天使が俺に輝けと命じた
便所備え付けの鏡で己の顔を見た可憐の第一感想は、
――ふつくしい……!
の、一言であった。
万人に好かれると言うから、てっきりジャニーズ事務所ばりのアイドル顔だと可憐は予想していたのだが、鏡に映る自分の顔は西洋風であった。
西洋の、いわば彫像のような顔、といえば想像がつくだろうか?
目元の彫りが深く顎は尖り、それでいて、きつさを感じさせない。
少々口元を緩ませて微笑んだだけでも、柔らかな印象を与えた。
さながら、その微笑みは天使と言っても過言ではない。
自分でも自分に惚れてしまいそうだ。
口元をニヒルに歪めて笑うと、また別の印象が顔をのぞかせる。
ワルっぽい男性が好きな女性なら、ひとめでコロリといきそうだ。
鏡の前で何度か微笑みながら、可憐は確信した。
この世界でなら妄想でしかなかったハーレム人生が送れるのではないか。
顔はイケメンになった。
しかし、声は変わっていないのに可憐は気づいていた。
元々、声だけは綺麗な男である。
声優でいうと誰に該当するだろうか。前野智昭あたりか?
トーンは低く、深みと優しさのある、よく通る凛々しい声でもある。
尤も前の世界では、ほとんど発せられることのない声でもあった。
声だけならよかったのに、と散々女子に罵られたせいだ。
今の容姿でこの声ならば、女子がポーッと赤くなるのも当然であろう。
顔と声が、ようやく一致した。そのようにも思う。
「おはよう、今日も可愛いね」
「今夜は寝かせてあげないよ?子猫ちゃん」
等とイケメン風台詞を小声で呟いて、顔と声の一致性を何度も確かめると、可憐は満足して便所を出た。
翌日。
可憐がベッドを抜け出て廊下に出た途端、ドラストと鉢合わせる。
そういや昨日のお礼も言っていなかったと可憐は思いだし、改めて礼を言う。
「遅くなったけど……昨日は助けてくれて、ありがとう」
伏せ目からのタメ、そして顔をあげての微笑み。
可憐はキモオタ――アニメファンなので、所謂さわやか系男子、青春アニメに出てくる男性キャラの仕草も、ご存じだった。
まさか自分で使う日が来るとは、思ってもみなかったが。
微笑んだ瞬間、ドラストの頬はボッと真っ赤に染まり、彼女が視線を外す。
「れ、礼など言う必要はない。貴様を助けたのは偶然だ。偶然、私の逃げる方向に貴様もいた。それだけだ」
偶然を連呼しているが、こちらは牢屋に囚われていた。
単に逃げたいならば、可憐なんか放っておいても良かったはずだ。
わざわざ鉄格子を破壊してまで助けてくれたのは、けして偶然ではない。
優しさをテレで誤魔化すとは、王道のツンデレだなぁと可憐は思った。
「それでも嬉しかった。だから、お礼を言っておきたかった……これからは仲間だね。よろしく」
我ながら、どもったりせず女子と堂々と話せるのは不思議な気がした。
前の世界ではイケボでありながら、女子との会話が続かなかったのだ。
昔の自分は小心者に加え、顔にも自信がなかった。
顔に自信がついた。
たったそれだけで、異性と話す自信までつくとは。
生まれ変わって、本当に良かった――
可憐がしみじみしている間に、ドラストが我に返ったかして話を進める。
「そ、それよりも今日から長旅になろう。準備は万全か?小娘や、そのおつきは買い出しに出かけたようだぞ」
小娘というのはミルであろう。なら、おつきはフォーリンか?
二人が買い出しに出たのなら、可憐や他の者達は此処で待機するしかない。
せいぜい武器の確認と、身だしなみを整えておくぐらいか。
可憐は武具も持っていないのだから、本格的にやることがない。
「あぁ、そうだ。ドラスト……さん」
「ドラストでいい。それで、なんだ?」
「うん……俺の出生について、一応教えておこうと思って」
ミルと仲間は知っているが、彼女は加わったばかりなので知らない。
可憐が異世界人だという事を。
話すうちにドラストは眉をひそめたり、疑いの眼差しになったりと忙しかったが、最終的には納得で落ち着いた。
「獣や精霊ではなく人間まで召喚するとは、やはりクルズは危険だな……」
難しい顔で呟く彼女に、可憐が聞き返す。
「危険って?」
「危険は危険だ」と言い返し、ドラストが腕を組む。
「あまりにも強大な能力を持つ人間が異世界から召喚されてみろ?サイサンダラ全体のバランスが崩壊しかねん。だから危険だというのだ。しかも、その危険な術を、あんな年端もいかない小娘が使えるとなると」
「誰が年端もいかない小娘だよっ!」と、話に割り込んできたのは誰であろう。
言うまでもなくミル本人だ。買い出しから戻ってきたらしい。
「ボクは、こう見えても義務教育を終えてんだからね。君達と違って優秀なんだ。小娘扱いしないでもらえるかなァ」
じろっと見下し視線で睨まれて、ドラストもムッとなる。
「どれだけ学力が上であろうと小娘は小娘だ」
「小娘って言い方そのものに見下しを感じるんだってば!もう、学力の低い奴は、これだから……」
「なんだと!?」
殴る蹴るの喧嘩になる前に、可憐はストップをかけた。
いや、二人とも魔術師だから、この場合は魔法合戦か?
