セルーン海軍

セルーンの海軍には、五十の艦隊がある。
海軍に全戦力を注いでいるといっても過言ではなく、軍艦の所有数は世界一である。
可憐達を救助という名目で捕縛したのは、セルーン国海軍第七艦隊。
イルミ国との戦闘を任された艦隊の一つであり、最前線たるヌマポッカ海峡には一から十までの小隊が配置されている。
網の目の如く布陣が敷かれており、海路を通ったのは完全に失敗であった。
「海軍が強いなら強いって、最初に教えて欲しかったよね……」
がっくり肩を落として呟く可憐に、気の毒そうに眺める視線や冷ややかな視線が突き刺さる。
どこの国の、どの軍隊が強いかなど、最前線に立つ者ならば知っていて当然の知識だ。
それすら知らないで突っ込んでくるとは、本当に民間の船だったのか。
彼らセルーン軍人の目は、そう言っていた。
可憐からすれば、最初から、そう言っているではないかと逆に突っ込みたい。
「いやいや、まさか潰した船に、まさかこのような重鎮が乗っていようとは」
着替えた後は再び一箇所に集められ、しばらく沈黙が続いたのちに言葉を発したのは、黒い軍服に身を包んだ女性の軍人だった。
後ろに整列した軍人と違って装飾が派手だから、上官クラスなのだろう。
女性が上位か。クルズ王国に送り込まれた偽大臣の発想は、母国から来ていたのだ。
「恐れ多くもクルズ王国第四王女エリーヌ=チャーリー=クルズが、ご同乗していようとは。王女様がいたとあっては、丁重に扱わなければいけませんわネ」
「では、国王様へのお目通りを」と言いかけたエリーヌの弁を遮って、女性将校はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「えぇ、えぇ、丁重に、人質として扱わせて戴きますとも」
それから――と、順繰りに顔を見渡していって、黒服の青年で目を止める。
「アナタは王国の懐刀だった暗殺者、クラウン=ディスベルですわネ。何十もの我らが同胞を、闇で葬ってきたそうではありませんか。その報いを今、ここで晴らしてもいいのですが……ま、今は止めておきましょうか」
ジロジロと不躾な視線をぶつけられても、クラウンは無言で睨み返している。
王宮での仕事には罪悪感があったようだが、敵兵の前では弱みを見せたくないのだろう。
「アナタがたの処置ですが、当面は投獄するつもりでしたのですけれど……王女様がいるとなっては、牢屋に放り込んでオシマイとは参りませんわネ。丁重に、かつ慎重に、監視をつけさせていただきます。さしあたって担当は」
机の上にあった書類を手に取り、パラパラめくっていく。
「そうですわネ。手の空いた小隊に、やらせておきましょう」
「一から十まで、びっちり配置してるんだったら手空きの隊なんてないんじゃないか?」
突っ込んだのはミルだが、女性将校は口の端を歪め、首を振った。
「第七艦隊も、常にフル活動で戦争しているわけではございませんのよ?なんせ五十も艦隊がありますからネ。時々は、お休みを頂いております。さて……今は戦闘も緩やかですし、そうですわネ、第九小隊に任務を与えておきましょう」
彼女の決定で、ざわっと下級兵士達に動揺が走る。
直に上官へ異議を申し立てる者まで現れた。
「アナゼリア大尉、本気ですか!?あのポンコツどもに任せたら、せっかくの捕虜を逃がしてしまいます」
女性将校は「おやおや」と、肩をすくめる真似をする。
「アナタがたは、私の決定に反旗を翻すと。そう申し上げたいのですか?」
ジロリと睨まれ、先ほどの兵士は「い、いえ……」と萎縮してしまう。
この上官、どうやら指揮はワンマンで、しかも部下からは怖がられているようだ。
「一から十まであるのに、九がポンコツってことは……案外、大したことがないのかも?」
傍らのアンナへ小さく囁いたミラーも、アナゼリアに睨まれる。
「聞こえておりましてよ?第九小隊はポンコツではありません。全員の個性が尖りすぎていて、単にまとまりがないだけですわ」
集団生活が出来ないから、味方にもポンコツ呼ばわりされているのでは?
