夜に咲く花

2.人形師

うらぶれた街の片隅にある酒場で、オージは今日三度目の舌打ちを漏らした。
――くそっ。
ソウル・オートマターが逃げ出したのである。
けして大切にしていたわけではなかったが、逃げるとは予想もつかなかった。
自我といったところで、所詮は設計者が作り出した思考回路だ。
自動人形達の自我に、逃げ出すという思考は本来作られていない。
だから慌てた。
ありえない事態がオージから冷静な思考を奪った。
慌てたあまりに、オージは自分でも考えられないようなミスを犯したのだ。
自分が働く工場の下男達を、自分の手足のようにこき使ってしまった。
後で工場主に死ぬほど大目玉をくらったのは言うまでもない。

――君は一体何を考えているのかね。
――この工場はいつから君の所有物になったのか。
――オートマターを一体無くしたぐらい、どうだというのだ。
――たかが人形じゃないか。また新しいのを買えばいい。

さらには下男がオージの興奮を鮮明に伝えたものだから、オージは一体の人形に異常な執着心を燃やす変態として工場内で有名になった。
明日から、どんな顔をして工場へ行けばよいのだろう。

くそっ。

これというのも、ダニスが俺の元から逃げ出しやがったせいだ。
むしゃくしゃする時、オージはいつもダニスにあたってきた。
だが今日、生まれてこのかた最大にむしゃくしゃしている 、この日にダニスはいない。
肝心な時に姿をくらますとは、なんと役に立たない奴だ。
工場主が言うように、新たな人形を買えばいいのかもしれない。
だがソウル・オートマターは、オージのような労働者が気安く買える値段ではなかった。
奴らはたかが人形の分際で、貴族がターゲットの商品となっていた。
大量生産の人形ですら、安賃金で働く者には目玉が飛び出るほどの高値なのである。
いくらなんでも人形如きに、給料の半分以上をつぎ込む気にはなれない。
ダニスはオージが以前の工場主から気まぐれで譲り受けた代物だった。
彼の話によると、ダニスには売りに出せない欠陥があったらしい。
当初のオージには、その欠陥が何であるのか皆目検討がつかなかった。
だが今なら判る。その欠陥とやらが。
ダニスは人間臭すぎるのだ。
虐待から逃げるところなんざぁ、まるで人間そのものだ。
それにしても。
ダニスは工場で作られた大量生産式の人形のはずである。
何故彼だけが、そのような心を持ったのだろうか?
だがオージにとっては、それはさほど問題ではないようだ。
今、自分の手元にダニスがいない。そっちのほうが大問題であった。

