不器用な恋と呼ばないで

#14

海水浴から戻ってきて、旅館で何をするでもなく寛ぎながら、島は考える。
無論、皆が寝静まった後に控える、おかみさんとの散歩について、だ。
いくら寝ているからといって、真木や興宮を起こさずに部屋を出るのは難しい。
トイレだとごまかしたところで、扉の音が一回しか鳴らないのは二人とも不審に思うであろう。
お土産を見に行く――と言えば、どちらかついてきそうな予感がする。
いっそ二人には、正直に話してしまうか。
だが真木はともかく、興宮は、どう思うだろう。
夜中に女性と二人きりで散歩をする予定の自分を。
ここへ来た本来の目的は興宮の用事、食材提携先の視察だ。
その用事を差し置いて女性との散歩で浮かれる自分を見たら、興宮も幻滅しよう。
彼には失望されたくない。
いつかはまた、おきつで一緒に働きたい。繋がりを外されたくは、なかった。
「おう、どうした?難しい顔をして考え込んで」
ぽんと肩を叩かれて島が顔を上げると、興宮が優しい笑顔で覗き込んでくる。
「いえ。それよりも、いつ頃出かけましょうか」
緩く首を振ってごまかすと、島が逆に尋ねる。
「ん?あぁ、市場視察か。そうだな、お前の時間が空いている時で構わんのだが」
「でも、急ぐのでしょう?」
「うん、まぁな。明日の朝は、どうだ?」と興宮に尋ねられ、間髪入れずに島は頷いた。
「判りました」
素直な返事に興宮も顔を綻ばせ、かと思えば真木を振り返る。
「そろそろ夕飯の時刻だが、真木さんは、どうするね?食堂へ行くか、ここで取るか」
「あっ、だったら」と真木が、こちらに膝を進めてくる。
「皆で集まって食事ってのは、どうです?食堂に集合するんじゃなくて、この部屋で」
「ここで?入るかな」
ぐるりと部屋を見渡して、興宮は首を傾げる。
この部屋は四人用だから、琴たちを招き入れるには少々手狭だ。
それに、だらしなく脱ぎ捨てた真木の水着や興宮の靴下が転がる部屋へ、女性を入れるのにも抵抗があった。
いや、それらは片付ければいいだけだが、真木は自然乾燥だと言い張って此方の言うことを聞かないし、興宮は興宮で、部屋にいる時ぐらいは女性陣の存在を忘れたい。
「窓際に二つの椅子、座敷は四人で座れます。余裕っしょ」
真木はもう、呼ぶ気満々で内線の受話器を取り上げている。
だが、かけようかという時、島の携帯電話が鳴ったので、会話は途切れた。
「……あぁ、西脇か。なんだ?」
『なんだじゃないッスよー、先輩!早く食堂に行きましょうぜ、今なら肉食べ放題のバイキングに一番乗りできますよ!!』
旅館のバイキングなんて今更珍しくもなかろうに、西脇は受話器越しに意気揚々と叫んできた。
『しかもですね、世界のスイーツフェスタってのがあるらしくて、おかみさんとミズチンが食べたがってんスよ。てなわけで〜私達先に行ってますんで、先輩らもお早めに!』
一緒に行こうという誘いかと思いきや、先に行きますの報告であった。
常に、こちらの予想の斜め上な行動をとる後輩だ。
一方的にきれた電話をオフにして、島も二人を振り返る。
「……西脇が先に食堂へ向かったそうです。おかみさんや檻も一緒に」
「あらま、行動の早い。んじゃ〜俺達も向かいましょ」
それほど部屋での食事に執着していなかったのか真木もあっさり自分の意見を覆し、男三人も食堂へ向かった。


食堂は意外や人で埋まっており、安宿とは思えないほどの大盛況っぷりだ。
驚く三人に、西脇のでっかい声が届いてくる。
「あ、先輩、遅い、遅い!こっちですよぉ、こっちぃ〜!」
こんもりとローストビーフを山積みにした皿を両手に抱えた彼女の姿が見えた。
「え、何あれ。あれ全部一人で食べるの?阿子ちゃん」
