草原の集落

「なっ……何これ、モンスター!?」
完全に腰を抜かした可憐は、その場から一歩も動けない。
ドアに見えたのは奴の口で、凶悪な牙が並んでいる。
そこからポタポタと涎が滴っており、辺り一面にむわぁっと嫌な匂いが広がった。
「く、くさっ!」
例えるなら、肉が腐った匂いだろうか。
鼻を摘んで顔をしかめる可憐の横には、いつの間に移動したのかドラストが並んで立つ。
ぶつぶつと小声で何か呟き、やがて両手を突き出して魔力を解放する。
「清めよ、聖なる蔦よ、不浄なるものに絡みつけ!」
お得意の氷魔法かと思いきや、ドラストの両手から放たれたのは目映い緑色の光だ。
光は当たる直前、ぱぁっと広がり怪物の体を包み込む。
怪物が「ガッ、ガアアァァッ!!」と、苦しげに呻くのを可憐は呆然と眺めた。
優しげな光だと感じたのだが、触ると痛いとは驚きだ。
怪物の動きが完全に止まった直後。
横合いから、さっと飛び出してきた影が、怪物の喉元に手刀を突き入れる。
「ガッ……ハァッ!!」と一言鳴いて、小屋モンスターが崩れ落ちた。
トドメを刺したのは言うまでもない。クラウンだ。
「うぇ……何だったんだろ、こいつ」
可憐の背後で小さく呟いたミルも、やはり鼻を摘んでいる。
先ほど彼女が攻撃に加わらなかったのは、鼻を摘んでいたせいだろうか。
「こんなモンスター、初めて見ました……!」
ミカンザは青ざめ、ドラストへ尋ねた。
「やはり、何者かがイルミにモンスターを連れ込んでいるのでしょうか?」
近寄って、モンスターをあちこち調べていたドラストも振り返る。
「そのようだな。山頂にまで仕掛けられていたとなると、敵は、もう下山しているやもしれん」
「そ、それじゃ最長老様は、最長老様も今頃は襲われてッ!?」
逸る部下を手で押しとどめ、ドラストは慎重に言葉を繰り出した。
「まだ、そうと決まったわけでもあるまい。草原には四騎士もいる。だが――何者かが攻め込んでいるとなると、こちらの会談に支障が出る」
「四騎士って?」
可憐の質問を無視して、ドラストが逆に急かしてくる。
「ここで一晩休もうと思っていたが、のんびりしている暇はなさそうだ」
休もうにも小屋がない。
しかしジャッカーもアンナもミラーもヘトヘトで、フォーリンなどは動けそうにない。
可憐が目線で訴えると、肩をすくめてミルは言う。
「しょうがない。クラマラス、聞いたね?急いで山を下りようか」
ささっとクラマラスの族長・黒炎が走り出て、彼女の元へ跪いた。
「はいな、はいな。うちらに任せておくれやす」

――かくして。
緊急事態という事もあり、クラマラスに掴まって一同は下山する。
山道に沿って歩くのではなく草原へ直接、舞い降りた。
降りる直前、ドラストが呪文を唱えて、地上へ魔力を放つ。
草原に見えた一帯がカーテンを開くかのようにめくれていくのを、全員驚愕の眼差しで見守った。