――必ず見つけてやるからな。

オージは手元のコップを勢いよく煽った。
見つけたらどうしてやろう。
目玉をくり貫くだけじゃ、気分は収まりそうになかった。


賢者ウォートリアはダニスのために服をこさえると彼に着せた。
薄汚れて汚かった髪の毛も洗い直し、新たに着色を加える。
ブラシでとかしてやると、ブラウニーの髪の毛は朝日を浴びて綺麗な輝きを見せた。
「きみは綺麗だ」
賢者がついた満足の溜息を聞きながら、ダニスは正面の鏡を凝視していた。
鏡の中にいるのは五年前の自分だ。
新しいご主人様の前で、希望に満ちていた自分。
これから己の身に起こることを何一つ知らなかった頃の自分……
あの頃と変わっていないのは、青いガラスを嵌めた目ぐらいなものだろう。
オージの虐待はダニスの心ですらも変貌させていた。
「この、服」
ダニスが最初に着ていた服は、コストに見合わせた安い布地で作られたやつだった。
関節を動かすたびに触る布地の感触が、ダニスをいやな気分にさせたものだった。
今着ている服の布地は、ダニスが感じたこともない柔らかさを帯びている。
それでいて表面はつやつやと光彩を放っていた。不思議な布だ。
「おれが着ても、いいのか?」
困惑するダニスの頭を優しく撫でると、賢者は微笑した。
「もちろん。あなたの為にお作りしたのですから」
「おれの……ために?」
見上げるダニスに、ゆっくりと頷く。
「これからは我慢なさらなくてもよいのです。欲しいものがあったら、私かジャニアに申し上げてください」
ダニスの服はボロボロだったから、虐待されていたのは充分伝わったのだと思う。
しかし、ダニスは我慢をしていたつもりなどなかった。
欲しい物などなかったが、オージには力の限り反発してきたつもりだった。
オージは毎晩酒を飲み、愚痴を振りまく。
時にはダニスの心を苛つかせる、薄汚い言葉を吐いてくることもあった。
そんな時、ダニスは必ずといっていいほど反発の意見をオージに浴びせたものである。
そのせいだろう。オージが彼に虐待を与えるようになったのは。
黙って話を聞いてやればよかったのだ。
そうすることもできないぐらいダニスは大変に勝ち気な性格であった。
自分の心と反する意見には何でも噛みついてきた。
オージだけじゃない。人形を教育する、工場おかかえの人形師にも噛みついた。
故に不良品の烙印を押されて、オージの元へ質流れとなったのだ。
「おれは我慢してたわけじゃない。オージの器量の狭さを皆に伝えるには、あの格好でいる必要があっただけだ。欲しい物も特にない。おれは乞食じゃないんだ。お前に恵んでもらう必要はない」
新しい服も必要なかったのだが、前の服を取り上げられてしまったのでは仕方がない。
むっすり答えるダニスを抱え上げると、賢者はジャニアの横へと彼を降ろした。
「ご気分を害してしまったようですね。失敬。無粋な大人は去るとしましょうか……ジャニア、後は頼みます」
ジャニアはいつでも机の上に、ちんまりと腰を降ろしていた。
その両目はどこか遠くを見ているようでもあり、家にいながら幻想的な雰囲気を醸し出していた。
彼女の髪の毛は流れるように緩くウェーブを描きながら、机の上まで届いている。
非常に長く、そして縺れや枝毛の一本もない、光沢のある美しい栗色の髪の毛だ。
服は、今ダニスが着ているのと同じ素材で作られているようだ。
ただし彼女の服はダニスが短いズボンであるのとは多少異なり、足が丸々覆われている。
「それ、なんだ?お前の服……歩けるようになってるのか?」
疑問が口をついて出た。
ジャニアは僅かに口元に微笑みを浮かべ、服の端をつまみ会釈のポーズを取った。
「スカートを見るのは、はじめて?」
微笑んだジャニアは本当に可愛らしく、ダニスは自分が惨めに思えてきた。
自分はこのように微笑む方法を知らない。
ダニスが工場お抱えの人形師から教えられたのは、絶対服従の心構えぐらいであったからだ。
思わず顔を背けるダニスを見て、ジャニアも傷ついたようであった。
「……ごめんなさい」
小さく呟いたその声が微かに震えていたものだから、ダニスは彼女を振り返る。
ジャニアは両手で顔を覆っていた。泣いているといった仕草だ。
「なんで謝る。今のは、おれが悪いんだろう」
悪いとする原因はスカートを知らなかったところだっただろうか?
ダニスは自分でも何を言っているのか判らないままに彼女を褒めてやる。
「その……スカートか。お前によく似合っている」
ジャニアの表情が変わり、またダニスは驚かされた。
への字を作っていた口元がほころび、花弁が咲くかのようにゆっくりと開いていく。
閉ざされた双眸にも輝きが戻っていた。
「ありがとう。そう言って貰えると嬉しいですわ。貴方もそのお洋服、とてもお似合いですわよ」
口元に手をあげる。仕草の一つ一つが優雅であった。
どのように教育を受ければ、そのようになれるのだろう。
尋ねようと思った。しかし、ダニスの口から出たのは、まるっきり違う言葉だった。
「お前の目……綺麗だ」
朝日を受けて、ジャニアの両目は輝きを放っている。
目の中で幾重にも光が反射しているから、恐らくは宝石というやつを使っているに違いない。
ダニスのガラス玉とは大違いだ。
「ありがとう。でも、あなたの目も綺麗ですわ」
「世辞なんかいらない。おれのは、ただのガラス玉だ」
自分でも恐ろしいほどに強く言いきってしまったダニスはハッとなる。
また悲しませてしまうのではないかと危惧したからだ。
だが、ジャニアは今度は傷つかなかった。
「本当のことですのに。先生も、あなたの瞳を絶賛しておいででしたわ」
「賢者が?」
「えぇ。ですから、もっとご自分に自信をお持ちになって」
また別の疑問がわいた。
「お前の言葉遣い……それ、何だ?ですわ、とか」
先ほどからずっと気になって仕方がなかったのだ。
嫌というわけじゃないが、聞き慣れない言葉はダニスの耳をくすぐる。
ソウル・オートマター特有の言葉遣いなんだろうか。
オージはもちろんのこと、彼が連れてくる女性もジャニアのような話し方はしなかった。
「え?」
きょとんとした後、ジャニアはまるで当たり前と言わんばかりに答えた。
「貴族の言葉遣いですわ。わたくしをこの世に送り出した人形師、ジャーマター様が教えて下さったのです」
また聞き慣れぬ言葉が出た。
「ジャーマター?」とオウム返しに聞き返すダニスに頷くジャニア。
「えぇ。世界でも五本の指に入ると言われている希代の人形師様です。わたくし達は一体一体全てがジャーマター様の手で、この世に生を受けました」
工場生まれではない、ハンドメイドだというのか。
確かに、ジャニアを見ただけでもコストを考えていないのがよく判る。
髪の毛には本物の馬の毛を使い、服は町工場では購入もできない高値の布を使っている。
瞳にはガラス玉の代わりに宝石を埋め込み、肝心の肌の部分は陶器で出来ていた。
頭のてっぺんからつま先まで全てに金のかかった装飾が施されている。
ダニスと同じソウル・オートマターとは思えぬほどに、ジャニアは完璧であった。
本来ソウル・オートマターとはジャニアのような人形を指すのかもしれない。
ダニスは自分がひどく惨めな気分になり、押し黙った。


