現象が不思議

「飲んで……と書いてあるが、これは罠だ。劇薬に違いない。俺の勘が告げている」
机の上に置かれた瓶を眺めていたキースが一人で結論づける。
「いや、たしかカスタードとチェリータルトと七面鳥ローストを混ぜた味がするんじゃなかったかな」と呟く可憐には、ミルが突っ込んだ。
「全部混ぜたら、酷い味にならない?それってやっぱり劇薬だよ」
「だが、毒ではない」と混ぜっ返してきたのはユンで、天井にある扉を見上げた後、部屋を一周見渡してみる。
「次に続く扉は、あれ一つだけなのか?」
ユンに聞かれ、可憐は記憶を総動員する。
物語で主人公が薬を飲むのは、かなり序盤の展開だ。
そして、その薬を飲むと、ちっちゃくなっちゃうんだから、扉も低い場所にあったはず……
這いつくばって机の下を覗いてみると、縦横サイズが三十センチぐらいの小さな扉を発見した。
「こっちが正解だ!」と騒ぐ可憐に、皆も次々机の下を覗き込み、カネジョーがナンセンスとばかりに首を振る。
「いくら扉があったって、あんな大きさじゃミルだって入らねーぜ」
「そうだな、お前でも無理だろう」
「そうだね……それで、"飲んで"に繋がるわけか」
キースの嫌味とミルの結論が重なり、「遠回しにチビって言ってくんじゃねーよ!」とカネジョーに掴みかかられるキースを横目に、可憐は瓶を取り上げる。
アリスは一人だから、一瓶飲み干しても良かったんだ。
けど俺達は団体だから、一人だけが飲み干しても全員通れない。
つまり……全員で回し飲み?よし、順番を決めよう。
俺は絶対フォーリンの次!
「やっぱり、これを飲むしかないよ。じゃあ、ま、まずはフォーリンが飲んでクダサイ」
可憐に瓶を差し出され、フォーリンは瞬く間に青ざめる。
「じ、実験台になれってことですか!?あんまりです、可憐さん……!」
うっすら両目に涙まで浮かべており、意図を勘違いされたのだけは間違いない。
「え、ち、ちがうよ、これを飲むのが正解ルートってだけで」
慌てて弁解しているうちに、瓶を横からキースに奪い取られる。
「押し問答している暇はない。さっさと飲んで扉をくぐろうじゃないか」
全く躊躇わず飲んだのには、正解を知る可憐でも驚かされた。
先ほどまで劇薬だ何だと一番渋っていたのは、キースだったはずなのに。
ぐびっと一口飲んだ直後、彼の体は、ひゅうんっと勢いよく縮まり、背丈三センチにも満たないサイズまで小さくなる。
まるで一寸法師みたいだなと可憐が眺める前で、キースも何を思ったのかフォーリンの足をよじ登り始めた。
「きゃ、ちょっと、くすぐったいですぅ〜」
足を振って振り落とそうにも振り落とせず、キースには服への侵入を許してしまった。
服の中に潜り込んだのを全員で見届けた瞬間、フォーリンはビクンと体を震わせ「ひィんッ!だ、駄目ですぅ、キースさん、そんなとこ……あァン」と可愛く喘ぐもんだから、可憐の胸は否応なしに高鳴ってくる。
まさか小さくなる薬に、そんな使い道があろうとは!
不思議の国のアリスは夏休みの課題図書で読んだのだが、こんな悪用方法、幼い頃も今も、可憐には全く思いつかなかった。
ちくしょう、薬は俺が一番に飲んでおくべきだった。
悔やむ可憐の目の前では、ミルが悪鬼羅刹の表情でフォーリンの服の中に手を突っ込み、「あふぅ、ミル、くすぐったいですぅぅ」と彼女が涙目で騒ぐのにもお構いなくゴソゴソやって、小さくなったキースを摘まみ上げる。
「コラ!あんまりバカやっていると、プチッと潰しちゃうぞ!?ボク達は急ぐんだろ!」
ところがキースも然る者で、己の命が風前の灯火だというのに口答えしてくるではないか。
「せっかく小さくなったんだぞ?少しは、楽しんだっていいじゃないか」
「じゃあ、盛大にプチッといくね」
目の据わったミルがキースをプチッとする前に、一応可憐は止めておいた。
「プチッとするのは試練が終わった後にしてくれるかな。今は先に進まないと」
「では、薬を全員で飲むか」と刃も頷き、瓶を手にする。
そいつを横から奪い取ったのはシズルで、何をするのかと驚く刃を無視してユンに差し出した。
「変態眼鏡の飲んだ瓶なんぞヤイバに飲ませられるかよ。眼鏡と友達なお前が飲め」