ドン引きの真木へ、島が無表情に応える。
「肉に対する意欲だけは、ある奴ですから」
「や、肉に対する意欲って」と突っ込む真木など島は、もう見ておらず、まっすぐ琴の立つ場所へ歩いていった。
琴と瑞穂は、デザートコーナーにいた。
二人がキラキラと羨望の眼差しを向けた先には、パティシエがお菓子作りの実演を行っている。
パティシエは、女性に受けそうな、目元の優しげな風貌の若い男性だ。
そいつが手つきも鮮やかにクリームを泡立てたり、フライパンで小麦色に焼けた生地を、さっと上手にひっくり返したりしているのだ。
周りには琴や瑞穂以外の女性も群がっていて、ここだけやけに密集地帯、心なしか一、二度は他の場所と比べて蒸し暑く感じる。
「ちょ、呼びかけスルーでスイーツ直行ッスか先輩!?」
慌てて追いかけてきた西脇へ振り返ることなく、島は琴と瑞穂の二人に尋ねる。
「ここで、何を?」
「あー島さん、今ここで、お菓子の実演やっているんですけど、すごいんですよ〜。魔法みたいに、サッサッサと出来上がっていくんです」
きゃっきゃと喜ぶ瑞穂に対し、「わー、魔法だって。ミズチン、歳考えなよ」と白けた目で突っ込む西脇は、おいといて。
琴も微笑み、「ああいうのを、うちにも取り入れたらどうでしょうって檻さんと話していたんです」と答えた。
「ああいうの……デザートを、ですか?」
聞き返す島へ首を振り、「いえ、料理の実演です。お客様に見ていただいて、その場で食べてもらうコーナーを作ろうかという話です」と琴は訂正した。
とてつもなく嫌な予感がする。
料理長が担当になるのであれば島も賛成だが、自分が担当になるのだけは断固お断りだ。
客に見られながら作るなんて器用な真似、出来るとは思えない。緊張してしまう。
だが――おきつにいた頃はカウンター席の客に見られながら作っていたのだと、島は思い出す。
いや、しかし、あれは簡単な刺身や前菜だから可能だったのだ。
あの頃、難しい調理は全て興宮がやっていた。
デザートコーナーをちらと横目で見てみると、イケメンパティシエは流れ作業で複数のデザートを作っている。
一つも手順を間違えることなく細やか且つ丁寧に、そしてスピーディーにオーブンへ。
瑞穂に魔法と称されるのも納得の手さばきだ。
そうとう練習したのか、それともあれが彼の日常業務なのか。
いずれにせよ、あんな真似は自分には出来ない。
「ほほう、なるほど。大蔵屋さんはマグロの解体ならぬ料理の実演で客を呼ぼうってな魂胆か」
不意に背後から声をかけられビクッとなる島の真横で、琴が興宮を振り返る。
「えぇ、山荘でマグロを解体しても、誰の興味も引けませんものね。お客様は常に新しい試みをお求めです。それは、長く続いた当大蔵屋でも同じこと。改装工事と共に、新しく生まれ変わる必要があるのです」
改装工事を始めたのは、雨漏りだけが原因ではなかったようだ。
新鮮な食材を用意して、普段は厨房にいる料理人に客の目前で実演調理を行わせたい。
そう興宮に話す琴を眺めながら、彼女は一体誰にやらせたいのかと島が想いを巡らせていると。
皿いっぱいに手羽先を乗っけた真木が、すすっと近寄ってきて、島に耳打ちした。
「これは厨房総出のイベントになりそうだぞ?今から営業用笑顔の練習をしておけよ、島」
総出でやってしまっては、他のメニューがままならない。
真木もベテランにしては、おかしなことを言うものだ。
呆れる島は、不意にぐいっと琴に肩を掴まれて、激しく動揺の色を示す。
「実演は勿論、当旅館の看板料理人、島くんにやっていただこうと思っております」
いつから大蔵屋の看板料理人に任命されていたのか。
いや、そんなことよりも、近い近い、おかみさんとの距離が近すぎる!
