世界が平和になったら・2

セルーンへ戻った第九小隊の面々が死刑になったかというと、そんなことは全くなく。
フォドレン経由によるセルーン王の計らいで、彼らは一挙英雄へと持ち上げられたのであった。
「もっと色々話してみたかったわね。たった一人で王政をまとめあげる苦労とか」
ぽつりと呟いたセツナに、すかさず横手からは嫌味が飛ぶ。
「それを医者が聞いて、どうするんだ?逆らえない患者を集めた奴隷王国でも作りたいのか」
「なによ、それ。そんなものを作りたいなんて、一度も言った覚えがないんだけど」
変態眼鏡の嫌味を一蹴し、軍医は傍らのユンを見た。
「それにしても思い切った改革を行ったわね、彼女。まさか全軍縮小するだなんて」
あれからセルーンは内部事情が大きく変わった。
停戦に向けて、軍隊が大幅縮小されたのだ。
ユンの所属していた第七艦隊も、小隊が五つに削減された。
第六小隊以降は解散だ。
第七艦隊だけではない。空、陸、海、全ての隊が五小隊までに減らされた。
いきなり野に放たれて、解雇された人々は大いに困惑したが、やがて故郷に帰る者や新天地を目指して旅立つ者、新しい商売を始める者などで、ばらばらに散っていき、ユンと第九小隊の面々も今、それぞれの希望する場所へ戻ろうとしていた。
「一応退職金は出ましたけど……困りましたね。私みたいに故郷がなくなってしまった者は、どうしろというんでしょう?」
困惑に腕を組んで考え込んでいるのは、レンだ。
故郷の村は戦火で焼け落ち、両親も既に他界しており帰る家がない。
他の職につけるような技術も持っていない。
軍で教わったのは、戦い方と捕虜の捕まえ方ぐらいだったのだから。
「ね、よかったら、あたしんちに来ない?」とナナは気安く誘ってくれるが、彼女の家は先祖代々に渡って受け継がれる名門貴族だ。
おいそれと居候できるような家ではない。
「再就職が思いつかないようであれば物乞いになったら、どうだ?貧相なナリで、みじめったらしくお願いすりゃあ、オッサンの物乞いの二倍は稼げるかもしれんぞ」
キースの提案を鳩尾への攻撃で強制終了させると、レンは、ふぅっと小さく溜息をつく。
「……ま、悩んでいても仕方ありませんね。追い出されてしまった以上は。ナナ、お誘いは嬉しいけど遠慮しておきます。私なら大丈夫ですよ、自給自足でも人は生きていけるんですから」
「ったく、俺達は英雄なんじゃなかったのかよ」と、ぼやいたのはカネジョーだ。
英雄らしい扱いを受けたのは、軍隊の中で表彰された、それぐらいだ。
あとは残りのリストラ組と同様の退職金を押しつけられて、野に放たれた。
「軍なんて所詮、寄せ集めの組織ですものね。いつかは終わりを告げる――まさか、私達の代で縮小化されるとは思ってもみなかったけど」
感慨深い視線を宿舎へ向けていたのも一瞬で、すぐにセーラは鼻息荒く「ね、カネジョーくんの実家ってドコ!?できれば通信番号も教えてくれるとありがたいんだけど!」とカネジョーに詰め寄って、「うるせぇ!絶対オメーにゃ教えねーよ!!」と彼には激しく拒否られる。
「寄せ集めか。確かに俺達は寄せ集めにも程があった」
ポツンと呟き、ユンは足元を見つめる。
正しくは、足元で鳩尾を押さえて蹲るキースを――
「何しろ小隊メンバーが、どこ出身なのかも知らなければ、実家の通信番号すら教えあっていなかったのだからな」
「知る必要なかったもんね〜、その情報!」とナナが締め、嬉々としてユンの腕を取った。
「さ、帰ろ?ユン兄。レンも一緒に帰ろうよ。そんで、お父さんに聞いてみよう?」
「え、何をです?お父さんって、ナナのお父さんですか?」
怪訝に眉をひそめる親友へ、力強く頷く。
「そ。お父さんなら、退役した軍人の再就職先を斡旋してくれるかもしれないし!」
「いやぁ、それは、どうですかねぇ……我が子ならともかく、赤の他人の再就職を、ですか」
レンは、どこまでも半信半疑だったのだが、ナナは構わず彼女の腕も取って歩き出す。
去りゆく三人の足を止めたのは、ガバッと起き上がったキースの一声だ。
「待ってくれ、ナナたん!帰る前に通信番号と自宅の住所を俺に教えてくれないか!?」
ナナは冷たい視線をチラッと一回だけキースに向けて、無言で駅の方角へと歩いていく。
塩対応な妹の代わりにキースの要望へ応えたのは、ユンであった。
「キース、連絡を取りたいのであれば俺の番号を使え。未婚の娘に接近する無名の異性を父は快く思わない。ナナの番号へ直接かけるのは、お前の身が危険だ」
「えっ、そんなに怖いんですか、隊長とナナのお父さん!」
レンが震えあがり、ナナも真顔で「うん」と頷くのを横目に、ユンはキースの手へ自分の通信番号を書いた紙を渡してやった。
軍役中、隊長の自分を横で支えてくれた礼でもある。
退役して、これっきりの別れにしたくない。
周りでは変態眼鏡だの陰険眼鏡だのと罵られていても、ユンはキースの長所を知っている。
今は滅茶苦茶キースを毛嫌いしているナナも、時間が経てば彼の良かった面を思い出すかもしれない……いや、無理か?
