海賊伝承

イルミへは悪霊のちからを借りて、霧に紛れて密入国することになった。
具体的には、どのような手段を使うのか。
アンナとミラーに呼び寄せられ、クラウンとエリーヌはミラーの部屋に集まる。
「チッ、洗い流すサービスもなしとはサービス精神が足りませんよ、チッ」
舌打ちを繰り返して不機嫌に呟くエリーヌへ、オドオドとアンナが話しかける。
「あ、あの、姫……とりあえず、我々の作戦を聞いていただけますでしょうか?」
「そいつは放っておけ」
クラウンは無下に言い放ち、ミラーを促した。
「それで、作戦とは?手数は俺達二人だけで充分なのか」
「あ、はい。文献の内容を完璧に思い出しましたので、お聞き下さい」
ミラーが訥々と語り始めた内容とは――

海賊フロントが生きていた時代。
サイサンダラの海が、まだ戦争で、さほど荒れていなかった頃の話だ。
それでも大陸間を渡航するのは、命がけであっただろう。
海にはモンスターや悪霊がいる。
イルミの海に発生する謎の霧も、この時代から既に存在していた。
従って夏のクルズ―イルミ間の渡航は非常に困難を極めたのだが、海賊フロントは、わざと悪霊を呼び寄せ、悪霊との契約で霧を越える。
その契約とは、こうだ。

「フロントは悪霊の欲しがるものを与え、彼らを納得させました。――汝、如何なるものが好みか?すると悪霊は、こう答えたそうです。我、王女の高貴なる唇が欲しい――」
「えぇっ?しかし、海賊の船に王女など乗船しているものなのですか」
驚くエリーヌに、ミラーは首を振る。
「もちろん、乗っていないのが普通ですよ、姫。ですからフロントは代役を立てたんです。王女のかわりとなる女性を」
当時の海賊船は、下働きの奴隷を乗せているのが定番であった。
フロントは奴隷の中から生け贄を選び、差し出したのだ。
「奴隷の中で一番綺麗な女性を差し出したんです。ですが、悪霊は彼女が王女ではないと看破しました。なのでフロントは、こう尋ねました。――汝の求める高貴とは、魂か?それとも金銀財宝を指しているのか。要するに、お前の求めるものは中身なのか、それとも上辺だけなのか?と、悪霊の本質を問い質したんです」
「海賊なのにトンチが効くというか、意外と口八丁ですね……」
ぽつりと感想をもらすエリーヌには、アンナが苦笑する。
「海賊だからこそですよ、姫。彼らは戦闘以外に交渉でも敵や味方と渡り合っていかねば生きていけませんでしたから」
「奴隷の女性は、魂が清らかでした。なので悪霊はフロントの貢ぎ物に納得したのです。奴隷の命も取られず、要求も通って、無事にイルミへ入国しました」
ミラーの話すオチには、クラウンもエリーヌも驚いた。
「え?奴隷は生け贄ではなかったのですか」
「命を取らないなら、何故要求したんだ」
二人同時の質問には、アンナが答える。
「最初の問答を思い出して下さい?悪霊は『唇が欲しい』と要求しており、命を差し出せとは言っていません。奴隷の女性は、キスの真似事をしただけで済みました。相手は悪霊ですから、実際には触れもしなかったようですけどね」
まるで綺麗な絵本のような話だが、フロントの逸話は実話であったという。
彼の逸話を聞いて真似をする者も多かったが、多くの悪霊とは会話にならなかった。
問答無用で襲いかかられ、沈められる船が多かったという話だ。
「それでは、私達が真似をしても同じように行くとは限らないのではありませんか」
エリーヌの懸念は尤もだが、ミラーは確信めいた表情で言い返す。
「ですが、成功率はゼロでもないんです。フロントの文献を思い出すと共に、真似した人々の文献も思い出しました。それによりますと黒の海賊衣装一式に身を纏った悪霊のみが、交渉可能な相手のようです」
では、その悪霊を見つけるまで粘らねばならないということか?
クラウンの問いに、ミラーは首を横に振る。
「いえ、その悪霊が出る海域も特定できています。ですが今、その海域には鬱蒼と藻が茂っており、商船旅客船はおろかイルミ海軍もクルズ海軍も近寄れなくなっています」
藻が大量発生している海域に突っ込んだら、この船とて動かなくなる可能性が高い。
それでも悪霊との交渉は、やってみる価値があるというのか。
他に方法がない以上、やってみるしかない。
「……俺達の船には今、姫君が乗っている。姫のキス一つでイルミに行けるなら、容易い条件だな」
クラウンにちらりと一瞥され、ようやくエリーヌは自分の立場に気がつく。
彼女は即座に反発した。
「えぇっ!?い、嫌です、初めてはクラウン、あなたとでなくては!」
「真似事ですよ、姫」とアンナが宥めても、エリーヌは全然聞いていない。
怒りの形相で逆にアンナへ詰め寄ると、尋ね返した。
「私とクラウンがキスするのであれば大賛成ですが、悪霊となんて絶対に嫌です!大体、その案でいくなら何故クラウンも呼び出したのです?クラウンの役目は何なんですか!」
「クラウンさんはフロントの代役です。悪霊との交渉をお願いします」
答えたのは、エリーヌに迫られて脂汗を流すアンナではなく傍らのミラーだ。
「俺が交渉役だと?俺に交渉は無理だ」
ばっさり断るクラウンへも、ミラーは説得を重ねた。
「交渉する必要はないですよ。ただ、先ほどの会話を真似するだけでいいんです。何故あなたを代役に立てるかというと、あなたと姫は親密な関係にある」
話途中でクラウンは、ぶっきらぼうに遮った。
「俺達は全く親密じゃない」
「ですが、つきあいは長いですよね?少なくとも、他の方々よりは」
ミラーも引き下がらずに言い返すと、幾分口調を和らげる。
「そうですね……親密云々よりも、もっと簡潔に言いましょうか。あなたが一緒ならエリーヌ姫も恐怖が和らぐのでは、と思ったんです。私達が観察したところ、姫が最も信頼しているのは、あなたのようでしたから」
「信頼で言うなら、俺よりミルのほうが」と言いかけるクラウンを遮って。
「その通りです。クラウンは私の最も信頼する許婚ですよ!」
エリーヌが瞳を輝かせて答え、すかさずクラウンも突っ込んだ。
「だから!誰が誰の許婚だと言うんだッ」
言い争う二人を「まぁまぁ」と手で宥めて、アンナがシメに入る。
「ともかく、これは姫とさほど仲良しでもないカレンさんや幼いミルさん、ジャッカーさん達には出来ない作戦です。フォーリンさんは年齢的にイケなくもないですが、あの人、ちょっとぼんやりしている処がありますし、逆に心配ですよね……なので消去法でも、あなた方二人にお任せしたいんです。宜しいですか?」
宜しいですかも何も、やるしか選択肢がないではないか。
海域までの操縦はミルの召喚獣にお任せするとして、他に注意事項は?
クラウンが尋ねると、アンナとミラーは即座に答えた。
「交渉は悪霊に最も近づける場所でおこないます。クラウンさんは姫が波間に転落しないよう、しっかり支えてあげて下さいね」
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