「が、学力で争うのは一番虚しい戦いだと思うんだっ。それよりミル、準備ができたんなら早く出発しよう」
学力論争については、誰よりもウンザリしている自信がある。
それが元でも虐められたのだ、前の世界では。
それに人生は、学力だけが全てじゃない。
学校では教えてもらえなかった知識を、可憐はアニメで学んだ。
だからコミュ障でも、人の心を感じる能力はあるつもりだ。
「本人が嫌がっているんだし、ミルのことは名前で呼んであげなきゃ」
可憐が下がり眉でお願いすると、ドラストの反応は実に判りやすく。
「き、貴様が、そういうなら従ってやらんでもない」
どう見ても貴方に気がありますといった体で返してきた。
「よし、ミル。すぐに出発するぞ。全員に声をかけてこい」
ドラストから頭ごなしに命じられ、ミルのこめかみには複数の青筋がビキビキ走る。
「ミル、俺も一緒にいこう」
怒鳴りちらす寸前で可憐に手をぎゅっと握られて、たちまち機嫌を直した。
「しょうがないなぁ、このグループのリーダーは実質ボクだしね。さ、いこっ。可憐。サーフィス目指して出発だ!」
可憐を引っ張るカタチで、ミルは元気よく階段を駆け下りていった。
ずっと黙っていたフォーリンが、ドラストへ一言かける。
「ミルは、ああいう性格ですけど……仲良くしてあげて下さいねぇ」
ドラストは「小娘次第だな」と不機嫌に答え、一緒に階段を降りていった。
南には巨大な樹海が広がっている。
この先にサーフィスという村があるらしいが、森を抜けるのは容易ではない。
「この森は魔力が働いていてね……方角探知の魔法も効かないんだ」
迷子にならない為には原始的な方法に頼るしかない、とはミル談。
かくして一行は全員ロープで数珠つなぎになり、一列で進んだ。
「こんな状況でモンスターに教われでもしたら、どうするのだ」
ドラストだけは最後まで不満顔であったが、ミルは当然スルーした。
どうもこうもない。
魔法を一発ぶっとばせば解決だ。
クルズのモンスターは知り尽くしている。
魔導を習得する際、師である母の教えにより軒並み退治させられたのだ。
魔法の腕前には有り余るほどの自信がある。
だからこそ、小娘だなんて異国の民に見下されたくない。
人を馬鹿にする割に、彼女の姉上様は兵隊に浚われる程度の実力ではないか。
噂に聞くイルミの魔術兵も大したことがない。
ドラストの実力は、盗賊団のアジトを抜け出す時に垣間見た。
氷の呪文を得意としているようだが、戦争で用いるには戦力不足だ。
やはり炎。炎こそが戦場において最大の威力を誇るとミルは考えている。
だが――その得意魔法の炎を、ドラストの氷は、あっさり鎮火させた。
姉上はチンピラ兵士に捕まる程度だが、妹のドラストは強いのかもしれない。
むむむ……と一人悩むミルに声をかけたのは、ガーレットだった。
「まっすぐ歩いているけど、大丈夫?この方角であっているの?」
数珠つなぎはミルを先頭に、ガーレット、サーシャ、アメリア、エリーヌと続き、可憐、ドラスト、フォーリンがしんがりだ。
「大丈夫だよ。森へ入る前に方角確認したんだから」と答えたが、実のところ、ミルも、だいぶ方向を狂わされていたのは内緒だ。
なにせ、久々に入った大樹海である。
前に来た時よりも、木々が鬱蒼と生い茂っている。
しかし「迷った」なんて言葉は絶対に吐けない。ドラストがいる限り。
もう一度「大丈夫」と自分に言い聞かせながら答えた時、ミルの耳は微かな声を聞き取った。
間違いない。この声は――モンスターだ!