まぁナナの心情はさておき、ユンとしてはキースとの交流を手放したくない。
「変態眼鏡との縁を残しておくなんて心優しいのね、ユン」
セツナにも、いつか彼の良さが伝わるといいのだが。
「ふん、距離の遠い誰かさんと違って、ユンは俺の長所も短所も知り尽くしているからな。よかろう、ユン。今後もお前とは親友としてつきあっていこうじゃないか。それとナナたん!いつか、お嫁として迎えに行くから、俺の知らない男とくっついたりしてくれるなよ!永遠に愛しているよ、マイハニー!」
キースの恥ずかしい告白などナナは全く聞いておらず、レンと二人で仲良くおしゃべりしながら駅へ歩き去っていき、一人残ったユンはセツナやセーラ、カネジョーとも番号を交換し合う。
「でも、こういうのってナナちゃんが一番好きそうかと思っていたわ」
ユンの番号を手帳に書き留め、セーラが嘆息する。
「変態眼鏡を無視すんのは日常茶飯事としても、だ。別れたら、俺らにも興味ねぇってか」
ぼやくカネジョーにはセーラの「私は興味津々だから安心して頂戴!」といった暑苦しい抱擁と、セツナの「あら。ナナちゃんに構ってもらえなくて寂しかったの?」という疑問が重なる。
「だーっ!ちげーよ、素直な感想ってだけだろうがッ」
抱擁を押しのけ勘繰りも退けると、カネジョーはユンを見上げてニッと笑いかけた。
「兄貴は、さすがに判ってんな。解散でサヨナラってなぁ味気ねぇってのが」
ユンも僅かばかりの笑みを浮かべて、皆に別れの言葉を投げかける。
「あぁ。また会おう、カネジョー、セーラ、キース。そして……セツナも」
「あぁん?女医は関係なかろう。こいつは本部お抱え軍医であって、第七艦隊のメンバーじゃない。今も軍役中だし、部外者もイイトコじゃないか」とのキースのツッコミに首を振り、「いや、セツナも最後まで俺達の仲間だった」とユンは訂正する。
そうだ。最後まで仲間だった。
特務ばかりではなく不思議な試練も一緒に突破した、最高の腐れ縁ではないか。
「えぇ、いつかまた、このメンバーで集まりましょう。あ、でもキース、あなたは来なくて結構よ?来ないほうが場も盛り下がらなくて済むでしょうしね」
最後までセツナには毒を吐かれ、キースも毒で応戦する。
「ふん、そういう貴様こそブラック軍隊所属で集まれる暇があるのか?あぁ、リストラされた後なら、いくらでも暇が見つかるか。クビを切られんよう、せいぜい上層部にオベッカをかましまくるといいぜ、この軍畜医者が」
キースもいい加減、ユンだけではなく他の人々にも愛想をよくするべきだと考えつつ、ユンは妹の後を追いかけて駅の方面へと歩いていった。


全世界の平和は、イルミの最長老が最も望んだ未来であった。
次々と通信機越しに各国の最新情報が流れ込んでくる。
セルーンの軍隊が縮小化された件やクルズ・イルミ間の空域が静かになったと知り、ケイズナーは晴れやかな笑顔を同僚へ向ける。
「全世界が平和になるのも時間の問題だな。どうだ、あの時あの異世界人を始末しなくて良かったじゃないか」
ブレクトフォーは「結果論だ」と鼻を鳴らし、不服に視線を背ける。
「この際だ。停戦と同時に異世界召喚にも何らかの制限をつけるべきではないのか。聞けば、セルーンを支配していたのも異世界人だと言うではないか。奴が表舞台で暴れていたら、この世界は滅びていたかもしれんのだぞ」
「そうだな」と一旦は同意し、ケイズナーも深刻な顔で頷いた。
「戦争の火種を巻いたのはクルズだが、戦地を拡大化させた元凶は間違いなくセルーンだ。彼らの急激な機械文明が、サイサンダラの進化を大きく狂わせた」
だが、と一転して明るい表情になって友を見つめ、こうも言う。
