島は内心独りごちる。
小料理屋の主人とは思えないほど彼の肉体は鍛えられており、足腰の強靭さも島のかなうところではない。
山道を何往復も出来る体力が、興宮にはあった。
行こうと思えば、今向かっている漁港へも徒歩で行けるのだろう。
だが彼は、島に配慮してか電車で移動してくれた。
「迷っているってこたぁ、俺の店へ戻る予定もあったのか?」
いきなり核心を突かれて、島は息が止まりそうになる。
島が何も答えないのを見て、興宮は訂正した。
「いや、今すぐ答える必要はない。ただ、お前が戻ってきたいと少しでも考えてくれているんであれば、店は死ぬまで開けておこうと思ったまでよ」
「でも――」と何か言いかける島を制し、片目をつぶって見せる。
「あぁもちろん、足腰が立たなくなったら閉める他なくなるが。そうならんよう、毎日体を鍛えておくかな」
これ以上どこを鍛えるつもりなのかは判らないが、おきつに戻ってくるのを期待されていると知り、島は安堵する。
だが、あまり待たせてもいけない。興宮が動けなくなる前までには、決めないと。

漁師との契約は島が思っていたよりも、すんなり進み、当初の予定よりも時間が余った。
「話の分かる爺さんで助かったぜ」と興宮は呟き、手元の財布を覗き見る。
「どうだ、ついでに寄り道していくか。この辺に美味い魚料理を食わせてくれる店があるんだ」
「興宮さんのよりも、ですか?」
思わず聞き返した島の頭を、ぐりぐりと撫でて、興宮が破顔する。
「なんだ、俺の手料理が一番美味いってか?可愛い事を言ってくれるな。まぁ、そうさな、今から行くのは地元料理店だ。料理研究にゃあ、もってこいの題材だろ」
そういや、それも当初の目的の一つだった。
海水浴だ水着だなんだで、すっかり忘れてしまっていたが。
「あんまり客が入っていないんだが、味は俺のお墨付きだぞ。保証する」
そう言いながら、多少立てつけの悪い引き戸を勢いよく開ける。
店の中はがらんとしていて、あんまりどころか客が一人もいない。
島はスマホを取り出して時間を確認してみる。
十二時十五分。ちょうど飯時なのに、この閑古鳥とは。
時間を見据える島を見て、興宮は苦笑した。
「人がいないんで不安になったか?いや、この店は知る人ぞ知る隠れ家ってやつで」
「ダイニングキッチンと呼んで欲しいね、今風に」と背後から声をかけてきたのは、この店の店長だろうか。
色褪せたエプロンを着けた、禿頭の爺さんだ。
「てやんでぇ、ダイニングキッチンなんてガラかよ。隠れ家食堂で充分だろうが」
意外や口汚い言葉が興宮の口を飛び出し、驚く島に爺さんが会釈する。
「おう、お前が坂一のお気に入りか?あぁ、晃司や葉菜子からも話は聞いているよ。将来おきつを継いでくれる二代目になるんじゃないかって」
晃司、葉菜子とは興宮の両親の名だ。
彼らを呼び捨てするとなると、この爺さんは興宮の親類か?
それにしては欠片も似ていない。興宮一族が放つ包容力を、この爺さんからは感じない。
手足は枯れ木のように細く、小柄だ。身長など、興宮の半分もないのではないか。
警戒する島へ、興宮が爺さんを紹介する。
「すまんな、挨拶も抜きに無遠慮な爺さんで。島、この爺さんは俺の師匠兼先生の犬塚大二郎だ」
「ばかたれ、師匠も先生も同じ意味だろうがよ」
茶々を入れる大二郎に、興宮も言い返す。
「いやいや、料理の師匠で人生の先生だ。同じ意味でも役割が違うぜ」
師匠で人生の先生と崇める割には、随分とラフな物言いだ。
ひとまず挨拶を忘れていたと気づき、島はかしこまって頭を下げる。
「はじめまして。島大志と申します。興宮さんには、大変お世話になっています」
「なっていますってか、お世話した、過去形だよな」と興宮は言い、自己紹介へ付け足した。
「こいつ、今は大蔵屋で働いてんだ。イケメンイケボの若手コックだってんで、女の子の追っかけがいるんだぜ」
興宮にまで、そんなふうに見られていたのか。
咄嗟に言葉が出てこず、黙りこくった島の顔面に、かぁっと血がのぼる。
「ははぁ、しみったれた小料理屋じゃ腕があがらないんで、大手老舗の大蔵屋に鞍替えしたか」
大二郎の軽口に「そうじゃねぇ、自分の腕を試したくて出ていったんだよ」と言い返す興宮と、島の反論が重なる。
「違います――世界を、見てみたかったんです」
「世界を?」
興宮と大二郎双方にキョトンと聞き返され、島は繰り返す。
「そうです。色々な店で色々な手法を学んだら……おきつに、戻るつもりでいます」
そのつもりでいたのだ。出ていった当初は。
しかし最初の修行地が居心地よすぎて、今は決心がぐらついている。
「ほー。じゃあ、坂一が嫌になったんじゃないと」
大二郎の軽口は島にも向けられ、島はきっぱり首を振る。
「嫌になるなんて、ありえません。興宮さんは、師匠で恩人ですから」
「あぁ、料理の師匠で人生の恩人ってか?弟子なだけあって、そこも師匠似か」
呆れる大二郎の横で、興宮も苦笑する。