可憐はそう思ったが、自分まで睨まれてはたまらないので黙っておいた。
当面は、そのポンコツ小隊と行動を共にしないといけないのである。
喧嘩を売って、しょっぱなから印象を悪くしてしまうのは最悪だ。
「では、ドナタか、ユンを呼んできてもらえます?」
「はっ!」と敬礼し、一人出ていくのを見守ってから、アナゼリア大尉と呼ばれた女性将校が再び可憐達のほうへ向き直る。
「ふふ……どの顔も怯えていて、可愛らしいったらありゃしない」
言われて、えっ?となって可憐が左右を見てみれば。
血気盛んなミルやクラウン、ドラスト以外は、確かに不安を隠し切れていない。
可憐も、きっと怯えて可愛い顔に見えているのだろう、目の前の軍人には。
だが実際、怯えているのかと言われると、可憐自身は怯えていない。
なんとなく、どこかで何とかなるんじゃないかと、彼は気楽に構えていた。
さすがに大砲で攻撃された時には死ぬんじゃないかと思ったのだが、目の前の軍人はエリーヌを交渉で使う人質にすると言っていた。
なら、いきなり撃たれて殺されたりはしないはず。
助かるのはエリーヌだけという可能性を考えないのが、平和ボケした日本人ならではの思考だ。
「安心なさい、すぐには命を取ったりしませんので。アナタがた、特にエリーヌ姫のお命は、平和に政治利用させて戴きます」
人質価値があるのは王族のエリーヌと、それからイルミ貴族のドラストだけだ。
他の者は、いつ切り刻まれて魚の餌にされても、おかしくない。
だが部屋中びっちり軍人に囲まれた現状で、騒ぎを起こすのは得策ではない。
まずはポンコツ小隊に身を委ね、隙を見計らって逃げ出してやる。
大雑把な決意を固め、ミルは尋ねた。
「で、そのポンコツ小隊は、どこにいるの?」
「今、呼びに行かせましたわ。少々お待ちなさいな。あと、彼らはポンコツではありません」
きっちり大尉に突っ込み返しされたところで、先ほど出ていった一人が戻ってきた。
後ろに二人、従えて。
「あら?呼んでもいないオマケが一人ついてきていますわネ」
アナゼリアに咎められ、呼びに行った軍人は困ったように眉根を下げる。
「はッ、あの、それが……」
「大尉がお呼びとあっては、隊長一人では粗相をしでかすと予想して、この俺も馳せ参じたという次第ですよ、美しき大尉アナゼリア様、かっこ巨乳」
同胞の説明を遮って、ずずいと前に一歩出たのは、眼鏡をかけた軍人だ。
如何にも切れ者な雰囲気をまとった青年だが、視線は大尉の胸に一直線。
アナゼリアの胸が大きいのは、可憐も、ずっと気になっていた点だ。
胸の大きさも気になるが、気になるのは胸ばかりではない。
吊り目の瞳も、ピンクに彩られた唇も、軍人だと思わなければチャーミングだ。
こんな上官、毎日が目の保養で羨ましい。
大尉は露骨に眉をひそめ、じろりと眼鏡青年を睨みつける。
「仕事では"俺"ではなく"自分"か"私"を使えと、あと何億回説教すれば、アナタのちっぽけな脳は記憶するんですの?それと、お気をつけなさい?浅ましい脳内思考が外に漏れていましてよ」
散々ポンコツではないと庇っていた割に、本人への態度は辛辣だ。
本音じゃ大尉もポンコツだと認識しているのでは?と、ドラストは密かに疑った。
この眼鏡も上官に対する態度ではない。
いきなり胸に話題をふるなどセクハラにも程があるし、公で俺を使うのも非常識だ。
よく軍法会議にかけられて処刑されないものだ。
セルーンは意外と身内に甘いのかもしれない。
青年は「フッ」と鼻で笑い、なおもジロジロとアナゼリアの胸に視線を寄せる。
「王様ヒゲと違って、大尉はご自分に正直ではないのが玉に瑕ですね。まぁいいでしょう。ツンデレなあなたも、可愛らしいというものです。それで、我々に任務と聞きましたが」
「きッ、貴様ァッ!少尉を王様ヒゲと呼ぶんじゃない!!」
動揺する部下を手で制し、アナゼリアが命じる。
手前の眼鏡青年ではなく、後方に控えて無言を貫いていた青髪の青年へ。
「ユン、アナタがた第九小隊に命じます。こちらにいるエリーヌ姫及びイルミ国からのお客様を、丁重に監視するように」


船はセルーン領に帰還し、可憐達は最前線を離れた駐屯所のテントに収容される。
そこで彼らを待っていたのは、キャピキャピした若者兵士であった。
「え〜っ、すごーい!イルミから海を渡ってきたの!?命知らずって海賊だけじゃないんだぁ」
褒めているのかバカにしているのか微妙な発言をかましてきたのは、少女兵のナナ。
鮮やかなピンク色の髪の毛に、大きな瞳で愛らしい。
私服に着替えたら、とても軍人とは思えないであろう。
そして、やはりというか当然というか可憐の視線はナナの胸元に集中する。
大きい。先ほどのアナゼリアも巨乳であったが、彼女は、もっと大きい。
フォーリンとタメを張る、いや、それ以上の巨乳なのではあるまいか。
眼鏡青年、キースという名前らしいが、彼が巨乳に目覚めても仕方のない環境だ。
キースの視線も、テントに入った直後からフォーリンの胸元に注がれている。
