ミルの疑惑

ぽつり、ぽつりと降ってきた雨が、次第に大粒になる。
廊下で雨音を聞きながら、ミラーがヒソヒソと小声でクラウンを窘めた。
「……駄目ですよ、勝手に入ったりしちゃって……」
「勝手に、ではない。家主が返事をしただろう」
不機嫌に応えるクラウンへ、さらに突っ込んだのはレンだ。
「でも、その前に勢いよく扉を開けていましたよね?あんなふうに大開きにされたら仁礼尼さんだって驚くんじゃあ」
しかしクラウンは「外で声をかけるほうが迷惑だ」と、にべもない。
外で声をかけられたら、家主も外に出なければならなくなる。
ならば玄関口で声をかけるのが礼儀だと言われ、そういうものかと可憐は納得したのだが、キースやナナには納得いきかねたのか、さらに反論を重ねようとする前に廊下が終わり、つき当たりの襖をクラウンがガラリと開けて、全員が中を見た。
部屋一面に敷き詰められた緑の畳の上に、誰かが座っている。
「遠路はるばる、よくお越しくださいました。異国の民の皆さま方よ」
先と同じ涼やかな声で話すのは、この神社の主である仁礼尼その人だ。
真っ白な巫女装束に身を包み、艶やかな黒髪を腰ほどに垂らしている。
やや垂れ目気味ではあるが、美少女と呼んで差し支えない顔だ。
年の頃はミルと同じ、或いは少し上か。
可憐の見立てでは、七歳から十歳ぐらいと思われる。
きちんと正座しての挨拶に、自然とエリーヌやドラストも畏まって自己紹介をした。
「はじめまして、仁礼尼様。突然の訪問を、お許しくださいませ。私はエリーヌ=チャーリー=クルズ。長く続いた覇王戦争を終わらすべく、各地へ終戦を呼びかけております」
「なるほど……それで、私の元に参ったのでございますね」
「なにが、なるほどなんだ?」
底抜けに無礼な質問をかますキースを無視し、仁礼尼はエリーヌを見つめて続けた。
「ワ国の帝は只今不在にござりますれば、あなた方が次期帝を探すのは自明の理。空軍への紹介状を求めて、私の元にお越しくださったのでございましょう?」
小学生ぐらいにしか見えない外見の割に、頭の回転は、かなり早い。
あれこれ説明しなくて済むのは、話も早くて助かるというものだ。
「つまり君が書いた紹介状なら、空軍は絶対に読んでくれるんだね?」
ミルに念を押され、「はい」と頷いた後。
改めて彼女の存在に気付いたかのように、仁礼尼は、しげしげとミルを見つめた。
「……驚きました。私と同じような考えを持つ方が、異国にもいらっしゃろうとは」
謎の驚き発言に、しかしミルは大したことでもなさそうに吐き捨てる。
「別に、驚くような事じゃないだろ?君がそうするなら、他の国にだって、そうする奴もいるだろうさ」
「え?何が、そうする奴もいる、なの?」
逆に仲間内から疑問の声があがるが、ミルも仁礼尼も、そこは華麗にスルーして。
「では、さっそく紹介状を書きます故に、皆様は、こちらで少々お待ちくださいませ」
仁礼尼は、さっさと出て行ってしまい、可憐一行は部屋に残される。
しばらく経って、ぽつりとナナが不満げに漏らす。
「社交辞令も挨拶も抜きの、用件のみな会話だったね……」
「そうだね」と可憐も相槌をうち、「社交辞令が苦手な人なのかな?」と首を傾げた。
彼女は、いわゆるコミュ障なのかもしれない。見た目は、そう感じられなかったけれど。
「あの子の書く紹介状に権限があるって本当に本当かしらね?」
まだ疑念を抱いているのか、セーラが、そんなことを呟く。
「本人がそうだというなら、そうなんじゃないか」
まるで興味がなさそうな返事をよこしたのは、キースだ。
「それより尼さんというから妙齢の美女を期待したんだが、まるっきり子供じゃないか」
「もっとバイーンでボイーンだと思うとったんか?」
ジャッカーの突っ込みには、大きく頷いた。
「その通りだ」
「けど、バイーンでボイーンだったら、こんな山奥に引っ込んどらんやろ」
「それもそうだな……いや、しかし尼さんの家系に生まれているのだとしたら、たとえボインちゃんに産まれたとしても、尼さんにならざるをえまい」
どうでもいい雑談に耳を傾けながら、可憐は、ぼんやり襖を眺める。
紹介状を書くと言って退室してから、ゆうに十五分は過ぎた頃合いだ。
ここに筆記用具を持ち込んで書くのでは駄目だったんだろうか。
というか本当に書いているのか。うっちゃりして寝ちゃっていないか心配だ。
だんだん、お腹が空いてきたようにも思う。
考えてみれば、今日食べたのはクッキーを数枚だけだ。足りるはずがない。
ここで弁当を広げていいものか、どうか。少々ためらう。
