夜に咲く花

1.賢者ウォートリア

心を持つ自動人形というものが流行りだしたのは、いつからであったか。
いつの頃からかソウル・オートマターと呼ばれる人形の売買が行われるようになっていた。
人の形を模したものだが、人と同じように自我を持つ。
人と大きく違うのは、人の半分ほどもない大きさと、永遠に死なないところだ。
永久に――いや正確には部品がすり切れて動かなくなるまで生き続けられる。
逆に言えば、それは死にたくても死ねないということだ。
どんなに酷い虐待を受けたとしても、自分の意志で死ぬことは許されない。
それは彼らにとって不幸という他ならない。

ダニスが五年目の生を受けて、その日初めて脱走を決心したのも、そういった恨み辛みが重なっての当然とも呼べる結果だったのかもしれない。
ダニスの所持者であるところのオージは彼がいなくなった事実に腹を立て、工場の下人達を探させに街へとよこしたが、その時分となっては後の祭りであった。
ダニスはその頃にはもう、街になどいなかったからである。
彼は街を遠く離れ、丘の上にある一軒家に転がり込んでいた。
そこに家があったとダニスは前から知っていたわけではない。
逃亡につかれ動きを止めようとしていた、まさにその時、眼窩に飛び込んできたのが、たまたまその一軒家だったというだけの話だ。
だから誰の持ち家なのかも確かめずに扉を開けて、中に飛び込んだ。
そして、そのまま疲れ果てて寝入ってしまった。


その一軒家のテラスに、誰かが立っているのが見える。
男だ。
丈の長いローブを着込み、艶やかな黒髪をゆるく縛っている。
男は空を見ていた。もう随分と長いこと見上げてから、やっと口を開く。
「今宵はいちだんと星が瞬いている」
自分で呟いた言葉に男は、ふっと笑いを漏らすと傍らに座る少女へ話しかけた。
少女は机の上に腰掛けている。
行儀が悪いのではない。
椅子に座るには小さすぎて、机の上に座るしかないのだ。
彼女は、男から比べると彼の足の長さにも満たない身長だったから。
彼女はソウル・オートマターだった。
「これではまるで恋人に囁いているようですね、ジャニア」
ジャニアと呼ばれた人形は微かに下を向く。
人間の女性であれば、はにかんでいるとも思える動作だった。
「このように星が瞬く日は、変わった出来事が起きやすい。今までの私の人生ではそうでした。何かが起こるとよいのですが」
彼の呟きに、ジャニアは顔をあげる。小首を傾げた。
「起きるとよいのですか?先生」
男は「えぇ」とだけ答え、彼女を机の上から抱き上げた。
意味ありげな微笑を口元に残し、空を見上げる。
「人生には面白い事件、これがないと単調でいけませんからね」


夢を見ていた。
自分がちっぽけな自動人形などではなく、一体の人間として暮らしている。
そこではオージから謂われのない虐待や罵りを受けるはずもない。
自分は人間なのだ。
誰か、別の者も一緒にいた。
女であったように思う。
あぁ、これがおれの夢なのだな、と彼は思った。
理想と言葉を置き換えてもいい。
人間となり、女と暮らす。
誰にも邪魔されず、平穏な時を過ごすのだ。
けして、かなうはずのない夢だ。だから夢なのだともいうが。
そして彼はぴたぴたと、多少乱暴に頬をはたかれて夢から覚めた。