「よせよ、人生の恩人なんて呼ばれるほど大層な真似をした覚えはないぜ」
いいえと首を振り、島は真面目な顔で断言した。
「興宮さんが雇ってくれなかったら、どうなっていたか判りません」
「そこまで切羽詰まった状況だったかよ」と、大二郎。
己の弟子をチラ見して、嘆息する。
「なんだって無名のしみったれた小料理屋なんかに雇ってもらおうと考えたんだ。飲食店がよかったんなら、どこだって良かったはずだ」
「おいおい、無名ってなぁ酷いぜ。いくら師匠でもよ」
横で興宮が文句を言うのにも構わず、大二郎は島と向かい合う。
「手当たり次第に絨毯爆撃面接したにしてもよ、何故おきつを選んだんだ?それなりに名が通っていたからか」
少しも間を置かずに、島が答えた。
「どこでもいい、残飯掃除でも死体洗いでもいいから雇ってもらいたかった。資格の要らない職場を選んで、片っ端から面接して片っ端から落ちました。世間は中卒に厳しい。それは判っていたんです、面接を受ける前から……でも、俺は施設にだけは入りたくなかったんです」
「施設を嫌うもんじゃないぜ。施設を出て成功した奴だっているんだからよ。まぁいい。つまり、お前は金が欲しくて手あたり次第面接を受けたと。そんで、たまたまこのお人よしに雇ってもらった後は世界を見たくて出ていったと。で、武者修行は今、どんぐらい終わったんだ?おきつには、いつ頃戻れそうなんだい」
じろっと大二郎に睨まれて、それまでの饒舌っぷりはどこへやら。
ぴたりと沈黙してしまった島を庇うかの如く、興宮が口を挟んできた。
「大蔵屋が一軒目なんだよ。島の冒険は始まったばかりだ」
「へぇ。坂一、おめぇが死ぬ前には戻ってきてくれるといいんだがな」
「不吉なフラグ立てんなよ。俺は師匠と違って、まだ若いんだぜ?死ぬような歳じゃねぇ」
やりあう二人を見ながら、島は所在なく項垂れる。
いつ戻ってこれるか、はっきり言えれば興宮も犬塚も安心できるのに。
戻れば、琴との縁が切れる。
戻らなければ、興宮と一緒に働く夢が消える。
興宮が、おきつを畳んで大蔵屋に転職してくれれば――なんて無茶な考えが浮かんだ事も、なくはない。
しかし、大蔵屋の従業員を決めるのは琴だ。島ではない。
そして従業員募集要項を見る限り、小料理屋の中年店長よりも若手の料理人見習いを望んでいるように伺える。
考えてみれば、島が大蔵屋に採用されたのも奇跡に近い。
おきつを発った頃の自分は新卒ではなく見習いでもなく、素人の生兵法な料理人モドキだったのだから。
「おう、そんなことよりよ、飯を食いに来たんだ。この店は客を立ちんぼにして放置するのが流儀かよ?」
「抜かせ、雑談を先に振ってきたのはテメェじゃねぇか」
やっとこ軽口の応酬も終わったのか、大二郎が厨房へ消えていき、興宮と島は席に腰かける。
しばらく黙っていた島が、口を開いた。
「……興宮さんは、自分の店、大事ですか」
「ん?そりゃ、まぁな」
そりゃそうだろう。聞いておきながら、当たり前だと島は思う。
先ほど本人も言っていたではないか、足腰が立たなくなるまで経営する予定だと。
しかし興宮は、こうも呟いた。
「まぁ、俺一代で終わる店だとしても」
島が戻っても、それは変わらないのだろうか。
興宮は島に店を継がせる意思がない――?
しょんぼり項垂れる様を見て慌てたか、興宮は、がばっと身を起こして付け加える。
「あ、いや、戻ってくるなと言っているわけじゃないから誤解するんじゃないぞ。だが島、お前、戻ってくるとして本当に俺の店を継ぎたいのか?」
意外な質問に、島はポカンとなる。
興宮も大二郎や葉菜子達のように、島に店を継がせたいと思っているのだとばかり。
「ありゃあ、俺が作り上げた店だからな。店をやりたいんだったら、お前が新規で作ったほうがいいんじゃないかと思ってよ」
興宮の店は、興宮のネームバリューで成り立っている。
常連客も店長が興宮だからこそ通っているのだ。
店長が変わってしまえば、味も変わってしまう。
興宮引退後、いずれ客足は離れていくだろう。
おきつを継ぐのは、正直な処、島の予定になかった。
ただ、戻る。戻って、また興宮と一緒に働くことしか考えていなかった。
しかし興宮だって、永遠に厨房に立てるとは限らない。いずれは老いで引退する。
その後の未来を自分は一切考えていなかったと、改めて気づかされた。
島が興宮を見つめると、人生の恩人にして師匠な男は温和な笑みを返してくる。
「もし、俺の引退後にお前が店を開くってんなら俺は全力でバックアップしてやる。俺が現役の間に戻ってきてくれたら、一緒に店を切り盛りしよう。そして――そして、もし大蔵屋に定年まで勤めるつもりなら」
一旦言葉を切り、じっと島を見つめた後。
「……俺が、お前を追いかけるってのもアリかもしれんなァ」
興宮は意外な言葉を吐いて、島を驚かせたのであった。
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