世界が平和になったら

セルーン軍が動きを止めれば即座に平和が訪れるわけでもない。
ここから先は四国の代表が話し合い、停戦宣言が下される。
とはいえイルミとクルズは既に停戦しているも同然の状態であったし、ワも次期帝が都入りすれば国民の意識を変えられよう。
全世界範囲で終戦になるのは、そう遅くもないとエリーヌに言われ、ホッとした可憐であった。


途中でイルミに立ち寄り、ドラストを家まで送ってあげた後、可憐一行はクルズ王国まで戻ってきた。
空路を通ってきたので、可憐も船酔いすることなく元気にクルズの地を踏めた。
「は〜。俺がサイサンダラにきて、まさか一年経たずして革命が終わるとはね!」
大きく伸びをして路上で本音を吐き散らす可憐を生暖かい視線で見守りながら、ミルが尋ねる。
「可憐ってサイサンダラじゃ無職の家無しだよね。これから、どうするの?行く当てがないんだったら、ボクんちで一緒に暮らすかい?」
いきなりの現実的発言に、そういや世界を平和にしたのにエリーヌからは何の報酬も貰っていないと可憐は気づいたが、考えてみれば、報酬の相談も事前にしていなかったことに今更気づいて狼狽えた。
「ひ、姫が仲間にいたから、今後の生活も安泰だと思ったのに……」
その姫は、皇帝や軍隊へ伝令の役目を背負って城へ戻っていったばかりだ。
あれだけ執着していたクラウンも飛行場へ置き去りにするほどの、急ぎ足で。
「エリーヌだったら後日、落ち着いた頃合いを見計らって、お礼の粗品ぐらいは届けてくれるよ」とミルは気楽に言っているが、そんな約束もした覚えがない。
無一文で異世界生活を始めることになりそうだ。
早くも可憐の横腹は痛くなってきた。
「それよりも、可憐は早く住まいを決めないと駄目だろ。宿屋暮らしは、お金がかかるしね。ボクんちでの居候が嫌なら、借家探しを手伝ってあげるよ」
気のいい提案を脳内でシミュレートし、自分には無理だと可憐は判断する。
借家に住むとして、家賃はどうする?
見知らぬ土地で、どうやって就活すればいい?
家賃の支払いの方法は?
駄目だ、全然わからない。
これまでの人生で全てを親任せにしていたツケが、こんな場面で出てしまった。
「……ミルの家って、どこなの?」
一応、居候を決め込む前に場所確認しておく。
できればクラウンの故郷や、エリーヌの住む城から遠くない場所がいい。
「森の中だよ。あぁ、でも可憐には厳しいかな?自給自足の生活だからね」
如何にもファンタジー世界の魔女スタイルな答えが返ってきて、一瞬目の前が真っ暗になるも、続けて放たれた一言には後ろ髪を引かれる。
「自給自足が無理だったら、やっぱ借家を探すしかないよ。大丈夫、フォーリンと一緒にたまには様子を見に来てあげる。前も言ったかもだけど、フォーリンもボクんちの居候なんだ。ボクとお母さんとフォーリンの三人で住んでいるんだ」
「え……その、フォーリンも無職なんだよね?」
「うん」と頷きミルは、ちらりと彼女を見やる。
ジャッカーやアンナと一緒に、何やら雑談をかわすフォーリンを。
「一応名目上はお母さんの弟子なんだけど、実質下女だね。何年やっても、ごはん作りも掃除も上達しないんだけどさ。なんでか、ボクのお母さんは、あいつを追い出そうとしないんだよね」
間髪入れずに可憐は名乗りを上げた。
「俺もミルんちの、お手伝いさんになっていい?」
ミルは一瞬ポカンとし、ややあってから、戸惑いの表情を浮かべる。
「え、えーと。可憐だったら何もしなくても、お母さんは、きっと歓迎すると思うけど」
「や、でも、フォーリンは家事が苦手なんだろ?俺もやったことないけど、二人で一緒にやれば上手くやっていけるんじゃないかなぁ?」
生き生きと共同家事を語る可憐の勢いに押し負けたのか、ミルは、ふぅっと溜息を一つ漏らしてオーケーを出す。
「下男になりたいってんなら、とめないけど……そうだね、可憐が外働きで酷い目に遭わされる可能性を考えたら、ボクんちの下働きで仕事を学習するほうが絶対に安全だよね」
借家を提案しておきながら、その実、こちらの生活を心配してくれてもいたようだ。
可憐が驚いた顔でミルを見やると、彼女は気まずそうに二、三度咳払いする。
「何、驚いてんだ。君を心配するのは当然だろ?君は、こことは全く違う世界から来たんだ。そして、君を呼んだのは他ならぬボクなんだからね」
だから、責任を取って同居を申し出たのかもしれない。
しかし女三人との共同生活か。
これから先は、風呂を焚くふりして隙間からフォーリンの裸を覗いたり、寝姿をじっくり眺めたり、間違えたフリしてトイレをガチャッと開いたりする生活が待っているのかと思うと、今から心が弾んでくる。
そうだ、軽くハーレムではないか。やっと念願のハーレムが、我が手中に!
