伝承に基づき、アーッ、アッー!

可憐達を乗せた船は、カルガッソー海域に入り込む。
年中藻が生い茂り、一度入った船は出られないとされる"船の墓場"だ。
本来なら、こんな場所への突貫はミルも絶対にお断りなのだが、目的の悪霊が、ここにしか出ないのでは仕方ない。
指定の海域まで到着した後は、クラウンとエリーヌに交渉を任せる。
悪霊に最も近づける場所――すなわち、船の鼻先で。

「ぎゃーーーー!怖いーーーーっっ!!」
波間にエリーヌの絶叫が響き渡る。
彼女は船首飾り、女神像の真上にしがみついていた。
船の鼻先に立てと言われた時から、嫌な予感はあったのだ。
だが有無を言わせずクラウンに抱きかかえられ、キャッとなる暇もなく飾りの上に着地した。
第一印象は怖い、であった。
高さにして、水面まで数百Mはあろうか。
そればかりではない。
強い風がびゅうびゅう吹いてきて、うっかりすると落ちそうになる。
「あーーーー!あーーーーっ!怖いーーーー!!」
従って、エリーヌは体をがたがた震わせながら絶叫するしかない。
いくら王族といったって、所詮は十七の小娘である。
「ひ、ひぇぇ……ウチ、姫じゃなくてよかったわ……」
甲板で船首を見つめながら、ジャッカーがポツリと呟く。
傍らでは、風に負けじとミルが大声を張り上げた。
「クラウンーッ、エリーヌをしっかり支えてあげて!落としたら承知しないぞッ」
フォーリンも青ざめた顔で見守る中、アンナとミラーの視線は水平線へ向かう。
文献によれば、船首飾りに立てば巨大な悪霊が姿を現わすはずであった。
悪霊が黒雲を呼び、雨風と雷が荒れ狂う中で交渉は行なわれる。
んっぎゃーーーー!!くくく、暗くなってきましたーーーっ!」
アンナが脳裏に状況を描いている間にも黒雲が、さぁっと東の彼方からやってきて、瞬く間に船のまわりは真っ暗になった。
先ほどまでカラッと晴天だったのが嘘のように。
ピシャピシャと顔を叩きつける雨に襲われ、船は木の葉のように揺れまくる。
「雨がーーー!痛いーーーー!!」
始終エリーヌの悲鳴が降り注ぐもんだから、甲板に残った連中は気の毒そうに彼女を見上げる。
「あーーー!あーーーっっ!!!!」
もはや姫の威厳も失われ、鼻水と涙でぐっちょぐちょな彼女をクラウンも励ました。
「エリーヌ、目を瞑るな。目を瞑れば余計怖くなるぞ」
「瞑っても瞑らなくても怖いです、こんなのッ!!」
クラウンはよく怖くならないなぁ、と可憐は感心する。
がっしりしがみついて四つんばいなエリーヌと比べ、彼は飾りの上に立っている。
元暗殺者だそうだから、特殊な場所への耐性があるのかもしれない。
「あああーー、ま、まだなのですかー悪霊はっ」
後ろも振り向けないので前を向いたまま喚くエリーヌに、クラウンの返事はない。
彼は前方を見据え、中腰になり、攻撃に備える体勢に入っていた。
前方から何か来ているのか?
