ワ国、到着

ワ国の歴史は浅い。
だが近年は、人工生命体の量産を得て戦力を整えつつあった。
主戦力は空に集中している。
他三国が空に力を注いでいない盲点をついた形でもあった。
可憐を乗せたセルーン海軍第七艦隊第九小隊艇は、ワ国海軍に身柄を捕獲される。
軍人と話す機会を与えられぬまま、一行は僻地にある収容所へと連行された。

ワ国領土の最果て、金山宋。
空気の澄んだ平地にある、小さな集落こそが可憐達の連れてこられた収容所であった。
またの名を長期療養所――ともいう。
ここには生まれつき体の弱い女子供や、不治の病にかかった患者も隔離されている。
否、本来は収容よりも療養としての利用が先であったのだろう。
集落には病院と薬屋が建ち並び、医療に関してだけは万全の態勢にあった。
「ようこそ、お越しくださいました。異国の民よ、歓迎します」
集落の一角にある、比較的大きなお屋敷にて。
可憐一行を出迎えたのは、白一色の衣装を身にまとった女性だ。
肌は透き通りそうなほど白く、儚げな印象を受ける。
歳は目元の皺から推定して、五十から六十あたりだろうか?
黒々とした髪の毛を、後ろで一つに束ねている。
黒髪はワ国民共通の特徴だ。
ここでは逆に、水色やオレンジ色の髪の毛は浮いてしまう。
所在なさげに辺りを見渡し、ナナが小声で女性に話しかける。
なんとなく、元気に騒いでは場の空気が乱されるように感じたのだ。
「え、えぇと、はじめまして。ナナ=ウランブルドって言います。実は、あたし達、ちょっとワケアリでセルーンから逃げてきました……」
女性は笑みを絶やさず、黙して聞いている。
屋敷内は、しんと静まり返っており、他に住民がいるのかも疑わしい。
ともすれば気が滅入りそうになるのを堪えつつ、ナナは話を続けた。
「えと、その……こちらの女性はクルズ王国の王女様なんですけど、この人と一緒に世界を平和にしちゃおっかなーって」
「ハイ、そこまで!」とストップをかけてきたのは、セーラだ。
「そこから先は、王女様ご本人に説明してもらいましょう?」
話を振られ、改めてエリーヌは屋敷の主と向かい合う。
「はじめまして、ワ国の民よ。私はエリーヌ=チャーリー=クルズと申します。私達は不毛に続いた覇王戦争を終結させるべく、各国を巡り、戦争停止を呼びかけています。ですがワ国では現在、国を治める者が不在だとかで、海軍の皆様は、こちらの収容所に私達の身柄を丸投げなさいました。彼らは面倒事を嫌がっているようにも感じました。彼らとは話し合いの場を設けていただけませんでしたが、恐らくは話しても無駄だと私も感じました。我々が会いたいのは、帝です。その帝がいらっしゃらないとなれば、次期継承者を探す他ありません。帝の次期継承者は、どちらにいらっしゃるのでしょうか?あなたは何か、ご存じありませんか」
この頃には可憐も気絶から立ち直っていたが、言いたいことは全てエリーヌに言われた。
だが可憐では、ここまで簡潔に用件をまとめられなかっただろう。
男性よりは女性のほうが話しかけやすいとはいえ、母親と同じ年齢の相手は苦手だ。
どうしても、前の世界に残してきた自分の母を思い出してしまう。
可憐の母は、おっとりしていたが、可憐には厳しい言葉ばかり向けてくる人だった。
仮病で休もうとすれば、部屋から引きずり出してでも学校へ追いやる人だった。
虐められていると何度訴えても、気にするなと退けられた。
親身になってくれたことなど、一度もない。
不登校は甘えだとも言われたので、正直に言って嫌いだった。母も、父も。
目の前の女性は雰囲気こそ全然違うが、年齢は自分の母と似たり寄ったりだ。
だから、話しかけづらい。可憐には。
エリーヌの話が終わって、しばしの間をおいてから女性が答える。
「……えぇ、その者であれば存じております。以前、この地に住んでおりました」
「なんやって!?」と騒ぐ仲間を手で制し、エリーヌが重ねて尋ねる。
「なんと申される御名前で、今はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
一つ、息をついて女性が答える。
「白羽 刃。私の息子にして前帝の唯一の実子にございます。今はワ国第三十八小隊空撃部隊の小隊長を勤めております」