来客にお茶とお茶菓子ぐらい出してくれてもいいのに、それもない。
考えれば考えるほど、腹が減ってきた。あと、ちょっと、この部屋は寒く感じる。
尿意に負けて、我慢しきれず可憐は立ち上がる。
「どうしました?」とミラーに尋ねられるのには「トイレ」と答えて、廊下に出た。

ここへ来るまで廊下を一直線に歩いてきたから、トイレが何処にあるのか判らない。
建物構造を考えたら、外にあるのでは?と悩む可憐は、不意に後ろから肩を叩かれて、「ぎゃうぉ!」と予想以上に大きな悲鳴をあげて、自分でも驚いた。
「……驚かせて、すまない。だが便所へ行くのであれば、俺が案内しよう」
ついてきたのは、クラウンであった。
「え、判るの?」と驚く可憐に、コクリと頷く。
「俺の母が教えてくれた。それによるとワ国建築物の便所は、必ず突き当りにある」
――なんで彼の母が異国でのトイレの位置を息子に教えたのかは、この際突っ込むまい。
きっと任務で便意を催した時に思い出せとか、そういう親心に違いない。
「けど、つき当たり?この廊下って一本道じゃあ」
首を捻りながら廊下を戻ってみれば、玄関横に小さな扉があるのに気がついた。
戸を開けると、確かに中は便所だった。
それも今や可憐の元いた世界でも滅多に見ない、汲み取り式のボットン便所ではないか。
クルズのトイレは、どれも洋風トイレだったのに。
もっとも、クルズのトイレが水洗か否かまでは可憐の知るところではない。
なんでも魔法で解決する世界のようだし、トイレも魔法でジャーしているのかもしれない。
ならば、このボットン式に見えるトイレも、実はボットンではないのかも。
一歩入って穴の底の臭いをクンクンした可憐は、即座に叫んだ。
「くっせぇ!マジくっせぇ!!」
「……便所だからな」と、間髪入れずにクラウンの合いの手が返ってくる。
それはその通りなのだが、この神社は仁礼尼しか住んでいなさそうなので、つまり、この鼻が曲がるほどの悪臭を放つウンコをしたのも、仁礼尼という結論になりはすまいか。
そう考えた瞬間、百年の恋が一瞬で冷めそうな展開だ。
さすがに今日会ったばかりの子供に恋をするほど、可憐も惚れっぽくないが。
「うーん、人は見かけによらない……」
あまりにあまりな悪臭のせいで、すっかり尿意は何処かへすっ飛んでしまった。
斜め上な感心をかます可憐に、クラウンがぽつりと呟く。
「見かけによらないといえば……カレン、少し、いいだろうか」
「ん、何?」
「いつ、言おうかと思っていたが今、言うことにする。カレン、お前から見てミルは……幾つぐらいに見えている?」
仁礼尼についての相談かと思いきや、予想外の話題に可憐はポカンとなる。
ミルが何歳に見えるか、だって?それは今、問題にしなきゃいけない事だろうか。
いや、しかし可憐の知るクラウンは、冗談や酔狂の言える人間ではない。
無駄話をするタイプでもなし、ミルの年齢は仁礼尼とも何か関係するのであろう。
可憐は正直に答えてあげた。
「えぇと、大体六歳から七歳前後に見えるかなぁ?」
そうかと頷き、クラウンは真顔で可憐と向き合う。
「ミルの魂は良い輝きだ。だが、お前ほどの純粋さではない。そして、子供の持つ純粋さとは別の輝きも見られる」
「あー……あー、魔導の目?」
久しぶりに聞いた気がする。
クラウンは本人曰く、生き物の魂を目視で感じ取れるらしい。
可憐の魂は純粋で繊細だとベタ褒めされ、内心テレまくった記憶だ。
ついでだからと、あの時に聞きそびれた疑問を可憐も今になって、ぶつけてみる。
「そういやさ、魔導の目って具体的には、どんなふうに見えるの?明るさだけなの?クラウンの言い方だと、色もついているっぽいけど」
少し考える仕草を見せ、クラウンは可憐の予想を肯定する。
「そうだな、正確には色だ。色で見える。白に近づけば近づくほど、魂は純粋で繊細……そういうことだ」
それでと話を戻し、ミルの魂について語り始める。
「ミルの魂を司るのは、橙色だ。血気盛んで熱血漢、猪突猛進な奴の持つ色だ。だが、それとは別に奥のほうで燻る赤い炎が見える」
「えぇ……つまり、めっちゃ短気ってこと……?」
今度の予想には首を振り、クラウンは言い切った。
「赤色ではない。赤い、炎だ。陽炎の如く揺らめいた。陽炎とは、偽り。橙色も偽装だ。ミルは本性を隠している。魔導の目に見破られないよう」
さすがのキモオタ可憐でも、彼の言うことが判らず首を捻る。
魂を見抜くのが魔導の目の本懐だとして、それを欺けるチート能力が更に存在する……
ということだろうか?
