不器用な恋と呼ばないで

#13

瑞穂はエッチ禁止と言っていたが、何も馬鹿正直に守る必要もない。
おかみさんだって海に誘うぐらいなのだ、サンオイルの塗りっこぐらいは考えていよう。
いや、場所を海に選んだのは興宮のおっさんだったか。
とすると、あのおっさんは島先輩とサンオイルの塗りっこを?
断固阻止せねばなるまい。
先輩の水着を脱がす役目は、私だけに許された特権なのだから――!
己の欲望を正当化すると、西脇は改めて島へ振り返る。
「うっへっへ、センパァイ、一緒に泳ぎましょぅよぉう」
よほど笑顔が卑猥に見えたのか、後ずさりする島を横から引っ張ったのは真木だ。
「泳ぐのもいいけどさー、まずはサンオイルの塗りっこッショ!」
真木先輩と?
首を傾げる島の耳元で、真木がぼそぼそ囁いた。
「ほら〜、せっかく俺が水さそったんだから、おかみさんとヌリヌリしてこいって」
「お、おかみさんと……?」
「や、何、意外って顔してんだよ。他に誰とやるんだと思ったんだよ?おかみさんだってほら、お前とサンオイル塗りっこしたい〜って顔して待ってんじゃん」
言われて島は琴を振り返ってみたが、彼女は遠くの景色を眺めている。
とても真木の言うように肌を焼く準備スタンバイには見えない。
怖気づく島の背を、さらに真木は力強く押した。
なんせ、この旅行は島が主役だ。
彼が動かない事には、こちらもおかみさんの手助けが出来ない。
「いいか、俺はこの旅行で瑞穂ちゃんにアタックをかける予定でいる。従って島、お前の役目は、おかみさんの相手だ、これしかない」
「しかし……興宮せんぱ、いえ、興宮さんを放っておくわけには」
「誰もオッサンを放置しろとは言ってないだろ?あの人がいない間だけでも、おかみさんの話し相手になってやれって言っているんだ」
坂一さんなんて気安く呼んでいたくせに、本人がいなくなった途端オッサン呼ばわりだ。
それにも島はムッときたのだが、今は真木の無礼講に腹を立てている場合でもない。
おかみさんが遠くを眺めているのは、こちらに気を遣っての態度かもしれないのだ。
一人で寂しそうにさせてはいけないのぐらい、島にだって判っている。
真木の側を離れ、島は琴へ、おずおずと話しかけた。
「ど、どうしますか……これから」
「そうですね、島くんがしたいようにしましょう」
返事になっているような、そうでもない答えが返ってきて、ますます島は困ってしまう。
見かねたのか、瑞穂が横入りで声をかけてきた。
「おかみさん、あっちのコンクリの壁があるとこだと人目につかなくていいかもですよ。あそこで砂遊びなり水遊びしながら、島さんとおしゃべりするってのは、どうでしょう?」
瑞穂が指を差したのは、旅館からも死角になった場所だ。
それでいて日当たりはいいから、砂浜でゴロゴロするのにも、うってつけだ。
「私はワッキーや真木先輩と泳いできますけど。お二人は、どうぞごゆっくり〜」
余計な気まで回して、瑞穂は西脇のほうへ走り去る。
「……では、いきましょうか」と手招きされ、島は若干躊躇したものの。
恐る恐る頷くと、琴と共にコンクリ壁の向こう側へと歩いて行った。

納得いかないのは、置き去りにされた西脇で。
「ちょっとー!橋渡しするとかナシでしょ、二人とも!!」
勢いよく食ってかかるも、真木も瑞穂も、てんで反省していない。
「え〜?だっておかみさん、島さんと遊びたがってたみたいだしィ」
「そうそ、おかみさんの手助けするのは従業員の役目っしょ」
「だからって二人っきりにする必要なくね?あぁ、島先輩みたいな草食系男子は岩陰に連れ込まれたら最後、口八丁で丸め込まれて水着を脱がされて全裸にされて、あれやこれやとエッチな目に遭わされるに決まってるっす!」
二人きりの危険性を伝えても、瑞穂は笑って取り合わない。
「まさかぁ〜、ワッキーじゃあるまいし、おかみさんがそんなことするわけないじゃん」
「私じゃあるまいしって、どーゆー意味!?」
「じゃあ三歩譲って真木先輩じゃあるまいし?」
「しないよ!?」
真木の叫びをも身に受けながら、瑞穂は、どこか夢見がちな表情で続ける。
「二人っきりでラブラブデートって難しいと思うんだよね、旅館の店長やっていたら。今回せっかくのチャンスじゃん?でも、島さん、あんな感じで奥手すぎるし、おかみさんも遠慮しちゃってるみたいだから、ここは私達が背中をグイグイ押してあげないと」
「だったら私と島先輩の関係も、グイグイ押してってくれてもいいでしょーが」
「えー?ワッキーは押さなくても自分でグイグイいけるじゃん」
そう言われてしまうと、身も蓋もない。
親友に論破された西脇は、真木へ八つ当たりの矛先を向ける。
「あー!もー、むかつくっす。ほら真木先輩、ぼさっと突っ立ってないで可愛い女子二人にジュースの一本や二本、おごってくれたらどうなんです?ねーミズチン、ミズチンもジュース飲みたいよねぇ」
「あぁ、うん。お願いします、真木先輩」
苦笑する瑞穂に背を押されるようにして、真木は渋々ジュースを買いに行った。
やれやれ。
島とおかみさんを追い払っても、最大の難関が残っていた。
瑞穂を口説き落とすには、西脇を何とかせねばなるまい。