ワ国へ入り無事セルーンから逃げおおせたと可憐達は思っているだろうが、セルーン海軍は、まだ彼らの追跡を諦めていなかった。
「なんということだ!大尉は未だ目覚めず、少尉は追跡に失敗だと!?」
テント内にて大声で喚いているのは誰であろう、ガナー中尉だ。
ちょいと海に出ている間に、大尉は眠り薬を飲まされて意識不明。
脱走者を追跡した少尉は、謎の戦闘機にやられて軍艦を故障させてしまう体たらくだ。
海軍で不祥事が起きるなど、あってはならない。国の威信にも関わるではないか。
エウゼンデッヘはセルーン空軍機にやられたと報告していた。
しかしガナーが確認を取らせた限りでは、空軍は少尉の艇を攻撃していない。
ワ国空軍にしてやられたと考えるのが、妥当であろう。
脱走したのは第七艦隊所属の第九小隊。小隊長はウランブルド家の嫡男だ。
入隊後すぐに小隊長へ任命されたサラブレッドな彼が、何故脱走を企てたのか。
部下がポンコツばかりで自分まで無能扱いを受けたせいで、嫌気が差したのであろうか。
いや、しかし、それなら部下まで連れての脱走とは納得いかない。
ユンは有能な部下だったとガナーは記憶している。
親に似て有能で、且つ命令には忠実。
ポンコツ欠陥品だらけの部下に囲まれていながら、特務も無事に果たせる軍人だ。
その彼がアナゼリアに一服盛って脱走するとは、到底信じられない。
だが実際、第九小隊は軍艦を足に使って逃走した。
今頃はワの領土に入ったかもしれない。
ワに逃げ込まれては、軍艦で追いかけるわけにもいかない。
かくなる上は何が何でも大尉を叩き起こして、例の召喚術を使ってもらうしかない。
本来なら違法の魔術だが、不祥事を隠すためなら、やむをえまい。
問題は、大尉が飲まされた睡眠薬の解毒だが……
どの薬師も初めて見る調合だと述べ、今のところ有効な解毒剤は作れていない。
薬効果を治す魔術もなし、大尉の治療は困難を極めている。
一体誰だ、こんな劇薬を調合した犯人は。
ユンではあるまい。彼は生粋の軍人だ、薬の調合をしている姿を見たこともない。
彼の部下は全員ポンコツ、これも違うだろう。
ダナーは頭を悩ませつつ、次なる策を練る。
もはや損害を少なくしようと言っている場合では、ないかもしれない。
海軍の不祥事がセルーン王の耳まで届く前に事態を何とかせねば、自分の地位も危うい。
一刻も早く奴らを捕まえるには、多少の手荒な作戦も必要か。

第九小隊脱走のニュースは、その日のうちに第七艦隊に所属する全員が知るところとなり、彼らを追うべく急遽、一から十の小隊は二手に分けられる。
半分は海域の防衛として残り、もう半分はワ国の領土に突っ込ませる策に出た。
とはいえ、数分で出撃出来るわけがない。
準備だなんだと時間を取られ、実際に奪還隊がセルーンを出発したのは三日後の夜であった。