可憐も水平線に目をこらすが、何も見えない。
――と思ったのも一瞬で。
さぁっと黒いモヤが吹きつけてきて、船首飾りの手前で骸骨の形へと姿を変える。
文献の通りに黒の海賊衣装一式を身に纏った骸骨、すなわち悪霊だ。
スレスレの目前でニタァッと笑われて、たまらずエリーヌは絶叫をあげた。
「んっきゃあああーーーーー!!!!」
姫の後ろで、クラウンが骸骨に問いかける。
「悪霊よ、汝の欲するものは何だ?」
雷と風の音にも負けぬ、低い声が答えた。
『我、穢れなき清らかな者の唇を求む』
「けっ穢れなきっ?高貴ではなく!?」
と叫んだのはエリーヌのみならず、ミルやジャッカー、可憐も同時に叫んだ。
クラウンも驚いたが、顔には出さずに交渉を続ける。
「穢れなき清らかな王女の唇なら、ここにある。これでは駄目か?」
ぐいっと後ろから押されて「ひ、ひぃっ!押さないで下さい」とエリーヌが慌てる目前で。
誰が見ても、はっきり判るほど、骸骨が首を真横に振った。
『我が欲するは姫ではない。清らかな者である』
「ちょ、ちょっと、話が違うーーー!」
エリーヌの絶叫は尤もだ。
しかし、この程度の誤差はクラウンには予想外ではなかったのか、彼は平然と悪霊との会話を続けた。
「汝の求める清らかさとは何だ?器なのか、それとも魂なのか」
『穢れを知らぬ純粋な魂――それこそが我の求める唇である』
そう言って骸骨の瞳の奥に浮かんだ炎が甲板を見下ろすものだから、クラウンもつられて真下を見て、ハッとなる。
清らかな魂の持ち主と言われて、まず最初に思いつくのは一人しかいなかった。
「カレンは駄目だッ!」
咄嗟に叫べば、骸骨は笑う。
『心配せずとも、我、男に興味はない』
では、他に清らかというと誰が該当する?
ミルやフォーリンも清らかといえば清らかだが、可憐ほどの輝きはない。
クラウンの目が順繰りに仲間を眺めていき、最後の一人で止まる。
どうする。
彼女でも、いけないことはない。ミルやフォーリンより、輝きが眩しい。
可憐が駄目である以上、生け贄の代役は彼女しかいまい。
クラウンの決断は早かった。
「ミラー!交替だっ、エリーヌを降ろすから俺に掴まれッ」
驚いたのは、ミラーだ。
「はっ、はぃぃっ!?」
面倒な役目をエリーヌとクラウン両名に押しつけたとばかり思っていたのに、とんだ代役の変更がきたものだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい、私は、そこまで清らかじゃ――!?」
精一杯いやいやのゼスチャーをするもクラウンには全く伝わらなかったのか、彼はエリーヌを小脇に抱えて飛んだ。
船首飾りと甲板の間、数Mの距離を。
「んっぎゃああああーーーーーーーー!?」
尾を引くエリーヌの叫びが皆の耳に張りついた。
「あっ、あぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
すぐさまミラーの絶叫が交替に入り込んできて、思わず全員が耳を塞ぐ。
船首飾りの上に降ろされて、へっぴり腰になるミラーへクラウンが囁いた。
「頼んだぞ。あんたの魂なら合格点だ」
「ひ、ひぎぃっ!怖いぃぃーっ」
今ならミラーにもエリーヌの気持ちが、よく判る。
高いし揺れるし目の前には真っ黒な骸骨がいるしで、生きた心地がしない。
ヒィヒィ騒いでばかりで全く動けない少女を見て、クラウンは、しばし考えた後、両手でもって、しっかりミラーの体を抱きかかえる。
「ひょえっ!?」と驚く彼女の耳元で、優しく囁いた。
「……口づけの真似事をしてくれたら、俺からも祝福をしてやろう」
ミラーがクラウンを見上げると、この上なく柔らかな微笑みと目があった。
たちまちミラーの頬は真っ赤に染まり、彼女は勢いよく頷いた。
「は、はいっ!やりまふっ」
クラウンの手により掲げられた少女は、口をすぼめて骸骨の前につきだした。
恐怖で目をつぶった彼女には見えなかっただろうが、クラウンの目には骸骨が笑った――
そんな風にも見えたが、それも一瞬のことで。
周りを覆っていた黒雲が、さぁっと引いていき、元の青空が晴れ渡る。
『汝の貢ぎ物、確かに受け取った。イルミへの道を汝に与えよう』
骸骨の声は、それを最後に聞こえなくなり。
「……え?イルミへの道って」
何かを言いかけたミル、それから可憐達は足下にズンッと重たい衝撃を受ける。
同時に船がふわぁっと浮き上がり、水平に加速する。
「ひっ、ひえぇぇーーーーーーーーーっっ!!?
誰もが絶叫をあげる中、まっすぐ弾丸のように低速飛行でぶっ飛んで、やがて船はイルミ国の海岸沿いまで全速力で突っ込んでいったのであった。
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