改めて、異世界

風が冷たい。
山の中だからなのか、それとも、そういう季節に差し掛かったのか。
ぶるっと身震いした可憐を見て、クラウンが気遣ってくる。
「大丈夫か?寒いのなら、小屋へ戻ったほうがいい」
それには構わず、可憐は聞き返した。
「今って春?それとも夏?にしては寒く感じるよね。俺ってサイサンダラについて何も知らないから、教えてくれると嬉しいかな」
「あ、あぁ……」
クラウンは唐突な話題に少し驚いたふうであったが、すぐに答えた。
「今の季節は陽月と呼ぶ。昼間の気温は高いが、夜は低い」
「へぇ、夜は寒いんだ。ここが山の中だからとかじゃなく毎日?」
「あぁ」
それで毛布を持ってきていたのか。
納得する可憐へ、今度はクラウンからの質問が飛んでくる。
「カレンが前に住んでいた世界について、俺も知りたいと思っている。もし、よければ」
遠慮深げなお願いを遮って、可憐は手をパタパタ振った。
「あ〜、別に、イイトコロじゃなかったよ?うん、話す価値もないゴミタメみたいな世界だった。あんな処には二度と戻りたくないね、ここのほうが何百倍もいい」
お世辞ではなく、本心から、そう思う。
前の世界は可憐に優しくない、つらい場所であった。
居場所などないと言っても過言ではなく。
あの世界へ戻るぐらいなら、戦争が起きていようと、ここに残るほうがずっとマシだ。
あの世界は一見平和だったけれど、人の心が歪んでいた。
そして歪んだ人々の心は、可憐本人にも影響を及していた。
東京で引きこもっていた自分は、自分で振り返っても嫌な奴であった。
ブラック環境で働く者を"社畜"と見下し、世論の意見を"集団でしか動けない弱者"と蔑み、政党に対しても"金に飢えた自分本位な亡者"と吐き捨てた。
それでいて自身は働かないニートを貫いていたのだから、他人をどうこう言えた立場じゃない。
前の世界を思い出すのは、昔の嫌な自分と向かい合うことでもある。
完全に沈黙した可憐を見て、クラウンが申し訳なさげに謝ってきた。
「……すまない。嫌な過去を思い出させてしまって」
その声が、あまりにも哀しげに聞こえたもんだから、我に返った可憐は慌てて彼を慰めにかかる。
「い、いや、クラウンが気に病む事じゃないし……けど、ここへ来て良かったと思っているのは嘘じゃないよ?生まれて初めて、友達がいっぱい出来た場所だしね」
「初めて!?」と驚いた目を向けられて、可憐は素直に頷く。
隠し事をしているのはフェアじゃない。
これからも一緒に旅を続けていく仲間であり、友達なのだから。
「俺さ、前の世界では全然友達がいなかったんだ。だから……ここに召喚されたのは、本当に嬉しかった。優しくしてくれた人達の為にも戦争、絶対に終わらせようって思って。もちろんクラウンにも感謝しているし、これからも宜しく!」
力強く頷いてやったら、ようやくクラウンの瞳からも憂いが消えた。
もののついでで言ってみたが、戦争終結に関しては正直そこまで決意したわけではない。
可憐の心には、未だ迷いがあった。
戦えない自分に何ができるのか、という迷いが。
ミルはスカウトマンに使うと言ってくれたけど、それでも死なない保証はない。
前線に出なくても、暗殺される可能性だってあるのでは?
今までの人生で死の予感に怯えた覚えのない現代人の可憐には、充分すぎるほどの恐怖であった。
隠し事をするのはフェアではない。
しかし、怯えている事を悟られてもいけない。士気の低下に関わる。
力強く言ったつもりでも、手が微かに震えていた。
そこをめざとくクラウンに見つけられて、手をギュッと熱く握られる。
「……大丈夫だ。カレンの身は、俺が必ず守る」
「あ、ありがとう」
小さく呟いた可憐の返事を聞くよりも早く、不意にクラウンが可憐の手を離し、腰を低く身構えた。
「カレン。先に小屋へ戻っていろ、いや――」
否、返事を待たずに藪へ向かって飛び込んだ!
「えっ、ちょっ」
突然の行動には、可憐も呆気にとられて棒立ちするしかない。
間髪入れず真正面からは『ギャアアァァァッ!!』と謎の奇声だか断末魔だかが響いてきて、可憐は、さらに狼狽した。
先ほどまで静寂な夜だったのに、これじゃ寝た子も飛び起きるであろう。
思った通り、小屋から「ど、どうした!?」だの「奇襲かッ!」といった声と共にミルやドラストが飛び出してくる。
だが、飛び出してきた時には全てが終わっていた。
藪をかき分け戻ってきたクラウン曰く、「仕留めた」との事である。
「何を?」と可憐が聞き返すと、彼は目線を下へ向けて「野獣を」と答えた。
「野獣?そのようなもの、この山にはいないはずだが」
首を傾げつつ、ドラストが確認しに藪へ入っていく。
ミルと可憐も一緒に覗き込んでみれば、そこには巨大な図体が横たわっていた。
全長五メートルぐらいありそうな、大きな獣だ。
頭部は虎に似ているが、虎にはない角が生えている。
口の中には尖った牙が生え揃い、如何にも獰猛そうな肉食獣であった。
こんなものが藪の中に潜んでいたなんて。
もし襲われていたら、可憐など、ひとたまりもなく即死していただろう。
気配に気づいたばかりか一撃で仕留めたクラウンに、可憐は羨望の眼差しを向けた。
「さっすが元アサッシン……ツエー!」
以前、クラウンがヒゲカマー相手に手も足も出ないのを見た時は、本当に王家の懐刀なの?
と、疑ってしまった可憐であったのだが。
考えてみればクラウンが戦った場面なんて、ヒゲ上司との一戦しか見ていない。
初めて出会った時も、彼は何らかのモンスターを一人で倒していた。
もしかして人間以外のモンスターが相手なら、滅茶苦茶強いのかも?
キラキラ輝く可憐の視線から逃れるように、クラウンは、ますます俯いた。
「上手く峰打ちできなかった……カレン、未熟な俺を褒めないでくれ」
「へ?」と可憐が間抜けな声をあげる手前では、ドラストが首を傾げた。
「このようなモンスター、やはり、この区域では見たことがない」
「生態系に狂いが生じているのかい?」
ミルに尋ねられ、ドラストは腕を組んで唸りをあげる。
「というよりも、何者かがイルミにモンスターを持ち込んでいる可能性が高いな」
「へ?」
ますますマヌケ面になる可憐を余所に、クラウンも会話に加わった。
「イルミには生息しないモンスターである、と?」
「あぁ」と頷き、ドラストが険しい視線を獣の死体へ向ける。
「もし、これが、この山だけではなく全域へ渡るとしたら……最長老の御身も危ない。少し、急いで里へ向かう必要があろう」

一体、イルミで何が起きているのか。
この時点では、誰一人として先を予想できずにいた――
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