「誰が変態眼鏡だ!」とキースがキーキー喚くのを一瞥し、瓶を受け取ったユンも言い返す。
「毎回瓶口を袖なりで拭えば衛生上、問題あるまい」
「なるほど、間接キスを意識しているのか。青いな」
小さいながらもキースがきらんと眼鏡を光らせて、可憐は内心ドキッとする。
こっちは間接キスしか頭になかった。フォーリンの次に飲みたい。是非とも。
袖で瓶口を拭ってユンが飲んだ後はカネジョーが飲む。
瓶口を執拗にゴシゴシ袖で拭った後にはアルマ、ケイ、ミラと続けて一口ずつ飲んだ。
さらに瓶口をローブで拭ってミルも飲み、フォーリンと続いて、彼女が飲んだ後すぐ、可憐は瓶を確保する。
やったぁ。これでフォーリンと念願の間接キス、ハァハァ。
「ののの、飲んじゃうからな、いいいい、イタダキマス」
そぉっと口元に瓶を持っていっては、飲む直前で止める。
駄目だ、もったいない。
一口で薬が効くとなると、一瞬で終わってしまう切なさよ。
何度も同じ真似を繰り返す可憐に焦れたのか、シズルが勢いよく背中を叩いてくる。
「いいから、さっさと飲め!」
「べほぉ!」
薬で顔面を洗う勢いで、ひゅぅんっと可憐は小さくなる。
ちくしょう、フォーリンの味を味わう暇もなかったじゃないか。
見上げると最後の一人、刃が薬を飲んだ直後で、全員テーブルの下に集合した。
「フフフ、拭わずに飲むとは、よほどシズルとの間接キスがお楽しみだったようだなぁ?白羽司令官」などと煽ってくるキースには、煽られた当人よりもシズルが顔を真っ赤に怒鳴り返す。
「だったらカネジョーだってユンと間接キスしてたし、女どもも何人か間接キスしてただろ!そっちには突っ込まねぇのかよ!!」
「何が間接キスだよ、馬鹿馬鹿しい」
余波を食らったカネジョーは、あっさり切り捨て、扉の前に立った。
「回し飲みなんざ軍にいりゃあ日常茶飯事だろうが。それよか地獄の門を開くぜ」
「や、そこまで扉の向こうは地獄じゃないよ」と突っ込み、可憐も扉のノブを回す。
景色は一転して大きく開け、一同は草原に放り出された。

「えぇっと、あれ?大きくなるケーキは?涙の海は?ネズミさんは??」
狼狽える可憐の横を、誰かが急いで駆け抜けていく。
誰かと思って見てみれば、タキシードに身を包んだナナではないか。
手には懐中時計を握りしめ、真剣な表情で走っていく。
「急がなきゃ、トランプの女王がユン兄を処刑する前に!」
すれ違った際に剣呑な独り言を呟いていたので、ユンも大声で彼女を呼び止める。
「待て、ナナ!それは誤報だ、俺はここにいる」
「えっ、ユン兄!?じゃあ、トランプ宣伝マンが言ってたのは嘘だったんだぁ……良かったぁ」
たちまちナナの瞳は、じわぁっと歓喜の涙で潤み、勢いよくユンに飛びつく。
感動の再会を無にする「トランプ宣伝マンとは?」とのユンの質問にも、ナナは素直に答えた。
「大きなトランプで体の前後を挟んだ人たちだよ。本人は兵士だって名乗っていたけど、街頭に立つ宣伝マンと似てるなぁって思って」
可憐が元いた世界にも似たような格好の人がいる。
彼らはサンドイッチマンと呼ばれていた。
看板で自身をサンドイッチするのは、どこの世界でも思いつく宣伝方法なのだろうか。
可憐も尋ねてみた。
「お茶会には行かないの?」
「お茶会って?」
心底不思議そうに尋ね返すあたり、このナナは本物だ。
進行役が本物なパターンは初めてだ。
最後の試練だから、これまでとは進め方が異なるのかもしれない。
「えぇっと、本来の流れでは時計兎を追いかけると、お茶会に出くわすんだ。時計兎というのは、ナナさんが持たされた役目なんだけど……まぁ、とにかく道なりに進んでみよう」
歩く道すがら、ナナにも試練について話しておく。
この世界は全て童話や昔話などで構成されており、それらの展開を知るのは可憐だけだ。
物語の発祥の地こそが、可憐が昔いた世界なのだから。
「それじゃ、試練を仕掛けているのはカレンさんと同じ世界の人なの?」
首を傾げるナナに、答えられる者は誰もいない。
管理者が何者なのかは、現時点でも全く判っていない。
いつ、どのタイミングで出現するのかもだ。
かくたる根拠もなしに試練を最後まで終えたら会えるのではないかと可憐は考えていたのだが、もし会えなかったら、試練の先に待つのは何だろう?