「カレンみたいな例だってあるんだ。彼は異世界人でありながら、我々の世界を平和へ導いてくれた。異世界だというだけで全てを締め出すのも早計だろう」
「時と場合によりけりと言いたいのか。ならば、異世界人には何らかの首輪をつけるべきだな。フォーゲルの娘はカレンの手綱を取り損ねたのか?」
まだまだ警戒心の高いブレクトフォーに黙って首を振り、ケイズナーは遠くを見やる。
停戦宣言が国内で出され、各地で召集された兵士達も今頃は故郷へ戻った頃だ。
ドラストといったか、フォーゲル家の末娘は。
彼女が例の異世界人に信頼を寄せていたのは、ケイズナーも覚えている。
庶民や馬の骨を周辺に近づかせないイルミの貴族が、ああも身近にいるのを許すのだ。
家で引き取り跡継ぎにする算段もあったろうに、カレンは最初の仲間と共にクルズへ帰ったとクリシュナ経由で聞かされて、拍子抜けした。
カレン的に見ると、途中で出会った貴族よりも最初から一緒にいる仲間のほうが良かったのか。
彼はきっと異世界でも珍しい、無欲な人間なのだろう。
彼のように誠実な人間が、国の王になってくれれば良いのに。
イルミよりも彼方にあるクルズの方角を眺め、ケイズナーは溜息を洩らした。

帰郷後、フォーゲルの長女クリシュナは正式に婚約者で四騎士の一人でもあるアレクサンドラ=ケイズナーと結婚の約束を取りつける。
おかげでフォーゲル家では毎日婚姻式の準備で大わらわ、両親が末娘を気にかける暇もない。
従って、一人放っておかれたドラストが毎日可憐を思い煩って、ぼんやり過ごしていたかというと、それもなく。
忙しい合間をぬって、クリシュナが妹の部屋を訪ねてみると、何処かへ引っ越すかのような大荷物が部屋の中央にまとめられており、何事かと部屋の主に尋ねてみれば答えは明瞭で。
「決まっているだろう!世界が平和になるのだ、さっそくクルズへ長期バカンスを決め込むぞ」
キラキラした興奮で瞳を輝かすドラストは、姉と二人で冒険と称して敷地内を隅々まで歩き回り、あとで両親から散々絞られた幼き頃の彼女を偲ばせた。
落ち込んで鬱々と日々を過ごしているかと思ったら、そんな心配は無用だった。
さすがは勇猛果敢な我が妹。立ち直りの早さは随一だ。
それにしても、姉が近日結婚するというのに、バカンスへ出かけるつもりなのか。
家族よりも男が最優先か。だが、仕方あるまい。
妹のターゲットであるカレン=イチクラ、奴は希少な超絶美形なのだから。
恐らくまだ、世界の美女たちは気づいていまい。彼の存在に。
だが、それも時間の問題で、全世界が停戦すれば彼の噂も世界で飛び交うようになる。
行け、我が妹よ。
誰よりも先にカレンのハートをゲットして、フォーゲル家の一員にしてしまえ。
心の中で鼻息荒く応援しながら、しかし表面上は穏やかに、クリシュナは妹の背を押した。
「そうですか、バカンスへ行きたいのでしたら、私からも父と母に話しておきましょう。気をつけてお行きなさい、ドラスト。カレン様に、よろしくお伝えください」
「姉上なら必ず応援してくれると信じていたぞ!ありがとう、土産は何がいい?希望がないんだったら、クルズの名産菓子を山ほど買ってこよう」
クルズ産の果物をお土産リクエストして、そっと妹の旅立ちを見送ったクリシュナであった――


新帝による停戦宣言は、ワ国に住む全ての民を驚かせる。
国民の総意で決める方式になったはずなのに、どうして帝が勝手に停戦を決めてしまったのか。
――いや、そうではない。
国民投票は確かに行われた。
結果として、戦争は一時的に停止したに過ぎない。
こうして戦争肯定派が各地に燻ぶりを残す中、ワは、ひとまず停戦の形に持ち込まれた。