コンクリ壁の向こう側には、誰もいない。
旅館からも遠く離れ、窓を覗いても見えまい。
――二人きりなのだ。
改めて意識した瞬間、鼓動はドクドクと脈打ち、島は心臓の辺りを抑える。
五年ほど勤めてきたが、おかみさんと二人っきりな状況は、ほとんどない。
せいぜい客間の廊下を移動している間ぐらいなものだ。
それだって、すぐ客室についてしまうから、雑談をかわす暇もない。
砂浜に腰を下ろした琴が、島を見上げて微笑みかけてくる。
「島くんも座りましょう」
座って、そして何をするのか。
瑞穂に言われた通り、砂遊びをしたり水遊びをするのか。
それだけじゃ我慢できない――
いや、しかし、我慢できないからといって襲いかかる勇気も島は持ちえない。
無言で遠くの景色を眺めるのが精一杯だ。
きっと退屈な時間になってしまう。
申し訳ない。
青い空も光輝く海も、暗く落ち込む島を喜ばせるには至らない。
しょんぼりと俯きがちに座った彼を横目で見て、琴は語りかけた。
「あっという間ですね」
「えっ?」
「あなたが、うちへ来てから。もう五年も経ちましたが、こうして二人だけで話すのは面接の時以来でしょうか」
コクリと頷いた島を見つめ、琴も頷く。
「今日は、じっくりお話しましょうね」
「……え、その……何、を?」
「あなたについて、まだまだ知らないことがいっぱいありますから。教えてください」
こうして話を振ってもらえるのは嬉しいのだが、自分のことを話せと言われても、何を話せばいいのかが島には判らない。
出生や天涯孤独の身の上なのは、琴も履歴書を見た時に知っていよう。
あと伝えていないのは、おきつ時代の自分ぐらいだが、興宮との思い出を語ったとして、琴が面白く感じるかどうかは甚だ疑問だ。
黙りこくってしまった島を見て、琴は心の中で溜息をつく。
何年も雇っている従業員の中で琴に何も話してくれないのは、島だけなのだ。
他の皆は、こちらが誘いをかけずとも勝手にベラベラ語りまくってくれる。
五年経っても、島に関してだけは何も判らず終いであった。
もちろん、調べようと思えば探偵を雇って調べられないこともない。
しかし、琴は彼のくちから直接聞きだしたかった。
しばらく逡巡していた島が、ぽつりぽつりと呟いた。
「……俺について、何をお聞きになりたいんですか?」
やはり視線は下向きで、どこか頼りない表情を浮かべていたが。
「そうですねぇ。西脇さんとは普通に話せるのに、どうして私が相手だと途端に引っ込み思案になってしまうのか、とか。私、そんなに怖い上司ですか?」
いきなりの核心をついた突っ込みには、慌てて顔を上げて島が弁解する。
「い、いえ!違いますっ。怖がってなどいません!」
叫んでから気が付いた。琴は微笑んでいる。
たちまち、かぁぁっと顔面に血がのぼってくるのを感じながら、ぼそぼそと付け足した。
「た、ただ、その……上司ですから、あまり馴れ馴れしくしては、いけないと」
「馴れ馴れしくして構いませんよ」
思わぬ発言が、当の上司から飛び出して。
驚く暇もあらば、ぎゅっと熱く手を握られて島は硬直する。
掌越しに、琴の暖かさを感じる。
島が見つめると、琴も柔らかに微笑んでくる。
もっと密着してみたい。
不意に己の中で湧き上がる欲望に、島は胸を高鳴らせる。
さりげなさを装って足を近づけたりしたら、彼女は怒るだろうか……?
だが。
「うぉ〜い、買ってきたぞ!ビールやらスイカやら。ん?島はどこいった」
興宮の大声が、ここまで届いてくる。
少し伸びあがって見てみると、西脇らの側に買い物袋を山と抱えた興宮が見えた。
食材を見に行くようなことを言っていた記憶だが、真木のおつかいを優先したのか。
その真木は、姿が見えない。
先ほど西脇に怒鳴られていたから、ジュースでも買いに行かされたか。
先輩相手でも全く物おじしない西脇の度胸は、時々羨ましくなる。
しかし、彼女のようにふるまう自分を想像して、島は緩く首を振った。
あんなふうに傍若無人でも許されるのは、西脇だからだろう。
自分が真似をしたら、きっと顰蹙を買うだけだ。
「どうしましたか?」と琴に尋ねられたので、島は答える。
「興宮さんが探しているようです。行きましょう」
えぇ、と頷き立ち上がった際。
ほんの少しだけ距離が近づき、島の頬が赤みを差す。
琴は気づかなかったのか、それとも気づいていないふりをしてくれたのかは判らないが、代わりに、ひそっと耳元で囁いてきた。
「皆が寝静まった後、二人でお散歩しましょうね。もちろん、皆には内緒ですよ?」
ますます島は緊張で頬を強張らせ、こくりと無言で頷いたのであった。
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