「ほぉ……」と小さく感嘆する彼へ、金髪女性の突っ込みが飛んだ。
「キース、見とれるのはいいけど触ったりするんじゃないわよ?」
「だが、エリーヌ姫と、こちらのドラスト嬢以外はオマケなんだろう?」
キースも言い返し、何を思ったのか手を伸ばす。
途端に、フォーリンの口からは悲鳴が飛び出した。
「きゃあ!?」
なんとしたことか、キースは両手でもってワシワシとフォーリンの胸を揉み始める。
白昼堂々の痴漢だ。これには可憐もミルもたまげて、大声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと何しているんだい、このセクハラ野郎!」
「やめてくれよ、フォーリンが嫌がっているじゃないか!」
そうだ、フォーリンは嫌がっている。
早くも両目には涙を浮かべ、「や、やめてくださァい〜!」と両手で押し戻そうとしているが、キースは真正面からフォーリンの胸を揉んでおり押し戻せそうにない。
可憐は憤然と立ち上がり、タックルをかまそうと走り寄るも、寸前でユンに止められてしまう。
結局、痴漢の魔の手からフォーリンを救い出したのは、意外な人物だった。
セルーン海軍第九小隊の一人、少女兵のレンだ。
彼女は「せいやっ!」と勢いよく眼鏡野郎の股間を蹴り上げ、いとも簡単に救い出す。
背後からの奇襲とは、味方なのに容赦も慈悲もない。
「お、おぼぼぼぼ……」と口から泡を吹いて悶絶するキースを跨ぎこし、「大丈夫ですか?」と、フォーリンを気遣う余裕っぷりまで見せつけてくれる。
下手なイケメンより、よっぽどイケメンだ。女の子だけど。
助け出されたフォーリンは、ぽぉっと頬を染めて、「はぅ……」とレンに見とれている。
「て、丁重に扱うのではなかったのですか?なんですか、今の破廉恥行為は」
エリーヌの抗議には、ユンが深々と頭を下げて謝罪した。
「キースの無礼は詫びよう。だが我々に危害を与えるのも、ご遠慮願いたい」
危害とは、可憐がタックルしようとした件を指しているのか。
実質的にキースへ危害を加えたのは、同じ海軍のレンなのだが……
「女性の監視は、女性をつける。男性と女性のテントを分ける。それで許してもらえないだろうか」
「それはいいけど」と、割り込んできたのはミルだ。
「いつになったら解放してもらえるんだい?ずっと、このままでもないんだろ」
ユンは、じっとミルを眺めていたが、ふいっと視線を逸らして、どこかへ歩き去ろうとする。
「お、おいっ!質問に答えるぐらいしろよ!?」
慌てて呼び止めたミルへ、代わりにレンが説明した。
「あ、すいません。うちの隊長、口頭説明が苦手でして。私が代わりに答えておきますね。まず、あなたがたの釈放……というか、政治交渉の具体的な日にちは未定です。これから上層部へかけあって、王様や偉い人達の意見を聞いてってやらなきゃいけないので、最低でも一ヶ月ぐらいは、ここ駐屯所に収監ですね」
「一ヶ月だって!?」と驚く面々には、エリーヌも解説に加わった。
「政治交渉には国内会議を数回行い、先方への打診も含みますから、一ヶ月は早いほうかと。ですが、ここに拘束されるのは困りますね……」
「お前ら、そもそも何しにきたんだよ、セルーンに」
超無礼講な口調でエリーヌへ尋ねてきたのは、目つきの悪い青年兵だ。
彼も最初からテントにいたのだが、愛想良く自己紹介してきたナナやレンと違って、こちらには興味なさそうな顔で半居眠りしていたのが、ようやっと興味を持ったらしい。
「あぁんっ、カネジョーくん、あなたは政治なんかに興味もっちゃ駄目ぇ」
キースには辛辣な突っ込みをしていた金髪女性が途端に格好を崩し、あまりのギャップに驚く可憐の前でカネジョーに頬ずりをかます。
カネジョーは「うぜぇ!離れろッ」と目一杯嫌がり暴れているのだが、振りほどけそうにない。
何しろ二人には、絶対的な体格差があった。片方は長身、片方は小柄とあっちゃ。
唐突なスキンシップに目を丸くする可憐にも、レンの解説が入る。
「あ、気にしないで下さいね、いつものことなんで」
ぽんぽんと金髪女性の肩を叩き、場の雰囲気を本題に戻してやる。
「ほらセーラさん、イルミからお越しのお客さん方も驚いていますよ。今回いつものノリは控えて、軍人らしく振る舞いましょう」
察するに、レンは第九小隊の良心だ。最後の防波堤とも呼ぶ。
隊長のコミュ障ユンを筆頭に、副リーダーの変態助平眼鏡キース。
礼儀が行方不明で、とても軍人とは思えないし見えもしないナナとカネジョー。
カネジョーにべったり過保護なセーラ。
まともなのがレン一人では、上司のアナゼリアも頭を抱えるというものだ。
そして何故ポンコツ小隊に捕虜を預けたのかも、クラウンには薄々判る気がした。
要するに、大尉は厄介払いしたかったのだ。お荷物小隊を最前線から追い出す為に。
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