最長老の里へ到着した一行を出迎えたのは、「敵襲か!?」との誰何であった。
周りを囲んだ兵士を前に、すかさずドラストが叫び返した。
「待て、我々は敵ではない!最長老への面会を求めて来た者だ」
ドラストの顔を覚えている者も多いのか、すぐに誰かが走っていき、数分と経たずに二人連れだって戻ってきた。
銀に輝く鎧を身につけたイルミ兵は、まず、ドラストとミカンザを確認してから可憐やクラウン、エリーヌと順繰りに見ていき、眉をひそめる。
「フォーゲル家の娘よ、これはどうしたことだ?イルミに他国の者を連れ込むとは」
厳しい視線に怯むことなく、ドラストも言い返す。
「以前の手紙に書いたとおりだ、ブレクトフォー卿。最長老にお会わせ願いたい者がいる。それが、こちらの一行だ」
順番にエリーヌから紹介していき、最後に可憐をスカウトマンだとドラストは言った。
じろじろと上から下まで可憐を眺め、ブレクトフォーは怪訝な顔つきになる。
「スカウトマン、だと?ワ人が何故クルズ人に協力するのだ」
ドラストは首を真横に振って否定した。
「カレンはワ国民ではない。そこのクラウンもだが」
「クルズ人でもない者が、クルズに味方しているのか」
まだ半信半疑なブレクトフォーの思考を遮って、可憐は一応挨拶する。
「え、えぇと、はじめまして。カレン=イチークラと申します」
「可憐、その名前は混乱を避ける為の一時的処置だったんだよ」
背後から小声で突っ込んできたのはミルだ。
「今はもう、普通に名乗っていいよ」とも言われ、可憐は羞恥でポッと頬を赤らめる。
ミルったら、それならそうと早めに言ってくれればいいのに。
いらぬ恥をかいてしまった。
相手は別におかしいとも思わなかったのか平然と可憐の挨拶を聞き流し、顔見知りのドラストとばかり話している。
可憐など視界にも入っていないようだ。
「あの二人はセルーン人なのか?とても、そうは見えぬが」
「いいや。カレンは異世界人、そしてクラウンは混血児だそうだ」
ドラストが言った途端「なんだと!?」と大声でブレクトフォーが叫ぶもんだから、この場にいた全員が彼に注目した。
可憐も然りだ。驚愕の眼差しを受け止め、見つめ返す。
淡い水色の髪の毛は腰の辺りまで伸ばしており、艶やかだ。
睫毛が長く、切れ長の瞳。
背は可憐よりも低く、手足は細い。
たおやかな体躯ではあるが、腰に剣を差しているから接近戦もイケるのであろう。
まるで少女漫画に出てきそうな如何にもな美形騎士で、かつての可憐だったらチッと舌打ちの一つや二つをかましていた処だが、今は自分もイケメンだ。
「クルズは異世界召喚で、人間を呼び出したのか……?」
ブレクトフォーは、わなわなと体を震わせる。
「そうなるな。だが」と何か言いかけるドラストへ、食ってかかった。
「危険だ!異なる世界の人間種を呼び出すなど、クルズは何を考えている!?この世界を崩壊させたいのかッ」
かと思えば腰の剣を引き抜いて、可憐相手に身構えた。
「最長老に会わせるわけにはゆかぬッ。この場で成敗してくれる!」
「ま、待てっ!カレンは、卿が思うほどには凶悪な――」
ドラストが止めるよりも早く、騎士は可憐に斬りかかる。
そして剣が振り下ろされるよりも先に、ブレクトフォーの体は吹っ飛んだ。
「……この国の騎士は、危険と決めつけたら即殺しにかかる物騒な輩なのか?」
可憐と騎士の間に割って入ったのは、クラウンだ。
斬りかかった瞬間を狙い、自身も飛び込み、騎士の土手っ腹に一撃入れたのだ。
「あ……ありがと?クラウン」
いきなり怒りだした騎士が剣を引き抜いたと思う暇もなく前方へ吹っ飛んでいき、気がついたらクラウンが前に立って、騎士を睨みつけている。
可憐にしてみれば、何が起きたのやらサッパリだ。
ひとまず、お礼を言っておいたら、クラウンには小さく微笑まれた。
「無事で何よりだ、カレン」
吹き飛んだ騎士が、ぐぐっと身を起こそうとして起き上がれずに呻きをあげる。
「お、おのれぇっ……!」
そこへ、場違いにもパチパチと拍手をしながら歩いてくる者がいた。
「ブレクトフォー、貴殿の負けだ。ここは潔く剣を収めると良い」
薄い水色の髪の毛は、ふわっと短めにまとめられており、やや太い眉毛が男らしさを醸し出しつつ、しかし体格はスレンダーに近く、真っ赤な鎧を身につけていた。
こいつも、少女漫画や乙女ゲームなりに出てきそうなタイプのイケメンだ。
というかイルミの民はドラストやミカンザも含めて、誰一人としてブサイクがいない。
四方を囲んでいる雑魚兵士にしても、一人一人が整った顔の造形だ。
クルズはオッサンやオバサン、ジジババ子供と一通り揃っており、良く言えば個性的な顔立ち、悪く言えば非美形も多々いたというのに。
イルミの民は全員が年齢不詳の若々しい容姿であった。
この分だと、最長老も若々しいに違いない。
「仲間の無礼を許してやってほしい。皆、ここのところ不審な襲撃で気が立っているのだ。俺は草原の四騎士が一人、アレクサンドラ=ケイズナー。最長老の元まで案内しよう。ついてきてくれ」
踵を返して歩き出した騎士の後ろをついていきながら。
最長老は男なのか、女なのか。
願わくばピチピチぼい〜んの美少女であってほしい――
などと勝手な欲望を脳内で膨らませる可憐であった。
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