ミルの母親とは、まだ顔合わせしていないけれど、娘のミルが、これだけ可愛いのだ。
間違っても、ブスってこたぁあるまい。オーケー、オーケー、熟女も許容範囲だ。
熟女、幼女、妙齢の女性と三パターン揃ってのハーレム生活。
誰と恋愛フラグが立っても、うーむ、よきかな、よきかな。ハピエンゴールまったなし。
すっかりキモオタ妄想の虜になった可憐をよそに、ミルは荷物から通信機を取り出す。
同居人が一人増えたら、マンネリな生活とはオサラバだ。
ミルにとっても、可憐との同居は悪い展開ではない。ワクワクする。
「あ、お母さん?ボクだよ、ミルだ。あのね、今から家に戻るけど、ごちそう用意しておいて」
これから、いっぱい可憐と仲良くするんだ。旅で満足できなかった分も含めて。

「これで旅は終わりやんなぁ」
遠く、クラマラスが去っていった山脈方角を眺めて、ジャッカーが呟く。
「旅商人としては、おいしい旅だったんじゃないですか?」と茶化してくるアンナへ笑顔で振り向き、ジャッカーは財布をジャラジャラいわせた。
「そやな。各地で、たんまり儲けさせてもろたし。クルズ王宮には恩を売れたし、クラマラスとも仲良うなれたし、ウチの将来安泰や!」
その様子をじっと見つめていたアンナが、不意に視線を下に落として、ぼそっと呟く。
「……まぁ、うちは、ばっちり赤字が出ちゃいましたけどね」
沈んだ船を思い出して、ブルーになってしまったようだ。
アンナは元々革命とは無関係で船のレンタル元として同行しただけに、赤字は切実な問題だ。
なりゆきで巻き込んだ手前、こちらとしても申し訳ない。
しかしタダ働き下女のフォーリンでは、船の弁償も、ままならない。
「そちらも、姫の恩賞で何とかなりませんでしょうか?」
フォーリンの慰めに、すっかり死んだ魚の目となったアンナは力なく笑う。
「うちのミラーを姫が許してくれるんでしたら、期待してもいいんですがね」
いくらミラーが恋敵とはいえ、アンナは、ここ一番で大活躍した功績者の一人だ。
彼女がいなかったらイルミへの足は確保できず、試練も大詰めで躓いていた。
まさか全くの無恩賞ってことも、あるまい。
「王家を、いえ、エリーヌ姫の温情を信じましょう」
フォーリンは力強く励まし、背後を振り返る。
クルズ空軍の飛行場からでも、遠目にクルズ城は見えている。
城では今頃エリーヌ姫が王や軍隊とかけあって、停戦の手続きを進めているはずだ。
話し合いは長引くかもしれない。
だが戦う相手が全て停戦してしまえば、戦争を続けようにも続けられない。
皇帝が正気に戻り、これまでの罪、国民に苦難を背負わせた罪を悔いているのであれば、戦争は必ず終決するとフォーリンは堅く信じている。
イルミとセルーンからは近日中に宣言が出されるのではと、別れ際のドラストも予想していた。
彼女は最後まで可憐の身を案じ、イルミにも来てほしいようであったが、ミルが阻止した。
やっぱり態度じゃツンケンしていても、ミルは可憐が大好きだったのだ。
だから可憐も早くミルにプロポーズして、さっさと結婚すればいい。
友達になりたいだの何だの抜かしたって最後は結婚、これしかない。
そうだ、二人の結婚を速めるには同居させるのが一番ではないか。
可憐と一緒にいるミルを遠目に見つけ、フォーリンは、そちらへ歩いていった。

沈んだ船の言い訳を、どうしようかと悶々考えながら、ミラーは海を眺めていた。
アンナ同様、同行した時点では、ここまで波乱万丈な長旅になるとは思っていなかった。
