夜に咲く花

3.人形粛正

かつて彼ほど愛された人物がいただろうか。
人形師ジャーマター。
星も月も空も木々も、彼を囲む人々も彼の手から生まれた人形も、みな彼を愛した。
彼もまた、自らを囲む人々と動物を、そして己が生み出した人形にも際限なく愛を与えた。
全ての命は愛すれば愛するほど輝きを増す。
ジャーマターは本気で、そう考えていた。
その思想は多くの人間、そして人間の家に住む人形の共感を得た。


ある日、ジャーマターは空を流れる不吉な流星を目にした。
「誰か、誰かおるかね」
彼にしては大きな声で小間使いを呼び寄せると、手紙を持たせる。
「よいか、これを必ず丘の上の賢者に届けてくるんだよ」
小間使いは「必ず届けます」と頷いて出ていった。
人形師はなおも不安そうに空を見続けていたが、やがて「嵐が来るぞ」とだけ呟いた。
不吉な予感は賢者ウォートリアのみならず、この老いた人形師にも届いていたのだ。
空をまたいだ流れ星は、それきり二度と流れなかったけれど、人形師はまだ落ちつかず空を眺めている。
「あまり夜風にあたりますと、お体に悪いですよ」
小さな影が彼の足下で囁いた。
自動人形のサラナ。
サラナはジャーマターが二、三日前に完成させた最新の会心作であった。
使われている材料はけして高級なものではなかったが、彼女が生まれながらに持ち合わせた心は、この人形師を満足させるに充分だっただろう。
本来、人形師とは自動人形に心を与える役目を持つ者達を称して呼ぶ。
しかしジャーマターは、自分は人形の土台となる体を作っているだけだと言う。
自分の作った人形は自分が心を吹き込んでいるわけではない、とも言った。
心は勝手に後から作られるものだ。本気でそれを唱えていた。
どこまでが本当なのかは誰も知る由がない。
故にジャーマターが希代の人形師と言われるのは、意図せずして彼が心のある人形を生み出しているところにあった。
彼は天然の天才であったのだ。
意識のない天才だからこそ、彼は自分の才能を鼻に掛けようともしなかったし、そんな彼だからこそ皆は愛した。
その中でも一番人形師を愛していたのが、そこに立っているサラナである。
サラナには主がいない。
貰われていく予定だった家の子供が、急な病気で死んでしまったのだ。
彼女は、そのまま人形師の家に残る事となった。
急な不幸はサラナの心を暗くしたけれど、人形師と暮らせることは彼女の心を明るくもした。
年老いた人形師の最後を看取れる幸福に。
「そうだな……サラナ ありがとうよ、こんな老いぼれを心配してくれて」
寒さに身を震わせて、人形師がサラナを振り返ったときだった。
一羽の鴉が窓辺に降り立ったかと思うと、それはすぐに黒き髪の若者へと姿を変える。
賢者ウォートリアは、うやうやしく頭を下げながら挨拶した。
「偉大なる人形師ジャーマターよ。今夜はお招き頂きありがとうございます」
「やめとくれ。わしとお前さんの仲じゃないか。さぁさ、ここは冷える。中へどうぞ」
人形師は大きな口を開けて笑うと、賢者を家の中へ通した。

「星を見ましたか」
開口一番、部屋に入るなりウォートリアは言った。
つられるように重々しく頷きながら、茶を煎れる手は休めず人形師が応える。
「あぁ、見たよ。お前さんも見たのなら、話は早い」
「戦……でしょうかね?」
脳裏をかすめる赤いちらつきに、ウォートリアは眉をひそめる。
もう長いこと忘れていたはずの火の色だ。
またあれが、この街に襲いかかるというのだろうか。
だが、ジャーマターの憂いは賢者とは違ったものであった。
彼は茶の入ったカップを賢者に差し出しつつ、顔を曇らせる。
「それならば可愛いもんだが……儂が感じたのは、もっと違った災厄さ」
「戦が可愛いと申されるのですか」
不思議そうに見やる賢者に、人形師は再び頷くと空を見上げる。
星が何の怯えもなしに瞬いていた。
「人と人とが争う分には、な。今度の不幸は、もしかしたら人形達をも巻き込むかもしれないよ」
「人形達を?」
「そうさ。これが勘違いの憂いであればよいんだがね」
後をついてきたサラサの頭を撫で、机の上に持ち上げてやる。
「町工場の噂は聞いておるかね?」
首を傾げるウォートリアに、こうも話した。
「工場で働く者達が謀反を企んでいると聞いたよ。恐ろしい話だ……彼らは芸術を解せず、また、命も理解しようとしないのだ」
「謀反とおっしゃられましても」
一口お茶をすすってから、賢者は尋ねた。
「具体的には、一体何をしようというのです?彼らは」
自分も茶をすすってから人形師が応える。
「工場破壊だよ。彼らは人形作りを放棄したいらしい。そればかりか、人形を売る店、人形を持つ者達も許さないそうだ。目につく人形を片っ端から壊すんだと息巻いておる者もおるらしいぞ」
賢者が息を呑む音が聞こえたが、構わずジャーマターは彼に伝えてやる。
それらはすべて街で草木が聞き、鳥たちが人形師に伝えてきた噂話であった。


一般に町工場で生産される人形には、欠陥品が多いとされている。
それは一度に大量生産している上、心を吹き込む役目が一人しかいないせいだ。
人形に心を吹き込むのは人形師と呼ばれる職の者達であるが、実際に人形の下造りをしているのは日雇いの人夫だ。
彼らは一日中働かされ、雀の涙ほどの賃金を貰ってどうにか暮らしている。
階級が下とされている貧民で構成されているのが、人夫なのだ。
工場で欠陥品が出れば、真っ先に給金を減らされるのも彼らだ。
心が欠陥しているというのなら人形師の給金を減らすべきなのだが、工場に勤める人形師というのが、これがまた稀少な存在でもあった。
そもそも人形師は本来、手作業で人形を作ることを生業とした職業である。
工場主が頭を下げて頼み込んだ相手が、工場配属の人形師なのだ。
頼み込んで雇っている相手から給料を減らすわけにはいかない。
そういった理由もあってか、人夫と人形師の折り合いは悪い。
人形師を真っ向から憎んでいる者もあった。
人形師の中にも、町工場を嫌っている者は少なからず居る。
ソウル・オートマターを大量に生産し道具のように扱わせている工場は、命を冒涜していると忌み嫌っていた。


「人形師と人夫との摩擦。そして工場主と人夫とのすれ違い……いつか、人形師と工場の人間とで大きな諍いが起こると見て間違いない。争いが起これば、必ず人形達も巻き込まれるだろう。ウォートリアよ、我々はか弱い彼らを守らねばならないぞ」
ジャーマターの言葉を聞き流しながら、ウォートリアは考え込んでいた。
が、ふと思いついたように顔をあげる。
「人夫は給金の問題だけで人形師を憎んでいるのですか?だとしたら、まだ回避の余地がありそうですね。我々で工場主にかけあうのです」
だが、人形師はかぶりを振った。
「無理じゃよ。人形師は、いつの間にか世界で一番偉い存在となってしまった。工場主に全てを均等に扱えと諭したところで聞き入れはせんだろう」
「だからといって諍いが起こるのを静観するわけにはゆきません」
すっかり茶を飲みほしてからウォートリアは立ち上がった。
すぐさま姿を鴉に変えて、窓際に飛び乗る。
「どこへ行くんだね」と、ジャーマターが尋ねるのへ「町の様子を見に」とだけ答え、夜の空へと飛びたった。



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