「寂しいなぁ。うちだけ新司令官だよ?」
空を眺めて、アルマがポツリと呟く。
ワ国第38小隊空撃部隊、その駐屯所にあるグラウンドにて、バトローダーたちは空を眺めて休憩していた。
停戦になっても軍隊は解散といかず、来る日も来る日も訓練に明け暮れている。
バトローダーは戦争の為に生み出された存在だ。
訓練を止めてしまっては、存在価値がなくなってしまう。
いずれまた、全世界を巻き込んだ戦争が起きないとも限らない。
そうしたわけで出番もないのに訓練を続けているわけだが、どの顔も覇気がない。
というのも彼女たちの敬愛していた小隊司令が、この駐屯所を去っていってしまったからだ。
何処へ行ったのかといえば、首都に出向いて帝の座を受け継いだ。
白羽 刃は前帝の実子でもあった正統な後継者だ。
若くて美しいと持て囃され、首都では連日新帝を祝う祭りが続いている。
しかし軍規に縛られた人工生命体が勝手にふらふら祭りへ遊びに行けるはずもなく、毎日だらだらと覇気のない調子で訓練の日々を過ごしていたのであった。
「工場員や飯炊き係まで入れ替えるなんて、軽くイジメだよな。知らない奴に親ヅラされて従えるかってんだ」と、ぼやいたのはサイファで、どの顔にも反抗的な色が浮かんでいる。
シズル工場長も新人のマコトもヒスババァな由紀子副官も口うるさい宗像教官も、全員いなくなってしまった。
そればかりではない。
時々は大盛りサービスしてくれる飯担当のおばちゃんも、お掃除のおばちゃん達もだ。
全ての人間が入れ替えとなり、知らない顔ばかりになってしまった。
人員が総入れ替えとなったのは第38小隊だけだ。
何故ここだけが、そのような処置を取られたのかは、バトローダーが知る由もない。
きっと皆、シズルもユキコも刃新帝と一緒に首都へ引っ越してしまったんだ。
あんなに可愛がってくれたのに、ペットみたいに、あたし達のことは捨てちゃって。
そう結論づけた瞬間、ポロリと涙がアルマの頬を伝った。
「あ〜!あたしも首都に行きたぁぁぁい!!刃司令官に、もう一度会いたいよぉぉぉ」
じたじた暴れるアルマにつられるようにして、他のバトローダーも気持ちを吐き出す。
「私たちの親は生涯シズルさんだけです!他の人じゃ私たちを理解できません」
「刃司令、いえ今は帝でしたかしら、刃帝に、もう一度お会いしたいですわぁぁ!」
「刃司令、シズル工場長、どうしてあたしたちを置いてっちゃったの!?寂しいよーっ」
エーンエーンと次第に湿った合唱へと変わっていく少女軍団へ声をかけたのは。
「なら、俺と一緒に首都の祭りへ参加してみるか?」
懐かしい声。
どこか気の抜けた、だけど安心する青年の声。
勢いよく顔を上げたアルマの瞳に映ったのは、苦笑する佐倉井 惇の姿であった。
「あー!マコト!本当にマコトなの!?」
一斉に騒ぎ立てるバトローダーをシッと指で制し、マコトが微笑む。
「正真正銘、本物のマコト様だぜ。えぇとだな、お前らが寂しがっているかもってんで工場長、じゃなかったシズルさんが呼びに行けって言うから来てみたら、案の定」
「シズルも一緒なの?え、マコトあんた今どこに住んでるの!?」
ぐいぐいアルマに詰め寄られ、額に汗した彼が言うに、入れ替えと称して退役させられた人々は現在それぞれの故郷へ戻っており、帰る場所のないマコトは首都で部屋を借りて住み始めた。
シズルは同居していない。
彼の住処は宮廷内にある離れの屋敷だ。
新帝と同じ場所に住んでいると伝えた途端、バトローダーのざわめきは一層激しさを増した。
「ずるーい!どうして、あたし達には一切知らせてくんなかったのよー!」