首筋に琴の息が吹きかかるたびに、島の心臓は跳ね上がる。
背中が瞬く間に汗ばんでくる。自分が緊張しているのを否が応でも意識してしまう。
汗だくで真っ赤に染まる島をぐいっと前面に押し出し、琴は自信たっぷり言い切った。
「おきつさんに育てられて大蔵屋で経験を積んだ彼なら、必ずや盛り上げてくれるでしょう」
客が旅館に求めるのは静けさと見晴らしのよさ、従業員の対応、そして料理の美味しさだ。
しかし常連客が老人ばかりでは、いずれ客足が途絶えてしまう。
若い客を惹きつける何かが欲しい。
その結果、琴の考えた策は看板調理人を立てること――だった。
厨房の料理人、島の知名度は常連客の間で年々あがってきている。
琴が毎回、客間まで連れまわした成果だ。
島を選んだのは、彼の見栄えが良いからだ。それに、若くもあった。
勤勉さ、それから料理の腕にも期待していた。
料理長に聞いて、おきつが小料理屋としては割合有名な店であると知ったのだ。
島と一緒に大蔵屋を盛り上げたい。彼には末永く側にいてほしい――そんな想いもあった。
そう。
雇い始めの頃から、琴は島を気に入っていた。
ただし贔屓目だと周りに看破されないよう、距離は離れ気味であったけれど。
「ほ〜っぉう、おきつのネームバリューも取り込もうって腹ですかい。いやはや、おかみさんは見かけと違って随分と大胆でいなさる」
琴と興宮、両者の間で火花がバチバチと飛び交う。
共に一歩も引かない、島を取り合っての花いちもんめである。
間に立たされた島の居心地の悪さは相当だろうと、真木や瑞穂は密かに同情した。
ただ一人、空気が読めていないのは西脇で、彼女は暢気に島の腕を引っ張ってくる。
「スイーツもいいですけど、先輩。このバイキングのメインはステーキっすよ」
ローストビーフは既に彼女の腹に消えたらしく、皿は二枚とも空になっていた。
呆れて「まだ肉ばかり食べるのか」と島が突っ込めば、西脇は歯に詰まった肉の筋を見せて、ニカァッと笑う。
「そんなこと言って、先輩だってお肉は好きでしょ?それとも何ですか、もしかしてスイーツが食べたかったとか?いや〜ありえませんよね、バイキングにきて肉を食べないなんて、人生の半分を損しています!ささっ、肉にいきましょ肉に」
先ほどの琴と興宮の会話が聞こえていたのか、周りの女性客が自分に視線を注いでくるのに気づかなかった島ではない。
琴との密着から逃れるや否や西脇が誘ってきたのをヨシとして、島は足早にその場を離れる。
「お、さすが私の島先輩!スイーツより肉、花より肉っすよねー」
何やら勘違いしたままの西脇を、背に従えて。
二人の後ろ姿を見送りながら、興宮が溜息をつく。
「……ふむ。島には、まだ早すぎた計画だったかもしれんぞ?大蔵さんや」
同じく小さな溜息をつき、琴も苦笑した。
「そうですね。島くんは、実演の前に準備期間が必要なようです」
興宮に指摘されるまでもない。
島に足りないのは度胸だ。
度胸をつけるにあたり、客間での挨拶だけでは到底足りない。
この旅行を利用させてもらう。
興宮の島勧誘阻止だけが、この旅の目的じゃない。
琴は、たっぷりマンツーマンで島を特訓する予定でいた。
だからこそ、皆が寝静まった頃の散歩に彼を誘ったのだ。
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