幽霊海賊との遭遇、セルーンでの捕虜生活、不思議な世界のおかしな試練……
土産話は沢山あれど、報酬皆無では実家の皆も納得すまい。
豪華客船の完全破壊は大赤字の大打撃、店が傾く恐れもある。
いや、報酬は後日支払われる可能性がある。
たとえクルズが駄目だったとしても、ドラストは約束してくれたではないか。
イルミの最長老から何らかの便りがあるだろう、と。
イルミの生活風景を思い出す限り、あまり大した恩賞は期待できまい。
だが、ゼロよりはマシだ。ゼロよりは。
去り際、エリーヌ姫が放った氷点下な視線を思い出して、ミラーの横腹が痛みを増す。
王家に恨みを抱かれてしまったのは、船が沈んだ赤字よりも最悪だ。
造船所でも、出来ることはあるだろうか。姫のご機嫌取りの。
暗く打ち拉がれていると、背後から肩をポンと叩かれる。
「クラウン、さん……」
振り向くと立っていたのはクラウンで、ミラーを真正面から見つめて断言する。
「どうした?元気がないようだが……恩賞の件ならば心配無用だ。全員、停戦宣言後に払われる。クルズを発つ前、皇帝が約束してくれた。俺達が無事戦争を止められるのであれば、各位それぞれに払うと」
全くの初耳だ。
呆気にとられるミラーへクラウンが説明する。
姫の外出許可だなんだでゴタゴタしていた頃、彼は皇帝へ直に確認を取っていた。
辞職した身ではあるが、クラウンは宮廷の不祥事と深い関わりを持つ。
皇帝も彼を邪険には扱えないのであろう。
かっちり報酬の約束を取りつけてから、旅立った。
口約束のみならず書類も受け取っていると言われ、目を丸くするミラーであった。
「じゃ、じゃあ、うちの沈んだ船の赤字も……」
「俺達は世界を平和に導いたんだ。王宮も、評価に見合った額を出すだろう」
ひとまず悩みが一つ解消されて、ミラーは、ほっと溜息をつく。
姫の怨恨に関しては、もう、考えないようにする。
故郷の港町に戻れば、城とも縁遠くなる。
姫との旅行も楽しい思い出として、記憶の奥底に封印しよう。
「それと……」とクラウンの話は、まだ続いていたようで、脳内で決意を固めていたミラーも我に返る。
少しテレて視線を外し、彼が言う。
「カレンから聞いた。最後の試練で、あんたが俺を助けてくれたそうだな」
言われた直後、ミラーの脳裏にも最後の試練が蘇り、かぁっと頬が熱くなる。
「え、えぇ、まぁ……」
駄目だ、まともにクラウンの顔が見られない。
同じく視線を外して地面を見つめながら、ミラーもモゴモゴ口の中で呟き返す。
「……ありがとう」
お礼を聞いた直後、ミラーは驚きで息が止まる。
クラウンが、ぎゅっとミラーを抱きしめてきたのだから。
ほんの数秒で体は離れ、ちらっとミラーが彼を見上げると、満面の微笑みと目が合った。
これで最後なんだ――
と思った瞬間、ミラーは自分でも思いがけないほど積極的な態度に出ていた。
「あ、あの!もし、よかったら通話番号を教えてください!!」
クラウンは少し驚いた表情を見せ、すぐに笑顔に戻って頷いてくれる。
「あぁ。ミラーも教えてくれ。俺の故郷と、あんたの故郷は遠く離れているが……たまには、どこかで会おう。別れて、それっきりというのは寂しいからな」
「は、はい、はい、はい!それとクラウンさん、たまには私たちの選んだ服も」
「あぁ。次に会う時には着てこよう」
別れの寂しさか、それとも再会を期待しての嬉しさか、泣きじゃくるミラーの頭をクラウンは何度も優しく撫でてやった。
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