だとしても、ミルが本性を隠すのは何のためか。可憐を騙して闇討ちにするつもりか?
しかし、可憐を召喚したのもミルなのだ。
自分で召喚しといて殺すのは、無意味にも程があろう。
大体、ミルの性格がなんであれ、可憐は彼女に協力すると決めたのだ。
なら普段の素行が『キャラづくり』だったとしても、問題ない。
生意気なボクっ子が実はネクラな俺女であっても許容範囲だ、キモオタ的に考えて。
何度も言うようだが、ミルは見た目が圧倒的に可愛い。
くるんとした大きな瞳に、オレンジの癖っ毛は、萌え要素を確実に掴んでいる。
加えてだぶだぶのローブが、幼女趣味のない可憐にも幼女はいいぞと囁いてくるではないか。
この見た目であれば、実の性格がどのようであれ許される。ドントウォーリー。
一人悦に入って納得する可憐の耳に、クラウンの話の続きが入ってくる。
「魂を偽っているのは仁礼尼もだ。彼女の魂は、お前と似て白い。しかし中核にあるのは灰色の光だ」
「えぇと、その、色なんだけど」と可憐は念のために確認しておく。
「色が複数あるのって、珍しいの?」
「あぁ」と即答し、クラウンは廊下の先を睨みつける。
「本来、魂は一色でなければならない。二色あるのは偽装に他ならない。愚かな真似をする……疑えと言っているようなものだ」
「それは、意図的にやっているのかな?」という追加質問にも、彼は頷いた。
「意識しなければ、色として表れない。エリーヌとアンナ、ジャッカーにも色は複数存在する。本性と異なる色は邪念、下心と言い換えてもいい。……だから俺は、お前以外は信用できないと言った」
可憐以外はミラーとドラスト、それからフォーリンが単色なのか。
しかし可憐が一番純白なので、クラウンは可憐を一番信用しているのだ。
クラウン自身のカラーは何色なのかと本人に聞くと、意外なことに判らないときた。
自分の色は自分で見えないとの返答であった。
それもそうか、魔導の目は視覚で感じる能力なのだから。
「偽装ってのは要するに猫をかぶっているとか、キャラを作っているってこと?なら別に、気にしなくてもいいんじゃないか」
「どうして?」
クラウンには眉間に皺を寄せられたので、改めて持論を垂れる。
「だって彼女達がどんな本性であれ、俺の協力したいって意志は変わらないからさ☆」
可憐がキラッと歯を見せて満面のスマイルを浮かべただけで、クラウンは、ぽぉっと赤くなって目の前の微笑みを充分堪能した後、ようやく言葉を吐き出した。
「……さすがだな、カレン。微笑みのみならず、本性も天使ときたか」
「いやぁ、本性まで天使ってのは、ちょっと褒め過ぎだと思うけど」
「いや、天使だ。いいだろう、ならば俺も改めて協力しよう」
力強くクラウンが頷いた直後を狙いすましたように、涼やかな声が響いてくる。
「――話は、お済みになりましたか?」
ドキッとなって振り向いた可憐の前には、仁礼尼が立っていた。
一体いつの間に。近づく足音すら、しなかった。
「私が何者か看破したとしても」と、クラウンを見据えて仁礼尼が言う。
「けして他言したりしませぬよう……特に、あの、理性的を装っているけど実際中身はドロンドロンにドドメ色で女性の胸にしか興味のなさそうな変態を隠しきれていない眼鏡男の前では!」
眼鏡をかけている男の仲間なんて、一人しかいない。
初対面の仁礼尼にまでバレてしまうとは驚きだ、変態眼鏡の変態度。
「あ、ハイ」とクラウンの代わりに可憐が返事をしたのをヨシとして、仁礼尼の勢いも戻り、皆の待つ部屋へと歩き出した。
「さぁ、行きましょう。皆様が待っておりまする」
「あんたも持っているようだな」とのクラウンの問いに仁礼尼が黙って頷き、何を?と可憐が尋ねる前に三人揃って部屋へ戻った。
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