三日間、可憐一行もサナトリウムな隔離所に拘束されていた。
次期帝の名前と所在が判ったからといって、自由に出歩ける身ではなかったせいだ。
集落の中だけなら、見張りもつかずに歩き回れる。
白羽 刃の実母、白羽 小鳥の許可によるものだ。
帝の嫁なら后妃だろうに何故こんなところに隔離されているのかとアンナが尋ねれば、自分は病弱なので、ここで暮らしたいと自ら申し出たのだと小鳥は答えた。
「こんな、病院と薬屋しかない辺鄙な場所で暮らしたいなんて変わってるよね」
ナナの呟きに、セツナは苦笑する。
「病弱な体ですもの。都にいるよりは気が休まるのではなくて?」
確かに空気は綺麗だし、周りは静かだから、養生には向いた場所だろう。
ワ国首都へ出るには山を三つほど越えなければ駄目と言われ、フォーリンは目の前が暗くなる。
ワ海軍の皆様には、直接首都に送ってほしかった。
しかし彼らは、こちらの収容所へ隔離するのを選んだ。
全て、帝が首都に不在なせいだ。
刃が何で空軍に所属するようになったのかも、小鳥から聞き出してある。
空軍の小隊長に任命しろと、前帝の遺書に書かれていたらしい。
意味が判らない。
帝の実子は刃一人しかいないんだから、とっとと即位させるべきではないのか。
しかしミルがいくら憤慨しようと、小鳥にも如何ともし難い問題だったらしい。
刃は幼馴染と共に空軍へ出向いていき、今は、すっかり音信不通になったそうだ。
彼から連絡が来ることもなければ、こちらから連絡を取ることも出来ない。
「次期後継者の連絡先が、実の母親にも知らされていないとは……」
ここで手詰まりとなってしまい、エリーヌも腕を組んで考える。
「三十八個もある小隊の駐屯所を探すのかぁ。虱潰しになりそうだね」と、可憐もぼやく。
「その前に陸軍の奴らに見つかって、面倒なことになりそうだよ。手っ取り早く見つける方法、誰か知らないかなぁ?」とは、ミルの意見だが。
集落の人間は、誰も空軍の所在について詳しくなかった。
そればかりか戦争をやっている事自体、知らなかった子供もいたぐらいだ。
完全に世間から隔離された場所では、仕方ないのかもしれない。情報が届かなかったとしても。
「それより一番最悪なのは、ここに隔離されたまま逃げ出せない可能性だ」
眉をひそめ、クラウンが屋敷を振り返る。
ワの海軍は責任を全て前帝の后妃である白羽 小鳥に押しつけた。
可憐達が脱走すれば、その罪は小鳥にも向けられよう。
全く赤の他人とはいえ、彼女が処刑されても無関心になれるほど、こちらも非道ではない。
「たったの山三つでしょ?行こうと思えば、いつでも出られるよ。ただ、そのせいで小鳥さんが死刑になったりしたら、寝覚め悪いよね……」
ミルも同じ未来を予想したのか視線を屋敷に向けて、口をへの字に折り曲げた。
「それなら簡単や」と、ジャッカー。
「小鳥はんを連れて脱走すればエェんちゃう?」
「問題は小鳥さん本人が承諾するか、よね」と、セーラ。
セツナも頷き、「息子に迷惑がかかると考えるのは、母親として当然の心理だわ」と締めた。
「けどさ」と可憐は混ぜっ返す。
「軍に入った途端、連絡も寄こさない息子なんて今更どうでもよくない?」
「カレン。たとえ音信不通になっても、親は子供を案ずるものだ」
クラウンが横から諌め、かぶりを振る。
「……俺の親も、そうだった。死の直前まで俺を心配していたと聞いた」
親子の愛を語られても、可憐にはイマイチ、ピンとこない。
だがクラウンの心情を考えると、反論するのも悪い気がして黙り込む。
クラウンは暗殺者の家に生まれた。
ディスベル家は、クルズで最も命を軽視された一族だった。
使い捨ての駒だった親が死ぬ直前まで子供の未来を案じていたとは、哀しい話だ。
どうせ息子も自分が死んだあとは、使い捨てられる命なのに。
可憐は、ちらりと横目でユンを伺う。
結果的にセルーンを裏切らせてしまったわけだけど、彼にも両親がいたはずだ。
今、どう思っているのだろう。残してきた両親について。
直接聞くのは躊躇われた。
後悔していると言われても、可憐には、どうにもできない問題だからだ。
可憐の視線に気づいたのか、ユンが口を開いた。
「俺の家の心配は、しなくていい。父は不始末を取らされるかもしれんが、母の身柄は安全だ」
「え?どうして言い切れるのさ」と不思議がるミルにも、ユンは説明した。
いつも口頭説明を嫌がる彼にしては、珍しく饒舌に。
「母はウランブルド家の正当な血を引く者だ。セルーン王と近しき者でもある。例え軍の総隊長であろうとも、彼女に手出しできる権限は持ちえない」
「え、おとっつぁんが婿入りやったん?」
驚くジャッカーに、ナナは頷いた。
「そうなの。よく間違えられるけどね!」
「へー、なんか今日はナナと隊長の家について詳しくなっちゃいましたね」
親友のレンも驚いているから、意外と知られていない情報だったようだ。
もっとも、知ったところで何のメリットもない情報ではある。
「家族の心配は、今は考えないほうがいいわ」と、セツナが場を仕切る。
「私達の使命を忘れないで。世界を平和に導くのでしょう?」
「まーな。そのためにも、ここを穏便に抜ける方法だが」
屋敷に目をやり、カネジョーが提案する。
「本人が嫌がろうとどうしようと、あのババアを残しておくのは得策じゃねぇ」
前后妃だろうと遠慮なくババア呼びだ。
目を丸くするエリーヌやフォーリンの前で、カネジョーは、ばっさり言い切った。
「あのババアを誘拐する。ほんで、山越えといこうじゃねーか」
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