キーキー騒ぐ人工生命体に「文句は全部上層部に言ってくれよ〜。つぅか普通は人員の変更を戦闘員には伝えないもんなんだって」とマコトも肩をすくめ、全員の顔を見渡した。
一般的なバトローダーであれば、誰が司令官を勤めようと気にしない。
機械のように黙々と命令に応じ、訓練に励むだろう。
しかし、第38小隊のバトローダーは普通とは違う。
全員が人間と同じように感情を持ち、それぞれにポリシーを持つ生き物だ。
いきなりの退役で、こちらも、しばらく連絡の取れる状況になかった。
あいつら、きっと寂しがっているだろうなぁってのは、シズルに催促されずともマコトだって気にかけていたのだ。
「さ、とにかく準備しろよ。祭りは、あと二日三日で終わっちまう。あぁ、大丈夫だ。新司令官には、ちゃんと外出許可をもらっておいたから」
先ほどまで泣きぬれていたバトローダーは、一斉に笑顔で「うん!」と頷いた。

「しかしよ」とシズルに話しかけられ、刃は耳を傾ける。
今、彼らは故郷を遠く離れ、首都に構えた宮廷で住んでいた。
戴冠式を終えた刃が、正式なワ国の帝となったのだ。
「なんだって全員リストラする必要があったんだ?続けたい奴だっていたんじゃねぇか」
「全員に確認を取った上での決断だ」
刃は静かに微笑み、彼方へ視線をやった。
山脈を三つ越えた先には、第38小隊の駐屯所がある。
小隊を率いたのは僅かな期間であったが、あそこで自分は一生分の思い出を得た。
「全員が、言ってくれたんだ。司令官が俺ではない隊に未練などないと」
退役する前、皆がざわついていたのはシズルも覚えている。
あの時は、停戦の驚きに包まれているのだと解釈したのだが……
シズルは自ら退役を申し出た。
刃が軍人でなくなるのなら、自分も軍に居続ける意味がないと考えたのだ。
そのまま故郷へ戻るつもりが、あれよあれよと周りが勝手に話を進めて、気がつきゃ幼馴染と一緒に首都へ出向いて宮廷暮らしが始まってしまった。
いつの間にやら、それこそ本人も預り知らぬうちに、シズルは『ワ国水門守神大臣』という大層な役職を当てはめられ、新帝の下で働いている。
右も左も判らない役人勤めだが、今のところは上手くいっている。
それもこれも、毎日刃が懇切丁寧に教えてくれるからだ。役人のイロハを。
シズルを大臣に薦めたのも、どうやら刃の仕業であるらしい。
軍人になったのは自分の意思だが、大臣就職は断じて自分の意志ではない。
しかし刃が頼りにしてくれているのなら、まぁいっかぁ〜といった気持ちがシズルの中に、ないこともない。
滅多に開くことのない地元の水門を守っているよりは、ずっとマシな職でもあった。
水門守神大臣とは、ワ国全域に及ぶ全ての水門を管理する役職だ。
シズルが防人の家系だからこそ、刃は彼を大臣に推したのだ。
「シズルだって俺が誘ったら、こうして大臣の座に収まってくれたじゃないか。お前には、断る選択肢もあったはずだぞ」と言って、刃がシズルを見つめてくる。
熱い眼差しで見つめ返し、シズルも答えた。
「俺は、お前と一緒に生きていくって決めたんだ。軍属になるよりも、ずっと前からな」
それは一体いつからだ?もしかして出会った時から、ずっとなのか?
首を傾げて尋ねてくる刃を曖昧に受け流し、シズルも山脈の彼方へ目をやった。
新帝を祝う祭りは、もうすぐ終わる。
祭りが終わる前までにはバトローダーと再会し、全てを話しておきたい。
いつか、あいつらを宮廷に招き入れて、専属のお手伝いさんとして働かせてやりたい。
アルマ達と、もう一度、一緒に暮らしたいとシズルは密かに企むのであった……
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