4.月も星もない街
賢者ウォートリアの鴉は闇に紛れ、実に早く街へたどり着くことができた。彼は素早く煉瓦の上に降り立つと、すぐさま元の姿へと身を変える。
鴉のままでいたら、子供達に石を投げられかねない。
煉瓦の上に腰を降ろし、賢者は目をつぶった。
つぶった瞼の上には、まざまざと無惨な光景が広がっている。
――過去に起きた戦乱を思い出していた。
誰が最初に始めたものだったか……
人という人が互いに憎しみあい、意味もなく殺しあった。
人の流す血と家の燃える炎で、辺り一面が真っ赤に染まった。
それが何日も続き、弱い者は怯えて隠れるしかない。
知りあいも知らない人も大勢が殺された。
ウォートリアの両親は革命家であった。
いや、革命家を気取っている理想家であった。
彼らは社会制度を良くないものと決めつけ、自ら戦いの場へ赴いていった。
そして二度と帰ってこなかった。
帰ってこない親を待ち続け、道ばたで泣き続ける子供を見た記憶がある。
自分も、あのように泣けたらとウォートリアは思ったものだ。
だが泣くには彼は少し大人すぎたし、両親を思って泣けるほどの涙もなかった。
彼は無意味な戦いも、理想の強制も好きではなかったのだ。
大勢の人が死んだ。
だが戦いの中心で死んだ者達は、それでも幸せだっただろう。
彼らは自分の理想の為と勝手に戦いだし、勝手に死んでいったのだ。
戦で嫌なのは、自分の意志とはお構いなしに巻き込まれる事態だ。
今度はそれが、人と人との間だけではなく人形までも巻き込むやもしれぬと、友人の人形師は言う。
人形達――
彼らに自分の意志は、ない。
彼らを生き物として意識しているけれど、ウォートリアは、そうも認識している。
人形達の意志は、すなわち人形師が吹き込んだ意志であり自らの物ではない。
もし彼らが自分の意志に目覚めるとしたら、今の立場をどう感じるだろうか。
人間の玩具。
それとも、人間の奴隷?
きっと、彼らは反乱を起こすだろう。
自分の意志を持つ者は、無意識に自由を求めたがるものだ。
たとえ一匹の猫でも、野良として育った猫は家で飼われることを嫌う。
生き物とは何故かそうしたもので、人形も自我を持てば自由を求めるはずだ。
その時、私は彼らを受け入れることができるだろうか――?
ジャニアが自我を持ったなら、彼女は、やはり家を出て行くだろうか。
生き物としての人形を認めながら、その時が来るのを私は恐れている……
そこまで考えて、ウォートリアは雑念を振り払った。
今は、街の様子を探ることに専念せねば。
くすんだ灰色の屋根が見える。
窓に灯った明かりを頼りに近づいた賢者の耳に声が届いた。
「毎日たった五ペタで、どうやって暮らせってんだ!」
場にいない人形師へ当てつけた、怒りの声だ。
「工場は、どうあっても俺達を殺したいらしい……」
怒りの声に答えているのは弱々しい、だが同じく怒りを滲ませた声だ。
どちらも工場で働く者達だろう。
「人形が何だってんだ!俺達ぁ人間だぞ!?人間は人形様の奴隷だってのか!?くそっ、ふざけてんじゃねぇぞ!!」
瓶の割れる音、続いて人の倒れる音。
「その辺にしておけ。明日も早いぞ」
二つの影が明かりの向こうで重なり、そして真っ暗になった。
灰色の屋根が続いている。
街の中でも最下層の人間達が住む区域は、一面が灰色で覆われている。
通りは緩やかに下り、最終的には港へ出る。
その道をゆっくりと降りた。
「おい」
歩く賢者を呼び止める者がいる。
振り向くと、そこには腕を組んだ女性の姿があった。
「あなたは……」
「久方ぶりだな、賢者ウォートリア」
知っている顔だ。
賢者同様、今は隠居生活を営んでいるが、昔は戦に加わった者でもある。
彼女の名はエクサリス。腕の立つ人形師であった彼女。