彼が機嫌をなおして再び口を開きだすまで、ジャニアは随分と気を回した。
普段、内気な彼女とは思えぬほどに多弁にもなった。
もっとも彼女が内気でいられるのは賢者及び彼の友人相手ぐらいなもので、本来のジャニアはおしゃべりの好きな、ごく普通の少女であった。
ダニスが、ぽつぽつと素性を話し出す。
「おれは工場で生まれた。人形師ってのは、おれ達を世間に出すときにしか顔を出さない奴だと思ってた。流れていくベルトに乗っかって、大きな機械がおれ達の体に降ってくるんだ。完全に体ができあがるまで意識はないから、実際にそれを見るのは、おれより後に生まれてくる奴らの工程だけどな」
ダニスの生まれた工場は、汚く小さな町工場であった。
毎日そこで生産された人形は出荷されていく。
貴族というよりは少しだけ裕福な一般市民がターゲットになっていた。
大量生産のソウル・オートマターは、ハンドメイドの高級品とは使用主旨が異なる。
ハンドメイドの自動人形は、いわば芸術品である。飾って目の保養として楽しむためにあった。
それと比べて大量生産の自動人形は、どちらかといえば庶民向けのおもちゃだ。
多少乱暴に扱われても、そっとやちょっとじゃ壊れないように出来ている。
安賃金の労働者には無理でも、ある程度稼いでいる中流家庭になら買えない事もない。
ダニスを作っている町工場の人形は、まさに子供向けのおもちゃとして出荷されていた。
ダニスも子供相手に売られていくはずだったのだ。
だが、彼はそうならず欠陥品としてオージの元へ回収された。
人形師の言う"絶対服従"がダニスにとって我慢ならなかったのだ。
「何故、絶対に服従しなければならない?」
蓄積された怒りを込めて吐き出すダニスの横顔を眺めながら、ジャニアはそっと思う。
この感情は私にはないものだわ、と。
ダニスの全てが不思議でならなかった。
怒り、憎しみ、そして反発心。
彼はどこでこれらを学んできたのだろうか。オージという人の家で?
ジャニアには虐待という言葉もよく理解できなかった。
何をどうされたら、服がボロボロになってしまうのだろうか。
「ずっと前から逃げたいと思っていたんだ、でもチャンスが今までなかった」

逃げる。
逃げるというのは、どういうこと?
主の手から遠く離れてしまうということ?

それは、彼にとって寂しくないのだろうか。
ダニスがそうであったようにジャニアにとってもダニスの言葉は難解だった。
あまりにも違いすぎる環境は、互いの好奇心を刺激する。
二人の仲が接近するのに、そう時間はかからなかった。


そうして何日が過ぎただろう。
ダニスが、すっかりこの家の住民となった頃、空を見ていた賢者が異変に気づいた。
彼は形の良い眉をひそめて、流れる星を見送る。
「流れ星が二回も流れるとは……このような夜には決まって次の日、ろくでもない事件が起きた。嫌なことが起きなければ、よいのですが」
だが嫌な予感というのは、少なからずとも当たってしまうものなのだ。



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