「きみ。起きなさい、きみ」
その者はダニスの頬を、ぴしゃぴしゃと叩きながら、そう言った。
うっすら瞼を開けると、上から覗き込む顔と目が合う。
優しそうな目をしていた。
ダニスが気づいたと判るや否や、男の口元には穏やかな笑みが浮かんだ。
「あぁ、よかった。まだ死んではいないようですね」
何者なんだろう?
ダニスは自問自答して、すぐ答えに行き当たる。
判りきっている、この家のあるじだ。
自分の家に見知らぬ人形が転がっていたら、不審に思うのも無理はない。
まずは動くかどうかを確かめるだろう。
壊れていない自動人形は、いい値で売れる。心があれば尚更だ。
しかし、とダニスは尚も考えを巡らせる。
この男はダニスに対して壊れている、とは言わなかった。
ダニスが自動人形であるのは大きさを見れば一目瞭然であるのに、死んではいないと言った。
これは男が自動人形を人と同じ扱いに見ているということだ。
変わった奴だな、と思った。
オージなんかはダニスを人形としてしか見てくれなかった。
だが、それは当たり前だ、ダニスは人形なんだから。
「迷子なのですか?街は丘を降りて一本道にあります」
男が言うのを制するかのようにダニスは言った。
「おれは迷子じゃない。逃げてきたんだ」
「逃げてきた?」と訝しげに尋ねたのは、この男ではない。
声は机の上から聞こえてきた。女の声だ。
姿の見えぬ相手に頷くと、ダニスは先を続ける。
「そうだ。あんな家、もう、戻るつもりはない。だが、ここへ厄介になろうという気もない。勝手にあがって悪かった」
何がおかしいのか、男はくすりと笑うとダニスの頭を軽く撫でる。
生まれて五年目にして初めてされた行為に、ダニスはひどく驚いた。
男はダニスの頭を撫でながら、慈しむように言った。
「きみは行儀が良い子ですね。今時、素晴らしい」
くすぐったいような、それでいて照れくさい行為。
嫌じゃない。むしろ嬉しい。
ずっと触っていて欲しいぐらいだ。
だがダニスの心の要求も通らず、男は手を離してしまった。
かと思えば、見上げるダニスをひょいと抱え上げる。
「あわっ、わわわっ!」
男の不意打ちともいえる行動に、ダニスは声を上げていた。
今度は男のほうが驚いたようで、びっくりした顔で尋ねてくる。
「おや、どうしました?ダッコはお嫌いですか」
ダッコ?
ダッコというのか。
ダニスは、この仕草の名前を初めて知った。
オージはダニスを抱え上げることもあったけど、その次に待っているのは必ず堅い地面か床の感触だったから。
人に抱きかかえられる時は、こんなに暖かいぬくもりがあったなんて知らなかった。
「いや。ダッコか。なんか、ふわふわするな」
正直に感想を述べると、ダニスはその腕に頭をもたれさせる。
「はは……抱かれるのは初めてですか」
男の声が気持ちよく耳を通り抜けていく。
良い声をしていた。
「あぁ。五年生きてきたけど、初めてだ」
「五年!?」
ダニスの呟きに驚いたのは、男だけではない。机の上の声も驚いていた。
「おれが五歳で、なんで驚く?」
なんとなくダニスは尋ねてみた。
確かに自分は五年しか経っていないにもかかわらず、薄汚れている。
おまけに、体のあちこちにはガタが来ていた。
特に手足の動作部分なんて、ひどいものだ。
ところどころに赤サビがついていて、曲げるだけでも難儀する。
だがこれというのも全て、オージが手入れを怠っていたからだ。
自動人形の寿命は持ち主によってもばらつきがでる。
持ち主が大事にすればするほど、人形達の寿命は延びた。
オージはダニスを初めから虐待用の道具としてしか見ていなかった。
だから当然手入れをするはずもない。
ダニスの体はオージの乱暴な使い方で、たかが五年の間にボロボロになっていたのだ。
男はダニスを後ろに向かせると、首筋の髪の毛をかきあげた。
自動人形は皆、首に製造年月日が書かれている。
それを確かめた後、溜息をついた。
とても悲しそうな目でダニスを見た。
「ひどい仕打ちです。きみが逃げたのも、よく判る」
「あんた……自動人形の気持ちがわかるというのか」
ぎゅう、と強く抱きしめられたままダニスは尋ねた。
なんでかは判らないが、心がどきどきした。
男の悲しむ気持ちが、自分にまで伝染してしまったようだ。
男は当然です、というように頷くと、悲しさを振り払った笑顔で答えた。
「私は自動人形を人形だとは思っておりませんので。心、そして命のある者はすべて生き物と考えるべきです。ただ、私のこの考えは人間から見ると、すこぶる異端なようですが」

男は自らを賢者ウォートリアと名乗り、ダニスの顔を覗き込む。
「家を出て、きみはどこへ行くのですか。もし、あてがないというのであれば、うちへ居て下さいませんか」
ダニスにとって、その言葉は思いもかけないものであっただろう。
彼が驚いて目を見開いているのを見、賢者は嬉しそうに笑った。
「私は、こう見えても寂しがり屋でね。ジャニアもそうだ。二人揃って寂しがり屋なのです。だから、きみがここに住んでくれると、とても助かります」
「ジャニア?」
尋ねるダニスに、賢者は顎で机を示した。
「内気な少女でね。きみと話すときも降りてこようとしなかった。でも、とてもよい子ですよ。ジャニアとも仲良くしてやってあげて下さい」
言葉は心が止めるよりも早く、ダニスのくちから出てしまった。
「それは、おれがこの家に住むための条件か?」
賢者はゆっくりとかぶりを振る。
「いいえ。私達の願いです。きみがそうと望まないのであれば、聞かなかった事にして下さい」


ダニスはそして、賢者の家へ住もうと決めた。
賢者の言葉を全て信用したというわけじゃない、彼が嘘をついているか否かを確かめてやろうと思ったのだ。
それが本当に自分の本心だったのかどうかは、ダニス自身にも判らなかったのだが。



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