彼女は仲間の人形師と共に世界を相手に反乱を起こし、敗れたのだ。
敗者は社会から抹殺され、舞台を降りるしかない。
――記憶の中の戦乱。
あれは、人形師が自分達の地位を獲得する為に起こした戦だった。
今より ずっと昔。
人形が商品となるよりも昔の頃、人形師は最下層にいた。
もっと金が欲しい。
もっと自由になりたい。
彼らは自分達の為に団結して、立ち上がった。
そうして罪なき人を殺し、家を焼いた結果に得たのが今の地位だ。
彼らは戦に敗れこそしたものの、目的は果たした。
その戦歴の影にいたのが、ソウル・オートマターであった。
命ある人形。
世の政治家は、人形師が生み出す奇跡に驚いた。
そして、戦に加わった人形師を牢屋へ放り込んだ後、彼らの生み出した奇跡に目をつけたのだった。
これで金儲けをしてやろう、と。
結果的には何も変わってはおらず、人形師は政治家の道具としての人生が待っているだけだったのだが、彼らにとっては、うまい飯が食える、それで充分だった。
それだけでも戦を起こした甲斐があったのだ。
貧困地から抜け出せただけでも。
「エクサリス、ここに貴女が住んでいたとは知りませんでした」
「挨拶はぬきだ、ウォートリア。あんたも知っているだろう?人形工場に不満が高まっている。近いうち、戦が起きるよ。昔みたいに大きな戦がね」
ウォートリアの笑顔を遮って、エクサリスが話し出す。
「エクサリス?」
「事と次第によっちゃあ、あたしは奴らの尻を叩く覚悟があるね。今の、この世界は狂っている。人形の為に人間が死にかけるだなんて、そんな馬鹿な話があるかい」
強い、憎しみの込められた意志に負けるまいと、賢者も言い返す。
「その人形社会を造りだしたのは、あなた方ではありませんか。人形師が高い地位を得られるようにと自動人形を世に送り出した」
「そうさ。そして今は、それを後悔している……」
エクサリスの視線は空へと向けられる。
つられて賢者も空を見た。
暗い空が広がっている。
ジャーマターの家で見た空は星が満面に輝いていたというのに、街の空には星一つ無い。
月までもが雲の向こうに隠れていた。
「あたしが望んでいたのは、人形師が人間として扱われる世界だ。別に、工場で働く人間を家畜扱いしたかったわけじゃない。だから今の世の中は間違っている、と言いたかったんだ。あんたなら判るだろう?ウォートリア。あの戦を見た者なら」
エクサリスは戦いを好む者ではあったけれど、人形師としては一流だった。
「あの戦を見てきた者なら判るはずだ。今度は町工場で働く者達の番だ。あたしは奴らの為に戦ってやるつもりだ。昔、彼らに助けられたようにね」
過去の戦で、貧困に喘ぐ人形師に加勢した者達がいる。
それは肉体労働者と呼ばれる者達だった。
彼らの地位は昔から、それほど変わっていない。
「そうやって繰り返してしまえば、また人形師の地位は下がります。それも貴女の望む結果なのですか?」
うまい言葉が見つからず、ウォートリアは仕方なく尋ねた。
答えは、彼が思ったとおりのものだった。
「あたしは今の人形師に地位がいるとは思えないね。あいつらは地位と引き替えに、人形師としての魂を売り渡したんだ。奴らは人形師としても、人間としても終わってるよ。倒すのに躊躇いはないね」
彼女は人形を愛する心を持っている人形師であった。
ジャーマターと同じように。
――また、戦が始まろうとしている。
通りに立ち尽くしたまま、賢者は空を見上げた。
「こんな街には、月も顔を出しませんか」
祝福されていたジャーマターの家とは違い、街はなんと寂しいのだろうか。
星も月も皆、姿を消してしまった。
何だかひどく悲しくなり、賢者は再び鴉へ姿を変えると飛び立った。
ここは寂しくて、とても立っていられない。
家へ帰ろう。
ジャニアとダニスが待っている、あの家へ。