――考えていたって、答えは出ない。
今は仲間を探して突き進むのみだ。
道に沿って歩いていくと、草原にパラソルのついたテーブルが置かれていて、そこに腰かけていた一人が「あー!」と大声を出して立ち上がるのが見えた。
アンナだ。
その対面に座るのはクロンで、こちらは何でかグッタリしている。
残り二人はカリンとレンだが、やはり元気がないのか、椅子から腰をあげようともしない。
「どうしたの?なんだか疲れているみたい」と尋ねる親友に顔をあげ、くたびれきったレンが言うには、ここへ至るまでに大変な目に遭ったとの事だ。
庭園でケーキを食べて巨大化したり、海水に飲みこまれて流されたり、巨大なネズミに追い回されたり、ダチョウの背に乗って、それを切り抜けたり。
果ては首が伸びて鳩と格闘したり、胡椒にまみれて豚を盗み出して食べたりと、散々な大冒険を繰り広げたらしい。
「……なんか、そっちのほうが面白そう」
素直な感想を漏らしたナナが自分たちの通ってきたルートをレンに説明するのを聞きながら、可憐は可憐で考える。
扉を抜けた先の展開は、どうやらアンナ達が代わりに進めてくれたようだ。
お茶会が行われていないのは不思議だが、レンが最後に首を傾げて締めくくるには。
「この試練は複数名が同時攻略しているにも関わらず、順調に物語として進行していますよね。となると我々が経験していない、抜けた場面も誰かが突破した後なんじゃないでしょうか。だから、飛ばした場面があっても失敗扱いにならない……」
ミルも首を傾げる。
「そして突破した後、彼らは、どこへ向かったんだろう?」
合流できていないのは、セーラとセツナ。
それからクラウンとエリーヌ、ジャッカーにドラスト、ミラーもか。
バトローダーはサイファが揃っていない。
クラマラスも数に入れるとなると、トランプの兵士が怪しい。
皆の視線が道の向こう、ぽつんと建った城へ向けられる。
「この物語で城は、どう関わってくるんだ」と刃に尋ねられ、間髪入れずに可憐は答えた。
「城にはトランプの女王が住んでいる。あそこが終点だよ」
「ところで、次の展開が始まらないんだが……城に入らないと駄目なのか?」と、今度はシズルからの質問で、それにも可憐は即答する。
「城に出るには、お茶会を経験した人と合流しないといけないんじゃないかなぁ」
今の時点で該当する人物は一人もいない。
おまけに、これらは全部可憐たちが打ち立てた推測でしかない。
完全に手詰まりになったと彼らのうちの誰かが考えた途端、次のシーンが始まった。
否――

「あー!やっと見つけた、良かったぁ!家ん中でカレンはんを待ってろゆわれて、ず〜〜〜っと待っとったのに誰も訪問せんのやもの。ウチ、もう寂しゅうて孤独死するとこやったわぁ」
独特な語り口が聞こえてきたかと思うと、次の瞬間には、どんっと勢いよくジャッカーが胸の中に飛び込んできて、可憐は「うっ」と小さく呻く。
黒炎率いるクラマラス軍団やサイファ、セーラとドラストも一緒だ。
「何が孤独死だよ。あたしらが訪問してやったじゃないか」とはサイファの弁で、聞けば彼女たちは森を彷徨っているうちに、ジャッカーの待つ一軒家に辿り着いたそうだ。
「我々が入った途端、戸が開かなくなってな。往生したぞ?一軒家を抜け出す際に大きくなったり小さくなったりもしたが、なんだったんだ、あれは。魔法でもありえない超常現象だった」
眉間に皺を寄せるドラストを、フォーリンが、おっとり慰める。
「ここは異世界ですからぁ〜。私たちの常識が通じないと考えたほうが宜しいかと」
「確かに。薬を飲んで小さくなるなど、普通じゃありえん現象だった」
キースがニマニマ気持ち悪く微笑んでいるのは、フォーリンの服の中での出来事を思い返しているせいか。
悔しい。そして、純粋に羨ましい。
同時に、アドリブで機転の利くキースを尊敬したりもした可憐であった。
ナナから途中経過を聞いて、セーラも可憐同様、悔しがっている。
「あぁん、そっちのルートだったらカネジョーくんと間接キッスできたのね!」
「やはり間接キスは青春ですよね!」と気負いこんで尋ねてみれば、「えぇ、甘酸っぱい青春よ。話が分かるわね、カレン」と同調が返ってきて、同じ軍人といえどカネジョーとセーラでは、だいぶ温度差があると確信する。
「いや、何の確認だよ」
青春に思い入れのないカネジョーがジト目で突っ込んできて、間接キスでの盛り上がりは瞬きの合間に終わり、一行は改めて城へ視線を戻す。
「今度こそエリーヌと再会できるよね。早く行ってみよう、可憐」
どうしてもエリーヌの安否が気になるのか、ミルが、しきりに急かしてくる。
可憐が考えるよりもミルとエリーヌの絆は、ずっとずっと固いのかもしれない。
それもそうか。ミルはエリーヌを助けたくて、名乗りをあげたんだから。
合流できていない仲間の安否は、可憐も気になっている。
全員と再会できるのかといった不安は未だ心の奥で燻ぶっていたけど、意を決して歩き出した。
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